狂わされ「お前は、傾国の女であったか。」
目の前に座り、微笑む女の髪を優しく撫でながら、呟く。嗚呼、まさかここまで狂わされるとは。ほんの少しだけこの女に足を踏み入れただけのはずだったのだが、いつの間にか身体全てを絡め取られて身動きが取れなくなってしまった。ここまでなるつもりは毛頭なかった。そう、なかったのだ。だが、このざまだ。だった一人の女に骨の髄まで狂わされ、もう目の前の彼女の姿を見ることしか出来なくなってしまった。彼女の全てが愛おしくてたまらない。彼女の全てが欲しくてたまらない。己の狂いようを見て、小さく笑う。なんて情けないのだろうか。だが彼女の姿を見てしまえばそんな情などどこかへ消えてしまう。それほどまでに彼女は愛おしく、美しかった。
…まさか、ここまで狂わされるとは。
「全く、恐ろしい女だ。ここまで狂わされるとは思ってもみなかった。」
その言葉に、女はうっとりと目を細めて笑った。嬉しいのだろうか、それとも…。真意は分からないが、その表情の移ろいに胸が高鳴る。彼女の笑顔も、泣き顔も、怒り顔も、全てが愛おしくてたまらない。彼女の全てが欲しくて、たまらない。
ゆっくりとその細い腰に手を回し、優しく引き寄せる。あ、と小さな声が彼女から漏れるのを聴きながら、その小さな体を自身の方へと抱き寄せた。
なんて小さくて温かな身体なのだろう。彼女の温もりが心地よくてたまらない。目を閉じ、その熱を享受する。ただそれだけで幸せだった。彼女の身体を抱きしめ、背中をさする。彼女を抱きしめていると氷のように冷えきった己の身体が熱で溶かされていくような、そんな錯覚さえ覚えた。こうする時間が、何よりも好きだった。
もぞりと彼女が腕の中で動く。思っていたよりも力強く抱きしめてしまったのだろうか。きっと苦しかったのだろう。ほんの少しだけ不機嫌そうな顔をしながらこちらを見上げてくる。その顔もまた愛おしくてたまらなかった。済まなかったと微笑むと、彼女はまだ不機嫌そうな目を向けながらこちらをじぃと見つめてくる。何を欲しがっているのだろうか、彼女が欲しいものは全て与えるというのに、何を強請っているのだろうか?
「どうした、何が欲しい?」
言ってみろ。と小さく耳元で囁くと、彼女の顔が赤く染るのが見えた。恥ずかしそうに顔を背けながら、またこちらの胸に顔を埋めてくる。嗚呼、愛おしい、なんて愛おしいのだろうか。可愛らしくてたまらない。彼女の身体をいっとう強く抱きしめる。彼女が驚いたような吐息を漏らしたが、聞き流した。
「何処へも行ってくれるなよ。」
お前は、わしだけのモノだ。
そう耳元でそう囁いたあと、首筋に1つ小さく噛み跡を残した。なんとしてでもここまで狂わせた責任を取ってもらわないと、気が済まない。そんな気分だった。