ジュース飲んでる太刀迅 迅は太刀川に初めて会った日のことをよく覚えている。スラックスのポケットに手を突っ込み、猫背気味にのしのし歩く横顔に重なって見えたのは、数多の可能性が収束する分岐点だった。絶対に回避すべき絶望、その本流を大きく逸らす境目に、彼は立っていた。
「太刀川さんっておれとはじめて会った時のこと覚えてないでしょ」
何の気なしに問いかけると、太刀川はジュースを飲む手を止め、不服そうな顔を向けた。
談話スペースの自販機はかなり充実しているのに、太刀川が選ぶのはだいたい変な飲み物だ。ランク戦で迅に勝ち越すたび、太刀川は定番以外の、誰が飲むのかというようなものばかりを強請る。迅は今日、フルーツ味の炭酸を奢らされていた。
「なんでだよ。忘れるわけないだろ」
「太刀川さんが言ってるのは侵攻の日でしょ。あれ、はじめてじゃないんだよ」
「え。嘘だろ」
「嘘じゃないって」
目を見開いて驚く太刀川の顔がおかしくて、迅はつい吹き出してしまう。
「おれはもっと前から太刀川さんのこと知ってた。だからあの日助けに行けたんだよ」
「なんだよ。なあそれっていつ?」
「さあ、いつだろうね」
こうしてはぐらかす時、迅はもう何も語らないことを、太刀川はよく知っている。どれだけ問い詰めたとしても、答えはもう返ってこないだろう。
太刀川はそれ以上聞き出すのを諦めて、侵攻以前の自分を思い出す。何に対しても無気力で、理由なく日常を過ごしていたあの頃。周りのことなど何も気にしていなかった。迅と会っていたと言われても、世界の解像度が低かった頃のことだ、思い出せなくても不思議はない。
「…はじめて太刀川さん見たとき、すごく痛かったんだよね」
自分で買った水のペットボトルを両手に包んだまま、迅は硬いソファに背中を預けた。夜も更けた談話スペースには人通りがない。独り言のような迅のつぶやきを、太刀川は逃さなかった。
「ふうん?そりゃ悪かったな」
返事を期待していなかったのか、迅はきょとんと目を丸くした。
「え、なんで太刀川さんが謝るの」
「だって痛かったんだろ。今は痛くねえのか」
太刀川が迅の顔を至近距離で覗き込む。時々、太刀川は何の遠慮もなく距離を詰めてくる。自分だけが意識しているようで恥ずかしくなり、迅は太刀川の肩を両手で押し返した。
「大丈夫だって。痛くないよ」
押し返す腕に逆らって、太刀川は迅の顔をじっと覗き込む。必要に応じて嘘も隠し事も厭わない迅の、語らない内心の奥までも見透かしてくる、刃のような視線。太刀川のこの表情を見るたび、迅は落ち着かない気持ちになる。
数秒の後、太刀川は口の端をくいっと上げると体を離した。
「ん、ほんとだな」
「こんなことで嘘つかないって」
「どうだか。お前すぐ隠すから、なっ」
言葉尻に合わせて、太刀川は飲み干したジュースの缶を放った。大きくしなった腕が空っぽの缶に力を加え、きれいな弧を描いていく。狙い通りにごみ箱の底に着地した缶が擦れ合って、夜更けの廊下にやけに響いた。