君のせい「君は、本当にお節介だよね」
どうしてこうなったのか。
僕は今、肩を支えられながら彼と吉祥寺駅までの道を歩いている。
「……明智さんだって多分、逆の立場なら同じことをしただろう?」
そう問いかけながら、彼―――雨宮蓮は僕をすぐ傍に設置されていたベンチに腰掛けさせる。そして自分もわざとらしくどっこいしょ、などと言いながら隣に腰を下ろした。
……なぜ都合よくベンチがある。なんて、苛立ちを公共の設備に投げても無意味だ。
特に、この世界の一月、なんて。
「タクシーでも拾うから、平気なんだけど?」
「じゃあ、そのまま俺も乗って家まで送る」
「君にそこまで甘えたいとか、僕は微塵も思ってないんだけど?」
「俺が送りたいだけだし、明智さんが思ってるかどうかはどうでも……どうでも? あ、ごめん」
「今、本音が出たよね。へえ、君は僕の気持ちなんてどうでもいいと思っているんだ」
こんな言い合いができるくらいには元気である。
……どうしてこうなったのか。
――今夜、またダーツでもどうかな。
吉祥寺にあるダーツ・ビリヤードバー『PENGUIN SNIPER』へ続く階段を上がろうとしたところ。
僕らの数段上を上っていた、女性客三人組のうち後ろの一人が、突如バランスを崩して下に―――僕に向かって倒れ込んできたのだ。
咄嗟に支えることは可能だったが。
左足首に違和感を覚えたのは、騒動の諸々が済んでからのこと。
彼女がふらついた原因は貧血。元々、本調子ではなかったらしい。
「体調悪い中遊びに来るなんて、あの子は馬鹿なのかい?」
今思い出しても理解はできない。
まあ、きちんと踏みとどまれなかったのは僕だ。別に彼女のせいにはしないけれど。階段のせいにもしないし、ましてやここが異世界だったらなあ、傷薬の一つでも持っていたらなあなんて、思ったりもしないけれどね僕は。怪盗団の奴らじゃあるまいし。
「……四茶なんだけど、武見先生……知り合いの病院に行こう。湿布薬貰いに」
「は? だからいいよそういうの」
「じゃあ、俺がその辺で探して買ってくる」
「聞かないよね話を……」
いつだったか。もう随分前の事だ。
僕らは以前にも、こんなやり取りをしたような気がする。
そうか……同じなのだ、あの日と。
明智さん、もしかして足痛い? なんて、どうしてその口はいとも簡単に告げるのだろう。
――明智さん、少し休憩した方がいい
生放送の収録を終えたとき、彼から届いた十五文字のチャット。僕が『探偵王子』として、完璧な笑顔を地上波に乗せていた後。
番組スタッフにも誰にも、悟られることなどなかったのに。彼以外には。
いやそもそも、彼は観ていたのか。番組を。
偶然だったのか、それとも彼には番組を観ただけでお見通しだったのか……きっと後者だ。彼に見透かされたなんて、僕にとってあってはならなかったのに。
僕の体調はその日、決して良好とは言えなかっただなんて。
「……あ。都合良くここに湿布が……」
「待て待て、都合良すぎやしないかい」
ゴソゴソとコートのポケットや鞄を漁った彼の手には、確かに湿布薬が一枚握られていた。
「やっぱりお前、持ってんなー! ……いや待てワガハイのカラダ、ちょっと湿布臭いぜ……」
彼の鞄から顔を出す、モルガナ……居たのか。一人……というか一匹で勝手に喜んだり傷ついたりしている。
「……さっきからベンチといい湿布といい、君は本当にタイミングというか、ちょっとした運が良いよね」
「まあ、ベンチはラッキーだったが……異世界に向かうとき、先生の薬はいくらあっても足りないからな。入れっぱなしだったみたいだ」
「………」
笑って湿布を差し出す彼。ここで受け取らなかったら、彼は意地でも自宅まで送ると聞かないのだろう。大した痛みではないのだけれど。
「―――仕方が」
ない、と続けようとした言葉を、彼のポケットから鳴るスマートフォンの着信音に遮られた。
「ごめん、惣治郎さんだ」
湿布を僕に手渡し、そのまま数歩移動した彼はルブランのマスターからの電話に応じていた。
「……君が、望んでいるから」
自分でも、口に出したことに数秒気づいていなかった。隣に置かれている、彼の鞄の中に猫が居ることを思い出し、今もしかして自分は声に出していたのか、猫に聞こえなかっただろうかと我に返った。
「………」
――――今、君と話している僕は。
君は怪盗団の仲間を、丸喜の造った各々の『歪んだ現実』から連れ戻した。……今も僕たちがそれに囚われていることには変わりないのだけれど。
ただ。
君の……『雨宮蓮』の願いは何か、君は自分で気づいているかい? 自分のことは意外とわからないものだ。
この世界は、歪んだ現実だ。
けれども各々の願いが、叶った世界。
いや……君が真実を知る必要は、最後まで全くない。せっかく君が固めた決意を、信念を、それを知ることでやっぱり出来ないなどと曲げられでもしたら、困る。
左足首が、さっきよりズキン、と疼いた気がした。
「……明智さんごめん、待たせた」
「! ……ああ」
スマートフォンを再びポケットに戻し、僕の名前を呼ぶ彼の声に、意識を引き戻される。
「……そういえば、さっきの女の人のことだけど」
ベンチに腰掛ける僕を見下ろしたまま、唐突に彼は随分前の話題に戻した。
「例えば……あの女性三人で集まれたのがものすごく久々で、嬉しかったのかもしれない」
「は……?」
「それか……あの階段を上った先に、恋人が待っていたのかもしれない。体調不良を押してまで楽しみにしていた理由があったとか、そういうことかもしれないし」
別に指を折って数える程の数でもないだろうに、彼はわざとらしく右手で『かもしれない』を数えてみせる。
「何が言いたいの?」
「そういうことにしておいた方が、嬉しい」
「……楽しい、じゃなくて?」
「ああ。嬉しい」
「………」
ニッ、と笑ってみせる彼は、なぜか本当に嬉しそうで。自分のことではないし、ただの都合の良い『かもしれない』だというのに。
――――全く、君はそういう奴だった。
何事も明るい方へ変えてしまう。
「……君に貰った湿布なら、こんなものすぐ治せるかもしれないね」
「ああ。武見先生の薬は効くんだ」
――――今、君と話している僕は。
「……明智さん、やっと笑った」
「笑ってないけど?」
都合良くベンチが設置されているのも。
都合良く君の鞄から湿布薬が出てくるのも。
「………」
どうかこのまま悟られないように、君が……気づくことのないようにと。柄にもなく弱気になる。
僕が今この季節に、君の目の前に居るのは。
――――君が、願ったせいなのだろうから。