霧の中初めて、修練場ではなく、外で実践的な訓練を許された日だった。
大社跡と呼ばれる場所は、そう遠くもなく、ガルクに乗れば一日で往復できる程度の距離だと、そう聞かされている。
一眠りしていればついている、とは言われたものの、初めての外での訓練とあっては、緊張と少しの興奮で眠れそうにない。
そんな様子を察したのか、同伴するウツシ教官は、存外に真剣な様子で、まだ幼い弟子に、こう言い聞かせた。
"無理に寝ようとしなくてもいいけれど、霧が出たら絶対に目を開けてはいけないよ"
いつもの笑顔が消えた顔が、まるで全く知らない相手のように思えて、幼い弟子は怖々頷いた。
すると、直ぐに何時もの笑顔に戻ったので、少しほっとした幼い弟子は、随分と上にある顔を見上げて、何故かと訪ねた。
「どうして、霧の中で目を開けていてはいけないんですか?」
当然といえば当然の疑問に、いつもなら直ぐ返ってくる答えは無く、少しばかり困ったような笑顔があるばかり。
”君はもう七つを越えたから、目を瞑っていたら大丈夫だよ”
そんな答えにならない返答と共に頭を撫でられ、納得いかないながらも、渋々、はい、と頷いた。
ガルクに乗り、慣れない道を駆けていく。
なるたけ揺れないように、とガルクが気を使っていても、揺れるものは揺れる。
時折大きく跳ねることもあり、その度に背にしがみついて何とかやり過ごす。
里を出て、そう経たないうちに霧が立ち込め、言われた通りに目を閉じた。
その直前に見たウツシ教官の顔は、どうしてか非常に苦々しいもので、絶対に目を開けないようにと念押しする声もまた、浮かべた表情と同じ色を帯びていた。
どれだけ走っているのだろうかと不安になるが、頬を撫でる風は濡れて、まだ霧の中であろうと知れる。
律儀に目を瞑っているが、他の感覚は鋭敏だ。
その鋭い聴覚が、微かな声を捉えた。
おおい、おおいと誰かを呼ぶ声。
まさか、深い霧の中で迷ったのだろうか。
前に居るはずの教官に呼びかけるが、どうしてなのかこちらは応えがない。
ガルクの足音は二頭分聞こえているから、弟子の声が聞こえない筈は無い距離なのに。
呼ぶ声は止まず、必死さを増しているようにも聞こえる。
外から見ただけで、相当に濃い霧だった。
もしいきなり湧き出た霧に囲まれたのだとしたら、行く先を見失って当然だろう。
それが、自衛の術を持たない只人であるなら尚のこと、見習いの自分を含むとはいえ、ハンターの助けが必要なのではないだろうか。
ガルクは迷わず走り続けている。という事は、ガルクは霧で見えずとも、匂いか何か、あるいはもっと動物の本能的な部分で行き先が分かっているのだろう。
そうであるなら、多少道を外れたとしても、キャンプか里にはたどり着けるのでは無いだろうかと、幼い弟子はそう考えてしまった。
いつの間にかガルクの足音は一頭分だけになり、声はまだ聞こえている。
ただの道草なら褒められた事では無いけれど、困っている人が居るのなら、その限りではない筈だ。
幼い正義感に背を押され、声のする方へと顔を向け、少しでも何か見えないかと目をこらす。
ガルクの脚で駆け続けたにも関わらず、常に同じ大きさで聞こえた声の方へと。
そうして、薄れた霧の先には───。