回春 思い出せば随分遠くに感じる様な、そんな事はない様な。幼少時代の私の話。
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正確な時期こそもう分からないけれど、肌寒くも小さな春の芽吹く頃。
その日もまた、公園で友達と遊ぶだけの《何の変哲もない日》として記憶の底に埋もれる筈だった。
「ねぇ!オニゴッコしない?」
公園で遊んでいればそんな風に突然他の子達──少なくともわたし的には顔見知り程度──から遊びに誘われ、そのまま一緒に遊ぶなんて事も当時はさほど珍しくない。
……正直な所、それをあまり好ましく思えない時があった。勿論必ずしもそうじゃないにしても、わたしは人見知りが激しく、仲がいい子とだけ遊びたいと思う事も少なくなかった。
「いいよー!やろ!」
「なにオニでやんの?」
「まだきめてない!」
「……」
ワイワイと乗り気になっていく皆の様子にわたしは独り取り残される様な感じさえした。
ワガママ一つ言えやしないが、代わりに何がしたいか位なら言ってみようと思えた。
「わたし、かくれオニがいい……」
「オッケー!じゃあかくれオニで!」
「オニきめジャンケン!まけたヒトがオニ!」
採用されたことにひとまず安心していると、すぐさま掛け声が発せられる。
ささやかな運命の瞬間、わたしは無事オニを回避できた。それも運良く一人勝ち抜け。
残った子達が決め終わるのを待つ間、どこに隠れようか?とわたしは何気なく辺りを見渡し始める。
──その時、視界の端に何か見慣れないものがチラついた気がした。
思わずそっちを向けば、やはり何か。何か知らない者が歩いていくのが見える。
しかし微妙に遠い距離、かつ斜め後ろの姿ともなれば細部などあまりよく認識できない。
大雑把に分かったのは、まず殆ど全てが暗ったく影みたいな色味。ツンツンとした頭に硬そうで鎧の様な格好。
それから一見人っぽい形なのによく見る程どうもヒトには見えない。でも化け物!って感じる程そんなに大きくもなく、子供から見たら大人と区別が付かない位の背丈。全体的に物が多くガチャガチャとしていて、その所々がキラッと反射しほんの少し眩しいような──。
……至極簡単に言えば当時のわたしは『あさのテレビにでてきそうな、めずらしいカッコのひと!』だと思ったのだ。
その人を眺め続けていたら──不意に立ち止まり、更には此方の方角へと向いた。
そんな様子にこっちを見ているのか?とわたしは首を傾げる。
だがそんな矢先、どうやらオニが決まったらしい声が聞こえてきて其方に顔を向けてしまった。
結果を確認し誰がオニかを把握すると、もはや建前になった隠れ場所の探索に向かう為の隙を伺う。
じきに誰からともなく散り散りになるのに紛れ、一人わたしは気になる人影の去り行く方へと走っていった。
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当時のわたしは足の速さに特別自信がある訳ではなかったから、もしかしたら追い付けないんじゃないか?って焦る気持ちでいっぱいだった。
──そもそもの話。知らない人なのに無性に追い掛けなきゃって感じたのも、今よりずっと人見知りなのに自ら向かって行ったのも。今思えば大層不思議なことばかりで。
その時はきっと「幼かったが故の衝動に突き動かされた」とはいえ。……いや、それ故に『今ではあらゆる意味で考えられない事』なのだろうか?
何はともあれ。その人の背にある程度の距離まで近付けた時には随分と安堵した気がする。
わたしは幼い当時でもあんまり良くないと何となくの理解はしつつも抑えきれない興味から後ろをちょこまかしていた。
段々歩くようにして息を落ち着かせるとやっと、その人へ声を掛けてしまった。
「あの……」
「……」
こちらを見向きもしない、一切の反応がない。そのまんま歩いて行こうとする様子にわたしは戸惑った。単に聞こえていないのか、或いは意図的に無視されているのか判断が付けられなくて。
「あの。おにいさん?……。ツンツンしたあたまの、くろ?むらさき?なおにぃさん……?」
名前すら分からず、一体何をどう呼び間違えているのか?等と頓珍漢な疑問でグルグル頭を悩ませ始める。
やがてその内自然とわたしの足は緩んでいき、自分は何をやっているのかと俯いてしまった。
──そこで漸くその人は立ち止まったらしい。
下を見て歩いていたせいで思わずぶつかりかけてしまう。すんでの所で気付き一瞬反射的にビクつく。そうしてハッと上を見れば、いつの間にか此方に顔を向けられていた。
「それは俺の事なのか?」
鋭く赤く無機質な光を湛えた左目と、同じ色した照準付きの片眼鏡──故に右目自体はよく見えない──の両方で足元に居るわたしを捉えていた。
お世辞にも人相がいいとは言い難いその顔をまじまじと見ながら頷く。
その人はガスマスクなような物まで付けていたので『左目しか見えない』と言ってもあまり過言ではなく、正確な表情を読み取るのは難しいだろう。
でもその瞬間は僅かに驚いている気がした。
「本当に見えているみたいだな……。ならバディはどうした?俺と同種、いや、似た様な奴なのか?」
「?バディ……?」
「まさか──お前、アプモンは分かるか?」
それは何かと尋ねた途端その人の声は若干慌て始めるが、わたしには何から何までワケが分からなかった。
更なる疑問を浮かべつつも、とりあえず首を横に振る。
「わかりません。おにいさんはアプモン?ってテレビのヒトなんですか?」
「……。成程」
何が成程なのか。一切解らないなりに当時のわたしは律儀にただ続きを待つ。
だけど、その人は顎に手を当てたまま中々話し始める様子がなく、やがてわたしは困り果ててしまった。
非常に気まずい空気を感じ、どうすべきか?とまた頭がグルグルしそうになってきた頃。やっとその人がゆっくり話し始めた。
「とりあえず、お前が想像してるのが何であれ『違う』と言えるだろうな。そして人間ではなくアプモンである俺は、お前にも普通は見えない。筈なんだが……」
「え?みえない……?じゃあ、アプモンさん?とあえるのも、いまだけ……なの……?」
「恐らく、そうかもしれないな」
再び何か考え事をしている様だったが、今度はすぐに答えてくれた。それを聞いたわたしはガッカリしてしまうのだけど。
「あぁ……それと、俺の名前はスコープモンだ」
「スコープモンさん?」
その人が頷くのを確認してから、聞いた名を忘れぬよう小さい声で何度かゆっくりと繰り返す。
「……言いづらいのか?ならスコープでいい」
どうやら勘違いをさせてしまったらしい。だが、まだ幼い頭ではそれに気付けずただ素直に呼び方を変更した。
「はい、じゃあスコープさん」
まぁいいかと若干間を置いてから呟いていた辺り、思えばわたしは趣旨とズレていたことも理解できていなかったのだろう。
「で?お前は何故俺に話し掛けたんだ?」
それは当然の疑問だったが、やたら元気よく答えた時のわたしの目は輝いていたかもしれない。
「えっとね、とってもきになったから!……です」
中身の伴わない答えにか。自身の中で思う所があったのか。詳細まで定かではないが──とにかく腑に落ちない様子を見せる。
「……これはずっと気になっていた事だが。お前、俺を恐いとは思ってないのか?」
「べつに?はじめてみたけど、カッコイイ〜!っておもったの。でも、ちかくでみたらもっとカッコイイ!とくにめ!あかくてピカピカで、なんだかスゴくきれいですね!」
加速する衝動のまま矢継ぎ早に言葉を並び立てたら今度は硬直される。どうやら驚かせてしまったみたいだった。
「あの……、えっと……」
黙り込んだスコープの反応でわたしの心には不安が滲み始めたが、それを堪え何とか声を掛けようとする。
しかしそんな努力も虚しく、ふいと顔を逸らされてしまって少しショックを受けそうになった。
「ところで、お前の友達が探しに来てるみたいなんだが」
「えっ!?……どこ?」
突然そんな報せを聞かされキョロキョロとするも、特に見覚えのある人影など見当たらなかった。
どれだけ注意深く探そうと何処にも見つけられない。
そんなわたしの様子を見兼ねたのか、おおよその方角を指差しながら説明してくれた。
「ここまでは来るかは分からないが、今もあっちの方に見え──」
しかし突然ハッとした様子で言葉を止めた。目をあらぬ方へ逸らし、手も下ろされていく。
それを不思議に思いスコープの目を覗き込もうとしたが露骨に顔を背けられてしまった。
「……俺はもう行くぞ」
「あっ、まって!」
それだけ言って何処かへ去ろうとするスコープを呼び止めれば、ピタリと止まって向き直ってくれる。
「その、あの、もういっちゃうの?……ほんとうにスコープさんとはもう、あえないの?」
「……さぁな。俺にも分からん」
「そっかぁ……。じゃあ、せめてみててくれますか?」
「…………それはどういう意味だ?」
スコープの若干強ばった声に当時のわたしは気付かなかった。
ただじぃっと、その鋭さが増した眼を見つめたまま言葉を紡ぎ始める。
「スコープさんは、はなれててもみえるんでしょ?いま、そうだったじゃないですか。だから──わたしのこと、たまにでいいから、みててください」
「…………」
それを聞いたスコープはただ無言で此方を見るだけ。この時何を考えていたかなんてわたしには知る由もない。
ちょっと前まではハキハキと言えたのに。無反応への不安から声が出しづらくて仕方ない。目だってもうあまり合わせることができていない。
それでも何とか、チラチラとでも見ながらわたしなりに頑張って辿々しくも続けていった。
「わたしは、もうスコープさんのこと、みれることってないかもしれない、ですけど……。そうおもったら、もしあえなくても、いい……のかな〜って…………」
何とか言い切る事はできたものの、随分としりすぼみな感じになってしまった。
果たしてあれは聞き取れていたのか?と疑問を覚えるほど伝えるには似つかわしくない声量だったと思う。寧ろ聞こえてなくても構わないとは、私なら少しだけ思うけれど。
しかし、相変わらず様子を伺っても黙ったままだから、その内わたしは下を向いてしまう。
「……お前の名前は?」
ウロウロと地面に目線を彷徨わせていたら突然そんな声が降ってきた。
──これは今だから感じること。あれは結構ぶっきらぼうな言い方だった……いや、正直この時に限ったものでもない気はするけれど。
相変わらず淡白で簡素で、ただ聞くだけみたいな感じで分かりにくく思える。当人なりに気遣ってくれてたとは、私がそう思いたいだけだろうか?
だって、当時のわたしには、たったそれだけでも何だかとても嬉しくって。
「……!ほろか!『みないで ほろか』です!」
勢いよく顔を上げて、不安も恥じらいも忘れて思わず元気よく自己紹介しちゃった。
別に肯定の言葉一言も貰ったりはしていないのに、すっかりわたしの気分は舞い上がってしまっていた。
「──ふっ。名前は逆なのか」
まぁ音は違うがな、なんてスコープもやっと笑ってくれて、更に少し屈んで優しく頭を撫でてくれた。
わたしにはまだその冗談は分からなかったけど、撫でられた事があまりに嬉しくて嬉しくて。他のことなんか全部どうでもよくなっていた。
実際にはさほど時間も経たない内に頭へ乗せられていた手は離されていく。
「あ……」
その時思わず惜しむ声が口から漏れた。
スコープの手は特別温度のないものだったけど、他の人のぬくい手が離れる時よりもずっと冷えた。いや、温度の様な何かが失われるような、そんな気がしたのだろう。
この一時の終わりを察して、わたしは、どうしようもなく泣きたくなった。
ちょっとした余談を挟むけれど、私が小さい頃の話を親に聞いてると時折『あまり泣くことが無かった』等と言われる。
故に、当時のわたしにとってはそれ程のことだったのかもしれない。
スコープの手を少しだけ目で追うも、すぐに顔へ戻す。
──『いかないで』なんて、とても口に出せなくて。『またね』とも言えなくて、何にも言葉が出ない。
刻一刻と別れの時が迫りくるのに、声すら出せない。手は伸ばしたくてももっと伸ばせない。
幼ながらにそれらは意味が無いとわたしでも解っていたから。
ただ、全てを飲み込んで笑顔を浮かべるしかできなかった。
それはきっと、他者から見れば酷くぎこちないものだったかもしれない。
でも、それでも。ほんのわずかな時間でも話せて良かったから、スコープの目を見たら何だか少し笑いたくなったのは本当だから、わたしにとってその笑顔は決して作り笑いじゃなかった。
「……。お前の事はどう呼んだ方がいい?」
「スコープさんのすきなように、でいいですよ」
「そうか、なら……ほろか」
「はい」
返事自体はそんなに溌剌としてないものだったけど、実の所はようやく初めて名前を呼ばれた事に何だか更に元気が出た様な。そんな気がする。
「──ほろかは、よく笑うんだな。今もいい笑顔をしている」
そうですか?と返す間もなく、少し離れた所から走る様な音が聞こえてきた。
「二人になったか。まぁこのまま待てばすぐ来ると思うぞ」
「え?!どうしよう、はやくかくれないと……!」
「……咄嗟に隠れるなら──そこだな。あそこなら通り過ぎる程度なら分からん筈だ」
「そうなのっ?ありがとうっ!……ございます!」
お礼を言うとスコープは目を細めた。あれは恐らく本人なりに笑ってくれていたのだと思う。
惜しむ気持ちに蓋をする。そしてスコープに手を振りながらわたしはオススメの場所へと身を潜めに行った。
途中ましただったかな?等と考えながら其方を振り返ったら──そこにはまだ居ると思った存在は影すら見えなかった。
まるでそれだけが切り取られたみたいに何の跡形もなく消え去っていて、もうただの見慣れた風景しか残されていなかった。
これが私の想い出。ささやかで甘い筈なのに、妙なほろ苦さを感じるような。とても大事に仕舞っていたのに、そのせいで褪せてしまった昔話。
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君はきっと、私よりも遥かに鮮明に覚えていることだろう。
話せば忘れている事だって補完してくれるだろうし、その時の気持ちだなんだって私が聞けば色々と教えてもくれるのだろう。
──でも私はそれを言わない。
一応記憶の片隅にはそんな事もあったと憶えてはいたのだが、それでもその殆どを『ずっと忘れていた』だなんて。本人に対しては言いづらいにも程がある。それに少なくとも今ばかりは私の方がショックな自信がある位だ。
「本当に、どうして今まで…………」
はたと自分の口に軽く手で触れてもそれが戻ることはない。ほんの僅かだったけど、うっかり気持ちが零れてしまった。
私の隣に座る者をチラリと盗み見る形で窺う。
……やはり問題なく聞こえていたらしい。私をジッと見る視線の圧が普段のそれよりも仄かに強い気がする。仕方がないとばかりに肩を竦めてみせた。
「ふふふ。なに、自分が思ってるよりずっとずっと……君のことが好きだったんだなぁって。それを再確認していただけだよ。スコープ?」
「……詳しく説明する気はない、か」
いつも通り笑って誤魔化す──なんてつもり、本当はこれっぽっちも無いのだけど。もしかしたらそう思われているのかな?また少し機嫌を損ねてしまったようだ。
君はこの笑顔があくまでついだって気付いてくれないのかい?別に問題こそないけれども。
(あの場限りだと思っていたのに。気が付けばこうも間近に在るなんて。それも片時も目を離してくれないとはね?不思議なものだなぁ……)
しみじみとその顔を見つめながら左頬に掌を、目の下には親指を静かにそっと添えた。
何故いつもコレをする度に君の何かが少し和らいでいそうに見えるのか?君がよくする瞳だけの瞬きはどういう意味なのか?等の日々抱くささやかな疑問すら今は興味ないと拭い去る。
私は、この幸福感を指先で味わうかの如く。紅く透き通る眼の周りを、唯唯そっと。暫し気の済むまでさするのだった。