兄妹ss 「リラちゃん、リラちゃんってば……ねえ、起きてよ〜……」
「なに、もう朝……?……えっ」
暁花の泣きそうな声で目が覚める。眩しいほどに真っ白な天井。周りを見渡さなくても、ここが自室でも自身のラボでもないことは明白だ。壁も全てが白い部屋に、リラと暁花のふたりきりである。
「リラちゃん、おはよう!」
「ぐえっ」
目を覚ましたリラに暁花が飛びつき、喉からおかしな音が鳴る。苦しそうにしたリラから暁花が慌てて離れ、律儀に床に正座した。
「あのね、わたしたち、気付いたらここにいたの。昨日は一緒に映画見たあと、別々の部屋で寝たのに変よね」
「……はあ?何それ」
リラはスマホを取りだして画面を数回タップする。しかし反応は帰ってこない。
「当然、外部との通信手段は遮断するよね」
「……え、まさかとは思うけど……もしかして……誘拐?」
「かもね。身代金目的なら暁花まで巻き込まれることじゃ……」
「もうっ、わたしも一緒でよかったの!わたしはリラちゃんの護衛だし、とっても強いんだから!」
頬をふくらませた暁花に苦笑しながら、リラは立ち上がる。そして、白い部屋の中にぽつんと置かれた小さなテーブルに、一枚の紙を見つけた。
「なにこれ……『100回ハグしないと出られない部屋』……?」
無機質なフォントで綴られたその言葉に、リラは目を見開いた。暁花も後ろから紙に書かれた内容を見て声を上げる。
「え〜!?どういうことなの、リラちゃん!」
「私が聞きたいよ……」
リラは頭を抱えた。一回の抱擁と多少の恥でこの空間から出られるならいい。だが問題は100回もその行為を繰り返さなければいけないことだ。暁花はパーソナルスペースが狭いぶん、そこまで気にしないだろう。普段から距離感が近い彼女なら、躊躇いなく抱擁100回はクリアできる。パーソナルスペースが広い自分にとっては、本当に過酷な試練だった。
「あっ、あれが扉かな?」
暁花が指さした先には壁と同化しているが確かにドアノブと蝶番のついた扉があった。その上には電光板があり、数字が浮かび上がっている。
「あの数字が100になるまでぎゅーすればいいのね」
暁花はうんうんと頷いて、リラに向き直った。
「ねえ、やってみる?」
リラはあからさまに顔をゆがめた。その顔を見て、暁花の眉が下がる。僅かに潤ませた瞳が、リラの罪悪感を煽った。
「リラちゃん、そんなにいや……?」
「う……違う。暁花とするのは嫌じゃないけど……」
ハグした数をカウントされているということは、この状況を誰かに監視されていると考えていいだろう。それが恥ずかしくて、嫌だった。
「誰かが見てるって考えたら、嫌」
「そっかあ、そうよね。うーん……リラちゃん、ちょっと下がっててね」
「暁花?何する気?」
轟音。
暁花は、拳を扉に叩きつけていた。扉は音こそ立てたがビクともしなかったようで、暁花は手を擦りながら首を傾げる。
「やっぱりだめね。大抵の扉はこれで開くんだけどな」
「……脳筋か?」
「なあに?ノーキンって」
リラは暁花の行動に心拍数を上げつつ、条件を満たすことでしか外には出られないとわかってため息をついた。だが、仕方がない。外に出た暁にはこの状況をどこかで見ている第三者を割り出し、社会的に抹殺──それよりもっと酷い目に遭わせてやろうという強い意志で──必ず罪を償わせると心に決めた。
「今ので腹を括った。……やろう、暁花。早く出て犯人探すよ」
「やったー!じゃなくて、わかったわ!よーっし、がんばろうねリラちゃん!」
暁花がリラに飛びついて、数字がひとつ増える。あ、これもカウントされるのか……とぼんやりとリラは思った。
「ハイ、1回離れて……次は私から……」
暁花を引き剥がし、また腕を回す。電光板を見ればまたひとつ、数字が増えていた。
「……これを繰り返せばいいわけね」
「なんかロマンがないなあ……。リラちゃん、もっとゆっくりやろうよ〜」
「呑気なこと言わないで。兄貴たちが私たちを探してるかもしれないのに」
「え〜」
暁花は唇を尖らせ、不服そうにしていたが大人しくリラにされるがままになった。少し拗ねたのかもしれない。つんとした表情が面白くて、リラはつい笑ってしまう。
「ごめんって。早く出るためだよ。ここから出たら埋め合わせ……暁花の好きなこと、なんでも付き合うから」
「……むむ……」
「フリフリ着る?」
「む……それは見たい〜……」
「ショッピング?流行りのカフェ?なんでもいいよ。なにがしたい?」
20、30、40。
カウントが進む。リラは話していれば多少は恥が紛れることに気づいて、普段からは想像できないほど饒舌になっていた。
「映画、また行く?あ、新しいアイロン欲しいんだっけ」
「行きたがってた遊園地に行くのもいいね。新しくまたアトラクションが出来たらしいし」
さっきまでよく喋っていた暁花は、顔を赤くして黙ってしまった。
「どうしたの」
「リラちゃんが言ってくれたこと……全部やりたいけどわがままかなって。あとわたしのこと、沢山考えてくれてるんだなって嬉しくて……」
「わっ、ちょっと……苦しいよ」
リラに抱きついた暁花は、今までよりも強く腕に力を入れている。
少し間を開けたあと、ガチャン、と重い音が響いて、扉が開いた。
「……暁花、扉が」
「あれっ?あっ、もう100回?」
「意外とすぐ出来るもんだね。……じゃあ早速犯人探し」
「レッツゴー!」
───
「『キスしないと出られない部屋』……?」
読み上げた途端に恥ずかしさで顔面に熱が集まったヴィオレは、紙を丸めて床に投げた。
「ば……馬鹿か。こんな部屋。時間と労力の無駄でしかない」
「哥哥、どうしたの」
目を擦りながら上体を起こした暁玲は、欠伸をして立ち上がった。ヴィオレが投げた紙を拾い上げ、シワを伸ばしていく。
「きすしないとでられないへや?」
暁玲は紙を机に戻し、扉を見据える。長い息を吐き、扉に向かって助走をつけた暁玲。
「おい、何する気──」
轟音。
暁玲の足が扉を蹴り飛ばした音だった。気の抜けた声とともに、暁玲はつま先をさすった。
「いてて。だめだあ、開かない」
「大丈夫か?ったく、怪我したらどうする」
「大抵これで開くのになあ。悔しい」
「もう無茶するなよ」
紙にどこにキスしなければいけないとは書いていない。ヴィオレは自分の手の甲に唇をくっつけてみたが、効果はないようだった。
「……だめか」
「哥哥、ちゅー」
「うわっ」
暁玲が頬に唇をくっつけてくる。海外じゃ親密度の高い相手とする挨拶らしいが、ヴィオレは思わず後ずさった。
「急にやめろ!」
「不好意思。でもすぐ出ないと、心配かける」
「うぐ……それはそうだけど、ていうか今のでだめなのか。じゃあ唇しかないってことかよ」
「おれはいいよ〜、哥哥好きだもん」
その好きは多分恋愛とかではなく親愛……とツッコミを入れるまもなく、暁玲はヴィオレの唇に自分の唇を触れさせていた。
「はい、ちゅー完了」
「心の準備!!」
「哥哥、声大きい」
「だっ……誰のせいで……!」
「扉空いた。帰ろ〜」
どこまでも自由な暁玲の後を、ヴィオレは項垂れて着いていく。見知ったオフィスに着くと、リラと暁花の姿があった。
「兄貴……」
「リラ!」
「お兄ちゃんたちも、変な部屋にいたの?」
「暁花も?」
暁花は暁玲の問に大きく頷き、リラに擦り寄った。
「えへへー、リラちゃんとデートするの。お部屋を作った人を懲らしめたらね!」
「へー、いいな。おれも哥哥とでーとしたい」
兄妹で会話が弾むなか、リラはヴィオレに何も聞けないでいた。ヴィオレの顔が赤く染まっているのが気になるが。
「ねえリラちゃん、ヴィオレさん顔真っ赤なんだけど……」
「……聞いてあげないのも、妹なりの優しさかな」