花の正しい育て方 ぱしゃり、ぱしゃり。
杉下京太郎は屋上にある畑に水を撒いていた。一つ一つの植物たちへ、丁寧に。立派に育ちますように、そう願いながら。
特にこのトマトの苗には沢山かけてやろう、そう思い立ち水をやる。
トマトは黄色く小さな花を咲かせる。それがなんとも可愛らしく、密かに気に入っていた。
苗へ水をかけ終えた頃、肩をトントンと叩かれる。
振り向くとそこには杉下が信仰してやまない神様こと梅宮一が立っていた。
ぺこ、と頭を下げ挨拶をすると梅宮さんは「おう!杉下、今日も手伝いありがとうな!これ差し入れ!」と清涼飲料水を手渡してくれた。
少し休もうか、と梅宮さんに提案されその後ろをついて歩く。屋上に備え付けられている東屋へ向かい、梅宮さんが座るのを確認してから自分も席へ着く。なんとなく梅宮さんの斜め向かいに腰掛け、先程貰った飲料水に口をつけた。
さわさわと頬を撫でる風が心地良い。目を閉じるとどこか遠くから子供たちの笑い声が聴こえる。
今日もこの町は平和だ。
目を開け町の方を見つめていると「なあ」と声を掛けられる。
梅宮さんの方へ向き直り「はい」と返事をするとふふん、と笑っている梅宮さんと目が合った。何だろうか……?
すると、いきなりガタッと音を立てて身を乗り出し
「じゃじゃん!杉下、問題です!花に沢山水を与えればそれだけ成長するでしょうか!」
雲ひとつない晴天、本日の天気を表すかのような笑顔で梅宮さんはオレに問いかけた。
オレは数秒考え込んで
「……………………違うんですか?」
一言、質問に疑問で返した。
無理も無い。植物を育てたことなんて今まで無かったし、梅宮さんに出会ってから土のいじり方なんてものを学んだのだ。
梅宮さんはフッフッフッ、と得意気に笑いながら座っているオレに近付いてくる。そのままオレの隣に立ったかと思えば頭をポンと一つ撫でられた。
「実はなぁ、花は水をあげればいいってもんじゃないのよ。その花に合った量・タイミングがあるんだ。知らなかったろ?」
コクリと頷く。やはり梅宮さんは凄い。何でも知っている。
梅宮さんが大事にしている植物たちを枯らすわけにはいかない、頭に全て叩き込んでおかなくては。
オレがふむふむ、なんて何度も頷きながら聞いていると梅宮さんはこう続けた。
「例え愛情故の行為だったとしても、過ぎた行動はその花の根を腐らせる。初めは難しいかもしれないが、その花の特徴を知っていけば自ずとどうすればいいか、どうやったら綺麗に咲くか分かってくるもんだ。何事もな、知ろうとすることが大事なんだよ」
「そして杉下、これは……人間関係も同じだよ」
すぅっ、と優しく目を細めこちらを見つめられる。
人間関係……?はて、何故今その話が出てくるのだろう?
オレが疑問に思っているのが伝わったのだろう、梅宮さんはまたにこりと笑って
「お前にもきっと、今の話が繋がる日がくるさ」
梅宮さんはそう告げ、そのままくるりと背を向けて畑の方へ歩き出す。オレはただその背をじっと見詰めることしかできなかった。
この後も梅宮さんは畑作業だろうか、そういえば肥料が足らないと言っていた気がしたな……後で買い出しも手伝おう。
先の話はきっとオレにはあまり関係ない。きっと。
心のどこかで引っかかる先程の会話。それをかき消すように頭を振った。
誰もいなくなった教室。今、目の前にいる猫……いや、どちらかというと猿のような動きで自分をイラつかせる人間こと桜遥は顔を真っ赤にして自分と距離を取ろうと必死に腕をばたつかせていた。
まあ、オレの方が体格は良いので簡単に動きを封じてしまうことはできるのだが。
「おいテメェ!なんのつもりだ!離せ!」
髪の毛が逆立つくらいの怒りをもってこちらにぶつけてくる。なんて可愛げのない。
「……抱き締めるくらいするだろ、普通」
そう、付き合っているのだ。オレとコイツは。
何がどうなってそうなったなんて、天変地異が起こってしまったとでも言っておけばいい。
それより付き合ってからのその後が問題なのだ。コイツは頑なにオレが触れることを許さない。
「どうしてそこまで拒絶すんだ?言ってみろ」
少しの苛立ちを乗せ問う。
すると桜は目を泳がせ、口を開いては閉じを繰り返しやがて観念したかのように言葉を零した。
「………………オレみたいなのに、触れ……たい、の……か?」
……はあ?何を言っているんだコイツは。
オレが怒りを通して呆れた顔をしていると、桜が慌てて言い訳を続ける。
「だ、だってそうだろ!今までだって〝そう〟だったんだ……!」
そう言って目を伏せる。両の目に影が差した。
そしてオレは今、梅宮さんとのあの会話を思い出していた。
あぁ、そういうことだったんですね梅宮さん。やっと、やっと理解が出来ました。
コイツは他者からの愛情に慣れていない。
他者から与えられる愛を持った体温など知らないのだ。
知らないものは恐怖でしかない、これを無理に、そして一方的に与えられるというのなら逃げる選択を取るのも当然だ。
ならばどうするか?
「…………分かった、お前に合わせてやる」
コイツのペースにオレが合わせてやればいい。
無理強いはしない、でも確実に許容範囲を広げてやればいい。ゆっくり、少しずつ。
オレのこの愛情という水を、何日、何ヶ月、何年かかろうともコイツに注いで咲かせてやろうじゃないか。
桜遥という、儚くも美しい人間を。
育てることは得意なのだ、何せあの梅宮さんに教わったのだから。
さて、合わせるとは言ったがどこから始めよう。うんうんと唸っていると袖をくんっと引かれた。
「手…………繋ぐ、なら……大丈夫。多分」
ぽそりと小さな声が聞こえた。
色の違う両の目は先程の影はなく、陽の光を受けて反射し燦然と耀いている。その瞳の中にオレが映っていた。
あぁもう、コイツは本当に。
本当に。
「…………ムカつく奴だな」
するりと桜の手を取り、一つ一つの指を丁寧になぞる。掌に爪先を当てカリ、と軽く遊ぶと「こそばゆい」と逃げる手。それをを追いかけ自身の指を絡ませる。緩く力を込めて握ると桜の口から「…………ぁ」と小さく声が漏れた。
ちらりと桜の顔を覗き込むと頬を林檎のように真っ赤に染め、恥ずかしさのせいか瞳が潤んでいる。小さな雫を乗せる睫毛がふるふると震えていた。
これを見ても ゆっくり、少しずつ を実行出来る男がいるなら教えて欲しい。
だが「お前に合わせる」と言った手前、これ以上のことをするのは忍びない。ぎり、と奥歯を噛み締めていると握っている桜の手からきゅ、と力が込められた。
「………………へへ、あったけ」
ふにゃりと笑う桜。
それを真正面からくらってしまった。心臓が痛い。破裂してしまうのではないかというくらい、痛い。愛おしい。
目を閉じ、頭の中で梅宮さんの姿を思い浮かべる。冷静になる為じゃない。懺悔する為だ。
すみません、梅宮さん。オレ、貴方に教わったこと理解しているのに行動に移せそうにありません。でもコイツが悪いです。絶対オレだけのせいじゃないです。
一息に懺悔という名の言い訳を連ねる。頭の中の梅宮さんが呆れたように笑っているような気がした。
「杉下……?どうした…………?」
黙ってしまったオレに不安になったのか、桜がおずおずと尋ねてくる。
スッと目を開け、空いているもう片方の手を桜の項へ這わせる。そのままつぅ、と撫でると桜の肩がビクリと揺れた。
ふぅ、と息をつき
「……………………やっぱ、これだけは慣れろ」
「ぇ、ちょっ、まっ」
制止の声も聞かず桜の唇へ噛み付く。下唇を食み、ふにふにと何度も角度を変え感触を楽しんだ。
桜から漏れるん、ん、という甘い声に酷く煽られる。どうしてこう、コイツはオレをイラつかせるのが上手いのだろうか。
一の字に固く結ばれた唇をべろりと舐めると「ヒッ」と声が上がり繋いでいた手に爪を立てられた。
流石にこれ以上は酷か。
もう一度だけ軽く唇を押し当て離れる。ちゅ、となんとも可愛らしいリップ音が辺りに小さく響いた。
「………………ん」
「…………ぁ、お、おまえっ、なっ……なっ……!」
唇に手の甲を当てぷるぷると震える桜。
それを見てフンッと鼻を鳴らすと馬鹿にされたと勘違いしたのか、桜はそのまま「ば、バーカ!ほんとバカ!」と言い残し去っていってしまった。
小さくなる桜の姿を見送りつつ(やってしまったな)とは思う。
でも仕方ない、仕方ないだろう。これはオレの癖みたいなもの。
愛しい花にはどうも、水をやり過ぎてしまうのだ。