Midnight call →『実は今、お前の部屋に邪魔してるんだけど』
画面のメッセージを見た瞬間、乾いた息が逆流して腔内を焼いた。
背後にある扉の奥では、まだ堂々巡りの開発会議が続いている。だがそれも、あと少しで解決の糸口が掴めそうだ―――まだ自分にしか見えていないが。はやく議論の中に戻り、多くの有象無象でもわかるように出口へ道筋を示し、絡まった糸を解さなくてはならない。
その前に、数分だけ。
猛スピードで端末に返信を打つ間、ほとんど無心だった。
実験までのラストスパート。外部での会議や調整に赴くこともあったが、そもそも艦内でもすれ違いの日々が始まった。それでもどうにかして彼との時間を作ってきた。
休憩時間を昼だけでも合わせたり、朝晩のどちらかだけでも通話をしたり。
たった数十分でも、その間は込み入った仕事を頭から切り離し、彼のことだけを考えた―――そうしなければ、心身を保てなかった。
最初はいつも以上に仕事を優先になっていくのを何度も詫びた。が、彼は苦笑して「謝らなくていい」と謝罪をやめさせた。
「夢中になりすぎるのは心配だけど、信頼してる。自分のやっている事を誇ってるなら、迷わずやれ。待ってるから」
そう言って、優しく肩を叩いて送り出してくれた。
知らなかった。人生を誓った相手に信じてもらえるということ。
それが、こんなに満ち足りた心地になるなんて。
あの言葉と眼差しを思い出し、一日一日を乗り切れた。
でも同じくらい、限られた時間しか会えないのがもどかしい。
(アーノルドは?)
彼も己の役職や責務を全うすべく、日々忙しなく動き回っている筈だ。
合間合間に接する彼はいつも通り、
謙虚な姿勢で眼の前の任務を堅実にこなしているように見えた。
だがノイマンとて疲弊する。いつもより余裕のない自分は、彼の寂寥の影を見落としてはいまいか。
その答えが、この短いメッセージな気がした。
まもなく日付が変わる頃だと気づき、スタッフに断って開発室を出た。もう少しでこの切羽詰まった日々に終わりが見えそうなこと、そして今日一日のおやすみをせめて文面で伝えるために――― そして、一気に頭が冴えた。
今の関係になって、艦内自室のセキュリテイ番号を教えてある。自分が不在の時でも、いつでも入って構わないと添えて。だが実際、自分がいない時にノイマンが部屋に入ったことはほとんどなかった。
そんな彼が、今部屋に来ている。
『そのままどうか、今夜はそこでお休み下さい』
『部屋の備品は好きに使っていただいて構いません。先に寝ていて下さい。今晩中に、かならず部屋に戻ります』
数秒おいて、既読通知が表示されていく事に安堵した。
『おやすみなさいは言えず申し訳ないのですが。朝の挨拶は必ず、直接お伝えすると約束します』
焦燥を衝動のまま文面にする内に、これは果たしてどちらの為なのかわからなくなってきた。結局は己がそうしたいからではないか。明日の彼の勤務に都合が悪かったらどうする。しかし、渇望は抑えようもなく、
『明朝、起きて最初に あなたの顔が見たいです』
祈るように、打ち込んだ。
『だからどうか。そのまま そこにいて』
数秒経ってから、ポン、とやや間抜けな通知音が廊下に響いた。
『じゃあ、お言葉に甘えてこのまま居させて貰うよ。先に寝るけどな』
返ってきた文面は、いつものてきぱきした彼らしいものだった。
「――――っ はぁ、」
一気に奥に詰まっていた息を吐き出す。そして、どっと安堵した。
(部屋に戻ればアーノルドがいる……)
そう思えば、例え脳の回転がピークを過ぎていてもあと数時間を乗り越えられる気がした。
しかし、喜びと期待を噛みしめ己を叱咤した瞬間、新たな通知音が廊下に響いた。
『ごめん。さっきのは少し嘘。見栄張った』
「…?」
画面に新たに流れてきたメッセージにハインラインは釘付けになる。
そこから丸一分後。
『俺から、今夜くらいここにいてもいいか 聞こうと思ってたんだ』
『迷っている内に、先越されたわ』
『ありがとう。お疲れさん』
ここまでの短いメッセージが、少しずつ。数十秒ごとの間を置いて送られてくる。
まるで一つ一つを打ち込むのに、迷って遠慮し、それでも心細さを隠しきれなかった末に、最低限の言葉になってしまった……そのように感じるのは自惚れだろうか。
『朝、待ってる。おやすみ』
こんなささやかな甘えがあるだろうか。
ノイマンがどんな顔をし、深夜の部屋で一人逡巡しながら返信をくれたのかを思うと、今すぐ部屋に飛んで戻りたくなるのを耐えなければならなかった
『おやすみなさい、アーノルド』
最後の返信を送り、決意を新たにラボに戻る。
朝になったら、彼の顔を見ておはようと言う。
実験は必ず成功させる。
そしてこの修羅場を乗り越えた暁には、彼を思いっきり甘やかすのだ。
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