「慌てて止めて」「うっかり」「笑い話」
アドベンチャーベイにも本格的な冬が来た。雪で街は白く彩られ、空気は刺すほどに冷たい。毎年メンバー皆が楽しみにしているスケート場もオープンして、今日はみんなで遊びにきていた。場が賑わっているのを見ると、寒い中でもなんだか心が暖かくなる。
「ワイ華麗なターンも決めれるで!」
「私もできるわよ。ほら見て!」
ラブルとスカイは軽やかに氷の上を滑っている。それを見ているズーマとロッキーも楽しそうだった。マーシャルが自分も、と言って氷の上でターンしようとする。この流れはいつものやつだ。大体こういう会話の後はマーシャルは転ぶ。止めないといけない。そう思って声をかけた。
「マーシャル、危ないぜ」
「大丈夫……わああっ」
予想通り、マーシャルはバランスを崩して転びそうになってしまう。転倒して体を打つのを防ぐため、慌てて彼の体を受けようと止めに入った。ぶつかると思って目を瞑った瞬間、衝撃と共に口に何かが触れた。目を開けるとマーシャルも同じだったようで口元を押さえている。俺が止めたからマーシャルは氷の上に体を打ちつけずに済んだ。でも口同士が触れる行為――所謂キスというものをしてしまったのだろう。
「え、キスしちゃったの?」
「二人ともファーストキスであります……?」
ズーマとロッキーが気まずそうに聞いてくる。生まれて初めて、つまりファーストキスだったことは間違いない。動揺っぷりを見るにきっとマーシャルも同じだったのだろう。
「い、いやこれは事故だから……! うっかり口が当たっただけ。前にズーマとも鼻でキスしたことあっただろ」
「まあそうだけどさあ……鼻と口は違うし、それに……」
ズーマは何か含みのある言い方をしてくるし、マーシャルは気まずそうに動かない。マーシャルは繊細なところがあるからショックを受けてしまっているのかもしれない。そこまで動揺されるのは複雑だけど、恋人でもなんでもない、ただの仲間とファーストキスをしてしまったのは嫌だったのだろう。
「こんなのキスにカウントされないよ。ただの事故」
明るい声を心がけて言う。その方がマーシャルの心を軽くできそうだと思ったから。だけどマーシャルは表情を緩めない。ちょっと休むね、と言ってその場から去っていってしまった。
その日からマーシャルに少し避けられている気がする。遊んでいる時も俺には絶対に話しかけてこなかったし、セットで任務に呼ばれた時も明らかに気まずそうにこちらを見てきた。任務はさすがにきちんとこなしていたけど、それ以外の接触がほとんどない。これまで喧嘩をした時だってあるけど、マーシャルにここまで避けられたことなんてない。よほどショックを受けていたのだろうと思い、なんだか俺まで気持ちが落ちてしまう。
避けられたままなのは居心地が悪い。なんとか話をしたくて、彼が一人になったタイミングを見計らって話しかけた。みんなが遊んでいるところから離れているから誰かが通りかかったりしないだろうし、狭いところで退路も塞いだから簡単には逃げ出せない。追い詰めているようで罪悪感もあったが、きちんと話をしたかった。
「マーシャル、この間のこと怒ってるのか?」
「……この間のことって?」
「分かってるだろ。ほら、スケートの時に……」
キスしたこと、とはっきり言うのは恥ずかしくてできなかった。語尾が小さくなってしまう。だけど羞恥心を振り払って続ける。
「嫌だったのかもしれないけど、そんなに避けられたらちょっと傷つくぜ。事故だったんだからもう忘れて、普通に――」
「チェイスは何にも思わなかったの? すぐに笑い話みたいにズーマとロッキーとヘラヘラ話してさあ」
「ヘラヘラって……そんな言い方しなくてもいいだろ。というか何をそんなに怒ってるんだよ。言いたいことがあるならちゃんと言ってくれないと伝わらないぜ」
睨みつけるような視線と、煽るような言葉になんだか腹が立ってきてしまう。放った言葉は自分が思うよりも刺々しくなってしまった。俺の言葉を受けてマーシャルが俯く。
「ごめん。嫌な言い方した……でも怒ってないよ。ただ悲しいだけ」
「悲しいって。そこまで言わなくても……事故だったんだから仕方ないだろ。あんなのキスにカウントしなくても」
「そうじゃないよ。僕は――ずっと好きだった相手と事故でもキスして動揺してるのに、チェイスは何も思っていないんだなって。それが悲しいの」
何も返せなかった。マーシャルが放った言葉を消化できない。「好き」という言葉。文脈からただの仲間としての意味でないことは俺にも分かる。沈黙が広がる。きっと勇気を降り絞って言ってくれた言葉で、何かを返さないといけないと思う。だけど何も言葉が滑り降りてこなかった。
「……ごめん。やつあたりした」
震える声で一言だけ返してその場から駆け出していく。追いかけなくてはいけない。そう思って衝動的に脚が動く。少し離れたところで、マーシャルは足を止め顔を伏せて俯いていた。
「マーシャル」
「……なんで追いかけてくるの」
綺麗な青い瞳を涙が彩っていて、不謹慎ながら綺麗だと思ってしまった。そっと頭を撫でると雫が次々に溢れていく。
「ねえ、好きな相手って」
「……言うつもりなかったのに。もう忘れてよ」
「わ、忘れられるわけないだろ……?! こんなのさすがに」
「キスは忘れろって言ったじゃん!」
「だって、事故でのキスとは訳が違うだろ」
「違わない! チェイスのバカ! 鈍感!」
「ばっ……バカとか言わなくてもいいだろ?!」
「じゃあ鈍感!! 僕の想いにも全然気づいてくれないし、あのキスは事故でカウントしないなんて言うし……っ」
涙が次々に溢れるのがいじらしくて、なんだか抱きしめたくなった。だけど付き合ってもいないのにそんなことをするのはさすがに軽率がすぎると思う。抑え込んで、代わりに背中を撫でた。
「ごめん……俺、マーシャルがショックを受けてると思ってたんだよ。すごく悲しそうに見えたから。だから、あんなの気にすることないって言いたくて」
「……動揺してたんだよ。だって、ずっと好きだったんだもん」
何も返せなかった。そこまでの大きな感情をマーシャルが自分に向けていることに全く気がついていなかった。マーシャルの放った「鈍感」の言葉を否定できないと思う。ズーマの含みのある言葉のことも思い出した。もしかして、周りは知っていて気づいていないのは俺だけだったのだろうか。
「……やつあたりばかりしてごめんね。なんか気持ちがぐちゃぐちゃで……あのねチェイス。僕、君のことがずっと好きだったんだよ……いや、『だった』じゃない。今も好き。スケートの時も、僕が怪我しないように止めてくれたんだよね。そういう優しいところとか、格好いいところが大好きなの」
優しい瞳で告げてくる。青くて綺麗な瞳に吸い込まれてしまいそうだと思った。今まで大切な仲間の一人として見ていた。だけどいろんな感情や言葉を向けられて、なんだか自分まで今までとは違った気持ちを抱いてしまう。
「勢いで言っちゃったけど、これからも普通に接してくれると嬉しい。時間がかかるかもしれないけどちゃんと諦めるし、僕も任務に支障出ないように頑張るから。あと――」
「ち、ちょっと待って。なんでもうフラれたみたいな言い方するんだよ?」
「だって君は僕のこと恋愛対象として見てないでしょ」
「みっ……てない……けど、これから見れるかもしれないし……だから諦めるとかそういうこと言わないでほしい」
驚いたように目を丸くする。自分は今ずるいことを言っているのかもしれない。だけどマーシャルが自分のことを諦めて、このまま何も無かったことにしてしまってはダメな気がした。
「そういう期待させるようなこと言うの、ずるいよ」
「だよな……分かってる。でもそういう風に意識したら考えも変わるかもというか、前向きに考えたいというか……」
はっきり言わなくては伝わらない。そうは思っても言葉が詰まってしまう。だけどマーシャルは自分の気持ちを正直に伝えてくれたのだから、それに誠意を持って返さないといけない。その一心で言葉を紡いでいく。
「正直、マーシャルのことをまだその、恋愛的な目では見れてない。でも告白は嬉しかったし、君には笑っていてほしいと思うし……離れていってしまうことは悲しい。ちょっと意識して、そういう目で見てみるから……」
後の言葉を続けられなくなってしまう。俺のことを好きでいて、というのも自意識過剰な気がするし、離れないで、というのもなんだか重たい。きちんとした言葉で伝えたいのに、そもそも自分の気持ちが分かっていないからうまい言葉が見つからない。だけどマーシャルは俺の言葉を受けて微笑んでくれた。
「チェイスありがとう。僕もそんなに簡単には諦められそうにないよ。だから、君さえ良ければこれからも一緒にいさせて」
「うん……これからもよろしく」
「でも、無理だと思ったらきっぱり振ってほしいな。その時は頑張って受け入れるようにするから」
しっかりと言い放つのが頼もしい。優しいけど芯が強いのは彼の魅力だと思う。単純なのかもしれないけど、告白の言葉を向けられただけでなんだかマーシャルが昨日までと違って見える。
「仲間」の枠を超えて、今までとは違う関係に踏み出してみようと思った。それがいいことなのか分からない。だけどしっかり考えて、真剣に彼に向き合っていきたいと思う。そっと決意して、まっすぐにマーシャルの方を見据えた。