『おはよう』
ちゅっと軽いリップ音に瞼を開く。部屋に差し込む光に目が眩み、光を遮るように腕を翳した。
『寝坊する気?』
くすくすと頭上で笑う気配を抱き締め、そのままソファに沈んだ。腕の中の暖かさに、気持ち良さからぎゅうっと抱き締める力が強くなる。このまま再び瞼を閉じそうになるのを、口の中に入ってきたぬるりとしたものによって遮られた。
ぬちゅ、くちゅといやらしい水音が明るい部屋の中に響く。ぬちゅりと離れる舌を名残惜しげに最後に絡めた。
『今から出掛けるつもりなんだけど、一緒に来る?』
「・・・・・・・・・く」
髪の毛をくしゃくしゃと撫でる彼にしがみ付きながら体を起こす。二人で軽く朝食を作り、さっさと着替えて出かける準備を済ませた。
俺と連れの人─パルミロが向かったのは、俺が見たこともない大きな建物だった。俺は初めて見るそれに、この歳になって大はしゃぎでパルミロにあれが何かを聞く。
パルミロは、あれが何なのか知らない俺に驚いてまずは中に入ってみようと手を引いた。
そうして中に入った俺は更に驚かされた。大きな建物の中には、服を売っている店や雑貨屋、など様々な種類の店が立ち並んでいる。同じ服屋でもいくつかの店舗が立ち並び、中にはブランド物が売っていそうな所もあった。
生まれて初めて見るものに心躍らせる俺に、パルミロは「探検する?」と聞いてきた。俺は五月蝿いくらいに首を縦に振って彼を急かす。
急かすまま手を引くラルの様子に、パルミロは久々に楽しそうに笑った。
◇
『楽しかった?』
「(コクコク)」
建物─ショッピングモールの中を隅々まで体験した俺は、それはそれは満足そうな様子だったらしい。フードコートと呼ばれる幾つかの飲食店が立ち並ぶ場所や楽器が売っている店など、兎に角俺が見たことがないものばかりだ。
改めてこの世界と自分の世界の違いに考えさせられる。
俺がこの世界に来たのは今日が初めてではないが、ベネデットがまだいた時に一度も訪れていない。ベネデットやパルミロの口からこの世界について軽く説明してもらっただけだ。
だが、今のこの世界を見ていると、二人の話がまるで夢物語のように思えてくる。
探検から一段落した俺の腹が鳴り始めた。そう言えばお腹が空いたな、と溢せばパルミロが一瞬ぽかんとした後に腹を抱えて笑い出す。その声は音にはなっていないが、何故か俺には笑い声が聞こえている気がした。
俺達は近くのフードコートで昼食を摂った。二人が選んだのはハンバーガーショップ。それもフォークとナイフを使わないと食べれなさそうな大容量のやつだ。
食欲旺盛な俺がこれぐらい頼むのは当然として、パルミロも俺と同じものを頼むとは思ってなかった。見た目の線の細さに見合わず、彼も意外に食べる方だと今日になって気付かされる。最初に強引に齧りつこうとした俺と違って、初めからナイフとフォークを使って食べようとする辺り育ちの良さが窺えた。
食事を済ませ、必要な買い出しを終えてようやく帰ろうとした時だった。パルミロが歩き出した俺の袖を掴み、もう一箇所付き合って欲しいと頼む。時間がそれなりにかかるかもしれないことを伝えられたが、俺は多分大丈夫と軽く返事をした。
俺の方は、元の世界から連絡が来ない限り基本暇である。正直に言うと、暴徒との戦いは面倒で退屈なことも多いので出来れば来ないで欲しいと思った。
彼が「ありがとう」と目を細めてにこりと笑い、そのまま俺の手を取って案内する。彼に手を引かれた先にあったのは眼鏡屋だった。
それに俺が首を傾げていると、パルミロが俺に屈むよう指示する。言われた通り彼の目線に合うように屈めば、あのノイズ混じりの音声を耳が拾った。
「目があまり見えなくなってきてるから、この機会に買っておこうって思ってね。君がいるし、どれがいいか教えてよ」
それは初耳だ。最近では半ば居候のようにいることが多いが、目が悪いように見えない。
彼は視力検査とレンズ選びをさっさと済ませて、どのメガネフレームにするか迷っていた。メガネを買うのはパルミロにとって初めての試みだろう。だからこそ余計に迷ってしまうにかもしれない。
俺は全体を見回して、何となしにパッと見て良さそうなフレームを手に取った。未だ悩むパルミロを振り向かせ、持っていたフレームを彼に掛ける。
メガネを全体的に囲むフルリムに四角いスクエアタイプの黒のフレームには、アクセントとして青と紫の小さな花が右端に描かれていたいた。
『これ?』
掛けられたメガネを一度外し、パルミロがそう口にする。こくりと頷き、もう一度掛け直したパルミロは鏡を見てくすりと笑いそのままカウンターへ行ってしまった。
彼が何に笑ったのか分からなかったが、メガネとメガネケース、契約書などが入った紙袋を手にパルミロが戻ってきた。もういいのか、と聞けば付き合ってくれてありがとうとお礼を言われる。
買い出しから彼の家に戻り、夕方まで各々好きに過ごし、仕事の確認をしているパルミロにたまにちょっかいをかける。カーディガンやシャツの隙間に手を入れようとしたら叩かれた。それでも続けようとすれば、当然のようにディープキスをかまされる。
『待ても出来ないのか・・・』
「(構えよ・・・なぁ)」
「夕食があと少しだから・・・あとこれ以上やったら強制送還させるから」
「やとく」
それは俺に一番効く脅しだ。大人しく、俺よりも身長の低いパルミロの肩に頭を乗せる。
ふと彼の様子を観察していると、今日買ったメガネを早速使っていることに気づく。気になってメガネのフレームの端に触れればパルミロがこちらを振り返った。
彼は空中モニターに映った自身の顔と俺の顔を見比べて、ふふっと笑う。それに「何?」と怪訝そうに眉を顰めた。
「・・・いや、お揃いなの、いいなと思って」
それに目を丸くして同じ空中モニターを横から見れば、俺が掛けているメガネと彼にと俺が選んだメガネの形や色が一緒なことに気付く。
それに弁明しようと言葉を探すが、耐えきれなくなったパルミロが噴き出した。笑うなと言えば、無意識で選んだことを弄られる。指摘されればされるほど、羞恥と悔しさにだんだんと顔が少し熱くなってきた。
モニターでの操作を終えて、ニヤニヤと笑みを浮かべるパルミロに、仕返しとばかりにグッと引き寄せ抱き締める。晒されたうなじに一度強く噛み付いて、あぐあぐと甘噛みを繰り返した。
こらと叱るパルミロはどこか楽しそうだった。