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    lunalatteluna

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    lunalatteluna

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    パスワードはピクスぺの私のサークル、からーぱれっと内のサークル説明文と展示作品の説明欄に載せています。カリパが終わった後、支部にアフタータグとともに公開いたします。

    ※反応いただいたのがとっても嬉しくて消すのが勿体なさすぎるので残させてくださいすみません……鍵は外して置いておきますので、今後も閲覧可能です。同じものを支部に3本に分けて投稿しました。

    あまりか短、中編まとめ言葉の甘みは砂糖のおかげ?おなまえどうぞ初陣前いざ、初陣用法容量、厳守して!なにかよっつ。知らない世界へ飛び込んでダーズンローズと6つの煌めき六法全書をちゃんと止めたテラ君、偉くない?第1回☆あまりか全派生合同コンパ!ふわふわのねつないしょの3センチLong ago, to this day.言葉の甘みは砂糖のおかげ?
    「理解さん」

     そう呼ぶ声が明らかにほかの人を呼ぶ時とはほんの少し違うトーンだと気づいたのは、いつからだったろうか。ふみやを呼ぶ時などには見えないほのかな甘さが声に混ざっている。ただ、その甘さの原因なんて理解には分からない。分かるはずもなかった。ただ、名前を呼ぶだけ。その行為に差が生じる原因なんて、さっぱりわからない。でも、それによって嫌な気持ちになることはない。それが、理解にとって一番の悩みだった。
     屋根裏部屋に天彦を呼び出して、甘さの原因についてひと思いに聞いてしまおうかと何度思っただろうか。それを行動に起こせないのは、また言いふらされてしまうかもしれないという先生への不信感。それと、あのわずかな誤差のような甘さに恐らく気づいていないだろう天彦に聞いてしまってもいいのだろうかという疑問によるものだった。最近はこのことについて考えては気が付くと9時になってしまっている。日記はいつも通り何も書くことがない素晴らしい状態なので何ら問題ないのだが、本を読むことさえままならないのは気に食わない。これ以上睡眠前の秩序を乱すわけにもいかない。今日はひとまず寝ることにして、また明日対策を練ることにしよう。


     次の日の午前5時半。爽やかな笛の音で住民たちを起こす、いつもの流れだ。2階に上がり、天彦の部屋まで行ってドアをノックする。重い足取りが扉の奥で聞こえてから数十秒でドアが開いた。

    「理解さん、今日だけは見逃してもらえませんか……昨日は深夜1時ごろにショーが終わって帰ってきたばっかりなんです……」

     意図的に夜更かししたのではなく、仕事の都合ならば仕方がない。今日だけは天彦を見逃してあげようじゃないか。秩序の番人ではあるが、理解お兄さんはそこまで薄情な男ではない。天彦のドアがばたんと閉まると同時にいつも名前を呼ばれるときにわずかに感じる甘さが全く感じられなかったことに気づく。朝だからだろうか。でも、いつもは朝でもわずかにあるのだがな。やはりよく分からない。天彦以外の全員を起こして回った理解は、どうして天彦だけという愚痴を聞き流しながら朝食を食べ、天彦が起きてくるまでリビングのソファで読書に励むことにした。


     天彦が10時ごろに起きてきて朝食を食べた後、いつものように住人達に絡んでいる。珍しくリビングにいる大瀬に絡んだ後、理解の正面へとやってくる。

    「理解さん、今朝はありがとうございました。おかげで、よく眠れました」

     そう言ってほほ笑む天彦はいつも通りのはずなのに、どこかいつもと違って見える。天彦の寝起きも、こうやってお礼を言う姿も見たことがあるはずなのに。どうしてなのか、分からない。先生に、教えてほしい。そう強く思って、天彦を今日の午後5時に屋根裏に呼び出す約束を取り付けた。


     午後5時になって、理解が屋根裏部屋に持ち込んだパイプ椅子に二人向かい合って座る。呼び出したはいいものの、どうやって聞けばいいのか分からなくて言葉を出せない。そのまままっすぐに聞いた方がいいのか、ある程度ぼやかしながら聞いた方がいいのか。こんな質問の正解なんて知らないし習ったこともない理解には、どうするべきなのか分からなかった。そのうち、時計をちらちら見ていた天彦が申し訳なさそうに眉を下げながら口を開いた。

    「すみません理解さん、僕、5時半にはここを出ないと今日のショーに間に合わないんです。もう少し待ってあげたかったんですが、この続きはまた今度でもいいですか?」

     大丈夫です、という言葉をなんとか喉の奥から引っ張り出して、天彦に罪悪感を感じさせないようにその場を取り繕う。本当にすみません、と言いながら出て言った天彦の背中が消えても、背中があった場所を見つめることしかできなかった。


     夜ご飯を食べた後も、天彦は帰って来なかった。ショーがあると言っていたから遅くなるのは当然だろうと思っていたが、それにしても遅い。デザートを天彦の分まで食べようとするふみやを止めたり、鏡を見て鼻血を出したテラの後始末などを行っているともう9時になってしまった。玄関の扉の開く音も、鍵を開ける音も聞こえていない。

    「ほら皆さん、もう9時です、寝ましょう。これ以上起きるとマフィアになりますよ、いいんですか」

     数人から反抗されたものの、いつものことなので気にせず部屋へと押し込む。今日の屋根裏部屋で話そうと思っていた内容を次はいつ話すのかを決めてしまいたい。その思いで一人掛けのソファに座り直す。理解もマフィアの仲間入りをしてしまうことになるが、帰って来ない天彦に罪を擦り付けることにした。ソファに座って待つものの、天彦は帰って来ない。時計を見ると、もう10時を回っていた。
     意識を保てなくなってくる。頭が揺らいで、がくんと落ちる感覚で意識を取り戻す。眠気を振り払うように頭を振るものの、眠気がどこかに飛ぶことはない。完璧な私がソファで寝落ちてしまうなんてありえない。そう気合を入れなおして瞬きのために閉じた瞳が再び開くことはなかった。


     瞼の外がぼんやりと明るくなってきた感覚で目を覚ます。どうやら、天彦を待っていてそのまま寝てしまったようだった。がちがちに固まった体をほぐそうと腕を伸ばしたところで肩にかかっていたらしいブランケットがはらりと床に落ちた。こんなものをかけた記憶はさっぱりないので、きっと寝てしまった私に依央利さんがかけてくれたのだろう。
     ブランケットをしっかりたたんでソファの背もたれに置き、パジャマからいつもの黒いタートルネックと白のズボンに着替え、ホイッスルを首にかける。今日のテーマの書初めには人助けをしよう、と書いた。部屋を出て、廊下の真ん中に仁王立ちして住人たちの起床を促す。

    「おはようございまーーーす!皆さん朝ですよ、起きましょう!」

     いつも通り朝は元気よく、あいさつは大きな声ではきはきと。理解のモットーのうちの1つだ。2階に上がり、天彦のドアをたたく。いつも通り重い足でドアを開けた天彦をドアの外へなんとか出した。ほかの住人達も起こして回り、依央利に手伝いを断られた朝食を食べる。今日は珍しくほとんどの住人が用事があると言って家を出て行ったので、今この家に残っているのは理解と依央利だけだった。
     今日の朝かかっていたブランケットについてのお礼を言おう。それと、ブランケットの返却も。シックで落ち着いた濃い紫のブランケットを手に取り、キッチンでせわしなくしている依央利を呼び止める。

    「依央利さん、少しいいですか」
    「いいよ、どうしたの理解君」
    「こちらのブランケット、お返しします。かけて下さってありがとうございました」
    「え、なんのこと?これ僕のじゃないし。でも洗濯するからもらっとくね」

     僕のじゃない、と言われたことに動揺している間に依央利にブランケットを取られてしまった。あ、と声が出るが、洗濯物が増えたことでテンションが上がっているらしい依央利には届いていないようだった。そのままブランケットを持って浴室の方へと向かおうとするところを引き留める。

    「待ってください、依央利さん!そのブランケット、誰のものかわかりますか?」
    「多分この香水の匂いは天彦さんだから、天彦さんのものじゃないかな?」
    「なるほど、ありがとうございます」

     天彦のものだということを教えてもらい、依央利にお礼を言ってそのまま天彦の部屋へと向かおうとして今日はいないことを思い出した。天彦への用事はどんどんたまっていくのに、天彦本人と会話するための時間が取れない。この状態に少しフラストレーションが溜まる。ただ、いないことには仕方がない。昼はいらないと依央利に言っているところを見なかったため、昼には戻ってくるのだろう。そう結論付けて部屋に戻って勉強することにした。


     理解さーん、ご飯ができましたよー、という依央利の声で勉強に没入させていた意識を戻す。はい、今行きます、と返事をしてノート達を閉じた。部屋を出れば、廊下の方までいいにおいがする。リビングの扉を開くと自分以外の五人はもう全員いるようで、理解のことを待っている状態だった。天彦と話す時間を取る約束をするべく天彦の隣の席に座った。おぉセクシー、と喜んでいる天彦は無視して要件を伝える。

    「天彦さん、前回は話せなかったので、今日の3時にあの場所で再び会いたいんですが、大丈夫でしょうか」
    「えぇ、いいですよ。今日はもう用事はないので、ゆっくり話し合いましょう。2つの意味で」
    「どういう意味なんですか2つの意味って」

     いつでも動物園のこの家では2人で交わした約束なんて他の人には聞こえない。特に誰かに突っ込まれることもなく、屋根裏部屋での会話のリトライを取り付けられた。昼ご飯を食べて1時半。あと1時間半、何をしようか。そう思って座ったままでいると、誰かに肩を叩かれる。何事かと叩かれた方を向けば、思ったよりも近くに天彦の顔があった。

    「うわっ、近いな。もう少し離れてください、天彦さん」
    「理解さん、特にすることがないのでしたら今から天彦の部屋に来ませんか。そちらで今からでもお話ししましょう」

     なかなか近い位置のまま天彦が発した言葉は、理解にとっては良いものだった。どうせ天彦との待ち合わせの時まですることもない。その質問に肯定をして近いともう1回クレームを入れて、天彦とともに天彦の部屋へと踏み込んだ。
     前にルームツアーをしたときに見た状態とほぼ変わらない、少しものの位置が変わっている程度の天彦の部屋は理解には踏み入るのを躊躇するような状態だったが、ここまで来てしまったからには入るしかない。部屋に足を踏み入れ、天彦に勧められるまま、先に座っている天彦とは距離を取ってベッドの上に座る。

    「それで、何を話したいんです?」
    「その、誰にも言わないって、約束してくれます?」
    「えぇ、約束しましょう。当方は世界セクシー大使ですから」

     前もそう言っていなかったかこの男。そしてばらしてなかったかこの男。前例を基に理解の中に不信感が建設されていく。ただ、聞かないことには何もできない。なんとかその不信感を打ち砕いて言葉を出すべく口を開く。ひとまず、ブランケットのお礼からだ。

    「昨日の夜、ブランケットをかけてくれたのは天彦さんで合ってます?」
    「えぇ、合ってます。よく分かりましたね」
    「依央利さんに聞いたんです。それで、お礼を言おうと思いまして。ありがとうございました。ブランケットは依央利さんが洗濯してくださっています」
    「ふふ、どういたしまして。あまりにセクシーな寝姿だったものですから起こすのも忍びなくてかけるだけにしたんです。それでも問題ないようでよかった」

     純粋な善意でやってくれた天彦の行動に、胸が弾んだのが分かった。ただ、どうして弾んだのかはさっぱりわからなかった。謎の挙動に疑問を抱きつつ、前回の本題を話すことにした。

    「最近気づいたこと、なんですが。天彦さんが私の名前を呼ぶ時、他の人の時とは違う感じがするんです。なんというか、変な言い方かもしれませんが、少し甘いように感じて」
    「へ。嘘、それ本当ですか理解さん」
    「なんで私が先生に嘘をつかないといけないんですか」
    「た、確かにそうですね、すみません。まじですか……」

     虚を突かれたような顔をした後、赤くなって顔を抱え込んでしまった天彦を、呆然としながら見つめる。理解はすっかり置いてけぼりだ。何も分からない。下を向いてしまった天彦の肩を掴んで無理やり起こす。顔は真っ赤なうえに、理解とは今のところ目が合っていない。

    「天彦さん、私の方を見てください。あとなんでそんなに顔が赤いんです」
    「いやだって仕方なくないですか……無意識のうちに僕、うわそうなんですか……」
    「天彦さん、理解何もわかりません。ちゃんと説明してください先生」
    「いや、これは……いえ、天彦決めました。言います」

     先ほどまでの締まりのない顔をきっ、と締めて、いつもよりも整った天彦の顔がこちらを見据える。理解の方が目をそらしたくなる。また、原因が分からず胸が高鳴るのを感じた。不整脈かもしれない。また、先程顔をそらすなと言った手前、理解がそらすのは憚られる。しっかり天彦の美しい白郡色の瞳を見つめ返した。

    「理解さん、僕は、……僕は、理解さんのことが好きなんです。なので、そのせいでそうなっているのかと思います」

     何を言っているのか、一瞬理解できなかった。あの時、好きになってくれる人に25年分の愛をささげるといった時には呆れた顔をしていた天彦さんが、私のことを好き?どういうことなのか、よく分からない。それに、別に理解は天彦のことが好きではない。

    「すみません、天彦さん。私はその気持ちにこたえることができません。私は、天彦さんのことが好きではないんです」
    「そう、ですよね。やっぱり、天彦に呼ばれて気持ち悪いと思ったから聞こうと思ったんです?」

     そう言われて、どうして聞こうと思ったのか考え直す。どうしてだったかな。たしかに天彦の声の違いが気になったのは事実だ。でも、やめてほしいと思ったわけではない。別にそのままでよかった。

    「いえ、そういうわけではないんです。ただ理由が気になっただけで。天彦さんにそう呼ばれることに不快感は感じてませんでした」
    「……なるほど?もう一つ聞きたいんですけど理解さん、僕と一緒にいるとき、変な感覚がすることはありますか?」
    「つい最近、ではあるんですが、天彦さんといるとなぜか胸が変な感じになることはあります。不整脈の可能性があるので医療機関を受診しようと思っていたところです」
    「それ受診しなくていいやつです」

     いやこれそういうことやん……と悶えている天彦をよく分からないまま見つめる。なんでそうなっているのかさっぱりわからない。不整脈だと思っていたが違うのか。確かに天彦と一緒にいるときにしかその症状は今のところ出ていないが、気になってしまう。だがまぁ、医者の名家の出自の天彦がそう言うなら問題ないのだろう。眼鏡のフレームの奥で天を仰いでいた天彦に再び見つめられている気配を感じて視線を天彦に向ける。

    「ちょっと失礼しますね理解さん。こういう時、どんな感覚になります?」

     一言断りを入れた天彦が、人一人分の間隔を開けて座っていた状態から間を一気に詰めて真横に座ってくる。太ももが当たる距離だ。心臓がバクバクと音を立てて飛び跳ねているのが分かる。今すぐにでも距離を取りたいが、そんなことをしてはきっと天彦を傷つけてしまう。目を閉じて下を向き、限界まで天彦の存在を視認しないようにしながら返答する。

    「む、胸が、ばくばくします。先生のことを見ないといけないのは分かっているんですが、み、見れない、です。やはりなにかの病気なのでは」
    「かんっぜんにそういうことやん。天彦行けますねこれ。大丈夫です、病気じゃないです。病院に行く代わりに」

     そこで不自然に言葉を切った天彦の方を手の隙間からちらりと伺うと、それを待っていたと言わんばかりに理解の顔から手を引きはがし、理解の顔を天彦の方へ向けられる。天彦の顔を真正面から見れない。顔が熱い。あの時の逆だ。なんとか横目で天彦を見る。すると、それを合図に天彦が綺麗にウインクをして微笑んだ。

    「天彦のことを知ってください。僕がどういう人間なのか。僕はどういうことをしてもらえると喜ぶのか。それが分かったら、また呼んでください。答え合わせをしましょう」
    「そ、そんなことでいいんですか。天彦さんのことを知れば、これは治るんですか」
    「ええ。治してみせます。それは、治すために必要なことですからそれでいいんです」

     よく分からないが、天彦のことを知るだけでいいのなら普段の行動の中で天彦を注視すればいいだけのことだ、何ら難しいことではない。分かりました、と答えると、天彦の体が離れていった。じゃあ、僕は次のショーの準備をしますので。理解さんはどうされます?という質問をされたのでこの部屋を出るという返答をした。
     部屋を出て依央利のいるリビングに戻るも先ほどの熱は全く引いていなかった。あの人ついにやったんですね、奥手すぎでしょ、という依央利の言葉は理解の耳には全く入っていなかった。そのまま自分の部屋に入り、天彦の言っていたことを反芻する。ひとまず、明日起こす時に天彦のことを注視してみよう。明日のテーマは天彦をよく見よう、だ。まだ太陽がおり返した段階なのに次の日の予定を組んだ理解は、昼前にしていた勉強の続きに戻った。


    「ねぇ天彦さん、どうやったんです?あの理解君が顔真っ赤にしてリビングに入ってきたから僕びっくりしたんですけど」
    「だいぶセクシーな状態になっていたので、彼が気付けるようにお手伝いをしました。ただそれだけです」
    「うわやらし。気づいてない状態でもう囲われすぎでしょ理解君……」

     依央利におやつができたと呼ばれたので廊下に出たところで聞こえてきたその会話。意味はよく分からなかった。でも、それについて聞くのは良くない気がして、何も聞いていない顔でリビングに入った。


     
     このあと理解は天彦への恋を自覚して一世一代の大勝負をするのだが、それはまだまだ先の話。まだ自覚のない恋心を芽吹かせただけの理解は、明日の朝も元気に笛を鳴らした。


    おなまえどうぞ
    「天彦さん、その、相談なのですが」

     昼ご飯を食べた後、各々が部屋に戻るなり外に出るなり好きなように時間を過ごし始めた1時前。部屋に戻ってトレーニングをしようと住民たちを見届けた後椅子から立ち上がった直後にかけられた言葉だ。

    「はい、なんでしょう、理解さん」
    「その、私たちは、お、おおお、お付き合いをしているじゃないですか」
    「はい、そうですね。天彦とても幸せです」

     顔を真っ赤にしながらつい3日前に付き合った事実を再確認してくる可愛い恋人。その姿を見ているだけで自然と口元が緩む。ただ、それ以降の言葉が全く出てこないところを見るにとんでもなく緊張しているのだろう。キッチンに向かい、白湯を注いで理解の前に出してやる。少し肩が下がったところを見るに、緊張は多少なりとも解けたのだろう。

    「こ、くはく、されたときにも言ったのですが、理解は結婚を前提に天彦さんといい、一緒になったんです」
    「えぇ、そうですね。理解さんの25年分の愛と、その後の人生を受け持つお約束をしました」
    「ですが生憎今の日本では結婚できないので、理解が総理大臣になって改正する方向に決めたんです」
    「……あぁ、そうなんですね!いいじゃないですか、選挙の時には必ず天彦は理解さんに投票しますよ」
    「本当ですか!ありがとうございます!……いや、違う!そうじゃない理解!」

     とんでもない宣言と一人コントを目の前にして衝撃で頭の中が白飛びを起こす。返事のタイミングが少し遅れたことに理解が気付かなかったことが幸いだった。混乱する脳内を整理しつついまだにうぐぐ……と言いながら頭を抱えている理解を見つめているとはっ、と正気に戻った理解がこちらを見つめ、咳ばらいを1つした。

    「つまり何が言いたいのかと言いますと、あの、苗字、なのですが」
    「どちらが嫁入り……じゃない、婿入りをするかってことですかね?」
    「む、むこいり……そそそ、そうです。草薙姓になるのか、天堂姓になるのか、結婚することは決まっているのですから話し合ってもいいのではないかと思いまして」

     そう言われてふむ、と考えこむ。この男、まだ手もつながせてくれないのにどうしてこんなことを決めようとしてくるのだろうか。順序を守りなさい!と怒ってきたたった3日前の貴方はどこへ行ったんですか。だが、これが草薙理解という男の思う恋愛の手順なのだと思うと脳内で疾走していた順序おかしくないか?という言葉もどこかへ行ってしまう。それで、どちらの苗字にするのか、だったか。天彦としてはどちらでも構わない、というのが本音だった。草薙天彦。もしくは、天堂理解。なんとも心躍る響きだ。惚れた弱み、なのだろうな。どうしようか。

    「理解さん、僕はどちらでもいいんですが、理解さんはどうでしょう?」
    「その、私もどっちにするのか決まっておらず……なので、天彦さんに決めてもらおうと思っていたんです。私の先生なら、きっとすぐ決めてくださるかと思いまして……」
    「苗字というものは、一度変えたら別れるまで変えられないものなんですよ。僕がすべて決めてしまう権限なんてありません。なので、しっかり二人で決める必要があるんです。そのような考えはめっ、ですよ、理解さん」
    「はい……すみません、先生。では、どうやって決めましょうか」
    「そうですね、確か206号室にふみやさんがいるはずです。部屋の中に戻っていくのを見ましたし。彼に実際に呼んでもらって決めるのはどうでしょう?」

     まだシェアハウスの住民には付き合っていることを明かしていないが、ふみやならどこかの恋バナ好きたちと違って軽率に言いふらしたりはしないだろうと思っての判断だ。なお、猿川は理解が確実にするであろう念押しで逆に言いふらしそうなので除外され、大瀬は行動に出やすそうだという理由で除外した。理解はその人選に納得したのか、じゃあ行きましょう、行動は早い方がいいですから、と言って足早に階段の方へ向かっていった。
     理解より少し遅れて階段を上り、206号室の前に二人で立つ。部屋の中からは特段何も聞こえないが、人の気配はあるのでやはりいるのだろう。小声でじゃあ、行きますよ、と伝えてきた理解にこくこくと頷いて返事をする。深呼吸を1回した後、丁寧に3回のノックが鳴る。

    「理解?何の用?」
    「ふ、ふみやさん!もし今時間に余裕があるようだったら手伝ってほしいことがあるんですが、どうでしょうか」
    「うーん……今本読んでて忙しいから断ってもいい?」
    「っ!?いや、それはいつでもできるでしょう!お願いしますふみやさん!」
    「でもな……」
    「ふみやさん」

     案の定交渉に失敗している理解の腕を後ろに引き、扉の前の位置を交代する。扉の向こうでごねている声が聞こえなくなったのを確認して、はっきりと言葉を紡ぐ。

    「手伝ってくださったら、今度スイーツを食べに行くときには天彦が全額奢ります。なんならギャラも出します」
    「やる、3日分の依央利のデザートもつけて」
    「いいでしょう」

     報酬の話をした瞬間にきらきらと光る眼で扉を開く当たり、とても現金な青年だ。依央利のデザートに関しては完全に予定外のことだが、仕方ないだろう。扉を開けたふみやはさも当然のようにリビングへと向かう。報酬を持ち出して交渉を成功させたことに関して理解が唇を震わせている。このままここに放置するわけにもいかず、かといって自分で動くこともなさそうだ。確実にこの後怒られるだろうがふみやを待たせるわけにもいかないので仕方なく理解の膝の下に手を差し込んで持ち上げると、落ちるかもしれない恐怖から理解がしがみついてくる。いわゆるお姫様抱っこの状態だ。なんとセクシーな……!まさか付き合って3日目でできるとは思わなかった。このまま理解を抱えてこの幸福感に浸っていたいが、そういうわけにもいかないのでリビングに向かって歩み始めた。なお、階段を下りている時にふみやからがっつり見られた。まぁ理解をお姫様抱っこで運搬していては仕方ないとは思うが。いまだに震えている理解をソファに降ろし、ふみやをキッチンに引きずり込む。

    「ご覧になったのでわかっているかと思いますが、僕と理解さんはお付き合いをしています」
    「全然気づかなかった。いつから?」
    「3日前ほどからです」
    「え、そんな最近なんだ。マジで全然気づかなかった。理解すぐ顔に出そうなのに」
    「かなり頑張ってくださっているので……そこでいいですかふみやさん。ほかの人に僕たちが交際していることを言ってはいけませんよ」
    「二人のこと言ったらダメ?なんで?テラとか喜ぶと思うけど」
    「僕は構わないんですが、理解さんが嫌だそうで……」
    「あぁ、なるほど。確かに言いそうだな、あいつ。分かったよ。依央利のデザート5日分な」
    「長すぎません……?でもまぁいいですよ、あげます」
    「やった」

     こうしてふみやの黙秘と交換に依央利のデザートをさらに2日分失った天彦と実質対価なしでデザートをもう2日分手に入れられたふみやがリビングに戻る。理解の横に座り、斜め前のソファに座ったふみやに先ほど理解との会話内容を話した。

    「ふーん。なるほど。で、俺に苗字入れ替えて呼んでほしいってわけね」
    「そういうことなんです。どうでしょうふみやさん、お願いできますか?」
    「ん、いいよ。その前に理解なんとかしてくれない?やりづらいんだけど」

     確かにさっきから無言だなと思って横を見ると、放心状態の理解がいた。目の前で手を振ったりほっぺをもちもちもんだりして反応を見る。少し目が動いて気まずそうにこちらを見つめる理解と目が合った。なるほど、どうしたらいいのかわからなくて黙っていたのか。

    「大丈夫ですよ、理解さん。もし変えることになった場合、一生涯呼ばれることになるんです。そんなに身構えることではありません」
    「そ、そうですよね。私は人類のリーダー、草薙理解。この程度で身構える必要なんてない。さぁ、かかってきなさいふみやさん!さぁ!」
    「なんでこんなに身構えられてるわけ?逆にやりづらいんだけど。まぁいっか、いくよ」

     ただ名前を呼ばれるだけなのに、こんなにも緊張することがあるんだな、とふみやが場の空気間を変えた瞬間に感じた。薄く手汗がにじむ。

    「天堂理解さん」

     そう呼ばれた瞬間、横の塊――理解なのだが――ががたんと揺れる感覚がした。目の端に白いものが映ったので恐らく顔を抱え込んで照れているのだろう。白と黒の髪の隙間からわずかに耳が赤く染まっているのが見える。苗字を使われた側の天彦としても、悪い気はしない。むしろかなりいい気分だ。理解を自分のものにしたという感覚を強く感じられて実に魅力的だ。うわぁ、というふみやの小声は聞かなかったことにしよう。

    「草薙天彦さん」

     こ、れは。なかなかクるものがある。まぁまぁいい。ただ、呼ばれるとすればどちらかというと……と思いつつ横の理解を覗き見る。完全に決め切った顔をしているので問題なさそうだ。

    「ふみやさん、ありがとうございました。理解さん、決まりました?」
    「は、はい。決めました。理解としては、天堂の方がいい、です」
    「ふふ、嬉しいですね。僕もそう思っていたんです。じゃあ、天堂家に婿入りですね」
    「また、ご実家にお伺いしなければ……」
    「ね、俺もう戻っていい?」
    「あぁ、すみません。大丈夫ですよ」
    「ん。じゃあね」

     当然のように天彦の財布から4枚の万札を抜き取った後にひらひらと手を振ってふみやが部屋に戻るのをソファに座ったまま見届ける。想定よりも多く取られてしまった。横に目をやると綺麗に赤くなった理解の顔があって、ふみやが早く戻りたがったのも少し理解できた。

    「実際に結婚できる時になったら、一緒に天彦の実家へ行きましょう。父は許してくれないかもしれませんが、母と兄はきっと許してくれるはずです」
    「お父様、厳格な方でしたもんね。理解の両親は多分許してくれると思います」
    「それはよかった。お互いの実家を巡るついでに旅行でもしましょう。2人きりで」

     そう言って恭しくソファの上から取り上げた理解の手を上向きにしてちゅっという綺麗なリップ音のサービス付きで手のひらに口付けた。このまま胸元にもキスをしたいが流石に秩序厳守のためのホイッスルを耳元で浴びたくはないのでいつもの白いズボンの上から太ももに落とすまでに留めた。この程度なら順序に厳しい恋人も許してくれるだろう。今日何度目か分からない赤面をしている理解にはなまる満点のウインクを飛ばす。

    「では、天彦は部屋でセクシーについて考えながら筋トレに励みます。また夕食の時に」
    「え、あぁ、はい、分かりました。また後で……」

     混乱している理解のなんとかわいいことか!きっと彼はキスの位置ごとの意味なんて知らないだろうから、正気に戻ったらネットで検索して部屋に突撃してくるか夕食時に気まずくなっているかするのだろう。その未来がどちらでもなんとも楽しみで浮いた足取りで階段へと踏み出した。

    初陣前
    「理解さん、デートに行きましょう!」

     意気揚々と目をきらめかせて話してくる彼氏の提案に、乗らない理由はなかった。今日もいつもと同じように散歩と読書と勉強をするだけ。しかもそのうちの1つである読書は現在持っている本を昨日読み切ってしまったためできない状態である。新作の本を探すために散歩がてら出かける予定もあったため、初デートもできるなんて一石二鳥だ。

    「いいですね、是非行きましょう。どこに行くんですか?」
    「うーん……そうだ、隣町のショッピングモールなんてどうでしょう?最近新しいカフェができたらしいんです」
    「カフェ、ですか?」
    「えぇ、そうですけど……もしかしてカフェはいやですか?」
    「いえ、いやなわけではないんですが、その……」

     いつデートに行こうと言われてもいいように、と初デートのデートスポットやするべき服装、話題などを事前に調べていた際に理解は学んでしまった。どのサイトにも付き合った後の初デートのおすすめスポットにショッピングモールのような複合商業施設は載っていないのだ。つまり、初デートの場所として正しくないのではないか。正しくないところに行くことは秩序を乱すことに繋がるのではないか。そんな思いから部屋に置いてきたスマホに意識が向き、顔が下を向く。その様子を見かねた天彦が声をかけてくる。

    「理解さん、どうしました?何かありましたか?」
    「あの、前に、おすすめスポットを調べたことがあるんです。その時見たサイトには、はつ、でー、とにはショッピングモールのようなものはおすすめされていなくて。だから、そういうところに行くことは正しくないのではと、秩序を乱すことになってしまわないかと不安なんです」
    「なるほど、そういうことでしたか。大丈夫です、それはあくまでおすすめであって、そこに載っているところに行くことが正しい訳ではありません。だから、載っていないところに行ったとしても問題はないんです。世の中の付き合っている人々がショッピングモールでセクシーな初デートをすることも普通にあります」
    「なるほど、たしかに……なら行きましょう。どうやって行くんですか?」
    「車です。レンタカーを借りてきました。外に止めてあるので乗ってください、僕が運転します」

     窓のカーテンの後ろには確かに車の影がうっすらとだが見えた。今の服装がいつも通りの黒いタートルネックと白のパンツであることがサイトの情報通りに出来ずに気にかかるが、きっと玄関で待ってくれているであろう天彦を長く待たせるわけにはいかない。リビングを出てスマホを取って上着を羽織るために一瞬だけ部屋に戻り、想像通り扉を開けたまま待ってくれている天彦の体の横を通り抜ける。外は太陽があって暖かかったが夜には寒くなりそうだ。上着としてカーディガンを取ってきたのは正解だった。鍵を閉めた天彦の一歩後ろを歩いていると前を歩いている天彦のエスニックな香りがうっすらと鼻を掠めて歩いていて心地がよかった。助手席に座りシートベルトを締める。先ほどより近づいたことでわずかに強くなった香りが脳を甘く緩く溶かす感覚がする。エンジンがかかってそっと車が発進する。
     
     
     まだまだ高いところを陣取る太陽に照らされてもう秋が近いのに暖かい車内は、エンジン音と走行音、たまにウィンカー音のみが響く実に静かな空間だった。今日行く予定のショッピングモールは思ったよりも遠いのだな、本を持ってくればよかったか。そんな風に思い始めたころ、綿のような沈黙を引き裂く一声が投げ込まれた。

    「理解さんは、ショッピングモールに着いたらどこへ行きたいですか?」

     私は書店に行きたいです。そう言いかけた口が半開きの状態で止まる。運転中の人間と会話をすることは後々の事故につながってしまうのではないか。つまり秩序を乱してしまうのではないだろうか。かといって質問に答えないのも相手にとって失礼だ。どうすればいいのだろうか。一体どちらの方が正しいのだろうか。こうすべきか、いやでもそれは。堂々巡りな思考を結論付けるために考え込んでいると、話すつもりがないと判断したのか天彦の声が次々と言葉を空間に満たしていく。

    「僕は服屋に行きたいんです。理解さんとのデートのために服を新調したくて」
    「実は、カフェはもう予約してあるんです。理解さんに断られたらふみやさんをお誘いする予定だったんですが、杞憂でしたね」
    「晩御飯はどうしましょう、2人で食べますか?」
    「こうやって喋っているだけでも楽しいですね。会話中に人目を気にしなくていい車にしたのは正解だったかもしれません」

     ここまで1回も返事をしていないのに、それでも楽しいという天彦が理解にはよく分からなかった。会話というのは相手からの返事がないと成り立たないし、そもそも一方的に話すのだと楽しくないはずではないのか。そう思ってしまい秩序によって止められていた口から堰を切って音が出ていく。

    「わたし、は。私は、書店に行きたいです。服屋も晩御飯も、是非ご一緒したいです。わ、私も天彦さんのために、服を新調したい、ですし……。依央利さんには、私から連絡を入れます」
    「へ」
    「そ、それに、理解が返事をしていないのに話していて楽しい訳がないでしょう。会話というのは、二人でするものです」
    「た、しかに、そうですね。すみません……?」

     混乱して眉を下げて笑う天彦を見つめながら思いのたけを話す。腑抜けた顔で運転しているのが気がかりだが、言ってしまったものは仕方がない。少し熱くなってきた顔を見られないようにするために持ってきておいたスマホで依央利に夕飯はいらない旨の連絡を入れる。負荷が減るというクレームで構成された返事は見なかったことにしよう。連絡を入れ終わって前を向いたところで見たことの無い景色が目の前に広がっていることに気づいた。

    「天彦さん、今私たちはどこを走っているんですか?見たことの無い景色ですし、現在地地図でも知らない地名が見えるんですが」
    「すみません、この状態で行くのはさすがに恥ずかしいので、少し海にでも行きましょう……予約の時間まではまだありますから……」
    「別にいいんですけど、一体どういう」

     疑問を突き付けている言葉が途中で詰まる。途中で横を向いたのが原因だ。横を向いた理解の目の前に見える天彦の顔はそれはもう赤くなっていた。視線を感じたのか一瞬ちらっとこちらを伺った目は熱でとろけていて、見ているとこちらまで溶けてしまいそうだった。前を見るためにその瞳はすぐに見られなくなったが、もしずっと見られていたら。そう思うだけで顔に熱が集まった。きっとこの車内は外から見ると真っ赤な顔をした二人の男が座っていて愉快なことだろう。
     海へと行き先を変えた車はその後も快適に走っていた。会話も量自体はほとんどなかったが一応交わした。途中で車内が暑くなったため開けられた窓から磯の匂いがし始めてきて窓の外を見ると、対向車線の向こう側に海があった。

    「天彦さん見てください、海です!久しぶりに来ましたね」
    「あの時は散々な目にあいましたからね……またこうやって来れて嬉しいです。今度は皆さんも誘いましょうか」
    「いいですね、そうしましょう!きっと喜んでくれます」

     住人たちが喜んでいる様子を想像して口元が緩む。こうやって二人で来るのもいいが、また七人で来た時も前回と同じくきっと楽しくなるだろう。
     天彦が車を路肩に止めたので車を降りた。ただ想像通り、季節を少し逃した海辺は寒く冷たかった。波が届かない位置で二人並んで立つ。車内の暖かさになれていたせいかかなり寒く感じて、寒さで手をこすり合わせた。

    「冬ですし、やはり寒いですね」
    「そうですね。ですが、二人でこうしているだけで落ち着きます」

     目を閉じて緩く微笑む天彦を見ていると、こちらも落ち着いてくる。あまり良くないとは分かっているものの、寒さに限界を感じて上着のポケットの中に手を入れる。ある程度閉まった空間というだけで暖かく感じた。
     その瞬間、上着の右ポケットの中に違和感が入り込んでくる。それは理解よりはうっすらと暖かく、大きかった。それが天彦の手だと気づくのには少し時間がかかった。

    「あ、天彦さん!?なにをしているんですか!?」
    「理解さんが、あまりにも寒そうだったので、つい。ダメでしたか?」
    「ダメ、では、ないのですが……」
    「ふふ、ならもう少しこうさせてください」

     軽く握られたその手が天彦の体温と溶け合って少しずつ暖かくなっていくのが心地いい。いつまでこうできるのかは分からないが、ずっとこうしていたいと思えた。ぎゅっと握り返したその手は少し震えていたが、それでもさらに強く握り返してもらえた喜びの方が大きかった。

     
     いつまでこうして二人で立っていたのだろう。10分かもしれないし、30分かもしれないし、1時間かもしれない。

    「理解さん、そろそろ行きましょうか。予約の時間に遅れてしまいそうです」
    「分かりました、そうしましょう」

     手を離すべく緩めた手が天彦の手から離されることはなく、繋がれたまま外に出される。

    「あ、天彦さん!さすがにそ、外で手をつなぐのはまだ……!太陽も高いですし!誰かに見られちゃうかもしれませんし!」
    「秋の海になんて誰も来ませんから大丈夫ですよ、と言いたいのですが、太陽が昇っていることはさすがにどうしようもありませんね……」

     苦笑した天彦が手を離す。ポールを握りこむことでできたタコや、自分よりも節ばった関節を持つ暖かい大きな手が離れていくのが少し寂しかった。そのことが顔に出ていたのか、隣でゆっくりと歩き始めた天彦がくすくすと笑うのが聞こえた。

    「そんな顔をしないでください。また、日が沈んだ時に。ね?」

     自分の手を顔の横でふるふると振って、言外にどういう意味なのかを分からせてくる。理解してしまったことによる羞恥心の高まりを実感してしまう。わなわなと体が震える。

    「ふ、ふしだらだ!!公然わいせつ罪だ!!!」
    「えぇ!?どうしてそうなるんです!?手をつなぐだけですよ理解さん!りかいさーん!!」

     何か言っている天彦のことを完全にスルーして一足先に車へと向かう。後ろからバタバタと追いかけてくる足音は聞こえないふりをして、助手席へと逃げ込んだ。

    いざ、初陣
     天彦と、2人きりの車内。ショッピングモールに車を走らせる天彦を眺めていると、やはりこの人が好きだなと実感してしまう。駐車場に車を止めて、車を降りる。にぎやかな店内BGMと喧騒が漏れる自動ドアをくぐると、それがより一層大きくなった。もう予約の時間の10分前だと天彦が言うので、一緒に行こうと言われていたカフェに向かう。
     新しくできたから行こうと誘われたそのカフェは確かに新しく、店の前にはそこそこの長さの行列ができている。その列をすべてスキップして店内に入る。

    「予約していた天堂です」

     天彦がそう言うと、お待ちしておりました、と言われ、席へ案内される。新しい割にはどこかくすんでいるところがあったりしたので最近はやりの古民家風というやつなのだろうか、と思った。メニューを二人で覗き込むと、ホットケーキやクリームソーダなど、昔ながらの喫茶店のようなものばかりで、子供心がくすぐられた。2人ともホットケーキとコーヒーを頼んで、来るまでの時間を潰すことにした。

    「初デートなのに、一番最初から時間に追われてしまいましたね。この後はどうしましょうか」
    「そうですね……服屋とか、どうでしょうか。2人とも見たいものがあるところですし」
    「いいですね、そうしましょう。理解さんに僕に似合いそうな服を選んでもらいたいんですが、いいですか?」
    「っえ!?わ、私でもいいんでしたら……」
    「理解さんだから、いいんです。じゃあ僕は、理解さんの服を選びますね。交換しましょう」

     今日家を出た時からずっと楽しそうな天彦は、今もずっと笑顔だ。それに当てられて理解のテンションが上がっているのも事実だ。現に、天彦の服を選ぶという行動を受け入れてしまった。まだ付き合って少ししか経っていない上に、あの時の1回しか手を繋いでいないこの状態で天彦の好みに合わせるのはなかなか難しいように思えた。

    「あの、もし理解の選んだ服が好みじゃなかったら、変えてもらって構いませんので」
    「いえ、そんなことしませんよ。理解さんが初めて僕のことを選んでくださったものです、変えるなんてとんでもない」
    「そ、そうですか」

     初めて、というところを強調されて、顔が熱くなる。今日は初めてのことが多すぎて新情報が氾濫してしまいそうだ。理解の小さな恋愛へのキャパシティには荷が重すぎる。

    「服屋の後に本屋に行きましょうか。いい本が見つかると良いですね」
    「もう、欲しい本には目星をつけてあるんです。なので、本屋ではそれを探すのが目的になるかと思います」
    「そうなんですね。じゃあ、天彦も探すのを手伝いましょう。一人では探すのも大変でしょうから」
    「本当ですか、ありがとうございます!」

     本屋で買いたい本は、もうすべてスマホにメモをしておいてある。検索機で検索する予定だったのだが、天彦にそう言われては一緒に探す以外の選択肢は消し飛んでしまった。この後の予定を組み終わったので、シェアハウスの住人たちや最近起こったことなどを話す。こうやって二人きりで話す時間も最近は取れていなかったので、これだけでも十二分に楽しかった。理解の近況について話している時に、店員が失礼しますと言って二人分のホットケーキとコーヒーを置いていった。

    「わぁ、すごい。絵本とかに出てきそうなホットケーキですね。すごくおいしそうです」
    「バターがホットケーキの熱でじわじわと溶けている様子が……なんともセクシー。こういうものもいいですね」

     バターを塗り広げて、つるつるの表面にナイフを入れる。さっくりと切れた表面をまっすぐ下になぞっていけば、黄色が広がっていく。一口分に切り出して口の中に放り込めば、ふんわりとした甘さが理解の口の中を満たした。甘いものを食べると自然に笑顔になるものだ。同じく一口食べた天彦と顔を見合わせて、ふふ、と笑いあった。店員が一緒に持ってきたシロップをかけて頬張れば、先ほどよりも人工的な強い甘みが理解を襲う。でもそれも不快になるほどの強さではなく、また一口といきたくなる程よい甘さだ。
     二人で黙々とホットケーキを食べ、ちょうど二人ともの皿が空くころには店内の混雑も少し落ち着いてきていた。先ほどよりはっきりと聞こえてくるようになったカフェ内のBGMを聞きながら、コーヒーを飲む。依央利が作るものと引けず劣らずのコーヒーで、非常においしいと思うと同時に店と同じレベルのコーヒーを作るあの男へのわずかな恐怖を感じた。

    「ここのコーヒー、すごくおいしいですね。依央利さんのものと同じぐらい美味しいです」
    「やはり、コーヒーにこだわっているとホームページに書いてあっただけありますね。まぁ、そんなお店と同じクオリティのコーヒーをつくり出す依央利さんが怖いんですが……」
    「あの人はどこであの技術を身に着けてくるんでしょうね本当に……」

     二人でコーヒーを飲みながらほとんど住民たちの話をする。徐々に冷めていくコーヒーとは裏腹に、2人の話は熱くなっていた。ある程度話に区切りがついたところであたりを見回せば、2人が入ってきた時の混雑はかなり落ち着いていた。あまり長居するのもお店側に失礼だから、と伝票を持って立ち上がり、会計をする。店の外に出て、一人分ちょうどの金額を天彦から受け取った。

    「じゃあ、次に行きましょうか。理解さんがどんな服を選んでくださるのか、今から楽しみです」
    「私だって、天彦さんの選ぶ服が楽しみです。……あ、あまり変な服は選ばないでくださいね?」
    「とんでもなく変な服はそもそもこのようなお店に売ってないと思うので大丈夫ですよ。理解さんに似合う服をばっちり選んで見せます」

     そう言って胸を張る天彦に、ほのかな信頼を寄せる。きっと、このあともたくさんの楽しいことと知らないことが理解を待っているのだろう。そのことに胸を躍らせながら、服屋に向かう天彦の横を歩いた。

    用法容量、厳守して!
     現在時刻、20時30分。天彦に声をかけられて、理解の部屋で待っていてくれと言われたのが20時。30分もあの人は何をしているのか。明らかに歯磨き前に声をかけられたから仕方がないとはいえ、さすがに待たせすぎではないか。リビングからおい天彦!と叫ぶ猿の声が聞こえる。またセクハラか。あの人は付き合い始めて3か月たった今でも変わらず秩序を乱す。リビングに行ってホイッスルを吹き鳴らし、部屋に来なかったことにクレームを入れるしかない。そう思い立って意気揚々とドアを開けようとしたところで勢いよくドアが開く。

    「う、わ!?」
    「すみません理解さん、想定外のセクシーに出会ってしまって……ってあー!すみません!」

     外開きのドアが急に開いたことでドアの向こうにいた天彦に倒れ込んでしまう。天彦に抱き留められる形になって瞳の本朱色が顔全体に広がるように染まっていく。

    「理解さん、すみません。ノックをすればよかったですね……。とりあえず、お部屋に入ってもいいですか?こんなにセクシーな理解さんをほかの方に見られたくないんです」
    「そ、そうですね、入りましょう。もう、今度からノックはちゃんとしてくださいね?あと、何も言わずに30分も待たせるのもあまりよくないかと思います」
    「次回は気をつけますね」

     抱き留められた状態で離れる直前に額へキスを落とされる。こういうことをさりげなくしてくるあたり、なんと恐ろしい男だろう。心拍数がとんでもないことになっているのが体内から聞こえる音で分かってしまった。しかし、今日は天彦に呼び出されたため、何らかの重要な話をされることは間違いない。なんとか平常に戻し、ソファに座っている天彦の横に座る。こうやって膝が着く距離で横に座ることができるようになるまでに数週間かかったのは二人だけの秘密である。

    「天彦さん、それで、お話というのはなんでしょう?」
    「僕は最近ずっと思っていることがあるんですよ理解さん。なんだと思います?」
    「えぇ!?……なんでしょう、猿の最近の秩序の乱れ具合のひどさについてでしょうか?」
    「なんでそうなるんですか……違います、理解さんについてのことです」
    「はぁ!?私は何も悪いところなんてないでしょう!模範人間なんですから」
    「悪いところを正してほしいということでもなくてですね」
    「じゃあなんなんです?」
    「簡潔に言いますと」
     
     そこで天彦が一呼吸おいて、場の空気をゆるりと変えたのが体感で分かった。なにかとんでもないことを言い出すのではないだろうか。もしかして最悪のパターンだと別れ話もありうるのでは。不埒な。普段から伸びている背筋がさらに伸びて硬くなるのを感じる。

    「いい加減理解さんとキスがしたいです」
    「…………はい?」
    「キスです。接吻です。天彦よく我慢してると思います」
    「はぁ!?」

     想定の斜め上から来たクレームに延びていた背筋を丸め込んで頭を抱える。まだ付き合って3か月だぞ、早すぎやしないか。今すぐにでもキスを初めてするのにふさわしい時期を調べなくては。今の時間から本屋に向かっても恐らく閉まっているため、世の中の恋愛レクチャーサイトを検索するべくスマホを引っ掴んで検索エンジンに叩き込む。ただ、検索して出てきたサイトはどれも3か月が適正!と書いてあるものばかりで、一部のサイトには2か月前後がいいかも!などと書いてある始末だ。そろそろするべき時期なのだろう。それに天彦も我慢しているらしいし、これ以上理解の都合で待たせるのも申し訳ない。

    「いいでしょう、しようじゃないですか、ききき、き……を!」
    「そういえばキスも言えない人間とキスをするんでしたね僕」
    「し、仕方ないでしょう、今までそんなことしたことも聞いたこともなかったんですから……」
    「あなた本当にセクシーですよね」
    「何を言ってるんですか?」
    「まぁまぁ。それよりほら、目を瞑ってください」
    「は、はい!」

     何を言っているのか分からないところがあったが、初めてのキスであるからには先生に教えを請うしかない。先生のいうことはおとなしく聞くに限る。言われたとおりに目をぎゅっと硬く瞑る。はは、と苦笑する声が聞こえたが、抗議しようにもホイッスルはいつの間にか天彦の方へたぐり寄せられていて取れない状態になってしまっているし目を開けようにもまだキスをしていない。眉間にしわを寄せて不快を表すと、そのしわを伸ばすように目元をなでられる。そうされてしまうだけで簡単にほどけてしまうのは、彼に対してのとてつもなく大きくて深い信頼感と愛情があるからだった。眼鏡の蔓が耳から抜かれる感覚がいつもよりもひどく強く感じられる。その直後に肩に手が置かれる。それだけでこの後に来る未知の感覚への恐怖が襲いかかってくる。それがこわくて、無意識に体に力が入った。緊張をほぐすために頭をなでてくれる天彦の手のぬくもりがいつもと全く同じで、ひどく安心する。
     少し体の力が抜けたのが分かったのか、再び肩に手が置かれる。先ほど置かれたときほどの緊張はもう感じない。もうまもなく来るであろうキスのために、少し顔を上に向ける。んっ……という天彦の声が聞こえるが、気にしていては目を瞑り続けることになってしまう。それはたまったものじゃない。早くしろと伝えるために口を閉じたまま顎をしゃくり上げる。顎に手が置かれて、さらに上に向けられる。天彦との身長差はそんなにもあったのか。程なくして、唇にやわらかくてぬるいものが当たる。それが天彦の唇で、キスされたのだと理解する頃にはもう離れていた。

    「もう目を開けてもいいですよ」

     そう言われて恐る恐る開けた先は眼鏡が取られたままなのでほとんどぼやけたままだが、白と黒と赤を中心に作られた世界に映えた濃赤紫色と白郡色だけはよく分かった。天彦に眼鏡をかけなおしてもらってはっきりと顔が見えるようになる。初めて見るほどにこにこした顔が分かって、そんなにも嬉しいのかと困惑してしまう。

    「そんなに、嬉しかったんですか」
    「えぇ、もちろん!理解さんとキスできて、今僕はとても幸せです」
    「そ、そんなにうれしいなら」
    「はい?」
    「そんなにうれしいんでしたらききき、き、す、ぐらいならしてもいいです」
    「エクスタシー!!本当ですか!ふふ、今日は嬉しいことばかりです」

     そんなにも喜んでくれるのならとつい許可を出してしまったが、いつもの絶叫に喜びが滲み出ていてこれでよかったかもしれないと思い直す。嬉しいと言いながらこちらを抱きしめる天彦が年甲斐もなくはしゃいで満面の笑みを浮かべるため、別にいいか、という安堵の気持ちに変わった。

    「あの、今日はもう遅いですし、部屋に戻りましょう?ほら、もう9時前です。そろそろ日記を書かないといけませんし」
    「離れがたいです……まだ一緒にいたいです……そうです、添い寝しましょう。天彦賢い」
    「添い寝!?そそそ、そんなのダメに決まっているでしょうふしだらな!ほら、帰りますよ!一緒に部屋まで行きますから」
    「そんなぁ……分かりました、帰ります……でもいつか、添い寝しましょうね。約束です」
    「将来的になら、まぁ……じゃあ行きますよ。手を繋ぎますから、いったん離れてください」

     添い寝をしたいという天彦の要望に応えられなかったので、ふれあいを望んでいると考察して手を繋ぐことを勧めると喜んで体を離して指を絡めてきた。いわゆる恋人繋ぎの形になって、家の中なのに非常に恥ずかしい。そのまま部屋を出てリビングに向かい、天彦が顔だけ出しておやすみを告げる。ぱらぱら聞こえる返事をBGMに引き返して階段を上り天彦の部屋の前まで着くと、天彦は名残惜しそうに親指で理解の親指を撫でてからその手を解いた。

    「じゃあ、おやすみなさい理解さん。いい夜を」
    「はい、おやすみなさい。9時にはインオフトゥンですからね、ちゃんと寝てくださいね」
    「ええ、分かっていますよ。今日ぐらいはちゃんと9時に寝ましょう」
    「ならいいんです。それでは」
    「あぁ理解さん、少しこっちを向いて下さい」

     天彦が自分の正しいルーティンに初めて従ってくれたことに喜びを感じていると、名前を呼ばれていたので振り向く。振り向いていつも顔がある位置に髪の毛が見えることに疑問を抱いたところでバードキスを送られる。

    「おやすみなさいのキスです。ふふ、今夜はよく眠れそうだ。では、また明日」

     完璧な笑顔を浮かべてドアの向こうに消えていく天彦を眺め、鍵がかけられる音をぼんやりと聞き流す。ほぼ間を開けずに2度目のキスをされた衝撃が抜け落ちたのは、明日朝が早いらしいテラが2回に上がってくるまで抜けなかった。


     翌日。いつも通りばっちり5時に起床し書初めを行い、5時半に全員を起こしに行く。依央利に朝ごはんを作ってもらい、全員でテーブルを囲んで食べ始めようかというところで天彦がいないことに気が付いた。

    「あれ、天彦さんは来てないんですか?」
    「なんか、今日は朝ごはんを食べてすぐ出たいからって着替えてからくるそうなんです。だからもう来るんじゃないかな~」

     依央利の言葉が確かなら、今天彦の部屋に突撃してもきっと半裸の天彦に出迎えられるのだろう。半分寝かけている住民の面々を叩き起こしつつ、天彦の到着を待っていると案外すぐ現れた。

    「天彦さん、おはようございます。あれ、本当に着替えてますね。今日は早いんですか?」
    「えぇ、そうなんです……ショーの打ち合わせがありまして……おはようございます」

     おはようございますのあいさつの直後にキスをされる。ホイッスルを盛大に吹き鳴らすと猿からクレームが入ったがそんなこと気にしてられない。それよりも、天彦に先ほどの行動の真意を問い詰める方が先だ。

    「朝からなんてもん見せてきやがる天彦!」
    「え、うそ、今キスした?マジで!?」
    「うそ、キスってまともに言えなかったあの理解君が!?」
    「あ、天彦さん!今のはどういう!?」
    「どういうって、おはようのキスですけど……昨日の夜もしたじゃないですか、それと一緒です」
    「昨日もしたの!?ちょっと理解君、詳しく教えて!」
    「昨日までは普通だったよね!?どういう風の吹きまわしなの!?」

     教えろ教えろと騒ぐ恋バナ好き二人の声も、タイミングを考えろと騒ぐ猿の声も耳に入って来ない。いつもの朝食前の音頭が取れない。確か、だいぶ覚醒してきたふみやがその場を取り持って朝食になったはずだったと思う。依央利さんの朝食が美味しかったことは分かるが、どんな味でどんなものだったのかがいまいち思い出せなかった。

    「そ、それでは理解、行ってまいります」
    「ちょっと!逃げるんじゃないよ理解!」
    「帰ってきたらちゃんと教えてくださいよ!」
    「わ、分かりました、では!」
    「理解さん!」

     天彦に呼び止められて後ろを振り向く。振り向いたとたんに本日2度目、人生4度目のキスをされる。

    「ふふ、いってらっしゃいのキスです。いってらっしゃい、理解さん」

     赤面して逃げるように家を出る。今頃天彦が質問攻めにあっているのだろうが理解の知ったことではないし、天彦が蒔いた種だ。後ろで起こっているであろう喧騒には気づいていないふりをして歩く速度を少し上げた。


    「理解、ただ今帰りました」
    「おかえりなさい、理解さん」

     そう言っておかえりのキス。
     

    「今日は私が一番風呂です。テラさんは4番目です。いいですね」
    「僕も理解さんと一緒に入ろうかな。一番風呂が2人。なんてセクシー」
    「ダメですよ、天彦さんは6番目です」
    「そんな……じゃあ、大瀬君と入りましょうかね」
    「それもダメです」
    「そんな……!じゃあ天彦は誰と入ればいいんですか!?」
    「誰とも入らないでください」
    「ひどい。天彦かなしい。癒しが要ります」

     そう言って癒しのキス。


    「ふう……結局天彦1人で入ってしまいました。寂しいお風呂でした」
    「普通はそうなんですよ」
    「風呂上がりですし、よしなに」

     そう言って風呂上がりのキス。


    「天彦さん、少々お話があります。あなたの部屋で待っていてください、すぐに向かいます」
    「理解さんから夜の密会のお誘いとは、実にセクシー。ご指名ありがとうございます。では、お待ちしてます」

     いつもより上機嫌な天彦を見送って、歯磨きをすませて10分ほどで天彦の部屋へ向かう。ノックをして開いた扉の内側は何度見ても特殊な空間であり、この部屋に足を踏み入れるのは憚られる。しかし、部屋に入らないことには何も始まらないので部屋にあがって円形ベッドの端に座る。天彦が横に座ってきたのを確認して本題を切り出した。

    「話の内容は今日の天彦さんについてなんですけど、なにか心当たりとかありますか?」
    「なんでしょう、しいて言うなら大瀬君のお風呂に乱入した結果自殺を試みられて撤退したことぐらいでしょうか」
    「あの時の騒ぎはあなたのせいだったんですか!?確かにそれも問題ですしあとできっちりお話ししますが、不正解です」
    「要らないこと言ってしまいましたかね。ですが、それ以外となると心当たりないですね、なんでしょう」

     信じられないことを言われた上にとがめないといけない新事実が判明してしまった。このことについてはまた後で話すとして、今日さんざん理解のことを振り回したあの行動に心当たりがないというのはなんとも許しがたい。
     
    「嘘でしょう貴方。今日中さんざっぱらしてきたあのキス達についてです!どういうつもりなんですか?」
    「あぁ、それですか。なんでって、理解さんに許可をもらったのでしたいときにしようと思いまして。それだけです。本当はもっとしたいんですが、さすがにほかの方々の目があるので最低限に収めました」
    「あ、あれで最低限だと!?先生の価値観はよく分かりませんが、これに関してはさっぱりわかりませんね……」
    「そんな、ひどい」
    「理解としては、してもいいといったもののさすがに人前でするのはどうかと思いますのでしばらく禁止に」
    「そんな、ひどい!」
    「ひどくないです。天彦さんがもっと自制してくださればいいだけの話です。できるまでしばらく禁止にしますので、あしからず」
    「天彦耐えられるのでしょうか」

     耐えてもらわないとこの生活がずっと続く方が理解にとって大変だ。天彦には悪いが我慢してもらうしかない。半ば放心状態の天彦を放置して部屋から退出し、リビング経由で自分の部屋へと戻る。8時半に部屋に戻って来れたのでいつも通りのルーティンをこなして布団に入り就寝。これできっと明日以降は安泰だろう、そう思いながらレム睡眠とノンレム睡眠の波へと漕ぎ出した理解は、明日の朝におはようのキスだけと言ってキスしてくる天彦の存在をまだ知らない。
    なにかよっつ。
     今日は、天彦の誕生日だ。せっかくなら、何かプレゼントを贈りたい。その一心で色んな本を読みふけった結果、サムシング・フォーなるものを見つけた。本来は結婚式などで花嫁に向けて行うものらしいが、男性相手に、しかも結婚式でもなんでもないタイミングに渡してもいいものだろうか。理解にはよく分からないので、天彦以外の5人を呼び出して相談をすることにした。

    「なんのために僕を呼び出したわけ?」
    「依央利、パフェ作って。いちごとチョコのやつね」
    「かしこまりましたぁ~!」

     呼び出したのは5人なはずなのに、3人しかいない事実にまずいらだちが募るが、大瀬も猿も外出中のためそこは目をつむることにした。ふみやにパフェを頼まれていそいそと作りに行った依央利を横目で見つつ、話を切り出した。

    「3人に集まってもらったのは天彦さんの誕生日プレゼントについての相談をしたかったからです」
    「それって俺たちが口出ししていいもんなの。理解が考えることに意味があるんじゃないの」
    「そう言われると思いました。なので、皆さんに聞きたいのは本当にそれで大丈夫かと、手伝ってくれるかどうかです」
    「理解君のやりたいことならだいたい大丈夫だと思うけどなぁ」

     理解に信頼を寄せてくれていることは嬉しいが、その理解が大丈夫か分からないと言っていることをわかってほしい。理解だって不安になる時も悩む時もある。色んな感情が綯い交ぜになった目でテラを見る。

    「で、なにが不安なの。おぉ、これすごいな。ありがと依央利」
    「いえ、奴隷として当然のことです!」

     とんでもないサイズのイチゴパフェを持ってきた依央利は、そのまま理解の前に座った。どこにそのサイズのパフェグラスが入っていたんだとキッチンの戸棚を見ても、どこにも入っていなさそうなのが恐ろしい。とんでもないでかさのいちごパフェにスプーンを突き刺すふみやを見つつ、話を続ける。

    「皆さん、サムシング・フォーって知ってます?」
    「なにそれ、ひらない」
    「ふみや君は知らない気がしてたよ。あれでしょ、なんか4つあげるやつ。それがどうしたよ」
    「もうすぐ天彦さんの誕生日じゃないですか。だから、その、やろうかと、思っていて」
    「めっちゃ惚気られてるんだけど、胸焼けしそう。やったらいいじゃん。天彦も喜ぶと思うけど」
    「サムシング・フォーは結婚式の際に花嫁にすることだとネットで調べたら出てきまして。本当にやってもいいのかどうか、不安になったんです」
    「理解君がやりたい事やればいいんじゃないかなって僕は思うけどなー。その方が天彦さんも嬉しいと思います」
    「そう、ですかね。ならやることにします」

     そう言われることでこれで大丈夫だという思いを強く抱くことができた。天彦と付き合ってから様々なことへの価値観が変わっていっているのを感じる。サムシング・フォーで問題ないことが分かったのなら、次は贈る物を決めないといけない。
     サムシング・フォーはその名の通り、4つの物を相手に贈ることで成立する。1つ目はサムシング・オールド。何か古いもの、という意味だ。家族や祖先を表すものを贈るのが定番だ。2つ目はサムシング・ニュー。何か新しいもの、という意味で、新しいものならなんでもいい。3つ目はサムシング・バロウド。何か借りたもの、という意味だ。すでに結婚している知人や友人からもらうらしいが、あいにく理解には結婚している知り合いはいない。そのため、ここで贈るものを借りることが五人を呼び出した目的だ。4つ目はサムシング・ブルー。何か青いもの、という意味で、あまり人目につかないところに身につけると良い。
     3つ目のものをどうにか調達する上で最もいてほしかったのはいろいろと宝飾品を作っているらしい大瀬だったのだが、このことが今いない本人に知れれば死のうとするだろうから絶対に言えない。だがまぁ、一応この三人に聞く価値がある……かもしれない。一応聞いてみることにした。

    「サムシング・バロウドを皆さんの中の誰かから借りたいんですが、いい物がある方います?」
    「テラ君いいものあるよ!」

     気づかないうちに鼻血を垂らしながらテラがびしっと手を上げる。ろくなものが出てくる予感がしない。依央利にティッシュをもらって鼻血を拭き、そのティッシュをそのまま理解の方へ突き出してくる。そんな予感がしていた。

    「ほら、テラ君の鼻血ティッシュ。嬉しいでしょ。完璧だね。あげる」
    「いりません」
    「なぜ」
    「じゃあ次僕!」
     
     手で制して受け取らない姿勢を示すと信じられないという反応をされる。それで問題ないと思っているのならそっちの方が信じられない。次を立候補して勢いよく腕を上げたのは依央利だ。これまた嫌な予感しかしない。

    「じゃーん!僕の首輪のリモコンです!これでいつでも呼び出せます!」
    「それいらないって言ったじゃないですか!まだ持ってたんです!?今回もいりません!」
    「そんなぁ!」
    「最後は俺か」

     嫌な予感は見事に的中し、いつかのクリスマスの時に出されたリモコンが再び出てきた。最高にいらない。以前断ったときに捨てておいてほしかった。トリを飾るのはふみやだが、正直この三人の中だと一番まともそうなものを出しそうなのがふみやだった。スプーンを置いてポケットをまさぐるふみやを待つが、何も出てこない。

    「ふみやさん?候補は何ですか?」
    「ごめん、ないかも。俺の行きつけの店のレシートでもいい?」
    「だめに決まってるでしょう!全滅じゃないですか……」

     何1つまともなものが出てこないため、頭を抱え込んでしまう。どうすればいいんだ。この時間内にどうにかできなければ、残った誕生日までの理解の活動時間内の家の中には必ず天彦がいることになってしまう。パフェを再び食べ始めたふみやを見ながらどうすればいいのか考え込んでいると、テラからあ!と声が上がった。

    「どうしたんですかテラさん。急に大きい声だして」
    「テラ君いいもの思い出した。ちょっと待ってて」
    「鏡とかならいらないと思いますよ!……ってああ、行っちゃった」

     部屋に戻ってすぐにばたばたと戻ってきたテラが持っていたのは、銀色のリングのついたネックレスだった。まともなものを持ってきたことに対する安心感から、おぉ!と声を上げた。

    「なにそれ」
    「これね、前にお化けくんからもらったんだ。僕のためにって作ってくれたらしいんだけどさ、これなら使えるんじゃない?どうよ理解」
    「めちゃくちゃいいじゃないですか!これ、借りても大丈夫ですか?」
    「ん、いいよ。なくさないでね」

     テラから無事にネックレスを受け取り、いつのまにか依央利が準備してくれていた箱にそれをしまう。天彦の誕生日まであと数日、その間に残りの3つを手にいれなければならない。特に用事のない日曜日に出かけてそろえることにした。ちなみに、テラが取りに戻っている間にふみやはパフェを食べ終わっていた。


     日曜日。一緒に行きたいという天彦をなんとかなだめて一人で出ることに成功したので歩いて行ける距離のショッピングモールへ向かう。以前ここに来たときに装飾品を扱っているお店を見たことがあるのできっとここなら2つともいい物が見つかるだろうと思ってのことだ。目当てにしていた装飾品店の中に入り、きらきら光るアクセサリーの類いを見る。いらっしゃいませぇと高い声で案内をしようとする店員の好意に甘えることにした。

    「何かお探しですか?」
    「誕生日プレゼントを探しているんです。青いものがあればそれがほしいんですが、おすすめってありますか?」
    「彼女さん宛でしたらこちら、ご家族向けでしたらこちらがおすすめになります」

     そう言って家族向けに勧められたネックレス……の横にある、青の宝石がはめ込まれたイヤリングをまじまじと見つめる。これをつける天彦を想像するが、想像の中の天彦にあまりにも似合っているものだから顔がわずかに赤くなった。運良く理解の変化に気づいていない店員にイヤリングを買う旨を伝え、プレゼント用のラッピングをしてもらって店を出た。
     なにか新しいものの候補はもうすでに決まっていた。天彦が最近、ジャケットのボタンがほつれた上によれてきたから買い換えたいと言っているところを聞いたのだ。そのため、ジャケットにすることにしていた。そこら辺の量販店の服ではあの高い物ばかりの天彦の服には合わないと判断し、少しお高めの服屋に入り、ジャケットを物色する。こちらでも声をかけようとしてくる店員がいたが、天彦に何が似合うかなんて自分が一番分かっているという思いを胸に無視をした。しばらく店内を見ていると、天彦が今着ているものに似た落ち着いた雰囲気の茶色のジャケットを見つけた。理解の直感が間違いなくこれだと訴えかけるので、直感に従ってそれを買うことに決めた。ここでもプレゼント用のラッピングをしてもらった。
     何か古いものとしていい物が思い浮かばない。理解も天彦も、実家から何か持ってきたものがほぼ全くないからだ。リサイクルショップにでも行こうかと思ったが、さすがにそれははばかられる。どうしようかと考えながら帰路を辿っていると、もう家に着いてしまった。
     事前に住人たちに手回ししておいたため、理解の帰宅時にはちょうど天彦は風呂に入っていた。ありがとうございますとお礼を言って、部屋にプレゼントを1カ所に固めて置く。なにか古いもの、として正しいのかは分からないが、ちょうどよさげなものが理解の目の端に移ったのでそれもプレゼントの中に入れた。これで全部そろった。あとは天彦の誕生日を待つのみだ。ひとまず準備が終わった安心感とともに、リビングへと戻った。


     天彦の誕生日当日。いつものようにホイッスルを吹き鳴らして全員を起こす。いつもなら天彦の部屋から起こしに行くのだが、今日は話が別だ。天彦の向かいのテラから起こして回り、最後に天彦の部屋にプレゼント4つを持って向かう。こんこんこん、とノックをすれば、いつもより少しいつもの調子に戻りかけた天彦が出迎えた。

    「おはようございます、天彦さん。それと、誕生日おめでとうございます。プレゼントを、用意したんです。良かったら今日一日、身につけていてもらえませんか」
    「はい、分かりました。ひとまず、着替えてきてもいいですか。天彦まだパジャマのままなんです」
    「仕方ないですね。待っているので、終わったら出てきてくださいね」

     ありがとうございますと言いながら閉じていったドアを見ながら、なんていいながら渡すのかを悩んだ。天彦のようにキザな台詞は理解の語彙の辞書にはほとんど登録されていない。どうにか辞書掲載語句でしゃれた台詞を出そうと考えていると、先ほどよりもしゃきっとした天彦が出てきた。

    「お待たせしました。それで、プレゼントとは何でしょう。天彦わくわく」
    「まずは、これです。理解のベルトです。古いものとして適当かは分かりませんが、私たちの家からのものは特にないですからこれになりました」
    「おぉ、いいベルトですね。赤いズボンに黒のベルトが映えて実にセクシーだ」

     黒のベルトを受け取った天彦は、そのままつけていた白いベルトを外し、黒いベルトを通した。ベルトの色が変わるだけでだいぶ印象が変わる。そのまま2つ目を前に出す。

    「次はこれです。天彦さん、ジャケットを新調したいと言っていたじゃないですか。なので、新しいものはジャケットです」
    「お洒落でいいジャケットだ。早速着ますね」

     今のジャケットを脱いで、理解が渡したジャケットを羽織る。いつものものとは少し見た目が違うが、新しいものになったことでよりしゃっきりして見える。おぉ、と天彦を眺めてから、3つ目を出した。

    「次がこれです。テラさんから借りた、大瀬君に作ってもらったネックレスです。天彦さんがいない時にこっそり借りました。今日の夜に返す約束をしてますから、その時までつけていてくれると嬉しいです」
    「これ、大瀬さんが作ったんですか。すごいですね。もちろんつけますよ。理解さん、つけてもらってもいいですか?」
    「は、はい、わかりました」

     後ろを向いた天彦の首にネックレスをかける。初めて人にネックレスをかけるので髪を巻き込んだりしていないか不安だったが、どうやら巻き込まずにできたらしい。首元から下がるネックレスを手に取って、おぉ、と言っている天彦を眺める。最後のプレゼントを手に取って、天彦の裾を引っ張った。

    「天彦さん、これが最後です。開けてみてください」
    「ふふ、最後は青いものですね。なんでしょう。……ピアスですか?」
    「いえ、イヤリングです。……これがどういうことなのか、気づいてたんですか」
    「えぇ、最初に理解さんが古いものといったあたりからそうかなとは思いました。確信したのは借りたものの段階ですがね」
    「そうですか……ちょっと恥ずかしいですねこれ……」
    「そんなことないですよ。嬉しいです。つけてもいいですか?」

     恥ずかしくて顔が赤くなったのを隠しながら、こくこくと頷いた。ぱちん、ぱちんとイヤリングが閉じる音が鳴って、指の隙間から天彦を伺った。あの時の想像の通り、天彦の水色の目と赤紫の髪に青いイヤリングが美しい。ものすごく似合っていた。ものすごく似合っている天彦に見とれていると、そんなに見られると穴が開いちゃいそうです、と言われて目をそらした。その時に天彦の部屋の時計が目に入った。時刻は6時半を示そうとしている。もうそろそろリビングへ行かないと。

    「天彦さん、リビングに行きましょう。皆さんが待っています」
    「えぇ、行きましょう。ふふ、今日はいい日になりそうです」

     にこにこと笑う天彦の手を繋いで、階段を下りる。階段を下りる音が聞こえたのか、リビングの方からどったんばったんと音が聞こえてから静かになる。天彦の手を離して前に押し出して、扉を開けるように示す。天彦が扉を開けると、目の前には誕生日パーティーの準備がされたリビングと、クラッカーがあった。

    「天彦、誕生日おめでとう!」

     猿のその声とともにクラッカーがバァンと鳴らされる。びっくりして固まった後、ありがとうございます!と言いながら部屋に入った天彦の後ろを追って部屋に入り、ドアを閉めた。


    知らない世界へ飛び込んで
     天彦の職場を見てみたい。

     
     付き合ってすぐの頃、一度だけ頼んでみたことがある。その時は、きっとあなたには刺激が強い、天彦と手がつなげるようになったら考えます、と言われてしまったが。ただ、今現在の理解は違った。つい先日のクリスマスデートの時に、ついに初めて外で手を繋いだのだ。これならきっと、いけるのではないか。そう思ってもう一度天彦に打診したところ、数分悩んだ後に無事許可をもらうことができた。そして、今日が向かう当日である。
     天彦が仕事をするその場所は、夕方からしか開かないとのことなので6時に外へ出る支度を整える。6時を門限とする理解にとって初の門限破りの外出だ。依央利にはもう夜ご飯はいらない旨を伝えてある。玄関に立って何をするでもなく天彦を待っていれば、大きなスーツケースを持った天彦が現れた。

    「すみません、お待たせしてしまいましたか?」
    「いえ、それほど待ってません。スーツケースを持って行くんですね」
    「普段は持って行かないんですが、今日は非常にセクシーなものを持参するので持って行きます。中身を見てみますか?」
    「だ、大丈夫です!」

     きらきらとした目で中身を見せようとする天彦をなんとか制止しつつ、2人で玄関を抜ける。いまだに煌々と光る街へと足を踏み出せば、からからというキャスターの音が2人を追いかけた。ナポレオン商店街へ向かう道から横に生える細道へと入り、薄暗がりの中を二人で歩く。この時点でもう秩序が乱れているが、行きたいと言ったのは理解なのでどうしようもない。

    「天彦さん、本当にこっちで合っているんです?商店街はあちらですよ?」
    「はい、合っていますよ。天彦のお仕事場はもう少し行ったところにありますけどね」

     このような場所に来ることは理解にとって初めてのことで、不安と恐怖が理解の胸を満たす。ただ、横を歩く天彦の存在が何とかそれを打ち消している状態だった。
     天彦にならってさらに奥へと進んでいけば、ネオンの光がぎらぎらと理解達を出迎えた。思わず足がすくむが、この空間で天彦に置いて行かれてはたまったものじゃない。なんとか足を動かして天彦についていく。2人に絡んでくるキャッチや押し売りを軽くいなしながら天彦が向かった先は、ドアの上の紫のCLOSEDという文字が眩しい店だった。

    「つきました、今日はここです」
    「な、なかなか派手な見た目の店なんですね。あまり入りたくないな……」
    「嫌でしたら帰ってもいいんですよ。天彦が信頼しているお店の人についていってもらいますから……」
    「いえ、天彦さんの職場に行ってみたいと言ったのは理解です。男草薙理解、二言はありません。は、入ります」

     いつかのゲームセンターよりよっぽど悪しきことに手を染めてしまっている予感がする。だが、恋人の職場が気になることも事実。ドアの先に半身を入れた状態で不安そうな天彦の背を押して、理解もドアの先へ入り扉を閉めた。
     閉まった扉の先を見ると、肌の露出面積の多い男性や女性が多くいて卒倒しそうになるのを天彦のジャケットを掴むことで何とかこらえる。その中の一人が親しげに天彦に話しかけてきた。

    「ごめんなさいね、天彦。急に頼んじゃって。……あら、随分可愛い男の子じゃない。私が食べてもいい?」
    「急に頼まれることは大丈夫ですが、理解さんを食べるのはだめです。この方は僕の恋人ですから」
    「えー、つれないのね。でも、天彦が初めて連れてきた恋人だから見逃してあげるわ」

     胸元が大きく開いた女性に顔を覗き込まれて体がこわばるが、その直後に天彦に抱き込まれる。いつもの嗅ぎなれた天彦の香りが鼻をくすぐって、胸元に顔を埋めてそっと大きく息を吸いこめば緊張が少しほぐれた。離れて行った女性の顔を一瞬見た後、天彦を見上げる。理解の頭をゆるく撫でて笑んだ後、それでは、僕は更衣室に行ってきます、と言われた。さすがに更衣室までついていくのは忍びない。

    「流石に更衣室についていくのは失礼だと思うので天彦さんが戻るまで待っていようと思うんですが、どこで待っていたらいいですか?」
    「そうですね……ここ、なんてどうでしょう?」

     体を離した代わりに手を繋がれて連れていかれた先は、ポールが中心にそびえたつ舞台の正面最前列だった。天彦が家でよくポールダンスを踊っているため恐らくここでそれをやるんだろうな、と合点がいった。

    「えぇ、分かりました。ここで待っていますね」
    「てっきり断られると思っていましたが……やはりあなたはとんでもなくセクシーですね。すみません理解さん、首筋を出してもらってもいいですか?」
    「えぇ、いいですけど……」
     
     首元のタートルネックをまくり上げれば、しゅ、という音とともになにか冷たいものが吹き付けられる感覚がした。急な冷たさに思わず体が跳ねる。

    「ちょっと、なにしたんです!」
    「悪い虫が寄り付かないようにするための虫よけです。では、また10分後ぐらいに会いましょうね」

     ごすごすと首筋をこすられてから、投げキッスとともに店の奥へと消えていく天彦を見届けた。近くに何もないので上の方でくるくると回る赤や青や紫の光を見ていると、理解の周囲に続々と人が集まってきた。5分ほど経つごろには、もう理解が入ってきた扉が見えなくなってしまった。
     がやがやとにぎわう周囲が、ライトが消えると同時に静かになった。か、と照らされたステージの上を見れば、不思議な音とともに舞台袖から天彦が現れる。いつものきっちりとした服装とは違い、露出度の高い服装になっていてとんでもなく目に毒だ。普段家で踊る時にはよく全裸になるため天彦の素肌は見慣れているはずだが、白と紫の光で肌が照らされて見慣れない様子になっているため倒れそうだ。

    「皆さん、今日は僕のために集まってくださってありがとうございます。今夜は存分に楽しんでいってくださいね」

     こちらを誘うような手つきと目線、腰遣いで天彦が舞台の下を見回す。そのままポールに手をかけて踊り始めるも、いつも見るものとは明らかに違う動きで混乱する。ポールの周りや上でくるくると回る天彦の目が、はっきりと理解をとらえた。心臓が掴まれたようにぎゅっと締まる。周りを見つつこちらに近づいてきて、ばちんとウインクをされた。その瞬間に、理解の意識もばちんと音を立てて飛んだ。


    「理解さん、大丈夫ですか。理解さん」

     がくがくと体をゆすられる感覚で目を覚ます。心配そうな顔の天彦が目に入った。天彦の手を借りてゆっくりと体を起こせば、見慣れた理解の部屋が後ろに見える。意識が飛ぶ前にいたあの空間からどうやって帰ってきたのだろう。

    「天彦さん、理解はどうやって帰ってきたんですか……?」
    「理解さんが倒れてしまったので、ショーを途中で止めて連れ帰ってきました。すみません、やはりまだ早かったですね……」

     はは、と苦笑する天彦の顔には反省と後悔の念が浮かんで見えた。連れて行ってほしいと頼んだのは理解なのにもかかわらず、だ。天彦の顔を両手でぐっ、と掴んで、天彦の瞳をじっと見つめた。

    「今回のことは、理解がお願いしたことです。天彦さんのせいではありません。私が、自分の力を過信した。それだけの事。あなたが罪悪感を抱く必要は全くありません。いいですか」
    「は、はい。分かりました。ですが、いいと言ってしまった僕にも落ち度はあるように思うんですが」
    「それを聞いたのは私です。天彦さんの責でもあるかもしれませんが」

     自分の責だと言う天彦に折れて一部はあるということにしてしまった。しかし、今回は倒れてしまってすべてを見られなかったが、天彦の職業への好奇心はいまだに大きいままだ。それに、どう帰されたのか、どう説明をつけて帰ることにしたのか天彦に聞いても返事をごまかしてくるのであそこに居合わせた人たちに直接伺いに行きたい。

    「ねぇ、天彦さん」
    「はい、なんでしょう?」
    「もう少し時間が経ったら、また理解のことを連れて行ってくれますか」

     一瞬あっけにとられたような顔をした後、笑顔になって言葉が返ってくる。

    「えぇ、もちろん!」

    ダーズンローズと6つの煌めき
    「理解君、誕生日おめでとう!今日は理解君の命令を何でも聞いてあげるから、どんどん命令してね!理解君ただでさえ普段命令してくれないんだから、今日ぐらい命令しよう!こき使おう!」

     朝に住人たちを叩き起こした後、一足先に起きて朝食の準備をしていた依央利からとんでもないことを言われる。なんてことを言い出すんだこの人は。奴隷契約にはサインと捺印をしてしまったが、その権限を利用する気なんてさらさらない。秩序を乱すどころの騒ぎではない。

    「ありがとうございます、依央利さん。命令はしません。いつも通りで大丈夫ですし、むしろ私も手伝いましょう。これを持って行けばいいんですか?」
    「ちょっと!僕の負荷を減らさないでよ!理解君は座ってて!」

     依央利にぐいぐいと肩を押されて、誰かの誕生日の時だけ作られる誕生日席に座らされる。絶対そこから動かないでね、絶対だからねという念押しをくらってしまったので仕方なく座って後ろで料理をする依央利を眺める。相変わらず実に手際がいい。やろうとしていたことを剝奪されてしまったのでぼんやり朝食ができるまで眺めることしかできない。なにもしない穏やかな時間を過ごしていると、目の前が急に真っ暗になる。

    「だーれだ!」
    「テラさんでしょう?こういうことをするのはテラさんしかいませんし、そもそも声が明らかにテラさんです」
    「やっぱり分かっちゃう?テラ君って顔が見えてなくても美しいから仕方ないよね」
    「いやそうじゃないですけど……」
    「うそだぁ。あ、誕生日おめでと。じゃね~」
    「あぁ、はい、ありがとうございます」

     ちゃんと理由を言ったのにも関わらず、テラが美しいからということにされてしまうのはなんとも遺憾だ。でも本人がそれで良しとするのなら、そっとしておくのが一番だ。もう理解の元を離れて冷蔵庫に映るテラに夢中になっている。ちょっと、あっちでお願いします!と依央利がテラを押しのけようとしながら騒いでいる。
     テラが渋々リビングにおいておる鏡を眺めに移動したところでかすかに右肩に何かが振れる感覚があった。右を振り向くと、薄水色のビニール袋が見えた。

    「えぇっと……大瀬君ですか?」
    「は、はい……誕生日、おめでとうございます。こんなクソ吉からのプレゼントなんていらないかもしれませんが、よかったらどうぞ……」
    「おぉ、ありがとうございます!嬉しいです。大切にしますね」
    「ひえぇ……眩しすぎる……」

     プレゼントは白を基調とした栞で、よく本を読む理解にとってはありがたい品物だった。率直にお礼を言っただけでビニール袋を手で引っ張って悶えている大瀬をどうするべきなのか困っていると、大瀬のビニール袋が後ろからオレンジの袖に取り上げられる。大瀬があぁ!という声を出して後ろにいるふみやをねめつけている。ビニール袋を掴んだまま冷蔵庫の中のケーキを取り出し、フォークと一緒に戻ってきたふみやが理解の右前の椅子に座り、ケーキをこちらに渡すことなく話しかけてくる。

    「誕生日おめでと、理解。これ、お祝いのケーキな。しっかり見とけよ」
    「は、はぁ。ありがとうございます。ですが、見とけとはどういう?くれるんじゃないんですか?」
    「うん。これは俺が食べる。美味い」
    「あっ本当にくれないんですね。あともうすぐ朝ごはんなので、おやつの時間まで冷蔵庫に戻しましょう」
    「もうこんだけしかないから戻しても意味ないよ」
    「早!?もうないし!ちゃんと朝ご飯も食べるんですよ!」

     恐らく誕生日ケーキは別にあるのだろうが、堂々と目の前でケーキを食べられるのはなかなかいい気分ではない。それに朝ごはん前だ。だがまぁ、あの時偶然出会ったカフェでもとんでもない量のケーキを食べていたし、ふみやからすればなんら問題ないのだろう。ふみやが皿とフォークを戻して依央利にとがめられているところを見ていると、どかどかと大きな音を立てながらこちらに向かってくる足音があった。ほぼ確実にあの男だろうなと思っていると、案の定なでしこ色の髪が現れた。
     
    「おはよう、猿。朝は穏やかに過ごすものだ。足音をもう少し小さくしたらどうなんだ」
    「うるせぇ。俺に指図すんじゃねぇ」
    「あっ、おはよう猿ちゃん。朝ごはんもうできるから、座って待っててね」
    「はぁ?俺は座らねぇ。立ってる」
    「もう、素直じゃないんだから。それに今日は理解君の誕生日だよ、おめでとうぐらい言ってあげたら?」
    「ぜってぇ言わねぇ。なんで俺がこいつに言ってやらねぇといけねぇんだよ」
    「どうせ言うことになるんだから言ったらどうなんだ猿」
    「知るか、俺は言わねぇ。そんなのめでたくもなんともねぇだろうが」
    「じゃあ猿川君はお祝いの言葉言わなくていいよ」
    「はぁ!?言ってやらぁ!理解!誕生日おめでとう!今年もいい1年にしろよ!……って、あぁ!言っちまった!」
    「毎回やる意味ありますこれ?」

     猿川の反発を利用して祝いの言葉を引き出したが、これまで聞いた祝いの言葉の中で最もまともなものだ。猿川自身、理解に対する祝いの気持ちはしっかりと持っていたのだろう。
     6人中5人が集まったこの空間はなんともにぎやかになって、いつも通りの騒がしさが戻りつつあった。しかし、1人かけているとそれだけで違和感があるものだ。それが自身の恋人だとなおさら違和感は大きい。きょろきょろとあたりを見回す理解に気づいたのか、依央利が気を利かせて部屋にいるだろうから迎えに行ったらどうかと勧めてくる。その言葉に甘えて、いつの間にか首から下げられた今日の主役という派手な襷と頭にのせられた三角ハットとともに天彦の部屋へと向かう。
     天彦の部屋の前はなんとも静かだが、部屋の中に確かに人の気配があった。ハットを取って、ノックを3回。は、はい!という上ずった声を確かに聞き届けてからドアを開けた。なにやらがたがた騒がしいが、そんなこと気にしていられない。あの調子だとあと5分ほどで朝ごはんが完成するはずだ。ドアを開けると、かっちりとしたスーツに身を包んだ天彦が少し乱れた髪とともに片膝をついて出迎えた。

    「理解さん、お誕生日おめでとうございます」
    「はい、ありがとうございます。それで、あの、これは……?」
    「ずっと、貴方の誕生日を心待ちにしていました。どうしても、伝えたいことがあって。まずは、これを受け取ってください。僕は、貴方のそのまっすぐな愛に答えると誓います」

     理解の目の前に、一本のバラが差し出される。真っ赤でみずみずしく、実に美しいバラだ。よく分からないままに理解がそれを受け取ると、満足そうに2本目のバラを差し出しながら言葉を紡ぐ。

    「貴方のその正しさを、僕は深く信頼しています」

     2本目を受け取ると、3本目が差し出される。

    「貴方の25年と、その将来をかけた誠実な愛に僕は必ず答えると誓います」

     4本目。

    「貴方の切り開く栄光に溢れる未来を、僕は隣で見続けると誓います」

     5本目。

    「貴方のたゆまぬ努力の美しさを絶やさぬように、貴方を支えます」

     6本目。

    「貴方のその理念を守った行動を深く尊敬しています」

     7本目。

    「貴方の背中は、僕が道を外れそうになった時に引き戻してくれる希望の光です」

     8本目。

    「貴方の熱い情熱と志に、強く惹かれたのをよく覚えています」

     9本目。

    「僕の毎日は、貴方への感謝の気持ちでいっぱいです」

     10本目。

    「僕は、貴方と一緒に居られてとても幸福です」

     11本目。

    「貴方の愛情に答えると同時に、貴方に深い愛情を送り返すことを誓います」

     12本目。

    「これで最後です。この僕、天堂天彦は、理解さんを永遠に幸せにすると誓います」

     12本目のバラを受け取ると同時に、バラを握る手を天彦の両手が包む。そしてそのまま、天彦の唇が手の甲に触れる。何が起こっているのか理解にはよく分かっていなかったが、それでもこうやって12個の誓いの言葉を立ててくれたという事実がとてもうれしかった。

    「最後に、理解さんに1つやってほしいことがあるんですが、いいですか?」
    「は、はい。何をすればいいんでしょう?」
    「今僕が渡したバラの中から一本、僕に返していただきたいんです。どれを返すのかは、理解さんにおまかせしますので」
    「分かりました。どれにしようかな……」
    「ふふ、どれでもいいんですよ」
    「じゃあ、これにします。一番最後のバラです。これが一番きれいですから」
    「それを選んでくださるんですね。あぁ、僕は幸せ者だ。キスをしても?」

     立ち上がってはにかんでいる天彦はこの上なくうれしそうで、幸せそうで、理解の顔も自然とほころぶ。こくりと確かに頷くと、天彦の手が顎に添えられる。そのまま白郡色が目の前に迫り、ちゅ、と少し乾いたやわらかい唇が触れた。いつもより少し長いそれは、冷えた朝に2人の温度を合わせるには十分なものだった。唇が離れてすぐ、天彦の腕に抱きとめられる。

    「僕は、貴方を永遠に幸せにすると誓います。理解さんを愛しています。理解さんさえよければ、今日一緒に指輪を買いに行きませんか」
    「いいですよ、是非行きましょう。私も、天彦さんを永遠に幸せにしますし、あ、あいして、います」

     理解が抱きしめ返したことでさらに強くなった天彦の腕が少し苦しいが、それも気にならないほどに多幸感に満たされていた。

    「理解君、天彦さん!朝ごはんができましたよ、降りてきてくださーい!」

     依央利が下から呼ぶ声が聞こえる。まだもう少し2人でこうしていたいが、襷が主張するように今日の主役は理解だ。理解が下りないことには、朝ごはんを食べることすらままならない。でももう少しだけでも長く触れ合っていたくて、どちらからともなく恋人繋ぎをする。天彦の中指についているリングが理解の指に当たって、今日の午後に思いを馳せた。このままリビングに入ると、きっと皆に騒がれるのだろう。ただ、それでもかまわないと思えるぐらいには、この手を離すことはできそうにない。そして。あぁ、今日はきっと素晴らしい1日に違いない!

    「はい、今行きます!」

     恋人繋ぎで歩みだしたその足取りはとても軽い。この後の18時間は、きっと私にとって最高の宝物になるだろう。

    六法全書をちゃんと止めたテラ君、偉くない?
    「その、天彦さん。今日って」

     朝一番に叩き起し、部屋の中に入り込んでそう言った理解の顔はどこか期待したものだ。それも仕方ない、今日はふたりが付き合い初めて1年の記念すべき日だ。ただ、察して欲しいのだろう理解の言い方が、天彦の加虐心を煽ってしまった。

    「今日、ですか。何かありましたっけ?」

     せっかくだし、もうちょっと泳がせてもいいかもしれない。朝に渡す予定だったプレゼントは夜に渡すことにしよう。何があるのか分からない、という顔をして聞けば、明らかに傷ついた顔をうかべた後にホイッスルを耳元で鳴らされる。朝イチにそれはキツイ。

    「理解さん、朝イチの耳元の笛はセクシーではありません……天彦の鼓膜がイきます」
    「わ、忘れたのか……!?あんなに話したというのに!?嘘だろ……んんっ。天彦さん、本当に思い出せないんですか?」
    「え、えぇ。全く……?」
    「なら仕方ありません、理解が思い出させてあげます。今日一日はそのつもりなので、重々承知の上でお願いしますね」
    「はぁ、承知しました」
    「では、理解はほかの人たちを起こしに行ってまいります」

     やけに張り切って部屋を出て行った理解はそのままの状態でほかの部屋に突撃してほかの住人を起こして回ったらしく、朝食の時に理解以外の全員から何をしたんだお前という視線を向けられる。ものすごくいたい。もし視線が具現化していたら天彦の全身に突き刺さっている。それはそれでセクシーでいいかもしれないが。
     秩序、秩序といつも通りの不思議な足音を響かせながら理解が出て行ったとところで5人に一瞬で囲まれた。

    「ちょっと天彦、説明しなさいよ!なんか今日の理解やけに張り切ってるんだけど何したわけ!?」
    「いや、僕は特に何も……」
    「何もしてなくてああなる訳ないでしょ!?白状しなさい天堂天彦!」

     天彦に掴みかかろうとするテラを4人がかりで抑える姿を他人事のように見ながら今朝のことを思い返す。確かに理解が部屋を出るときに張り切る要因を作ってしまったかもしれない。

    「すみませんテラさん、心当たりあります。ほぼ確実に天彦のせいですこれ」
    「だと思った!で、なにしてああなったの?」

     解放されたテラと残り5人に詰められながら今朝のことを説明すると、猿川がうげぇと声を上げて部屋へと戻っていった。残っている4人もお前のせいじゃないかと言わんばかりの顔を向けてくる。しかし今回に関しては完璧に天彦のせいなため言い逃れもできず4名の視線を甘んじて受け入れる。

    「で、なにもされてないのに理解は出掛けてったってこと?」
    「そうなりますね」
    「変なの」
    「変じゃないです、きっと理解さんには何か素晴らしい案があるに違いありません」
    「いや変だろ」
    「変じゃないです」
    「は?」
    「は?」
    「まぁまぁ二人とも落ち着いて!で、天彦さんはどうする予定なの?理解君なんとかしてよね」
    「どうするもなにも、忘れていることにしてしまったので追いかける訳にもいきませんし、おとなしく家で待つことにします」
    「じゃあ今日の昼飯要らないのは理解君だけかぁ。りょうかーい」

     いまだにいがみ合っているふみやと大瀬、そしてるんるんしながらキッチンへ向かった依央利を横目になにか考え込んでいるテラを眺める。一番初めに話したきり、ふみやと大瀬のいがみ合いにも関わらず何かを考えこんでいるテラが少し怖い。その怖さを払拭するためにテラに声をかけようとしたところでテラがやっと口を開いた。

    「なーんかろくでもないことになりそうな予感がするからテラ君ちょっと出かけてくるね、お昼はいらないから」
    「えー、負荷減っちゃった。でも分かりました、行ってらっしゃーい」
    「ん、行ってきまーす」
     
     ひらひらと手を振って出ていくテラにろくでもないこととは何なのか聞こうにも出遅れてしまった。扉にカギがかけられる音を聞き届けながらなにもすることがなくなったので自室へと戻った。


     4人で昼食を取り、理解の言う門限近くになって理解とテラが2人で戻ってきた。なにやら騒がしい玄関にむかって出迎えをすると、理解が何かを後ろ手に隠したのが見えた。

    「おかえりなさい、2人とも。おや、理解さんは何か買われたんですか?」
    「い、いえ、なにも。それよりもうお風呂の時間でしょう、今日の一番は天彦さんなんですから、早く入って来てください」

     そう言いながら紙袋が背中に当たる感覚とともに階段の方へ押し込まれてしまった。理解はもうリビングの方へと歩み始めてしまったので、階段を抜け出して玄関にいまだ立っていたテラの方へ向かう。

    「テラさん、理解さんはいったい何を買ったんです?セクシーな反応だったので気になるんですが」
    「やっぱり面倒なことになりかけてたから優しいテラ君があれだけにするように言ったんだよ。優しすぎる。やっぱりテラ君って優しくて無欠。しかも美人。知ってたけど」
    「テラさん、それだと何を買ったのかさっぱりわからないです。天彦気になります」
    「僕からいうのも野暮だし本人に聞いたら?あ、でもご飯の後にしてね、見たくないから」
    「よく分かりませんが分かりました。夜のお誘いをすることにします」

     うわぁという顔をしながらそそくさと玄関から立ち去ったテラを見送って彼氏の言うことを聞くべく部屋へ戻る。下着とバスローブを引っ張り出して落ちないように抱きしめる。理解にはバスローブ姿を見られるたびに破廉恥だふしだらだと言われるが、もう10年は続けている寝間着だ。今更変える方が難しい。きっと今日も騒がれるのだろうな、と思うと笑みがこぼれる。鼻歌を歌い出したい気分のまま風呂に入るために階段へと戻った。


     風呂に入ってご飯を食べた後にはもう理解の持っていたプレゼントのことを忘れてしまっており、一体何だったのかを確認するべく夜の誘いをかける予定ごと忘れていた。いつものように住人たちに断られつつもセクシーだのエクスタシーだの言っていると、理解から八時半だから全員部屋に向かえ早く寝ろというクレームが入る。猿川がたまにこれに反発しては無理くり押し込まれているのを見ているので全員渋々従って部屋に戻る。部屋に戻って明日のショーの準備をして終わったのが十時頃。かなり遅くなってしまった。理解に渡すためのプレゼントも、本人が寝てしまっている今持って行っても意味がない。ガラス張りの棚の中にしまい込んで、円形ベッドのなかに潜る。結局今日、理解が分からせるために何かしてくることはなかった。あぁ、そういえば理解も何か買っていたな。何だったのだろう。明日にでも聞いてみようか。そう考えながら意識を暗闇へと落とし込んだ。

    「ん、ぅ……?」
     
     なにか、あしもとにいわかんがあるきがする。時計を見ると11時半。寝始めてから1時間半しかたっていない。違和感の正体を確かめるべくぼやけた頭で布団の上をのぞき込むと、そこには白色の髪があった。寝起きなのも相まってまとまらない頭をなんとかフル回転させる。どうしてこの男は彼氏の布団に上がっているのか。これは据え膳だと認識していいのだろうか。だがしかしこの男にかぎってそんな意味で上がってくるはずがない。これは理解を起こして確認する義務がある。万一据え膳ならおいしくいただきたいし。

    「理解さん、起きてください。りかいさーん?」
    「んむ……なんだ、やかましいぞさる……」
    「えぇ!?僕は猿川くんじゃないですよ理解さん!天彦です!起きてくださーい」
    「んぐ、あまひこ、さん?……あああ、天彦さん!?」

     起きた瞬間にベッドから勢いよく抜け出したあたり、据え膳ではなかったらしい。だが、そんな反応をされると少し傷つく。ベッドの中のぬくもりを手放したくないとわめく本心を噛み潰して理解の元へ向かう。寒い。

    「理解さん、さすがにそんな反応をされると天彦傷つきます。あと寒いのでベッドの上で話しませんか」
    「そ、そうですよね、すみません……まさか寝落ちてしまうと思っておらず……お見苦しいところを見せてしまいました」
    「天彦的には理解さんの寝顔が見れて嬉しかったのですが」
    「はぁ!?」
    「そうなりますよね。ベッドに座って話しませんか、そっちの方が寒くないですよ」
    「分かりました。し、失礼します……」

     おずおずと距離を離して座る理解の肩を抱き寄せて無理矢理近づける。もうこの距離で座れるようになったのだから許してほしい。それと、寝起きのせいも。は、は、と口を開閉する理解が落ち着くのを待ってから用件を聞き出す。ちなみに現在時刻は11時45分だ。

    「それで理解さん、どうしたんです?天彦に何か用事でも?」
    「天彦さん、私が今日の朝に言ったことを覚えておいでですか」

     目を見ながら詰問のように質問をされて、16時間と少し前のことをなんとか思い出す。そういえば、付き合って一年目の記念日をはぐらかした結果思い出させると言われたのだったな。

    「今日が何の日だったか思い出させると言われたはずですね」
    「そうです。本来はもっと早く帰宅する予定だったのにテラさんにダメ出しを何度も食らってしまって遅くなってしまったので叶いませんでしたが」
    「あぁ、そうだったんですか。それで、何をしてくださるので?」
    「え、っと、こちらを受け取ってください」

     理解にベッドの側から取り出した紙袋を差し出される。これは、帰ってきたときに理解が持っていたもので間違いないはずだ。まさか、天彦用のプレゼントだったとは。何が入っているのか、期待に胸が高鳴る。

    「開けてもいいですか?」
    「はい、どうぞ」

     こく、と頷いて返事をした理解を確認して紙袋の中身を出す。中に入っていたのは香水で、香りの詳細が示してある紙も同封してある。普段天彦が好んでつけている香りとは真逆の甘めの香りのようだ。おそらくオーダーメイドだろうその香水は天彦のお気に入りの店のものである。

    「これ、もしかして僕のためにオーダーメイドで作ってくださったんですか?ふふ、嬉しいです。早速明日つけますね」
    「それと、その、これも、受け取ってください」

     恐る恐る差し出された小箱は、理解のポケットから出されたものだ。そんなところに入れてもいいものなのかそれは。恋人の物の管理に一抹の不安を覚えつつ小箱を受け取って目線で開けてもいいか尋ねる。頷かれたので開くと、指輪が入っていた。太めのものに、美しい刻印が入っている。天秤モチーフだろうか。右手の中指、いつも指輪をつけているところに無意識に持って行くとぴったりとはまった。いつの間にこんな粋なことを。

    「最高のプレゼントです、ありがとうございます理解さん。これは天秤をモチーフにしているんですか?」
    「はい、そうです。はじめはもっと違うデザインのものにしようと思っていたんですが、テラさんに止められてしまって」
    「そのデザインもきっと素晴らしかったんでしょうね。今度二人で見に行きましょう。それにしても、よく僕の指のサイズが分かりましたね」
    「天彦さんが風呂に入っている間にこっそり調べさせてもらったんです。まぁ、よく分からなかったので依央利さんに手伝ってもらったんですが……」
    「理解さんが天彦のために頑張ってくださった事実だけで天彦は十分嬉しいです。それと、僕からもこれを受け取ってもらえますか」

     棚にしまっていたプレゼントを出して理解に差し出す。開けていいですよ、と促せばしゅるとリボンをほどいて丁寧に包装を開く。こういう几帳面なところがかわいいなと思うほどには理解にのめり込んでしまっている。理解のために準備したプレゼントはホイッスルと万年筆だ。わぁ、と目を輝かせて喜んでくれる理解を見て、これを選んで正解だったなと強く思った。

    「こ、これ、どうして」
    「あと5分で終わってしまいますが今日が付き合って1年目でしたから。そのプレゼントです」
    「もしかして気づいてたんですか」
    「気づいてました。何なら分かった上であの反応しました。理解さんがあまりにもかわいかったもので」
    「ほんと、貴方という人は……!……来年は、しないでくださいね」
    「はい、来年は2人でデートしましょうね」

     起こりかけたところをなだめるために頭をなでてやるとおとなしくなる。拗ねた顔で上目遣いで見てくるその姿があまりにかわいくて、来年の天彦に絶対しないように念を押す。12時を針が回ると同時に途端に眠気が襲ってきたのか、理解がふらつき始めたのでそのまま天彦の布団の中に入れる。向き合って2人で笑い合い、そのまま初めての添い寝をした。


     次の日5時。耳元ではぁ!?という理解の大声をアラーム代わりにたたき起こされた天彦は理解が騒ぐのも無視してそのまま二度寝をした。30分だけだが。5時半に結局もう一度起こされて全員で朝食を取る前に理解にもらった香水をつける。目の前に座った理解の胸元には昨日天彦が送ったホイッスルが揺れている。急に変わった2人の一部に住人全員が気づいて困惑している中、一部の事実をもとに想像によってそのほかが補完されたテラだけがよそでやれよ……とつぶやいた。

    第1回☆あまりか全派生合同コンパ!
     誰かに肩をゆすられる感覚がする。ゆるゆると目を覚ますと、目の前に天彦の顔が見えた。へぇっ!?と情けない声が出るが、それ以上に天彦の後ろに広がる光景が真っ白で無機質な壁ばかりで、理解自身の部屋でも天彦の部屋でもないのが確認できてしまったことが恐ろしい。いったいここは、どこなのだろうか。

    「理解さん、やっと起きてくれました。大丈夫ですか、何か体に違和感などはありますか」
    「いえ、特にありませんが……」
    「それはよかった。それにしてもなんなのでしょうねこの空間は」

     状態だけ起こしていた状態から立ち上がり、周囲を見回す。理解が倒れていた横にはテーブルと10脚の椅子、それとテーブルの上に料理が並んでいた。料理は和洋中と多種多様に並んでいて、湯気が立っている。実に美味しそうだが、こんな異様な空間のものを食べるわけにはいかない。天彦が扉を見つけ開けようとしたものの、開く気配は全くなかったようだ。どうするべきかと二人で悩みこんでいると、2人が立っている場所の反対側でどさっという音が鳴った。
     音の鳴った方へ向かうと、馬の調教師のような格好をした男と、重く艶めくコートに身を包んだ男がいた。この空間を見回した後に、調教師のような服の男がコートの男に何やらまくし立てている。

    「な、なんだここは……。性、貴様!またなにか珍妙なことに我を巻き込んだな!いい加減にしろと何度言えば分かる!」
    「待て、秩序。此度のことに関しては我は何もしておらん。冤罪だ」
    「ならばなぜこのような奇妙な場所に我がいるのだ!」
    「分からぬ。……む、誰かいるではないか。どちらの信者だ?」

     性と呼ばれた男と秩序と呼ばれた男に認識されて心臓が跳ね上がる。背筋が硬く伸びる。こちらを見られた瞬間に気づいたが、明らかに人間の枠を超えた存在だ。対話するのでさえも恐ろしい。ただ、自分たちはどちらの信者でもない。それを否定するべく、まともに震えない声帯をなんとか震わせた。

    「わ、わたしは、どちらのしんじゃでもない、です。あまひこさんも、おなじです」
    「む、そうなのか。……よく見れば紫の髪の貴様、我に似ているではないか。もしや名は天彦か?」
    「え、えぇ、そうです。天堂天彦と申します」
    「そうか、貴様が。こうして会うのは初だな。我は性のカリスマ。貴様のカリスマを担う者だ。よろしく頼む」

     性のまとうオーラが先ほどまでより柔らかくなっているのを肌で感じた。この程度ならば、普通に話せるかもしれない。天彦が性に差し出された手を握ってにこやかに微笑み、性と談笑している様子が目に入った。

    「あの男は性の創造主か。ならば貴様は我の創造主、草薙理解か?」
    「創造主、というのはよく分かりませんが、私が草薙理解です」
    「ふむ、確かに似ているな。我は秩序のカリスマ。貴様のカリスマを担う者。我らも仲良くしようではないか、理解よ」

     秩序のオーラも柔らかくなったのが分かる。ここまで落ち着いた状態ならば、普通に行動することができそうだ。秩序から差し出された手を握って、この場所についてわかっていることなど、量は少ないが情報共有を行う。部屋のどこにも変化はない。性と天彦の二人とも合流して今後の方針を決めようとしたところで本日二度目の落下音が鳴った。四人でその場所へ向かうと、カラーサングラスをかけて緩い上着を着た男とWSAと胸元にタトゥーが入ったバラ柄の服を着た男がいた。先ほどの二人と同じように、周囲を見回してからこちらを認識する。

    「な、なんだここは……天彦、ボスとの連絡は?」
    「取れないな。理解もダメなのか」
    「あぁ。で、こいつらはなんだ?敵組織の類か?」

     先ほどとは違う怖さの含まれたいぶかしげな視線を向けられる。ただ、先ほどのことで慣れたのか、全く話せないほど怖くはない。

    「私は、草薙理解。敵組織などではありません。この方は秩序のカリスマさんです。あなた、なんなんですかその服装は、秩序が乱れています。そのサングラスを外すところから始めてはどうです」
    「草薙理解だと?私と同じ名前じゃないか。あと、このサングラスはボスからもらったものだ。外さない。……まぁ、敵でないのなら構わない。よろしく、理解、秩序」
    「同じ名前なんですね。じゃあ、なんてお呼びしたらいいですか?」
    「草薙と呼んでくれ」
    「信じられん、外さんなど。秩序が乱れている」
     
     草薙に差し出された手を二人とも握った後、サングラスを外そうとする秩序と草薙の追いかけっこが始まったので呆れとともに眺める。鞭を振り下ろしながら背後を浮遊されるのはさぞかし怖いだろう。横で自己紹介をしている天彦たちの話を聞くと、バラ柄の服の男も天堂天彦という名前なので天堂と呼ぶことになったらしい。
     どうにか秩序を落ち着けた草薙が理解のもとに戻ってきたころに三度目の落下音が鳴った。三度目となればどういうことなのかは分かる。音の発生源に六人でぞろぞろ向かうと、後ろに大きな円形の羽根を持つ男とリボンで飾り立てられた男がいた。

    「ここはいったい?オルガスさん、わかります?」
    「ふむ、よくわからないですね。それに、この方たちはだれでしょう?」

     全体的に緩んだ口調の二人組だ。この二人のまとう雰囲気に当てられると気が抜ける。なんとか気を引き締めていると、横の天彦が自己紹介を始めた。

    「僕は天堂天彦。天彦、と呼んでください。このコートの方が性さんで、バラ柄の服の方が天堂天彦さんです。天堂さん、と呼んであげてください。あなたは?」
    「オルガスです。となりにいるリカピュアといっしょにせかいのへいわをまもっています。よろしくおねがいします!」
    「なかなかセクシーな男だな。我とこの男との間にはシンパシーを感じるぞ」
    「確かにいい服だ。センスがあるな、お前は」

     にこにことあいさつをするオルガスを見ていると、自然とこちらも笑顔になる。天彦が恰好を崩してオルガスの頭を撫でていた。天堂と性はオルガスの手を握っている。リボンの男に目を向けると、ぱちりと目が合った。にこっと笑いかけてくる。

    「わたしは、リカピュアっていいます!お兄さんたちはなんていう名前なんですか?」
    「私は草薙理解です。この方は秩序さん。サングラスの方が草薙理解さんです。私のことは理解、サングラスの方は草薙さんと呼んでくださいね」
    「そうなんですね、よろしくおねがいします!」
    「秩序の乱れた服装だと思ったが、なかなかきちんとした人間じゃないか。気に入ったぞ」
    「そのステッキは何用なんだ?どう使うんだ?」

     リカピュアのステッキに興味を示している草薙とともにリカピュアが楽しそうに杖のことについて話しているのを聞く。どうやらその杖からはビームが打てるらしい。実際に見てみたいが、今は出せないとのことで断念した。これでこの部屋の中にいる人間は全部で八人だ。椅子は十脚だから、まだ増えるのだろうかと思っていると、大正解だと言わんばかりに四度目のどさっという音が鳴った。8人で向かうとそこにはデニム生地のジャケットとホットパンツに身を包んだ、グレーのインナーと紫のインナーの男がいた。少し前のアイドルのような服装だ。

    「うわっ、ちょっ!?どこここ!?楽屋の皆さんはどこに行ったんです!?」
    「分かりません、どこですここ?早く帰らないと……」

     二人がせわしなくきょろきょろとしていると、頭についているハチマキと羽根がふわふわゆれて面白い。オルガスとリカピュアのおぉ、という声を聞きつつ、5回目ともなれば慣れた自己紹介を天彦と同時に済ませる。

    「私は草薙理解です。この方が秩序さんで、こっちの方は草薙理解さん。あの子がリカピュアさんです。私を理解、こっちの方は草薙さんと呼んでください。あなたの名前は?」
    「みんながカリスマ、グレー担当の草薙理解です!皆さん理解さんなんですね……じゃあ、私のことはファンからの愛称である理解君と呼んでください!」
    「理解君、か。我が人間を君呼びする時が来るとは想像もしなかったが、なかなか愉快なものだな」
    「理解と混乱しそうだが、なんとか頑張るしかないか。よろしく」
    「すごい、アイドルなんですね!かっこいいなぁ」

     理解君と握手をしてこの場を収め、談笑している4人を置いて天彦と合流し、2人で話す。あの紫のインナーの男のことは天彦君と呼ぶことになったらしい。この後どうすればいいのか皆目見当もつかない。部屋の中を見回しても何も変化がない、ことはなかった。扉の上に、何か文字が増えている。
     天彦とそれが何なのか確認するために扉の近くに寄ると、ポップな字体で合コンするまで出られない部屋と書いてあり、信じられない内容に思わず声が出る。合コンの内容は理解でも知っている。たまにニュースで学生がアルコール中毒で……などと書かれているのを見るからだ。その時に分からなかったので先生に教わった。意味を知った時に当然だが叫んだ。
     閑話休題。叫んだことによってほかの8人が何事だと集まってくる。集まってきた8人に事態を説明すると、カリスマの二人は呆れ、なにかの組織の二人は疑問などの四組四様の愉快な反応が返ってくる。ひとまず天彦の指示で理解と天彦、性と秩序のように落ちてきた順で座った。

    「合コン、だそうですけど。生憎理解さんと僕は付き合っているのでお渡しできないんですよね」
    「む、偶然だな。我と秩序もだ」

     天彦のその言葉を皮切りに、落ちてきた全員が一緒に落ちてきた相手と付き合っているらしいことが判明した。これでは合コンとしての体をなさないのではないか。そう思って天彦の正面の天彦の方を見る。

    「合コンは、以前説明した以外にも単に飲食と会話をするだけの目的で集まることもあるんです。あの時は、理解さんが聞いてくださらなかったので説明できませんでしたがね。なので、そんな顔をする必要はありませんよ」

     どんな顔と勘違いされたのか分からないが、ひとまずこの部屋を出るための目的は達成できそうで何よりだ。だが、飲食と言ってもここの食べ物は食べてもいいものなのだろうか……そう考えこんでいると、何やら周囲が騒がしいことに気づく。斜め前を見ると、性がテーブルの上に置いてあるパンを食べているのが見えた。

    「性さん、よくわからないところのものをたべるのは、ダメなことなんですよ。秩序がみだれています。やめたほうがいいとおもいます」
    「だが、空腹なものは仕方ないだろう。信者も存在しないこの空間でどうやって腹を満たせと言うのだ」
    「確かにそうだが、毒が入っていたらどうするんだ。ここには医療班もいないんだぞ。性が死んだところで気にはしないが、僕が死んだようで不快になるからやめてくれ」
    「毒は入っておらん。現に、我は死んでおらぬだろう。貴様らも食うと良い、なかなか美味だ」

     パンでテーブルの上の食事を指す性に誘われたのかお腹がすいていたのか、天彦が目の前に置いてあったチャーハンを食べる。あまりに美味しそうに食べるものだから、理解もつい手が伸びてしまって、目の前の肉じゃがを食べる。これは確かにおいしくて夢中で食べていると、気が付いた時には全員食べていた。ただ、飲食をするだけではこの部屋は開かないらしく、開錠音が響くことはなかった。
     それはつまり、会話をしないといけないということ。ついさっき会ったばかりの人間と話すのはなかなかしんどいものがあるが仕方がない。何を話すべきなのか、正解が全く分からない。だが、他の天彦たちと話してみたいという気持ちはある。なにか、他者の介入の無い運で物事を決められるもの、簡単に言ってしまえばくじのようなものがないかとあたりを見回すと、ちょうど理解が落ちてきたあたりに箱があった。その箱の中には五種類の理解の名前が書いてあり、用途が分かってしまった。箱をもってテーブルに戻れば、後期の目にさらされる。

    「こんな箱がありました。中には私たちの名前があるので、恐らく天彦さんたちがくじを引いてペアを組む用に使えということだと思うんですが……」
    「いいんじゃないか。このままでは会話するにも難しい。それに、えー……天堂以外の天彦とも話してみたいしな」

     10人全員が頷いているのを確認して、天彦に箱を手渡す。全員が引いてから紙を開く。理解のところには天彦君が来た。

    「みんながカリスマ、紫担当の天堂天彦です。今夜はご指名ありがとう。理解さんを引いたのは僕なので、迎えに来ました」
    「迎えに?」
    「はい。さすがにここで話すのは気まずいでしょうから。性さんと秩序さんは全く動く気なさそうですし」

     天堂君が言ったことは全く持って正しかった。性と秩序がいるペアは椅子から微動だにしていない。動いていないのは性と秩序だが。ほかの2ペアはそれぞれ壁の端に移動している。天彦も端に移動していくのが見えたため、性と秩序ではなかったらしい。
     2人になって改めて天堂君の服装を見ると、なかなかに攻めた服をしているな、ということに気づく。黄色の星がきらめき、紫のハチマキと羽根が揺れている。理解君より濃いデニムのジャケットとホットパンツからのぞく足は、天彦と同じく美しい筋肉をまとっている。

    「天彦君は、アイドルなんですよね。ほかのメンバーの方も君みたいに鍛えた体をしているんですか?」
    「いえ、ここまで鍛えているのは僕だけです。理解さん……じゃない、理解君も同じメンバーですが、彼は筋肉が薄いでしょう?」
    「確かにそうですね。天彦さんも鍛えているんですよ。なので、話が合いそうですね」
    「彼も鍛えているんですか、気づかなかったな。一度お手合わせ願いたいものだ。僕と同じ顔だから少し今日は削がれますが、きっと楽しいものになるでしょうから」
    「天彦さんもたまに言うその手合わせってどういう意味なんです?先生はまだ早いと言って教えてくれないんですけど」
    「なんと、お手合わせの意味をご存じない!?なんてセクシー……エクスタシーしてしまいそうです」
    「何故!?」

     天彦君の纏う雰囲気が天彦と似ていて、とても会話しやすい。天彦君の付いているアイドルという職業に対する物珍しさから、ついそのことについて聞いてしまうが嫌な顔ひとつせず返答してくれる。そのおかげもあい、かなり話し込んでしまった。
     天彦君の職場などについて話していたがひと段落したのでこのなかなか奇抜な衣装について聞こうと思い天彦君の足元に目をやると、うすぼんやりと光っていることに気が付いた。急に光始めたことに混乱していると、その光が徐々に上へと上がっていく。かちゃん、という音が理解の耳にうっすらと届いた。

    「天彦君、この靴の光はいったい……?」
    「ん、なんでしょうそれ?特に光る設定はないはずなんですけど」
    「これ、徐々に上がっていっている気がするんですが、大丈夫なものなんでしょうか?」

     どうやらこの現象は天彦以外の8人全員に起こっていることらしく、なんだこれは、だの、どうなっているんでしょう!、だの聞こえてくる。すると、足の先の感覚は繋がっているのか、目の前の天彦君と右端の壁で天堂の前にいる理解君が体をよじる。

    「理解さん、これ絶対メンバーの方がいたずらしてきてますよね!」
    「多分私の方は猿な気がします、ちょっと痛いです!」
    「僕の方は足首をすごくくすぐられているのでテラさんあたりな気がします!」

     この光の先に転送されたであろう二人の足の先は、落ちてきた時に言っていた楽屋に繋がっているようだ。なら、恐らくほかの6人も問題ないだろう。もう太ももまで光に包まれた8人をぐるりと見まわす。会話自体はあまりしなかったが、とても楽しい時間を過ごすことができた。充実感に満たされる理解の肩が軽く叩かれる。目の前を見ると、天彦君がもう胸元まで消えている状態だった。

    「じゃあまたね、理解さん。また会えるか分からないけど、次を楽しみにしてますね」
    「はい、私も楽しみです。是非またお会いしましょう」

     お互いにひらひらと手を振って微笑むと、先ほどまでゆっくり上がっていった光が一気に天彦君の全身を包み込んだ。あ、と思う頃にはもうその光は影も形もなく消え去っていた。全員が光に包まれて消えた後は先ほどまでの賑やかさはすっかり消えて、理解と天彦の呼吸音が響くのみとなった。理解の左隣の壁にいた天彦の元へ向かう。

    「天彦さん」
    「理解さん。ふふ、先ほどまで草薙さんと話していたのに、久々に理解さんとお話ししている気分です」
    「私もです。先ほどまで天彦君と話していたのに、久しぶりに天彦さんと話している気分です」
    「変なことはされませんでしたか、理解さん。例えば、こんなこととか」

     そう言いながら理解の腰に手を回し、手のひらで撫で上げられる。その手つきに明らかに情欲の色が滲んでいるのが分かって、とっさに赤面して腕を振りほどき天彦をにらみつける。

    「さ、されるわけないでしょうふしだらな!それに、天彦君にも恋人がいらっしゃいますし……」
    「ふふ、それもそうですね。すみません」
    「あ、あと、理解の恋人は天彦さんでしょう。天彦さん以外にそんなこと、されたくない、です」

     正直に思っていることを天彦に伝えると、んぐぅという蛙を潰したような声が上で聞こえる。何事だと天彦の顔を見上げようとすると手で顔を覆われて何も見えなくなる。急に司会をふさがれたことで反射で手をどけようとすると赤く染まった天彦の顔が一瞬見えて力が抜ける。
     ふぅ、という天彦の息を吐く音が聞こえ、手で覆われていた目が解放される。天彦の方を見ると先ほど一瞬見えた赤い顔は嘘だったのかと思うほどに通常通りの顔に戻っている。

    「すみません、取り乱しました。鍵も開いているようですし、出ましょうか」
    「え、えぇ、そうですね。出ましょう」

     目から離されたそのままの手で手を繋がれる。ゆっくりと握り返して二人で扉をくぐると、5時を示す時計が目の前に現れた。どうやら理解の部屋の中に出たらしい。繋いだままの手を見つめ、先ほどまでの出来事が幻想ではなく事実であることを確認する。
     一体どうしてあのような出来事に巻き込まれたのかはさっぱりわからないが、それでも楽しかったことだけは確かだ。もう一度起こらないことを願う気持ちの中、どこかでもう一度あの人たちに会いたいと思っている心の存在を見なかったことにして蓋をした。

    ふわふわのねつ
     朝5時半。いつもならきんと冷えた空気にびりびりと響き渡る笛の音と空気をつんざくおはようございます!という声が響くのだが、珍しくどちらも聞こえない。窓をたたく雨の音がやけにはっきりと聞こえる。9時にはINオフトゥンですよ、わかりましたか天彦さん。つきあってからほぼ毎晩のように言われては受け流していたその台詞を初めてとおなしく受け入れ布団に入った昨日の夜。眠そうな彼氏に手を引かれて入った部屋の中はいつも通りだったし、自分の部屋の前で解散して本人の部屋の方へ向かうところを見届けたため二人とも9時には寝たはずだが。いつもは目覚めない5時半に起きてしまったのもそれが原因だろう。
     普段は起こされているのに自分が起こしに行くというのがなんだか新鮮で、緩む口元を表情筋で抑えつつ寒さ対策のために上着を羽織って彼の部屋に向かう。理解の部屋の前に着いても特に何も聞こえないため不安になってくる。強いて言うなら小さなアラームの音が聞こえているだろうか。それにしても不思議な状態だ。いつもは仁王立ちで部屋の前に立たれているのに、今日だけは自分が部屋の前に立っている。その状況が不安ではあるものの嬉しくて、ふふ、と声が漏れる。ただ、ルーティンを大事にしている彼のために気を引き締めてドアを3回ノックする。

    「理解さん、おはようございます。天彦です。入ってもよろしいですか?」
    「あまひこ、さん?鍵は開いてますから、どうぞ入ってください……」

     いつもより覇気のない声。まだ声をかけるとどもりながら返事をする彼が初めて返したどもらない返事。そしていつもとは違って鍵のかかっていないドア。嫌な予感がする。

    「分かりました、失礼しますね」

     一応一声かけてから部屋の中に入る。ぴぴぴ、というアラーム音が出迎えた部屋の中は前に行われたルームツアーの通り、物差しで線を引いたかのようにまっすぐな部屋だ。その中心に乱れた布団が置いてある。乱れた布団……なんてセクシーなんだ……。そう思いつつ布団の横にしゃがみ布団の主に目をやるとその考えはきれいに霧散した。いつもより明らかに上がっている呼吸。それほど暑くない冬の布団の中で赤くなっている顔。こちらを伺う少し潤んだ瞳。世界セクシー大使、ワールドセクシーアンバサダーである天堂天彦には分かる。というかこの状態なら世界セクシー大使でなくとも分かる。この男、間違いなく風邪を引いている。しかし、この時間帯に理解以外の人間が住民たちを叩き起こすと何事だと大騒動になり病人の理解に負担をかけることになるのは間違いない。そうなれば仕方ない、自分が理解のために朝食としておかゆなりすりおろし林檎なりを作るのみだ。依央利にばれたら確実に面倒くさいことになるが、その時は恋人の矜持にかけて説明するしかない。
     布団の中で寒がる理解の頭を撫でて、冷蔵庫の中身を見るために立ち上がろうと足を腕に力を込める。少し腰が上がったところで緩く下に引く力が上着の裾にあることに気づく。力の出所を辿ると布団から伸びたいつもよりも赤い理解の手があった。

    「理解さんすみません。すごくセクシーなのですが、天彦キッチンに行きたいので離してもらえませんか?」
    「なんでですか、それって理解より大事なんですか」
    「そんなわけないでしょう!理解さんのために行くんですよ。起きたばかりでおなかがすいたでしょう?」
    「そんなことないです。理解は、天彦さんにここにいてほしいです。だめですか……?」

     風邪のせいで潤んだ上目遣いでそう言われてしまっては、断る理由なんてないだろう。叫びたい衝動を抑えつつエクスタシー……と脳内でもだえてから再び布団の横へしゃがみこんだ。いつもより素直な理解なんてレア中のレアだ。あぁ、やはり僕の恋人はかわいいな、と青いことを思いながら、布団に横たわる愛おしい彼の額に軽く口づけた。ふへ、と恰好を崩す姿がなんともたまらない。自分も熱に浮かされてしまったのかもしれない。だから、こうやって横に寝そべって抱きしめても仕方がない。起こしに来ない理解に違和感を覚えた住民の誰かが突撃してきて悲鳴を上げるまで、このまま恋人とともに二度寝にしゃれ込むことにした。

    ないしょの3センチ
     もう付き合ってしばらく経って、2人きりでいても理解さんが笛を吹いたり叫んだりしなくなった。こうして理解さんを足の間に座らせて、2人で本を読むことができるようになるまで成長した。付き合い始めの頃は、一生無理なんじゃないかと思ったが。今理解が読んでいる本はクリスマスプレゼントとして住人全員に配布した万葉集だ。いまだに読んでいないことがバレて、こうして読書会を開催されている。だが、万葉集の内容に興味を惹かれるものは少ない。かなり早々にして興味を失っていた天彦が目の前にふわふわと浮かぶ理解の白髪を見て、少し掬った。

    「理解さん、随分髪が伸びましたね。僕としてはその状態もセクシーなので構わないんですが」
    「最近は忙しくて、散髪に行けていないんです。だから伸びてきてしまったのかもしれませんね。切りたいとは常々思っているんですが」

     本をめくっていた手を止めて、天彦の手の上から理解が髪を撫でる。シェアハウスを始めた当初よりも伸びた髪は、刈り込んでいる黒い部分が少し下向きに垂れるほどになっていた。これ以上伸びてくれば、きっと目ざとく発見した依央利が自分が髪を切ると言い出すだろう。美容師に髪を切られる分には何とも思わないが、依央利に切られるとなると話は変わってくる。流石に知っている人間に対してだと嫉妬もする。それならば、今のうちに天彦が髪を切ってしまえばいいのではないだろうか。天才的発想だ。

    「理解さん、僕が切りましょうか」
    「何をです?」
    「髪ですよ。時間がないのなら、こうして僕と一緒にいる時間を有効活用すればいいんです。ハサミなどを準備するので、1週間後の今日でどうでしょう」
    「わざわざ悪いですよ。それに、再来週には仕事が落ち着くのでそこに切りに行く予定なんです。だから大丈夫です」
    「多分理解さんが美容院に行くより先に依央利さんが切ると言い出します。それなら先に天彦が切ります」
    「どういうことなんですか……。じゃあ、来週の今日にリビングにいたらいいですか?」
    「えぇ、よろしくお願いします」

     理解の髪を切る約束を無事取り付け、再び万葉集を読む理解を眺める。視線を感じたのかこっちを振り向いた理解にちゃんと読めと怒られてしまったので、ここからはちゃんと読むことにしよう。
     理解と万葉集を読み切り、満足げな理解が帰った後、天彦は散髪についての知識を必死に蓄えていた。切ると言ったものの、何も分からない。ひとまずネットで検索して必要だと言われているものからあった方がいい程度のものまですべて通販で頼んだ。明後日ごろには届くらしい。届くまでは切り方などをとにかく見ることにした。


     2日後。頼んだものがすべて届いたはいいものの、練習として髪を切らせてくれと言って、はいいいですよと返してくるのなんて依央利を除けば大瀬ぐらいしかいなかったので大瀬の部屋にすべて持ち込む。

    「すみません大瀬さん、急に無茶なお願いをしてしまって」
    「いえ、いいんです。こんなクソ吉の髪などすべて切ってもらっても構いません」
    「流石にそこまでしたら理解さんに怒られちゃうのでしません」

     椅子に座って覚悟を決めた顔ですべて切れという大瀬をなだめつつ、大瀬の水色の髪を手に取る。軽くてふわふわとした髪質だった。理解は硬めなため、そのあたりの違いには気を付けないといけない。髪を数個のブロックに分けてクリップで止め、1つのブロックを左手、すきばさみを右手に持つ。しょきしょきという大瀬の髪が切られる音が部屋の中に響いた。事前にある程度知識を蓄えておいたおかげか、盛大に切り間違えることはなかった。ただ、細かなミスはいくつかしてしまったのでそこだけ覚えておく。
     しばらくすきばさみの練習をさせてもらった後に、バリカンに移ろうとして気づく。大瀬の髪のどこを切ろうと依央利にバレる。使う予定だったバリカンを戻し、髪の長さなどを軽く整えて大瀬を解放した。

    「大瀬さん、ありがとうございました。だいぶ練習できました」
    「もういいんですか。若旦那は刈り込みがあるからバリカンの練習もしておいた方がいいんじゃないですか」
    「流石にバリカンを使うと皆さんにバレてしまうので……そっちは職場の方の頭を借りれたらそっちで練習しようかと思います」
    「すみません、クソ吉がこんな髪型なばかりに……お詫びに死にます」
    「死なないでくださいやめて」

     窓から飛び降りようとする大瀬を止めようと格闘しているとご飯できましたよーという依央利の声が聞こえ、それを利用してなんとか自殺未遂でとどめることに成功した。理解の散髪まであと5日しかない。


     理解との約束の日になってしまった。正直まだ練習をしたいが、夜ご飯の時に依央利が理解に向けて髪伸びてきた?僕が切りましょうか?と言っているところを見てしまったのでこれ以上は無理だと判断した次第だ。依央利が買い出しでいなくなった時間を狙って、理解の散髪を開始した。

    「それじゃあ始めますね」
    「はい、よろしくお願いします」

     大瀬の後に仲のいいお店の方数人の髪で練習をさせてもらうことができたので大丈夫なはずだ。理解の髪を取る手が震えるのを何とか抑え、ゆっくり髪を切っていく。これは、落ち着いてちゃんとやれば大丈夫。そう言い聞かせて切りすぎないように必死に髪を切る。長さを整えて、ある程度綺麗になったところでバリカンに持ち替える。バリカンは2、3回練習させてもらえたのでなんとかいけるはずだ。バリカンの長さを調整してそっと切っていく。すべてを切り終わった後にもう一度長さを確認して、理解の後ろに2面鏡を出す。

    「ふぅ、できました……どうでしょう?」
    「おぉ、すごいですね。天彦さんが実は美容師だと言われても納得できそうな仕上がりです」

     頭を左右に振って髪を確認する理解が、かわいい。喜んでもらえてよかった。2面鏡を片手に持ったまま理解にかけていた布などを外し、理解に後ろから抱き着いた。

    「ふふ、喜んでくれてよかったです」
    「ちょっ、どうしたんです急に!?」

     真横にある理解の顔が赤くなっているのが分かった。わたわたと慌てていた理解も、天彦がこうしているうちに落ち着きを取り戻して、そっと天彦の腕を抱き返してくる。そのことが嬉しくてふふ、と笑えば、理解も笑った声が耳に届いた。

    「天彦さん、今度天彦さんの髪が伸びたら、その時は理解が切ってもいいですか。私も、やってみたい、です」
    「断る理由なんてないですよ。理解さんにお任せします」

     理解から髪を切ってもらう約束ができたなんて、願ったり叶ったりだ。今日はものすごくいい日になった。バックハグをした状態のまま風呂までの時間を過ごし、順番に風呂に入り、夜ご飯を食べる。その間、だれかに理解が髪を切ったことを指摘された様子はなかった。2人だけの秘密ができてしまったな。2人だけの秘密という言葉の甘美な響きに魅了されながら、麦茶を喉に流し込んだ。

    Long ago, to this day.
     あの男が、領域内に入ってきた気配を感じる。この秩序で支配された空間に入り込む、明らかなる異物。どれだけ厳重に駒達を取り締まろうとも問答無用で入り込む、不純物。重いコートが空を切っている感覚がする。胡坐をかいた状態でふわふわと浮きながらこちらに向かってくる様さえも腹立たしい。

    「性よ。貴様何度この空間に入り込めば気が済むのだ」
    「仕方がないだろう、秩序に用があるのだから。ほら、内罰からだ。受け取れ」
    「またか、内罰め。いい加減これぐらい自分で持ってきたらどうなんだ」
    「整いすぎていて入るのが恐ろしい、近づくのでさえ躊躇われる。そう言っていたぞ。もう少し緩めてはどうだ」
    「貴様が入り込まなくなるなら考えてやってもいい」
    「なら土台無理な話だな」

     何度も当然の権利のように侵入してくる性は、秩序にとってこの上なくストレスだった。性が入り込まないように、秩序を守れる範囲内で手を尽くしてきたが、これ以上やると我が愛しの駒達が壊れかねないのでもうこれ以上はできない。駒達に停止を命じ、戻ろうとする性を呼び止めた。

    「おい、性よ。貴様、何故我の領域に何度も入り込むのだ」
    「理由などない。我は他人の領域に入ることが好きなだけだ。正邪や反発の領域にもよく行くな」
    「性よ、我は理解したぞ。貴様がそうやってふしだらにも他のカリスマの領域を渡り歩くのは貴様の領域が原因だろう。我が正してやる。連れていけ」
    「だが、秩序には少し刺激が強いやもしれん。それでも良いのか?」
    「構わん。早くしろ」

     こちらに合わせてか、胡坐を解いて性が浮遊する。ほかのカリスマに対して行っているところを見たことがないその行動で、性に対して違和感を感じた。なんだか、変な感覚だ。自分の中の秩序がどうしてかは分からないが少し乱れているのを悟り、顔をしかめた。それに気づいた性がこちらを覗き込んで心配の言葉をかけてくるのがいつもよりも気に食わない。早くしろと急かすと性が飛ぶ速度を上げたので不快な未知の感情を胸にしまい込みつつそれについていった。

    「ふむ、ここが貴様の領域か。なんて乱れた空間だ、けしからん」
    「仕方ないだろう、これが我のリビドーだ。それで、どうするつもりなんだ?」
    「そうだな、ひとまず信者を正すところから始めようではないか。信者はどこに?」
    「今はミサの最中だろう。敬虔な信者だからな」
    「ではそれは後日行うとしようか。ひとまず領域内を見せろ、改善点を探してやる」
    「相分かった。ふふ、こうしてほかのカリスマと領域内を見て回るのは初めてだ。実に気分がいい」

     くすくすと笑う性を見ていると、ここへ来る前に感じた違和感が大きくなるのを感じた。この違和感は何という名前なのか、知りたい気持ちが募る。どうすれば、この感覚の名前を知れるのだろう。ただ、性本人に直接聞くのは違う、と直感的に感じたためこの後に自愛のもとへ向かって聞くことにした。
     結局その後、2人で性の領域内をめぐり、改善点を数点あげて解散になった。また後程ちゃんと直しているのかの確認のために再訪する約束も取り決めた。自愛にこれから向かうことを伝達し、浮遊速度をいつもよりも少し早めて自愛の領域へと向かった。

     
     久々に入った自愛の領域は変わらず渇いた空間に無数の鏡が浮遊していた。浮いている鏡のうちの1つをノックして鏡の向こうにいる自愛を呼び出す。

    「自愛!いるんだろう、出てこい」
    「なんだ秩序、我は今我を見るのに忙しいのだ。邪魔をするでない」
    「知らん。それはいつもしているだろうが。今日は貴様に聞きたいことがあってきたのだ」
    「珍しいな、秩序が我に質問など。興味深い、聞いてやろう」
    「今日も普段と変わらず性が我が領域に来たのだが」
    「待て、貴様の領域には性がそんなに頻繁に来るのか?」
    「あぁ、理解の世界の一週間が過ぎるごろには確実に1回は来ているぞ」
    「そうか。物好きだなあいつは」
    「なんだ、貴様のところには来ていないのか」
    「来るが、テラの世界の一年に一度来るかどうかの次元だ。ほかのところにもそんなに高頻度で来ている様子はなかったぞ」

     あの男が異常に訪れているのはどうやら自分のところだけらしい。信じられない。じゃあ逆になぜあの男は自分のもとへあんな頻度で来るんだ。毎回手ひどく突っぱねてやっているのに。初めて知った衝撃的な事実に絶句していると、早く鏡を見たいのか、自愛から軽く肘で小突いて急かされた。

    「で、聞きたいこととはなんだ。早く言え、鏡の中の我が我を見られなくて可哀想だろう」
    「あ、あぁ、すまない。その、今日、性を見ている時に違和感を覚えたのだ」
    「待て、服従も呼ばせろ。あと酒を持ってこさせるからしっかり話を聞かせてくれ」

     話始めた途端に中断されたかと思えばどこからともなく現れた椅子が秩序の体を受け止めていた。ほどなくして目の前の机には自愛の信者が持ってきた酒とつまみ、正邪の命令を遂行していたようだが急遽呼び出されたことで負荷が急増したと喜びながら合流してきた服従が合流した。服従と自愛がどことなく楽しそうにまさかこういう相談をされるとはなぁだのなんだの言っているのが聞こえて、目の前に置かれた酒に触れる気にもならず出されたグラスを無視した。

    「本題に入るぞ。もう一度言うが、今日性を見た時に違和感を感じたんだ。その違和感の名前を教えてくれ」
    「なあ秩序。それはどういう時に感じたんだ?」
    「確か、一番最初は性が我に合わせていつも組んでいるあの胡坐を解いたときだったと思うが。2回目は性が笑った時だったか」
    「やはりそういうことではないか自愛!よくぞ呼んでくれた」
    「あぁ、我の想像は正しかった。流石我だ」
    「なんだ、2人でしか分からんように会話をしおって。無礼だぞ。秩序を乱すんじゃない」

     鞭をビシンと鳴らしながらそう言うと、はしゃいだり悦に入ったりしていた二人が途端ににやにやしながらこちらを見つめてくる。初めて見る二人の顔に底知れない恐怖を感じた。

    「秩序よ。貴様のそれは俗に言う恋だ。恋。分かるか?」
    「辞書で見たことがある。男女で抱く、相手への恋慕の情のことだろう?」
    「あぁ、そうだ。だが、男女間でなくともその感情というのは成立するのだよ」
    「そ、そうなのか。そうか、これが、恋か」
    「まさか、秩序が恋をするとはなぁ。それで、告白をする予定はあるのか?」

     その感覚の名前を知ることができたため、もう立ち上がって帰ろうと思っていたところに服従からとんでもない言葉が出てきて体が固まる。告白?我が?

    「その、告白は普通、恋愛感情を抱くとするものなのか」
    「しないものもいるが、するのが普通だな」
    「しないと、どうなるんだ」
    「どうなるとはなんだ、秩序」
    「しないことは、秩序を乱すことに繋がるのだろうか」
    「あぁ~……まぁ、繋がるんじゃないのか?よく分からんが」

     ならしなければならないじゃないか!秩序がそう叫び机に鞭を叩きつけて、無視していた酒の入ったグラスが割れる。ぽとぽとと下の砂漠に落ちていく酒を気にする余裕もないほどに、秩序は混乱していた。告白なんてしたこともないし、当然されたこともない。信者からの崇拝の念とはまた違うものだろうから。どうすればいいのか分からない。そもそも、性は自分のことを好いているのだろうか。それさえ分からない。

    「なぁ、自愛、服従。告白をする上で聞きたいのだが、性は私のことを好いているのだろうか」
    「そんなこと知るか。自分で確かめてみればいい」

     こうして、秩序による性からの好意を確かめるための挑戦が始まるのだった。


     第1回目の挑戦の機会は、そう早くないうちに訪れた。性の領域の確認に向かったためだ。前回入った時とは違って変な香りのする性の領域は、嗅ぎなれない匂い故に居心地が悪いのになぜかずっといたいという思いを抱かせてくる。こうして来る前に許諾を取ったものの、性のいる最奥まで秩序が入り込むのは初めてだった。なんでも、今日はお告げをしなくてはならずいつも会う入口近辺までくることが難しいそうだ。領域の中程あたりから上空を飛んでいるとおびえた声が聞こえ始めて、実に不快だった。畏怖の声を浴びながらなんとか性のいるらしい最奥までたどり着くと、普段より雑にノックをする。

    「おい、性。来たぞ」
    「秩序か。少し待て。あぁ、そのように。ではな。……すまない」
    「いや、構わん。それより、貴様の信者どもには今日我が来ることを伝えていなかったのか?道中かなり不快な思いをさせられたぞ」
    「一応伝えてはいたんだがな。再度調教し直そう。では行くか。お気に召すかは分からんが、ちゃんと直しておいたぞ」
    「本当か?」

     性と他愛もない会話をしながら領域を飛ぶその時間は先ほど一人で飛んでいたときよりもずっと楽しくて、恋をした相手といるとこうも変わるものなのかと新しい知見を得る。気がつくと前回訪れたときに指摘した点は全部見回りきっていて、そろそろ帰らねばならないことを理解させられる。そういえば。あのとき自愛たちと話した内容を思い出す。そういえば、性は我のことを好いているのだろうか。

    「なぁ、性よ」
    「なんだ、秩序」
    「性は、その。我のことをどう思っている」
    「どう、とはなんだ。……ほかのカリスマたちと、大して変わらん」
    「そう、か」
    「どうした、急に。らしくないことを聞き出して。ひどい顔だぞ」
    「いや、何も。気になっただけだ」

     ほかのカリスマと同じ。同じ。それはつまり、好いているということには繋がらない。胸がぎゅっと締め付けられる。演技が上手くてもとっさに顔を作り上げるのは無理で、ぐしゃ、と歪む。苦しい。好いていて、ほしかった。なにも、という声がみっともなく震えていた気がする。これ以上この領域にいたら泣き出してしまいそうで、ではまた。とだけ言い残して後ろを振り返ることなく勢いよく飛び出した。そのまま自分の領域に戻っていつもよりも厳しく駒達に当たる。乱れたものを制御するための拍車にいつもよりも力が入る。普段は最大音量まで上げない拡声器のボリュームも、初めて最大まで上げた。振り下ろす鞭の音は聞いたことのないものになっていた。
     挑戦第1回にして最終回を迎えた性からの好意の確認は、良くない結果で終わることとなった。つまり、秩序にとって初めての失恋だ。そしてそれは、ほかの領域に大きな影響をもたらした。まず、比較的近場にある内罰や自愛、服従からクレームが入った。拡声器がやかましいという内容だったような気がする。ただ、悲しく玉砕した秩序には効果がなく、拡声器の音量は下がらなかった。真反対の位置にある反発が文句を言いに行こうかとしだす頃合いに、秩序の領域に久方ぶりの客人が訪れた。重いコートが空を切っている感覚だ。間違いなく、性だ。性が来てしまった。今のこんな状況で来られたくなかった。一番会いたくない相手だ。

    「性!なぜ来た」
    「なぜもなにも、内罰達からどうにかしろと言われてしまってな。どうした、秩序。何かあったのか」
    「なにも、ない。だから早く出て行け。貴様がいるだけで不愉快だ」

     本当は、この上なく嬉しかった。心が躍る。ただ、タイミングがとてもよくない。せめて、もう少しだけ後で。これ以上近づいてほしくなかった。ただそんな思いはむなしく、性はこちらへと近寄ってくる。

    「来るな、出て行けと言っただろう!聞こえなかったのか!」
    「あぁ、言われたな。だが、お前がこうなったのは我の領域に来た後からだと聞いている。きっと我に関係があるのだろう?どうした、言ってみるといい」

     初めて聞く優しい声色でそう言いながら着ていたコートを掛けてくる。その優しさが秩序の締め付けられていた胸には受け止めきれなくて、目からこぼれ落ちていく。眼鏡をかけているはずなのにぼやける視界の中に、慌てた様子で不安そうな顔をしてこちらをのぞき込む性がいた。

    「どうした、急に泣き出して。そんなに、我がいるのが嫌だったのか。すまない。もう出て行くから」
    「ち、ちがう。違うんだ、性。まってくれ。我は、お前のことが」

     好きなんだ。そう言いかけて、言葉が詰まる。性は、自分に対してほかのカリスマ達と同じように思っている、とあの時言った。それはつまり、好かれていないと言うこと。性が来るまでの時間に散々理解させられたことだ。好きだと言ってしまえば、きっと性に嫌われる。そう思うと、声が出ない。

    「我が、どうしたんだ。すまない、なにも分からないんだ」

     謝りながら性が抱きしめてくる。初めて触れる性の体は、とても暖かかった。嫌われてしまっても、もういいのかもしれない。ずっと苦しんでいるよりも、もう二度と立ち直れないほどに玉砕する方がきっといい。理解の世界で理解がいつもよりぴりぴりしていることには気づいている。きっと、立ち直れなくさせられた暁には理解はカリスマを失うかもしれない。そうなってしまったときには下界に降りて謝罪をしないとな。泣いてぼんやりとした頭で将来の行動を組み、性の胸の中で懺悔のように打ち明ける。

    「わ、われは。われは、せいにこいをして、しまったんだ。おまえのことが、すきなんだ。げんめつ、しただろう。はなしてくれ、ひとりにしてくれ」
    「ちつ、じょ。お前は、我のことが好き、なのか。本当に?」
    「うそで、こうなるわけがない、だろうが。それにわれは、うそをすかん」
    「そう、だったな、すまない。実はな、秩序」
    「なんだ、きらいと、いうつもりか。しっているから、いわないでくれ」
    「違う、違うんだ秩序。こちらを見てくれ」

     そう言って泣きはらして真っ赤になった顔を、涙でべしょべしょなことを気にしていないかのように掴んで性の方へ向けられる。こんな顔を見られたくなくて必死に顔をひねるものの、性の力が強くてそらすことができない。

    「秩序。そんな風に想われていると思っていなかったんだ、きっと、私の気持ちを言えば、お前は我を嫌うだろうから」
    「どういう、いみだ」
    「我も、お前のことが好きだということだ。ずっと前、我が天彦によって生み出された後、初めてのカリスマたちとの会議の時に一目惚れした」
    「そ、れは。じゃあ、せいも、われのことがすき、なのか」
    「そうだと言っているではないか。あぁ、愛しい我が秩序。こうやってお前に好いてもらえる日が来るなんて、まるで夢のようだ」
    「ゆめなわけ、ないだろう。この、たわけが」
    「ふふ、そうだな。ほら、泣き止め。泣いている秩序も実に愛いが、駒どもが困っているぞ」
    「あぁ、だが、とまらないんだ。うれしくて」
    「そうか。なら仕方ないな」

     先ほどまでの悲しみの涙から一変して喜びで涙を流す。恋は、こんなにも知らない感情を我に教えるのか。止まらない涙を目元に携えながら性を見れば、愛しさのつまった顔で微笑まれ、涙をぬぐわれ、抱きしめられる。この感情を教えてくれた自愛と服従には感謝の念を伝えなくてはいけない。将来の行動を組みなおし、性の肩に顔を埋めた。
     いつまでこうしていたのだろう。理解が2回ほどおはようございます!と騒いでいるのが聞こえた気がする。泣き腫らして赤くなった目で性の方を見上げると、性はにっこりと笑って秩序を担ぎ上げた。

    「なにをするんだ、性貴様!」
    「なにって、我と秩序が交際したことの報告巡りだ!会議を開いて全員が集まるまで待てん」
    「せ、せずともいいだろうそんなこと!」
    「いぃや、これは大事なことだ。秩序が我のものになった。十分に記念すべきことだからな」

     満面の笑みで秩序の頭を撫でながら胡坐をかいて性が飛び上がる。それと同時にばたばたと重たい音とともに秩序にかけられたままの性のコートがはためいた。性が楽しそうなら、いいか。そう思い、一番初めに連れて行かれる領域はどこなのかを予想することに思考を変換させて口元を緩ませた。


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    💴💴💴💴💴💴💴💴💴💴👏👏😭😭😭😭😭😭😭😭💕💕💕
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    Replies from the creator

    lunalatteluna

    DONEパスワードはピクスぺの私のサークル、からーぱれっと内のサークル説明文と展示作品の説明欄に載せています。カリパが終わった後、支部にアフタータグとともに公開いたします。

    ※反応いただいたのがとっても嬉しくて消すのが勿体なさすぎるので残させてくださいすみません……鍵は外して置いておきますので、今後も閲覧可能です。同じものを支部に3本に分けて投稿しました。
    あまりか短、中編まとめ言葉の甘みは砂糖のおかげ?
    「理解さん」

     そう呼ぶ声が明らかにほかの人を呼ぶ時とはほんの少し違うトーンだと気づいたのは、いつからだったろうか。ふみやを呼ぶ時などには見えないほのかな甘さが声に混ざっている。ただ、その甘さの原因なんて理解には分からない。分かるはずもなかった。ただ、名前を呼ぶだけ。その行為に差が生じる原因なんて、さっぱりわからない。でも、それによって嫌な気持ちになることはない。それが、理解にとって一番の悩みだった。
     屋根裏部屋に天彦を呼び出して、甘さの原因についてひと思いに聞いてしまおうかと何度思っただろうか。それを行動に起こせないのは、また言いふらされてしまうかもしれないという先生への不信感。それと、あのわずかな誤差のような甘さに恐らく気づいていないだろう天彦に聞いてしまってもいいのだろうかという疑問によるものだった。最近はこのことについて考えては気が付くと9時になってしまっている。日記はいつも通り何も書くことがない素晴らしい状態なので何ら問題ないのだが、本を読むことさえままならないのは気に食わない。これ以上睡眠前の秩序を乱すわけにもいかない。今日はひとまず寝ることにして、また明日対策を練ることにしよう。
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