ショコラの祈り「失礼! 今、入っても?」
と、開店したばかりの店の扉からひょっこり顔を出して、声をかけてくれた志献官さん。店内でチョコレートの箱詰めに勤しんでいた私たち店員は、全員目を見開いた。
舎利弗純弐位、の、本物が、そこに立っていたからだ。
防衛本部志献官のルーキーで、将来のエース候補だと新聞によく名前が載っている有名人。姿形があまりに現実離れして美しいので、ブロマイドは飛ぶように売れていると聞いた。
「ボンボン・オ・ショコラ、の看板を見たの。このあたりに売っているチョコレートボンボンは、中にウィスキーが入っているものばかりでしょう? フランボワーズのものを探しているんだけど」
小首をかしげながら店内に入ってくる彼を見て、店の前を歩いていた人たちも吸い寄せられるように集まってくる。にわかに活気づいた店内で、私たちはありったけの種類をカウンターに並べた。
「フランボワーズは、やっぱり色が綺麗だね! これは、体の弱っている人が食べても大丈夫かな?」
「食事制限のない方なら問題ありません」
「そうなんだ、よかった。あっ、じゃぁ、虎にあげるのも大丈夫かな?」
ぴたっ、と、店内の空気が止まる。今、トラ、って言った? 言った、よね?
「トラ……? 廻遊庭園にいる、トラですかね……?」
「うん! いい子なんだよ、とっても」
「いい子……はい……ですが、トラにチョコレートは、やめておいた方が……、あの、胃腸の状況が、違いますので……」
「そうなんだ、残念だなぁ」
とてもしょんぼりした顔をする。トラにチョコレート、どうやら本気だったらしい。
でもすぐに笑顔になって結構な数を購入してくださり、
「ありがとう! また来るね!」
と手を振りながら出て行った。
本物を見てしまった、とっても綺麗だったねぇ、寿命が延びるかもしれない、なんて、彼が去った後の店内は、しばらく賑やかなままだった。
あれから十年たった今でも、舎利弗純壱位は時おり店へとやってきてくれる。
「おはよう! ボクだよ!」
と、開店直後の品数が多い時にいらっしゃるのがお約束だ。彼との遭遇を狙って、若いお嬢さんたちが開店前に列をなしている時もある。うまく遭遇できれば彼女たちは無邪気に喜び、彼もにこやかに握手をしたり、おしゃべりしたり、挙句には箱にサインまで書いてくださったり。たまに眠そうな時や、時間のなさそうな時があっても、店前の道行く人に声をかけられれば丁寧に対応される。店員の私たちに対しても、いつもありがとう、とか、髪を切ったんだねお似合いだよ、とか、逐一反応してくださる。
店員でしかない私たちも、たまたま行き会った道行く人たちも、遭遇に喜ぶ若いお嬢さんたちも、舎利弗純壱位にとってはただの日常的な景色の一部にすぎないはずだ。いてもいなくてもかまわない、そんな、無視してもいい存在のはずだ。でも彼は、彼の人生にまったく関係のない、ただその場を通り過ぎ去るだけの私たちに、いつもきちんと目を合わせ、にこやかに対応し、優しい態度を崩さない。十年もの間、変わらずに。
ご本人は変わらないが、買っていかれるチョコレートはここ数年で随分変化があった。ウイスキーの入ったものも買われるようになり、フランボワーズのものは購入頻度ががくっと減り、最近ではスタンダードなものをたくさん買われている。
「今月末に、キャラメルとガナッシュのボンボンを、合わせて五百個ほどいただきたいんだ。旧世紀では先祖の霊を慰めたり、悪霊を追い払ったりするためのお祭りが、このくらいの時期に行われていたらしくてね。お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、って子どもたちが家々を回ってお菓子をもらっていたそうだよ。寮でそのお祭りを再現しようと思ってね、小さな子が増えたから、こういうことは楽しんでもらえるんじゃないかな」
ウキウキと楽しそうに計画を語られる。彼に吸い寄せられるように店内に入ってきた人たちも、なんとはなしに嬉しそうだ。
「もしできれば、少し小さめに作っていただけるかな。モルの手にも持ちやすいようにね。あぁそうだ、翌日になるけれどこちらにもプレゼントを持ってくるよ、その時にボクが新しく仕立てた服も見せてあげよう! 今回のために仕立てたんだ、とても綺麗な色なんだよ。あっ、あの虎にも是非渡してあげたいなぁ、虎は歳を重ねたらチョコレートを食べても大丈夫になったりしないのかな?」
なんとはなしに嬉しそうだった店内の空気が、ぴたっと止まる。
「……廻遊庭園のトラでございますね。トラは、歳をとってもトラでございますので、チョコレートはやはり胃腸の問題が……」
「そうか、残念だなぁ。じゃあ、ボクの新しい服だけでも見てもらいにいこうかな!」
舎利弗純壱位は、十年前から、多分トラにもずっと優しい。トラが新しいお洋服を見て、喜んでくれるかどうかはわからないけれど。
「お手を煩わせてわるいね、楽しみにしているよ!」
いつものように手を振って出ていかれるのを見て、それだけで店内にはオールオッケーの空気が流れる。今日も綺麗で優しかった、彼を見かけると寿命が延びる気がする、と皆嬉しそうだ。
廻遊庭園のトラには、舎利弗純壱位のためにも長生きしてほしいなぁと願わずにはいられない。通り過ぎ去るだけの私たちにずっと優しくあり続ける舎利弗純壱位の身の上に、悲しいことがおこりませんように。