路地裏クッキー 私とあの人の出会いはマーチェット通りから一本入った路地裏だった。
私はその日、スパイスの買い付けに行っていた。少々治安の悪い地域ではあったが、スパイスならばここ、という品揃えも質も抜群の店があるのだ。普段ならば男友達や警官を捕まえて買い付けに行くところ、その時は誰も捕まらず、一人で行くことになってしまった。
とはいえ、収穫はかなり良かった。シナモン、クローブ、スターアニスも買い込んで胸いっぱい、頭の中はルセットでいっぱい。
そんなご機嫌でうきうきだった私は、近くで行われていたことに気がつけなかったのである。
「おらぁ!」
がしゃんと私の目の前に血まみれの男性が飛んできた。その向こうには何やら刃に呪文を刻んだナイフを持った男が立っている。悲鳴すら出ず、腰を抜かしてへたり込んだ私を気にせず、ナイフを持った男性はとどめとばかりに血まみれの男性の胸を刺した。
「手こずらせやがって」
舌打ちと共に吐き出すように言った男性は、冷たい視線で私をみた後、そっとナイフを持ち上げた。
「悪く思うなよ。痛くはしないさ」
「い、いやっ……だれ、か……!」
スパイス瓶の入った袋を抱きしめ、身を縮こまらせて震える。小刻みに揺れる手では杖を出すことも難しい。
恐怖に掠れた小さな声は届かない。
誰も来ない。
絶望した刹那、轟音と共にナイフを持った男性が吹き飛んだ。
「無事か」
「……は、はい……」
目の前で起こったことが信じられず、半ば何を聞かれているかわからないまま答えた。私を助けてくれたのは、銀の顔当てに豊かな銀髪を揺らした大きな男性だった。手に持っていたのはこれまた驚くほどの大剣。非日常から非日常が次々襲いくる。
「ここは力を持たないものの一人歩きには適さない。大通りまで送ろう」
低く落ち着いた優しい声にひどく安堵する。助けてもらったからなのか、肌に痛いほど感じる威圧感は頼もしさへ変換された。
「ありがとうございます……」
彼の大きな手が私に向かって伸びる。その手に自分の手を重ねると、そうっと引き上げられた。腰が抜けて立てない私を見かねて手を差し伸べてくれたらしい。優しい人だ。
「恐ろしかったろう。歩けるか?」
「大丈夫です、なんとか歩けます」
「では行こう。こちらが近道だ」
彼の後について知らない道を行く。少し入り組んでいるが、道自体は太く明るい道を選んでくれているようだった。いつもは十五分かかるところ、十分かからず大通りが見えてきた。ここまでくると安心だ。
「さあ、行くといい。私はここまでだ」
「本当にありがとうございました。なにか、お礼を……あ!」
私はポシェットからパティスリーに出しているクッキーを取り出した。スパイスの取り扱いがある店の店員にお礼のクッキーを渡しているのだが、その余りが残っていた。
「良ければこれを。うちで出してるクッキーなんです。住所もあるのでよければ来てください。サービスしますよ」
「……いただこう」
彼とはそこで別れた。
大通りまでは出たくない様子だったので、小走りで私だけ路地から出て、深く一礼する。手を振ってから去る頃には、彼の姿は闇に溶けて消えていた。
「不思議な人」
でも、優しかった。また会いたいな。
クッキー食べてくれるかな。お店に、来てくれるかな。
そんな期待と不安を抱え、私は帰路につく。日が傾く誰ぞ彼、あなたはだあれ?
後日、彼が閉店近い時刻、お店に来てくれたこと。私が作ったパンケーキを美味しいと食べてくれたことは、別のお話。