「何者」なに‐もの【何者】
1 はっきりしない相手をさす語。だれ。何人 。
2 あらゆる人。いかなる人。何人 。
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きっと何者かになれるだろうと思っていたし、人はみなそういうふうに生きていく必要があるのだと思っていた。
水の中を歩いているのと同じだった。足は重い、視界は霞む、服が肌に張り付いて、水かさが顎まで来ているから、楽に呼吸もできない。母親に仕送りを送ることで保っていた自立心やある種の自尊心の類も、丁度牌王位戦で俺が起こした騒動と重なって、そのまま潰れて、小さくなって、あえなくちんけなものになってしまった。
たとえ嫌になろうがなんだろうが、投げやることもできない。生きていたくないわけじゃないから、それでも金は稼がなきゃいけないし、生活していかなければいけない。
俺にはもう麻雀しかなかったから、弾かれるように大阪へ向かって、流されるまま打った。打って、打ち続けて、そうすれば、あの人のような──傀さんのような、「何者」かになれると思っていたから。
自尊心が潰えても、母が男と付き合って、仕送りを拒絶して、子供のように取り残された気持ちになっても、全雀連から除名されても、水を飲み込まぬよう息継ぐような焦燥心だけは残ったまま。
牌を握って、金が出ては入り、行き当たりばったりでそれを毎日繰り返して、繰り返して、
そうして、
母が亡くなった。
あの母親が唯一の親族であった俺に、気遣うように声を掛けてきた母の夫に、君のものだと手渡された通帳を見て。
今までの俺の焦りも、意地の張りどころも、自立心も、結局は自分の為でしかなかったことを自覚させられることになったのだった。
何者にもなれないでいた、俺の為のものだった。
俺が母を守ろうと、できるだけ明るく居ようと思ったことも。
俺が馴染めない中で、社会人として働いたことも。
俺が意地になってまで母に仕送りを続けたことも。
そうしてようやく、やっと俺は気づいた。
最初から、俺は俺のためにしか生きられない人間なのだということに。
怒りや虚しさが込み上げても、涙はひとつも出ず、
葬儀や手続きが終わってしまえば、自分が同じように毎日を生きていけることに。
まるで薄情で、自分がまさにひとでなしであったことを知った、そのとき、その日。
俺は、真面目に生きるのを辞めた。
「何者か」になろうとすることを辞め、ひとでなしである、「水原裕太」でいることにした。
そうしたら身体が軽くなるような感覚がして、初めからこうしておけばよかったと思ったし、そう思える自分をやはり薄情だとも思った。
しかし、それこそ「水原裕太」であるとも思った。
足取りは軽い。
蛹から羽化した蝶のように、陸に打ち上げられたかのように、俺は自由になった。いつか顎下を凪いでいた水流も無くなって、曇っていた視界の焦点が合わさる感覚がして、それが無邪気に嬉しくて。
その先には、やっぱりあの人鬼が居て。
それだけは変わらなかったから、俺はやっと、人として、そしてひとでなしとして、歩き始めることにした。
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深夜に衝動的に書きました。
このSSは、個人的に汲み取れる解釈として、こうなのではないか…という考えの詰め合わせのようなものでしかありません。
私は水原に対して人外みを見出しすぎる癖があるのですが、彼にとっての人間みとは、と考えたときに、こういう答えになるなあと思いました。
あと、水原のイメージソングをずっとなんだろうと思っていたんですが、田中ヤスタカと米津玄師の「NANIMONO」だと私は思います。
このSSを書きながらそう思いました。