百モノ語愛弟子に手を引かれ、やってきたのは大社跡。流れ落ちる滝のその後ろに、ひっそりと続く横穴の奥。意外な程に広々とした空間だった。
そこには既に沢山の。聞いた通りであるなら、100の蝋燭が灯されて居る。
手を引く愛弟子に促され、横穴を背に腰を下ろす。
特に覆いも無いからか、これだけ火を焚いているのに、暑さはあまり感じなかった。
月明かりの下をやってきたからだろうか。床に置かれた蝋燭のせいだろうか、誰も顔は伺えない。けれど、こうした催しなら、それくらいでいいのかもしれない。
そもそも、無断で里を出ているのだから各々後ろめたさもあるのだろう。
たまには羽目を外す事も必要だ。けれども、一応の目付け役としてウツシも臨席する事になった。
これで全員なのだろう。一番奥で壁を背にしていた者が手を叩いて注意を集める。
曰く、百物語とは、それぞれが恐ろしい話をして、一つ終われば一つ蝋燭を消して行くのだという。けれど、物語るのは九十九まで。百語り終えて蝋燭を吹き消せば、恐ろしい事が起きるのだという。
脅かすような声音に、そこここで静かな笑い声と、怖いという言葉が響く。
折しも迎え火を焚いた後の夜。どことなく楽しげな空気を感じ取りながら、最後の蝋燭に揺れる火に目を下ろしていると、最初の語りが始まるようだった。
細い、恐らく女の腕なのだろう。断定出来ないのはそれが厳重に包帯で覆われているからだ。
あんな怪我をしているのに参加したのだろうか。眉を寄せるウツシが、帰すべきかと迷ううちに、語りがはじまった。
蝋燭を床から取り上げたかと思うと、手の主が口を開いた。開いたのだろう。
元はハリのある声だったに違いない。そんな名残だけを纏わせて、女らしきモノは、ひゅうひゅうと喉を枯らし、時たまこぷりと何かを吐いては床を汚す。けれど隣や近くのもの達は動揺する気配もない。
蝋燭を握る手が震え、ぽとりぽとりと包帯の隙間から、何か小さく白い物が這い出て落ちていく。
───蛆だ。
そうと認識した途端、強い腐臭が鼻を突いた。
包帯に覆われた手は、苦しげな息の下、最後に誰かを呼ぶと、蝋燭を取り落とし、消えてしまう。
落ちて転がる蝋燭もまた、持ち主のように不自然に、その焔を消した。
周囲は不自然な程静かだ。今しがたあったことなど誰も気に止めていないように感じられる。
滞り無く蝋燭が床から持ち上げられ、火に焼かれた者、踏み潰された者、飲み込まれた者、様々な死に際が目の前で繰り広げられていく。
そうして、死が物語られていく度に、気づいた。
彼ら彼女らが一様に呼ぶその名に。
教官。ウツシ教官。お兄ちゃん。兄様。
それは謝罪であり、悔恨であり、困惑であり、様々な形の心残りだった。
とうとう、隣の蝋燭が持ち上げられる。
さわさわとなる木々の音。恐らく森を歩いているのだろう。時折枝を踏む音も混ざる。
「あにさま。あにさま。どこですか?」
心細げに聞こえる幼い声。
兄を求めて彷徨う声を獣の唸り声がかき消す。
バキバキと乱雑に枝の折られる音がして、ぐちゃぐちゃ、びちゃびちゃと、何か柔い果実を汁でも滴らせながら咀嚼するような音が空間に響いた。
そうだ。なぜ忘れていた。何故気づかなかった。
あの子とは、もう二度と会えないのに。
じわりと広がる濃い色の水が、転がった蝋燭を消す。
最後に残る灯りは一つ。けれど、この場を動けない。
通ってきた筈の横穴は既に無く、バラバラと転がる白い蝋燭の残骸は、まるで墓荒らしにでもあった骨のように闇に浮かび上がる。
いつまでそうしていたのだろう。不意に強く風の吹く音がしたかと思うと、何かが崩れ落ち、今度は耳に痛い程の雷の音と共に獣の断末魔が轟いた。
そんな轟音に紛れる微かな声。
「約束、守れなかったな……。─────」
最後の声は聞こえず、けれど恐らく彼も同じ相手を呼んだのだろう。
目の前にあった最後の蝋燭が掻き消え、完全な暗闇が訪れる。
ぞろりと、見えずとも動く何かを感じた。相変わらず動かない体を這い上がり、押し倒し、のしかかってくる。
痛みを感じる程冷たいそれは、ウツシの首に絡みついたかと思うと、強く強く締め上げてくる。
一緒に来て。一緒に来て。一緒に来て。いっしょに。一緒に。一緒いっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょ。
急速に冷えていく体。供給を絶たれた酸素を求めて喘ぐ口すら塞がれて、急速に意識が遠のく。
不味いと判じる理性とは裏腹に、この泣きじゃくる愛弟子達を置いては行けないと、僅かでも、そう思ってしまった。
それを最期に、ふつりと何もかもが消える。
───!───!
何かが聞こえるような気がして意識が浮上する。眠りから目覚める時に似ているけれど、まだ瞼すら開けられない。
「あに様!起きてくださいあに様!」
ぐらぐらと揺さぶられている事だけは分かる。けれど、やはりまだ体は自由になりそうにない。
「もう!こんな所で寝ていては、いくらあに様でも風邪を召されますよ!!」
少し怒ったように言う声。けれど、そんなはずは無い。あの子は、もっと幼い頃に自分を追いかけて迷い、獣に喰われてしまったのだから。
けれど、もしもと瞼をこじ開ける。
最初こそぼやけていた景色はゆっくりと像を結び、月明かりの下心配を覗かせた怒り顔で見下ろす紫の瞳があった。
「やっと起きられましたか?あんなにお酒を召して!酔い醒ましに出て体調を崩しては意味がありませんよ!」
ぷりぷりと怒る少年は、自分では運べないからさっさと立ってくださいと、ウツシの腕を引く。
すると、まるでそれをきっかけとしたように様々な事を思い出した。
幼い頃に、確かにこの少年は自分を追いかけて大社跡へ一人で来てしまった。けれど喰われては居ない。とても運のいい事に、葉や枝で付いた傷以外、何事もなく合流出来た。
その後はハンターになるべく修行を積み、認められてからそう経たずに、並み居る災禍を打ち払い里の英雄にまでなった。
「……ごめんね。流石に、少し飲みすぎたみたいだ」
きっとあれも、気を緩めて酒を飲みすぎた事で見た悪夢だ。そうに違いない。
事実、この子はちゃんと生きている。
それでも、生業上の不安はあるのかもしれない。だから、あんな死に塗れた悪夢を見てしまったのだろう。
そう結論づけ立ち上がるウツシ。息苦しさに口元まで覆う帷子を緩めていると、少年の顔が強ばっている事に気づいた。
「愛弟子?」
「あに様……。それ……」
少年が指さす首元は、ウツシからは見えない。けれど月明かりも手伝って少年からははっきりと見えていた。
ウツシの喉元にべったりと張り付いた、大小様々な手形が重なり合う光景が。