母と娘論のまとめむかしむかしに卒論用に調べた母と娘の話を適当にまとめたものです。
母と娘に起こる支配関係という観点で調べていましたが、これって少しイナイレにも使える考え方では?!と思ったり…いや、個人的な解釈ですが…
間違っているものもあるかもしれませんが、参考程度にみていただければ。
・参考文献
『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』(2008年NHK出版)
『だから母と娘はむずかしい』(2005年白水社)
『母と娘の精神分析 イヴの娘たち』(2003年法政大学出版局)
※当時、桜庭一樹著『少女七竈と七人の可愛そうな大人』における母と娘論中心に論じようとしておりましたので、そちらに寄っているとおもいます
母と娘の関係は母と息子、父と娘、父と息子といった他の関係とは違い「きわだって特異である」。その理由に「一体化」というものがある。
「単純に解きほぐすことができないような感情の絡み合いが至るところに発生し、それゆえいっそう離れがたくなっていくという、独特な困難さ」があるようで、同じ性の身体を持つことも密着を強める原因になる。(後述)「密着」は物理的な距離とは関係なく、心理的な距離として発生する。密着しているがゆえに、強い愛憎を孕んだものにもなりやすい。
密着により生まれる母娘関係には二種あり、「娘の人生までも支配してしまうような強権的母親イメージ」と「いわゆる『一卵性母娘』のような親密すぎるイメージ」に分かれる。 どちらに於いても、関係性が進んだ娘は、母を否定することが自分を否定することになる。
同じ身体を持つことが密着を強めるというのが一体どういうことかであるが、母親による娘への自己投影が発生することに起因する。母親は娘へ対し、様々な要求をする。「こうあってほしい」というイメージを押しつけることで躾、ひいては支配を行う。詳細な内容は多岐に渡ると思われるが、その多くは母の考える「女性らしさ」の押し付けである。「女性らしさ」は外見や所作などの目にみえる身体性によってのみ表現されるといい、「表層的な存在であるがゆえに、身体を持つことができる」と述べられている。対して「男性らしさ」は我慢強さなど「観念的、抽象的」なものになる。「◯◯をしなさい」などといった目に見える部分の支配が大きく現れるのが母と娘の関係である。「それに素直に従っても逆らっても、結局はイメージによる支配を受け入れてしまうことになる」と述べられているが、どちらを選択しても母の支配による選択であり、母の影は存在しているのであろう。
母による娘への自己投影に関しては、過去に自身が叶えられなかったことを娘へ要求することも多くみられる。(自身が出来なかった習い事をさせるなどが代表的だろうか)過去に自身が実現できなかった、自己の理想の女性像を娘へ押し付けることにより、娘を通して自己実現を行おうとする。ある種の「生き直し」を娘を通して行っているのである。
母と娘の関係の終焉は「あきらめ」である。父と息子においては「父殺し」が存在するが(ここに関してはミリしらなので論じられない)母と娘の関係においては基本的に殺すことが出来ない。先述のように、母と娘は同一化しがちなため、母を殺すことは自身を殺すことにもなるからである。
昔々の記憶すぎて、これが限界でした。が、この投影とかは少しイナイレにも使えるんじゃないかな~なんて思っています。
この話が1ミリでも参考になったら良いなとおもいます。また何か思い出したらツイートするかもです。