雨の日プリンとあの人の弟 「今日はもうお客さん来ないかなあ」
しとしと、雨が朝から降りしきる六月。店先に咲いた紫陽花が雨粒を乗せてキラキラ輝く午後。閑古鳥が鳴く店内で屋根から落ちる雨を眺めていると、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
「プリンはありますか?」
濡れた傘を傘袋に入れ、腕に引っ掛けたスーツの男性が佇んでいる。アザは二本、優美で端正な顔立ちからはどこかで見たような、見ていないような。
お客様をまじまじ眺めるのも失礼だ。トレーを取り出し、笑顔で向き直る。
「はい、幾つご入用ですか?」
「五つお願いします。一つはこちらで頂いていきます」
「かしこまりました」
杖を一振りしてプリンを箱詰していく。普段は手作業なのだが、うちのプリンは牛乳多めでプルプルで滑らかな食感が売りなのだ。精密さが求められる作業は魔法でやるのが確実である。
「プルプル……」
「はい、ぷるぷるですよ」
「プルーーーッ!!」
「おまちどうさまです」
わかる。私もたまにやる。ケーキを前にしてケーキ、ケーキと連呼してしまうのと同じだ。この人はプリンがとっても大好きなのだろう。好きに正直というのは素敵なことだ。
スキップでカフェスペースへ向かう男性を微笑ましく見送る。あれだけ喜んでくれる人がいるのなら、プリンの個数を増やしてみるのもありかもしれない。
メモをとって厨房に貼り、レジ周りの整理整頓をすると、彼が座った席から歓声が聞こえた。プリンはシンプルな分、作り手の技量が露骨に出る。彼ほどプリン好きな人が喜んで食べてくれる商品を提供できて良かった。
「すみません」
「はい、なんでしょうか」
「大変美味でした。このプリンはあなたが?」
「ええ、私一人で作っています」
「素晴らしい」
薄く笑みを浮かべた男性はスプーンを持ったまま拍手をする。その姿の様になること、うっかり見惚れてしまう。この品の良さ、見習いたいものだ。
「プリンのなんたるかをあなたはよく理解していらっしゃる。プリン教へ入信しませんか」
「すみません、結構です」
「残念です……」
「ですが、うちのプリンを褒めてくださって嬉しいです。よければ今後もご贔屓に」
「ええ、是非……兄者が気にいるわけですね」
兄者。どなただろう。この人に似たお客を私は知らない。首を傾げると、男性は微笑みながら瞬いた。
「銀髪で、顔当てをした客に心当たりは?」
知っている。
あの優しくて、素敵な銀の人だ。
「あの方の弟さんでしたか!いつもお世話になっております」
「こちらこそ。こちらの甘味を食すようになってから兄者は少し雰囲気が変わりました。良き変化だと思います」
「本当ですか」
「もちろん」
そうか。
そうなのか。
良き変化ならば、それはとっても嬉しいことだ。私の作ったケーキが、大好きな人に何か影響を与えたとなれば、私にとっては幸福だ。
「嬉しいです……!」
「兄はこちらのパンケーキをいたく気に入っている様子。どうかレシピを守ってください」
「はいっ……!がんばります!」
「それでは失礼。お釣りは結構ですよ」
「えっ、あ……」
ロンド紙幣をテーブルに置いて、プリンの男性は店を出てしまった。プリンカップは綺麗に空になっており、彼の敬意を感じ取る。
不思議で素敵な人だった。でも不思議だ、彼がいうプリン教とは、なんだったのだろう。