「たくさん」「ひとりじめ」「照れ隠し」
2月14日のパウステーションには大量の荷物が届く。バレンタインということで沢山のチョコレートが配達されていた。机の上に並ぶ色とりどりの包みを見ていると、まだ開けていないのに甘い香りが漂ってくるような錯覚をしてしまう。
「今年もチェイス宛のが一番多いよなあ」
「モテモテだねえ」
「ラブルもズーマも沢山もらってるだろ。それに俺は外に出る機会が多くて顔を知られてるから送られてるだけで、別にモテてはないよ」
沢山の贈り物を目の前に、照れる様子も得意げになる様子もなくさらりとチェイスは言い放つ。こういうスマートな部分も人々を惹きつけるのだろうと思う。だけど僕はなんだか気まずい気持ちに満たされて視線を逸らした。
「それにしても多くない? チェイス愛されてるよねえ」
「パウパトロールに感謝してくれてる人がこれだけいるってことだな。これからも任務頑張ろうぜ」
「……うん。でも感謝っていうかさあ……」
「チェイスにチョコを送った子たち、ちょっと報われないでありますね……」
多分本命としてチョコを送っている子も多いのだろう。それなのに「感謝」という綺麗な言葉ひとつでまとめてしまうあたりがチェイスらしいと思う。浮き立った話題に疎いところのある彼は、きっと贈り物に込められた熱っぽい想いたちには気づいていないのだろう。
ケントと並ぶパウパトロールのリーダーで親切。リーダーシップと男らしさに溢れているけど芯から優しくて、その笑顔を向けられたら好きにならない人はいないと思う。そんな彼の魅力にずっと惹かれていた。仲間で大切な友達に後ろめたい感情を抱いている以上、嫉妬や独占欲の感情は抑えて弁えないといけないと思っていた。だけど大量の贈り物を目の前にするとなんだか気持ちが沈んでしまう。気づかれないようにその場を離れた。だけど勘の良い末っ子――ズーマには気づかれてしまったらしい。廊下に出たところで小声で話しかけられる。
「マーシャル、元気ないね?」
「そ、そんなことないよ」
「チェイスのこと?」
「……っ、な、なんで?! なんでチェイスの名前が出てくるの?!」
動揺して大きな声が出てしまった。ズーマが僕の声に驚いて後ずさる。周りにも聞こえてしまったかもしれない。恥ずかしくて頬が熱くなる。
「ご、ごめん」
「ううん。こっちこそいきなりごめん。でもマーシャル、落ち込んでるように見えたから」
「ぼ、僕そんなに分かりやすい?」
「分かりやすいよ。すっごくもどかしいもん」
その言葉にますます顔が熱くなる。自分が隠し事が苦手だということは分かっていたけど、こんなにはっきりと指摘される程だとは思っていなかった。
「告白しないの?」
「こっ……しない……! 絶対振られるもん。それで気を使わせちゃったり気まずくなったら……チェイスは優しいから冷たくされたりはないと思うけど……」
「うまくいくと思うけどなあ」
「自信ないよ……ねえ、ズーマは怖くなかった? ロッキーに告白して、振られたり関係が変わっちゃうの」
「うーん……怖い気持ちもあったよ。今楽しく話してるのに、告白して関係が変わっちゃってそれができなくなると、って思うと不安だった」
過去を思いやるように、少ししんみりとした口調でズーマが続ける。二人はとても愛し合っているように見えるから、そんな悲しい結末はありえなかったのかもしれない。だけど関係を180度変えてしまうのはきっと不安も沢山あっただろう。
「……でも、友達のままでいるのも嫌だった。自分以外が、ロッキーの特別な相手になるのは嫌だ」
今度ははっきりとした口調だった。ズーマがかつて抱いていた想いと全く同じものを自分も抱いていた。誰かがチェイスの特別な相手になることを想像すると胸が締めつけられる。今はまだ、チェイスは自分に向けられている密かな恋心たちのことに全く気づいていない。だけどまっすぐにそれを伝えてくる子が出てきたらどうだろうか。その子がチェイスの好みのタイプの子だったら付き合っても何もおかしくない。チェイスが誰かと付き合ってしまったら、もう自分の想いを伝えることすらできなくなってしまう。
「……それは僕も嫌だ」
「それなら伝えた方が絶対に後悔しないよ」
「うん……ねえズーマ、もし振られたら慰めてくれる?」
「もちろんだよ。一緒に海に出て『チェイスのバカ』って叫んであげる」
悪戯っぽく笑う顔が可愛らしい。だけどその言葉がとても頼もしかった。なんだか気持ちも軽くなる。結果や今後のことを考えると不安で仕方なくて心に靄がさす。だけど一歩踏み出したかった。
せっかくのバレンタインだし、お菓子を一緒に渡すのもいいかもしれない。どうやって作ろうかと考えだしたところで、スカイが少し前にお菓子を作って僕らにもくれていたことを思い出した。スカイの自室のドアを叩くとすぐに出てくれる。たくさん贈り物をもらっていたのはスカイも同じなようで、机の上には沢山の紙袋が置いてあった。
「ねえスカイ、バレンタインのお菓子作りの本持ってたよね。ちょっと貸してほしいんだけど……」
「いいわよ。誰かに作るの?」
「あ、えっと……うん。まだ何を作るかは決めてないんだけど」
「ガトーショコラとかはどうかしら。一度食べた時、チェイスも美味しそうに食べてたじゃない?」
「うん……ってチェイスにあげるなんて言ってないけど?!」
「あら、違うの?」
「ちっ……がわないけどぉ……」
顔が熱くてたまらない。というか自分はそんなに分かりやすいのだろうか。照れて何も言えなくなってしまうと、スカイに優しい視線を向けられた。
「マーシャルが作ったものならチェイスはなんでも喜んでくれると思うわよ。頑張ってね」
「……ありがとうスカイ」
深くは聞かれなかったけど、きっと想いを伝えようとしていることも分かっているのだろう。察しが良くて、優しくて、スカイにはこの先もずっと敵わないんだろうなと思う。借りた本をパラパラと眺めてみる。スカイからの言葉もあり、ガトーショコラが一番美味しそうに見えた。うまく作れるか分からないけど、作って想いとともに渡したいと思う。
材料を揃えて料理に取り掛かっていく。お菓子作りは思った以上に難しくて手間取ってしまった。だけど良い匂いに包まれながら、まっすぐに作業と向き合っているとなんだか気持ちがすっきりと晴れていくのを感じた。長い間燻らせていた片想いだけど、そろそろ終わらせなくてはいけないと思う。拒否されたり、嫌悪の感情を向けられることを想像すると心が冷える。だけど不完全なまま昇華させてしまうのはもっと嫌だった。
焼き時間を失敗して少し焦げてしまったし、形も少し歪になってしまった。僕の不器用さを煮詰めたようなガトーショコラになってしまってなんだか恥ずかしくなる。だけどそこまで大きな失敗はしていないし味はきっと問題ないはずだ。味見をして確かめようとした時、後ろでドアが開く音がした。
「マーシャル、これ誰かにあげるの」
その言葉に振り返ると、チェイスが出来上がったガトーショコラを覗き込んでいた。今日は任務に出ていて夕方まで帰ってこないと思っていたのに、それが早く終わったのかもしれない。
「お、おかえり……早かったね」
「早く上がらせてもらえたんだよ。特にトラブルもなくて良かったぜ」
「うん……ねえ、それ」
手元には沢山の紙袋が握られている。色とりどりのそれは、中身を見なくともチョコレートだと分かった。
「任務中にも渡してくれる人が沢山いたんだよ。みんなのも預かってきてるぜ。これはロッキー、スカイ……マーシャル宛のもあるよ」
メンバー宛のものを振り分けていく。チェイスの手元に残ったものはきっとチェイス宛のものだ。どれもラッピングに手が込んでいて、色とりどりなそれらに目を惹きつけられた。きっとみんな様々な想いを込めて彼にこれを渡しているのだろう。
「……チェイス、いっぱいもらったね」
「そうだね。みんなに感謝しないとな」
綺麗で美味しそうなものを沢山もらっているから、少し焦げたガトーショコラをもらったところで嬉しくないだろう。気持ちがどんどん沈んでいってしまう。あんなに頑張って準備して作って、覚悟もできていたつもりだった。だけど、華やかな贈り物たちを見ているとその覚悟がどんどん萎えてきてしまう。
「マーシャル、なんか元気ない?」
顔を覗き込まれて視線が合う。不安そうな、でも優しい視線に捉えられてなんだか泣きそうになった。
「熱は……なさそうだな。お菓子作りでちょっと疲れた? 休んだ方がいいぜ。何か飲み物でも淹れようか?」
心配してくれる優しさが嬉しい。だけどこの優しさが、沢山の人を虜にしてきたのだと思うと胸が痛んだ。想いを伝えることには戸惑ってしまうし怖くて仕方ない。だけど行動しなければ、僕の気持ちを知らないまま彼は誰かの特別になってしまうかもしれない。言うしかない。震える喉に力を込めて、なんとか言葉を絞り出した。
「……これ、君にあげたかったんだ」
「え、俺に?」
「うん。あのね……僕、チェイスのことが好きなんだ」
僕の言葉にチェイスは返答を詰まらせる。言ってしまった、と思う。もう戻れない。優しい笑顔や、柔らかな視線をもう向けてくれないかもしれない。そう思うと声も震えてしまう。だけど最後まで伝えたかった。
「ずっと好きだった。いつも真剣に任務に向かうところとか、僕がドジをしても助けてくれる優しいところとか、みんなをまとめてくれる頑張り屋なところとか……全部が大好きだよ」
伝えたかったことは全部言えた。不安で仕方なくて、だけど気持ちはどこかすっきりとしている。振られても、少なくとも今は泣かなくて済みそうだと思う。
「……マーシャル」
「な、なに?」
「……すごく嬉しい」
その言葉の後に後ろから抱きしめられた。体温や匂いが伝わってきて頬が一気に熱くなる。近すぎる距離に脳が沸き立つ心地がする。起こっていることが消化できなくて、ただ熱を持て余していた。
「俺もマーシャルのことが好きだよ。だからすごく嬉しい」
「え……」
想定外の言葉に何も返せなくなってしまう。ただ、伝わってくる体温に身を任すしか出来なかった。沈黙が広がる。言葉が何も滑り降りてこない中、首筋に何かが触れるのを感じた。
「……甘い匂いがする」
嗅覚が優れた彼のこと、長い間キッチンに立っていて、染みついたチョコレートの匂いも嗅ぎとったのだろう。でも、耳元で囁くように言葉を投げかけられ、首筋に鼻を沿わせられるとくすぐったさと合わさって湧き上がるような欲を感じてしまう。もっと近づきたいし、触れられたい。自分の中から湧いた生々しい感情に戸惑ってしまい、咄嗟に離れてしまった。
「く、くすぐったいよ」
「ごめん……でも、嬉しくて。これ食べていいの」
「いいよ。でもちょっと焦げちゃった……」
「美味しそうだよ。食べたい。一緒に食べる?」
「うん。すぐに用意するね」
「飲み物淹れるよ。紅茶でいい?」
なんだか現実味のないまま事はどんどん進んでいく。ガトーショコラを切り分けながらも、頭の中はずっとふわふわしていて覚束なかった。向き合って座り、ゆっくりとガトーショコラを口に運ぶ。少し焦げていて香ばしい匂いがするものの、濃厚な甘さが美味しくて口元が綻んだ。チェイスも美味しいと思ってくれているのかもしれない。笑顔をこちらに向けてくれた。
「すごく美味しいよ。ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
優しい笑顔を直視できない。自分から告白したくせに照れてしまって、照れ隠しで視線を逸らしながら答えた。こんな調子で恋人関係になれるのか分からない。それに、まだ不安な気持ちが奥底で燻っている。
「ねえ、本当に僕でいいの? 告白したのはこっちだけど……君はモテるし、他にいい子がいるかも」
「俺が好きなのはマーシャルだけだよ。他の子なんて考えられない」
まっすぐな言葉だった。目が覚めるような言葉をかけられたのに、夢を見ているかのように気持ちがふわふわとしている。頬がじわじわと熱くなっていった。
「いつか告白しようと思ってたんだけど、なかなか勇気が出なくて……情けないよな。だからマーシャルが告白してくれてすごく嬉しかった」
「僕も嬉しかった。絶対ふられると思ってたから……」
「……ねえ、俺たち、今日から恋人同士ってことでいいのかな?」
チェイスからの問いかけにすぐ返すことができなかった。だけど「恋人同士」の言葉に幸福感を感じていく。まっすぐ向き合って言葉を返した。
「うん、これからもよろしくね」
仲間の関係性から一歩踏み出して、恋人としての楽しい思い出を沢山作っていきたい。弁えていたつもりだったけど、これからは時々は彼を独り占めしたい。思いがどんどん加速していく。彼と同じ想いを抱いていて繋がれたことへの嬉しさと、どんどん強くなる欲への戸惑い。いろんな気持ちに満たされてまだ心は混沌としている。落ち着かせるようにガトーショコラをまた一口頬張ると、甘さが舌の上に広がっていく。これから始まる彼との恋人生活も、こんな風に甘くとろけるように幸せなものであってほしいと願った。