バタフライエフェクト過去の自分はそんなに愚かだったのかとアークは愕然とした。確かに口は悪かったし、割と生意気な時期があったのは自覚してる。だが今しがたたった一年前の自分の行動に眩暈がした。
不思議なこの世界で15歳のアークが存在する。そしてその世界には出会うはずのない二人のエルクも存在する。
正確には小さいエルクもいるので知らないとすれば三人なのかもしれないが…とアークはそこでも思い悩む。
それよりも今はふいに目撃してしまった過去の自分と18歳の頃のエルクとの密会現場だ。
別に何か悩みがあるとかで相談をしてるのならばこんなに頭は悩ませない。
何が問題かというと…目撃した時キスをしていたのが問題だ。思い返すと自分がなぜか破廉恥な行動をしたのでは?と考えてしまうが、残念ながらこの16歳で時が止まり身体を作られたという自分にはそんな記憶はない。
何せ自分の初めてのキスは、運命の縦糸だ。
15歳の自分だってそれはハッキリ分かっているだろう…あの時だって彼女に手を引かれて祭りを周ったのに。
それが何故エルクと?
(…混乱してきた)
自分は決して頭が良い方ではないし、気が長い訳ではない。一部仲間の間では真面目で清廉潔白な人間だと思われてる。
(そんな訳ないだろ)
一人静かになれる場所で壁に頭をこつりと預ける。
ただ勇者という鎧があるだけだ。
本来の自分を思い返すと、何だか残念な気持ちになる。
母に薬草を強請ったのだって、国王に対して無礼な口の聞き方だってした。こんな男の何処が清廉潔白なんだ。
(…それに)
後を頼むと世界を託してしまったエルクに負い目がある。
だから易々とどの彼に対しても自分から声を掛ける事は控えていた。25歳の彼は立場上もあるだろうが…出来ればあまり顔を合わせたくない。
(だって…都合が良すぎる)
あんな夢のような現場に、吐き気を催してくる。
都合のいい夢だ。
(やめさせよう)
もう18歳の彼にこれ以上傷を負わせたくない。
あの若い自分は知らないだろうが、一年後には彼を残して死ぬんだ。例えばこの世界の記憶が何処かで残っていたら?蝶の羽ばたき一つで未来が変わる世界ならば?
例えば自分が16歳になった時…本当は彼にどんな感情を向けられているか知ってしまったら?
勝手に自分自身が傷つくのは構わないが、何よりもエルクにこれ以上辛い思いをさせたくない。
そう思い人気のない廊下をコツコツと歩き15歳の自分を探そうと歩みを進める。
「アーク」
今一番会いたくない人物に声を掛けられた。
気付かないふりをしようにも、その呼び声に気付かない程彼に鈍感だと思われてはいないだろう。あまりに不自然になる…仕方なく、声のした方を振り向く。
「どうした?エルク」
何にもないような顔をしているつもりだが、きっと彼には隠せない。
「やけに一人で悩んでるから。なんかあったか?」
25歳の人生経験だろうか…昔には気付かれないような些細な感情を読み取られる。いや、そもそも自分が彼の存在に気付けなかったかもしれない。迂闊だった。
しかしそれでも何でもないよ、と話を切り上げようと思ったが…エルクに核心をつかれた。
「若い俺らの事か?」
「…」
それを咄嗟に違うと言えなかった。なるほど、とエルクは呟くとアークの手を引いてちょっと話をしようと近くにあった部屋に入った。
それで、と部屋に入ったエルクは入り口を塞ぐ形で自分に向き合った。25歳の彼は随分と大人になった。
本人は、全然ダメと言うが…昔の彼を重ねると、やはり大人だ。
「というか…その若い俺達の事っていうのは」
「何となく俺が気付いただけ。多分自分で言うのもなんだけどあの18歳相当浮かれてる」
「…15歳の俺も多分…浮かれてるよ」
「そうか?多分アンタの方がしっかりしてたんじゃないかな。だから付き合ってる」
「…付き合ってる…のか?」
ハッキリ言われると何だかむず痒いが、まぁキスをする仲なら付き合ってると言う方が正しいのかもしれない。
しかし自分の事ながら頭が痛くなってきてこめかみを押さえる。その様子にエルクは苦笑いをした。
「まぁ随分仲良くなってるのは確かだからな」
「…やめさせないと」
「アークはそう思ってるんだな」
だって、と自分の気持ちをエルクに伝える。
18歳の君をこれ以上傷つけたくないとか、未来が変わるかもしれないとか。
でも言葉を紡ぐ事に自分の心は曇っていく。
本当に…今目の前の彼に言いたい事はきっとこうじゃない。
15歳の自分には出来て、今の自分には出来ない事。
「…いや、すまない。忘れてくれ」
「アンタの悩みは分かった。ただこれは俺っていう人間からした18歳の俺の話なんだけどさ」
照れるように頬を少し掻きながらエルクは続けた。
「きっと後悔しねーよ」
その言葉に、はっとエルクの顔を見つめた。
久しぶりにきっちり顔を、視線を合わせた。
パチリと合う視線をエルクは逸らさずに言う。
「あの記憶が…例えば夢だとしても、それを嘆いたり傷ついて動けなくなったりしない。寧ろめちゃくちゃいい夢だから続きが見てぇってなる」
へへ、と少しだけ15歳の彼を思い出すような笑い方をする。
「あ、なんなら…俺ともキスしてくれね?」
「は?」
何だか一人で昔のやり取りを思い出したような気がして懐かしい気持ちになった気分をあっさりとエルクは壊していった。全然大人じゃないじゃないか…と内心毒づく。
「嫌だ」
「言うと思った」
いつの間にか少しだけ自分との距離をエルクが詰め、そっと手を掬い上げられた。
「そんなアンタが俺は好きだよ」
「…何だそれ」
「言っておきたかっただけだよ。まぁ俺らが悩む事じゃない、本人達に任せようぜ」
な、と掬い上げられた手にエルクがもう片方の手をそっと添えてきた。とても大事なものに触れるような手の握り方に恥ずかしくなって、軽く手を払った。
「アンタらしい」
「君も変わらないな」
「何だよ、少しは大人になっただろ」
「年齢だけな」
「ひでぇ〜」
丁度いいタイミングでエルクを探す声が微かに聞こえる。
「探されてるぞ」
「あ〜…行ってくる」
ガチャリとドアノブを回し、エルクはじゃあなと軽く手を振り部屋を出ていった。
一人部屋に残された。
シンとした部屋で先程の会話を思い出す。
『そんなアンタが好きだよ』なんて台詞に、きっとそれ以上の意味はない。そっと両手で包まれた自分の手が少しだけ熱い気がするのも気のせいだ。