年甲斐もなく緊張しながら口に出した想いは、アベンチュリンの予想とは反してうっかり捨てずに済んでしまった。レイシオからは「同じように応えられるかは分からないが」と前置きはあったものの、それでも優しく握られた手に涙が出そうになったのは秘密だ。
それから数ヶ月が過ぎ、それらしい触れ合いを一通り二人で経験して、髪も格好もぐちゃぐちゃのままベッドシーツと陽光に包まれて目覚めた朝が今である。
「……」
「……起きたようだな。おはよう」
アベンチュリンがゆっくりと目を開くと、衣擦れの音と共に額に一つキスを落とされる。ワンテンポ遅れてから心臓がどきどきと跳ね出して、寝ぼけていた意識が急に覚醒した。だが、そんなアベンチュリンの動揺など知らないレイシオは、甘ったるい表情のままで彼の寝起きを見守っている。
ぱちぱちとまばたきを二回繰り返した後、そんな光景に急に照れくさくなってしまったアベンチュリンは、寝た振りをするようにゆっくりと瞼を閉じて現実から少しだけ逃げ出した。
すると、閉じた世界の先でレイシオがくすくすと笑っている。
ーーねえ、君ってそんなキャラだった?と跳ねる心臓を抑えながら耳をすませば、レイシオが「まだ眠いのか」と呆れたように笑いながら呟いた。そうして、今度は髪にやさしくキスを落としてから、ベッドの上から去っていったようだった。
足音が遠ざかっていき、彼が寝室から完全にいなくなったことを確信してからアベンチュリンはパチッとその両目を開いた。
今まで嘘なんて散々吐いてきたくせに、この程度の嘘でさえ緊張してしまっていたことに自分でも笑ってしまう。はぁ、と大きく深呼吸をして、ぐしゃぐしゃになったベッドシーツを抱きかかえながらごろんと寝返りを打った。
(……本当にレイシオなのかい?)
熱った頬をそのままに、心の中でつぶやいた。彼はもっと淡白で、触れ合いの中だけでそういうことを意識するような、そんな男なのだと思ってばかりいた。
もし関係を持ったとしてもそれは変わらないと思っていたけれど、実際のレイシオは想像よりもずっと人間らしく、穏やかで甘い男らしい。自分のテリトリーに入れた対象には、あんな顔も向けてしまうようだ。
目覚めた先にあった溶けそうな眼差しと挨拶がわりの柔らかなキスたちは、まだそういう関係になってから日の浅いアベンチュリンにとってかなり刺激の強い情報ばかりだ。
「はー……」
また大きく息を吐き出しながら、今度はぼんやりと天井を眺める。
元々は自分が抱え込んだ恋情にレイシオを付き合わせたのだと思っていたのに、これではまるでレイシオから強く想われているような、そんな勘違いをしてしまう。
(まだ起きただけなんだ。勘弁してくれよ、レイシオ)
悪態にもならない惚気た言葉を思い浮かべながら、アベンチュリンはひとりきりの寝室でしばらく転がっているのだった。
それから三十分ほどが過ぎ、スリッパをぺたぺたと鳴らしながらリビングに向かうと、既に身形を整えたレイシオがそこにいた。
アベンチュリンがコーヒーの香りにすんすんと鼻を鳴らせば、その様子を見たレイシオから穏やかな表情でおはよう、と声をかけられる。
「コーヒーなら落としたが、飲むか?」
「……いや、紅茶にしようかな。自分でやるよ」
レイシオを制してそのままオープンキッチンの方へと足を向け、緩慢な動作でケトルをセットする。すっかり目は覚ましてきていたが、気が抜けた頭には酸素が足らないらしく、ふわぁと大きなあくびが出てしまった。
「随分と気が抜けているな」
後ろで声がしたかと思えば、両脇から伸びてきたレイシオの手が緩やかにアベンチュリンを拘束する。甘えるように肩口に顎が乗せられていて、彼が喋ると少しだけくすぐったい。
「君も甘えるんだね。意外だ」
からかうように笑いかければ、ふん、と満足げな吐息が耳を掠める。アベンチュリンの前で組まれていたはずの両手は、気がつくと片一方の指先がパジャマの隙間から滑り込んできていた。
「……なんだい? 昨日じゃ足りなかったか、それは失礼したね、もっと体力をつけないと」
「そういうことじゃない」
滑り込んできた指先は労わるようにアベンチュリンの下腹部をゆるりと撫でている。本当にその先を望んでいるというわけではなさそうで、ただ触れたいから触れている、といった具合だった。
「触れるのに、理由は必要か?」
「……えっ、と」
「君は、こういうのも上手くかわすものだと思っていたが」
違うんだな、と機嫌が良さそうにレイシオが呟いた。
人を何だと思っているのかは知らないが、人生においてこんな甘ったるい触れ合いの時間なんか無かったのだから、構えてしまうのは見逃してほしいものだ。
「君みたいに慣れてないんだ、こういうの」
少しだけ棘を含んだ返しをしてから、はぁ、と熱っぽいため息を吐き出せば、くすくすと笑う声が鼓膜を刺激する。こっちは彼のひとつひとつに緊張しているのに、レイシオは随分と悠長なものだった。
自然と体を拘束する手が外れて少し振り返れば、黙ったままでレイシオと視線が絡み合う。ああ、キスされるんだなと思いながら目を閉じれば、想像通りの感触が唇に落ちた。
軽いキスがそれだけで終わるうちに区切りをつけると、火にかけていたケトルが音を立て始めていた。もう少しでお湯が沸きそうだな、と思いながら眺めていると、傍らのレイシオがそっと口を開く。
「……砂糖とミルクは?」
「うん、どっちも。朝だし、甘い方がいいかな」
「覚えておこう」
「ふふ、天才的な頭脳に無駄な情報を加えるのは、何だか気分が良いね」
ね、教授?と視線を向ければ、満足そうに片方の口角だけをふっと上げた。なんだかずっと機嫌が良さそうなレイシオにつられて思わず破顔してしまうと、また脈絡もなくキスをされてしまう。
「……君、もしかして浮かれてたりする?」
「ああ、そうかもしれない」
珍しく指摘を素直に認めた彼にけらけら笑いながら、アベンチュリンはすっかり沸騰したケトルの火を止めたのだった。