そうじゃないです、お二人さん「で? あらためて聞くが。 お前は何で千鶴を嫁にしたいんだ」
原田の問を、風間は一笑に付した。
「数少ない女鬼だからに決まっている」
「だーっ! そうじゃなくてさっ」
「落ち着けよ、平助。女鬼なら誰でもいい……ってわけでもねぇんだろ?」
永倉の言葉にも、鬼の頭領は眉一つ動かさない。
「今問題にしているのは雪村の娘だ。ほかの者のことなどどうでもいい」
「っつっても、あの千姫や君菊には見向きもしねぇじゃねぇか」
「そう、そうなんだよな、さのさん!」
「なぁ、風間の旦那。よーく胸に手を当てて考えてみろって」
「考える必要などない。あれは俺の妻だ」
「いやだから、その前の段階っていうかさぁ。手をつなぎたいとか……その」
若い藤堂は、こういうことになると言葉がうまく出てこない。
「頭をなでてやりたいとか」
「うまいもん食わせてやりたいとか……っと、これは言ってたっけか。とにかく、何かを与えるだけじゃなくてだな。あーもう、なんつーか」
端的な原田に乗っかったはいいが、永倉は言葉に詰まってしまった。この三人を前にしながら、鬼は実に静かに飲んでいる。
「当然だ。わざわざ口にするまでもない」
「あ、の、なぁっ」
拳を震わせる藤堂。
「こりゃ、永遠に伝わんねーや」
頭をかく永倉。原田はまじめな顔で盃を置いた。
「お前、千鶴のことどう思ってるんだ? 希少な女鬼ってことのほかにだ」
「……」
彼が口を開く前に、さらりと襖が開いた。
「随分と賑やかですね。おや、これはこれは」
麗しい声と穏やかな笑みの中に、底知れないものを隠――すつもりもないらしい山南。
「お前ら、何でこいつと飲んでんだよ」
呆れと警戒心たっぷりの副長。その隣には、いつも端正な斎藤がいた。
「大方、部屋が空いていなかったのだろう」
そっちこそ、と言いたげな三人(鬼はどこ吹く風)の視線を受けて、斎藤が答えた。
「我らは副長の護衛だ」
「私も、剣以外のことでお役に立てればと。しかしこうなると……どうですか」
殺気を含む山南の声に、部屋に緊張が走る。風間は無言で立ち上がった。そのまま、立っている三人の横をすり抜けて出ていこうとする。
「あー! 逃げた!」
藤堂の緊迫感のない大声に、引き留めようとした土方、山南、斎藤の気勢がそがれた。
「何を話してた」
土方は、比較的まともな答えが返ってきそうな原田に問うた。
「あいつが一番聞かれたくねーこと……だったのかもしれないな」
屯所には、沖田、井上、島田、山崎らが待機している。千鶴は、決して外に出ないようにと言い渡してきた。風間が忍んでいってもおかしくはない状況だが、どうも今夜はいつもと様子が違って見えた。
風間を交えて飲んだ翌日、藤堂は千鶴に尋ねた。
「なあ、千鶴。最近、あいつに何か言われたか?」
「あいつ? 誰のこと?」
「鬼の頭領に決まってんだろ」
ぶっきらぼうな言い方に、新選組副長の小姓は首を傾げた。今日は天気がいい。洗濯に精を出していたところだった。
「何かって……何も。薩摩や長州のことなら、私よりほかの人に話すだろうし」
藤堂は拳を握り締めた。
「そうじゃねぇんだって!」
何だろう、この話の通じなさは誰かと似ている。
「ははっ、こりゃあ長期戦だな。まあ……なるようになるだろうよ」
大人の笑みを湛えた原田は、優しく千鶴を見下ろした。
「お前ら、またあいつの噂してんのか。喜んで飛んできちまったらどうするんだよ」
仏頂面に熱い男気を隠して、土方がたしなめに来た。
「雪村」
「はい」
彼の真剣な声に、千鶴は手を止めて立ち上がった。
「あいつが来たら、必ず俺に知らせろ。俺がいなかったら、こいつらかほかの幹部の誰かにな。わかったか」
「はい、わかりました」
そこへ、「千鶴ちゃん、ちょっといいかな」と沖田が声をかけた。言ってやれ、と土方が目で促し、彼女はそちらへ駆けていった。わらわらと現れた幹部たち。斎藤が洗濯の続きに取り掛かり、新八はまたもや頭をかいている。山南の目には、ここのところ失っていた晴れやかな笑いがあった。
「あちらも不器用ですが、彼女の方もなかなか……」
「いいんだよ、あいつはあれで」
小さな背中から目を離さず、副長が呟いた。
「まだ気付いてほしくない……というところですか」
「そうだな……」
今は、まだ。ああやって笑って暮らしている、それだけでいい。
沖田は、巡察中に手に入れた菓子をそっと分けてやっていた。
その夜のことだった。
「大きなお月様……」
千鶴が庭に一人立って空を眺めていると、すぅっと空気が変わった。あ、と声を立てる間もなく、風間が隣にいた。彼も、黙って月を見上げている。
どれくらい、時が経っただろうか。さぁっと風が吹き、千鶴の髪を乱した。思わず手で押さえ、その拍子に風間の顔を見た。彼は黙って見つめてくる。ふわりと手が伸びてきて、乱れた髪を直し……離れようとしない。
「あンのやろっ」
「土方さん、しーっ!」
「なかなかやるじゃねぇか」
「平助、離しやがれっ。原田、なに感心してんだっ」
陰から覗き見る三人のひそひそ声は、千鶴には聞こえないが風間には届いているかもしれない。
「あの、風間さん……具合でもお悪いですか?」
「なぜだ」
見当外れの嫁の言葉に、鬼は機嫌よく返した。
「だって、何もおっしゃらないから。あ! お腹が空いていらっしゃるんですか? お千ちゃんが持ってきてくれたお団子と、沖田さんからいただいたお菓子があるんです。いかがですか?」
「お前が茶を淹れるというなら付き合ってやってもいい」
「はい! 今淹れますね。あら? 皆さん、そんなところで何なさってるんですか? 土方さんまで」
月の光のように清かな声に、男たちは観念してぞろぞろ出てきた。
「お前らが騒ぐから見つかっちまったじゃねぇか」
「一番やきもきして見てたのは土方さんだろっ」
あーあ、と一番後ろからついてきた原田は、千鶴に優しい眼差しを投げ、それから月を見た。
「ふふっ。お団子、たくさんありますから。皆さんで一緒に食べましょ?」
まるで茶室のように畏まって、皆、黙々と団子を食べ、茶を飲んだ。
(風間さんがいるから、皆さん緊張しているのかな。でも、よく食べてるし。お千ちゃん、ありがとう)
やがて、食べ終わった風間が立ち上がった。土方を、次いで千鶴をじっと見つめ、庭へと出ていく。
(風間さん……)
「雪村。見送ってやれ」
「あ、はいっ」
千鶴は土方を信じている。彼の言葉には驚いたが、従わないという選択はない。後を追って駆けていった。
「武士の情けですか」
「そういうことだ。俺たちは、生まれながらの武士じゃねぇけどな。これで五分五分だろう」
山南と土方の声は、柔らかかった。
千鶴は、屯所の入口で風間に追いついた。
「行き先は言えんが……しばらくは会えぬ」
「そう、なんですか……。あの、お気をつけて」
「フン……己を狙う男をお前は気遣うのか」
「狙うって……」
「それとも……妻としての自覚が芽生えてきたか?」
「ち、違いますっ」
「おいおい、顔赤くしてんじゃねーか。あれ、どう見る? さの」
「……」
「えー……千鶴、やっぱ鬼同士がいいのかよ」
こっそり追いかけてきた藤堂、原田に、団子を食べそびれた(千鶴はちゃんと別にとってあるのだが)永倉。
「おい、さの」
「……ま、俺らには踏み込めねぇものが、あの二人の間にはある。それはどうにもならねぇよ。これ以上は野暮だ。俺は行くぜ」
「待てってっ」
「あー……仕方ねーなー。俺も行くよっ」
これらの会話も、聞こえていたのか、いないのか。風間は千鶴の頬に手を当て、何も言わない。言葉をしまい込んだ西の鬼の頭領は、どこか切なげに見える。
(この方は新選組の味方ではないけれど……自分のやるべきことを、責任と信念を持って全うしようとしている。ずっと、そうやって生きてきたんだろうな)
風間のそういう面には、敬意のようなものを抱いている。
(もしも、雪村の里が襲われた時、父様ではなく風間さんに拾われていたとしたら)
自分はまっすぐに、この男を慕っていたことだろう。出会い方が違うだけなのに――。
見つめ合い、動こうとしない二人を、土方は長いこと見守っていた。