塔の先を知る者達目の前に広がるのは一面の砂と遠方に見える一本の塔。コントラストの無い白い砂と灰色の空の世界は永遠に続く悪夢のようだ。
その地には、黒い容姿がそっくりな2人に加えて同じく黒い姿と羽を持った姉弟のような2人が存在し、彼らは元の世界へ帰りたいと本能が訴えるままに世界の中心にそびえ立つ塔へと歩みを進めていた。
「やっと着いたね」
「近くで見るとこんなにも巨大な建物だったのですね」
塔の足元に辿り着いた容姿がそっくりな2人は塔を見上げながら息を整える。貼り付けたような笑顔の片割れは塔から溢れる不穏な空気を感じて息を飲まずにはいられなかった。閉じた目で体の裾に付いた砂を払い落としているもう片方も、片割れと同じく塔の圧による緊張感を感じていた。
「レイ、一緒に帰ろうね」
「ええ。一緒に帰りましょう、ベル」
2人は迷わず互いの手を握り、覚悟を共有する。
「この塔の中には何があるんだろう」
「油断はするなよ」
姉弟のように見える姉の方は、塔の内部への好奇心が抑えられないといった様子で羽を数回はためかせている。弟の方はそんな姉に緊張感を与えるよう慎重な面持ちで一言告げる。
「パス、ヴォル、準備は良いですか?」
「うん。できてます、兄様」
「大丈夫だ」
4人は顔を合わせ、塔の入口に目を向ける。入口は門のようになっており、塔の簡素な見た目に反して厳重で重々しい。ベルが門を開け、順番に内部へ侵入する。
「…?ここが塔の中?」
「こんなに広かったでしょうか…」
塔の内部は一面が白く、天井と地面の境も分からない。遠くには微かながら黒い門が1つ見えるだけであり、4人は異質さと衝撃を受けていた。
「…とりあえずあの門目指してみますか?」
目をぱちぱちさせつつもパスは遠くに向かって指を指す。空を飛べる羽を持っている彼らもこの中を飛んで高さを確かめる気にはなれなかった。地面が歩けることを確認し、辺りを見渡しながら歩を進める。
「塔の中だというのに、上へ向かう階段も何も無いなんて変だ」
「上を見ても空は見えないし、この塔に穴は開いてないのかな」
各々塔に対する不信感を口にする。しかし、歩みを止める訳にはいかず4人は門の前へと辿り着いた。入口の門と同じように重苦しい雰囲気を放している。
「ねぇ、この門ってどこに続いてるのかな。奥行きがないよ?」
パスは門を横から覗き、門の先には何も続いていないという疑問を3人に投げかける。それでも進むしかないと覚悟を決めていたグレイは不安を抱く3人の先陣を切って門の取手を引っ張る。その隙間から覗く先の空間を見たヴォルは言葉を無くす。
「…どうなっているのでしょう」
門を開けた先は、4人がいる空間と全く変わらない様子だった。困惑してパスとベルが門の後ろを覗いてみるが、門の戸は動いておらず、今門を開けているはずのグレイの姿は見えなかった。
「随分と不思議な空間らしい。気味が悪いな」
ヴォルは目付きを尖らせ、警戒心を露わにする。4人は徐々に高まる不安を抱きながら次に見える門へと向かう。何度門を開けても同じような景色が広がっている。塔は空へ向かって立っているというのにいつまでも奥にしか空間が存在しない。
そしてその終わりは突然現れた。
「この門はさっきまでのと違いそうだね」
「とても登っている感じはしませんでしたが、これが塔の最上階といったところでしょうか?」
「何だか怪しいね。いつもと違う」
「恐らくこれが最後で間違いない。この先には元の世界へ帰る道があるのだろう」
4人は戸惑いつつもこの塔の最上階と思われる門の前に立つ。一際大きく荘厳さも感じさせる門は異様な空気を漂わせていた。
「レイ、大丈夫?」
グレイはその圧に耐えきれなくなったのか手の震えが止まらないようだった。俯いて今にも涙を流しそうな表情をしているグレイの手をとり、ベルは片割れを安心させようと手を尽くしていた。その2人の様子を目にした残りの2人は一瞬目線を交えて頷く。
「兄様、私達が門の先を確かめてきます」
「俺達が安全を確かめたら2人を呼ぶから、その後に来るといい」
パスとヴォルは努めて明るい表情で話す。しかし、その表情の裏側では4人の本能が警鐘を鳴らしていた。グレイの震えが手に伝わり、ベルの緊張感も高まっていく。2人の様子からこの門の先にある空間は危険である可能性が高いと感じ取ったパスとヴォルは、自分達にできる最善の策を考えた結果だった。
「でも」「そんな」
2人は不安そうな表情を浮かべているものの、それ以上に姉弟の覚悟は決まっていた。
「大丈夫。任せて、兄様」
「ああ、俺達は強いから」
2人は門を開け、その先へと進む。
「パス、ヴォル…絶対に、無事で…」
グレイの不安げな声だけが残された空間に小さく響く。ベルはグレイをそっと抱きしめる。
「大丈夫だよ。きっとあの2人なら…」
ベルは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
パスとヴォルが門の先にあった空間へ足を踏み入れた時、見えた景色に言葉を失うと同時に、自分達が今立っている場所に恐怖を感じた。その空間には床も壁もなく、先程までの白い空間から変わって一面の黒い空間が広がっていた。2人が振り返っても既に遅く、空間の闇に紛れ門があった形跡は無くなっていた。
「…っ、ヴォル、いるよね?」
「…いるよ、パス」
2人は手を強く握りしめる。地面も空もないこの空間では、互いの存在だけが頼りだった。しかしそれもすぐに終わりを告げることになる。
「きっと、帰る道があるよね」
「ああ。あの2人の為にも俺達は帰らなきゃならない。そうだろう?」
「……2人とも、遅いな…」
「無事…でしょうか…」
門の外で2人の報告を待つグレイとベルは、次第に不安に駆られていく。震えるグレイの体を支えるベルもその様子は見て取れたが、できることは何も無かった。2人はパスとヴォルが無事に帰ってくることを信じて待つことしかできなかった。
どれぐらい経っただろうか。2人を待つ間お互いが発する音しか音が存在せず、だだっ広い白い空間の中でポツンと身を寄せ合う2人が正気を保つのはとても難しいことだったが、門の先へ勇気を振り絞った彼らを信じ、残された2人もまた耐えていた。
その時、固く閉じていた門がゆっくりと開いた。軋む音に顔を上げた2人はその隙間から見える暗闇にゾッとした。それもつかの間、僅かに開いたその隙間から白い人型が2つずるりと飛び出す。
「っ…!?パス…とヴォルなの…?」
「ど、どうしてそんな身体に…!?」
全身が白くなってしまったパスとヴォルらしき人物は意識が無いようだった。2人を吐き出した門は静かに戸を閉め、再び固く閉ざされた。
「パス!ヴォル!何があったの!?」
ベルが声を荒らげるが、2人はピクリともしない。呼吸はあり、命は途絶えていないようだったが、2人にはとても衝撃の強い出来事であり特にグレイはとうとう涙を流してしまった。
ベルはグレイを落ち着かせ、2人が起きるのを待った。その間2人は何も話せず、手を取り合って2人の復活を願った。しばらくすると、パスの羽がぴくりと動いた。それにすかさず反応してベルが名前を呼ぶと、パスはゆっくりと目を開けた。
「……にいさま?」
「パス…!良かった…!」
体を起こしてグレイとベルの2人を交互に見やるパスは、元の姿の時よりも幼く見えた。
「パス…体は大丈夫ですか?あの門の先で一体何があったのですか?」
グレイは安堵したものの震えた声と心配の眼差しを向ける。パスは虚ろな目を2人に向けて話し始めた。
「からだ?だいじょうぶ!ワタシ元気だよ!」
「パス…?」
グレイとベルはパスの様子に困惑する。屈託のない笑顔で大きくなった手を振り回しながら楽しそうに話すパスの様子が明らかに以前の様子とは違っていた。しかし、その様子が冗談ではないことは見て取れた。
「パス、何があったの?」
ベルは浮ついた様子のパスの肩を両手で掴み、真っ直ぐ目を見て問いただしたが、変わらない様子でパスはニコニコ笑い、何も覚えていないと言う。
「パス…だって、貴方、体の様子がそんなに変なのに…」
元の姿のパスと異なり、体が白くなり羽も丸く、手も大きくなって明らかに門の先で何かがあったはずなのにパスは本当に何も覚えていないようだった。
「そんな…」
「にいさまかなしいの?笑って?」
「パス……ごめんなさい、私のせいでそんな姿に…」
グレイは自分が彼らに取り返しのつかないことをしてしまったと激しく自責の念を抱き、涙を流して頭を抱える。その様子を見たパスは無邪気にグレイに話しかけ、そんな2人の様子を見ていたベルも現状に悩まされていた。そんな中、続いてヴォルが目を覚ました。
「……」
「ヴォル…君は大丈夫…?」
ベルは貼り付けた笑顔が消えかかっていたがヴォルの様子を心配して声をかける。ヴォルはベルの言葉に頷いた。
「え…!大丈夫なの?本当に?」
ベルのその言葉にグレイも涙で濡れた顔を上げてヴォルに視線を向ける。2人の視線を一身に浴びたヴォルは目を伏せながら頷く。
「ヴォル、パスが変なんだ。それに2人とも体が白いし…あの先で何があったの?」
ベルは2人に何があったのかを問い詰めるが、ヴォルはベルから視線を外して何も言わなかった。
「ヴォル?どうして何も言ってくれないの?言いたくないの?」
「パスは何も覚えていないと言うんです」
ヴォルは一瞬だけ視線を合わせるとまた逸らし、何か考え込んでから顔を上げゆっくりと口を開いた。
「……あ、う」
ヴォルのたどたどしい発声を聞いたグレイとベルは、時が止まったように感じた。ヴォルを見ると真剣な眼差しで口を動かしており、彼自身も困惑しながら必死に応えようとしているようだった。
「ヴォル…言葉が話せなくなったの?」
その言葉を聞くと、口を閉じて頷く。
「そう、ですか……」
2人はショックを隠せなかったが、このような目にあっても帰還した2人の命の存在を確かめるように身を寄せあった。
「ヴォルのその目は…見えてるの?」
門から離れ、皆の精神が安定するまで4人は塔の内部に残っていた。ヴォルの片目は黒くなっており、もう片側の目は白い瞳孔が動いているのに対してその様子が見られない。ベルの声に対してヴォルは静かに首を横に振る。そして白と黒の境目となっている腕や足を差し出した。
「…ヴォルは声と片目と…身体か」
ベルはヴォルの腕を撫で、門の先で起こった出来事の恐ろしさを想像することしかできなかった。あの先で何があったのかは2人が身をもって確かめてきてくれたものの、片方は記憶が無く、もう片方は話せないとなると未知も同然だった。
「パス、ヴォル…ごめんなさい。私が貴方達を先に行かせたばっかりに…」
グレイは謝罪の言葉を述べると、キョトンとした顔の2人を見て再び涙を抑えられなかった。今までで一番大きな粒が止めどなく手から零れていく。そんなグレイの傍にすかさず移動し、ベルはグレイを抱きしめた。
「レイ、泣かないで。僕たちは知らなかったんだから仕方がなかったんだ」
「でも、あの時私が止めていれば…っ!もう少し慎重にしていればこのようなことには…!」
ベルの優しさにグレイは思いとどまるが、それでもぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。グレイの泣き顔はいつも以上に悲痛な表情をしていたが、グレイ自身もこの涙を止める方法がわからなかった。
「にいさま、泣かないで?」
パスは大きな手に対して小さく細い指先でグレイの手から溢れた涙をそっとすくう。
「……」
ヴォルもグレイの頭を撫でる。突然のことに驚いたのか、グレイの動きが止まる。そしてゆっくりと顔を上げ、優しく心配の眼差しを向ける3人の姿に今度は悲しさではない涙を流した。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ…!私のせいで、貴方たちをこんな姿にさせてしまった…私は二度と取り返しがつかないことを…!」
グレイは声を上げて泣き始めた。ヴォルはその様子に何も言うことができず、ただ寄り添うことしか出来なかった。パスは少し戸惑っていたが、泣きそうな表情を浮かべて「ごめんなさい」を繰り返すグレイの頬を大きく柔らかい手で包み込み優しく微笑んでいた。
「レイ、確かに僕たちは取り返しのつかないことをしてしまった。でも、2人は僕たちのために勇気を持って挑んでくれたんだ。彼らは覚悟を決めてたんだよ」
ベルはグレイを優しく抱きとめて子供をあやすように背中を優しく叩く。その言葉にヴォルも頷いて同意する。
「だから、そんなに悲しまないであげて」
「……ベル……」
2人の言葉でグレイは落ち着きを取り戻すことができたようだったが、涙を止めるのはまたその後になるのだった。
その後の4人は、彼らの他にこの塔に訪れ最後の門を潜ろうとする者達へ警告するために内部へ残ることにした。時間が経つと少しずつ放浪者が訪れるようになり、警告を聞いて帰る者もいれば攻撃的で警告を聞かない者も現れた。その者にはヴォルが立ち向かい、力づくで塔の外へ帰らせることにし、グレイは最上階の門のフロアに居座り、門の異変が無いかを中心に監視するようになった。ベルはそんなグレイの様子を見守りながら片割れとして傍に立ち、度々自責し涙を流すグレイに寄り添っていた。ヴォルが逃した放浪者に対して対応するのも2人の役割となった。パスはあの後の後遺症から言動が幼くなり、好奇心を抑えることが難しく塔の内部に留まっていることに不満を抱えていたようだったため、グレイはパスに塔の外部へ飛び立って外部の様子を見てくるよう頼み、必ず帰ってくるよう約束をすることで4人はそれぞれの持ち場に落ち着いた。
その内、彼らが塔の番人とされ 次第に塔に近付く者は減少していった。この世界では皆、元の世界へ帰りたいという本能的な意志を持っていて、彼らはその意志に従い塔へと足を進める中で4人と会う。元の世界へ帰ろうとするとどのようになるのかを知っている唯一の4人は同じように元の世界へ帰りたいと望む者たちが同じ目に遭わないよう塔の外部へ追い出し続けている。命が途絶えようと異なる地で再生し復活するこの世界では門番と呼ばれるヴォルによりいとも容易く命を破壊され、やっとの思いで先へ進むと審判者と呼ばれる双子には記憶を消されて遠い地へ弾き飛ばされる。そんな目にあった放浪者達は彼らを敵視するが、彼らが何故塔にいるのかは未だ誰も知らない。
「ねぇ、にいさま!スー、こんなの見つけたよ!」
「おかえりなさい、パス…その子は?」
体に砂を纏ったままグレイの元に帰還したパスは、その腕に抱えた黒い人物を差し出す。その者の意識は無く、この世界にやってきたばかりの者のようだった。
「僕たちと似てるね」
黒い体に白い斑点模様を身につけ、丸い羽を持つ小さな子どもは明らかに彼らと同じ容姿をしている。やがてその子どもが目を覚ました。彼らはその子どもをマリーと名付け、その子と共にいつか皆が元の世界へ帰ることができるまで彼らのような被害者が現れないよう塔に留まり続けた。