本だけが知っている雪の降る冬の日の夕刻、聖地の奥に佇む今は使われていない古い図書館は、静寂に包まれていた。
高い天井まで続く本棚には無数の古書が収められ、窓から差し込む夕陽が埃舞う空気を金色に染めている。
王立研究院ができてから使われなくなってしまったこの図書館は、鍵を持つ者にとって密会の場に最適だった。
「ルヴァ、待たせてしまってごめんなさい」
扉が静かに開き、リモージュが息を弾ませながら入ってきた。
女王の証である白い長衣を身に纏いながらも、その表情は出会った時の少女そのものだった。
頬を薄紅に染め、髪に雪の結晶を宿したまま、彼女は愛しい人を見つめた。
「いえ、私も今来たところです」
ターバンを巻いた穏やかな男性、ルヴァが振り返る。その手には一輪の白い花が握られていた。
聖地に雪が降る日にだけ咲く神聖な花。永遠の愛を誓う時にも用いられるという。
「それは…」
「あなたに渡そうと思って摘んできました。今日という日にふさわしいでしょう?」
ルヴァの優しい微笑みに、リモージュの瞳に涙が滲んだ。二人が秘密の関係を続けて一年。
女王と守護聖という立場の違いが、彼らの愛を影に隠していた。
しかし今日だけは、誰にも邪魔されることなく、ただ二人だけの時間を過ごしたかった。
「ルヴァ…私たち、本当にこんなことをしても良いのでしょうか」
不安げに呟くリモージュの手を、ルヴァがそっと包み込む。その温かさが、彼女の震える心を静めた。
「公的な儀式ではありませんが、私たちの気持ちに嘘はありません。
この図書館で、星々の記録を見守る書物たちを証人として、私はあなたに愛を誓いたいのです……」
「ルヴァ…」
リモージュの瞳から雫がこぼれ落ちる。それは悲しみではなく、込み上げてくる喜びの涙だった。
「では、始めましょうか」
ルヴァが手をかざすと、淡い緑の光が指先から溢れ出した。
地のサクリアの力により、図書館の空間がほのかに輝き始める。
古い書物たちが静かに光を放ち、まるで二人の結婚を祝福しているかのようだった。
「私、リモージュは」
女王の威厳を込めながらも、その声は愛らしく震えていた。
「宇宙を統べる重責を負う身でありながら、あなたを愛してしまいました。この気持ちを隠すことはもうできません」
「私も」
彼の声は穏やかで、深い愛情に満ちていた。
「守護聖としての務めを果たしながら、あなたへの想いを胸に秘めてきました。もはやあなたなしに生きることなど考えられません」
二人が向かい合い、お互いに手を伸ばす。
ルヴァがリモージュのヴェールを外し、リモージュがルヴァのターバンを外し、祭壇に見立てた書見台に静かに置いた。
彼女の小さな手をルヴァの手が包み込むと、その瞬間、彼らの周囲に無数の光の粒子が舞い踊り始めた。
「これは…」
「私たちの心が共鳴しているのでしょう。サクリアの力が、私たちの愛を形にしているのかもしれません」
光の粒子は次第に形を変え、花びらのような美しい輝きとなって二人を包み込んだ。図書館の中に、幻想的な花園が現れる。
「綺麗……まるで夢のようです」
「いえ、これは夢ではありません。私たちの愛こそが現実です」
ルヴァがリモージュの指に白い花を巻きつける。即席の指輪代わりだった。リモージュも同じように、ルヴァの指に小さな花を結んだ。
「私はあなたを愛し、支え、共に歩むことを誓います」
「私もあなたを愛し、信じ、永遠に添い遂げることを誓います」
二人の誓いの言葉が図書館に響くと、書物たちがより一層輝きを増した。
まるで宇宙の歴史を記録した書物たちが、新たな愛の物語を刻み込んでいるかのようだった。
「リモージュ……」
「はい」
二人がゆっくりと顔を近づけた時、図書館の扉が小さく軋んだ。
一瞬身を硬くする二人だったが、すぐにほっと息をついた。風で動いただけだった。
「私たち、まだ内緒にしなければならないのですね」
少し寂しそうに呟くリモージュに、ルヴァが優しく答えた。
「今はまだ。でも、いつか必ずあなたと堂々と愛し合える日が来ます。その時まで、私は待ち続けます」
「私も…ルヴァとなら、どんな困難も乗り越えられそうです」
二人は静かに唇を重ねた。それは初々しく、純粋で、深い愛情に満ちた口づけだった。
やがて夜が更け、二人だけの結婚式は静かに幕を閉じた。
光の粒子は消え、図書館は再び元の静寂を取り戻す。しかし、二人の心には消えることのない愛の灯火が宿っていた。
「名残惜しいですが、そろそろ戻らなければ」
「そうですね。誰にも行き先を告げていませんし……」
立ち上がりながらも、二人は名残惜しそうに手を繋いでいた。
「また明日、ここで会えますか?」
「ええ。もちろんです。あなたとの時間が、私の一番の宝物ですから」
「私もです、ルヴァ」
リモージュが柔らかく笑みを浮かべる。その笑顔は、女王としての威厳と少女らしい愛らしさが混じり合った、ルヴァだけが見ることのできる特別な表情だった。
「それでは、また明日」
「また明日…愛しています、リモージュ」
「私も愛しています、ルヴァ」
二人は最後にもう一度軽く唇を合わせ、それぞれ異なる扉から図書館を後にした。雪は依然として降り続いており、彼らの足跡をそっと隠していく。
翌朝、何事もなかったかのように女王と守護聖としての務めに戻った二人。
しかし、彼らの指には昨夜の白い花が、小さく乾いて残っていた。それは二人だけの結婚式の証であり、永遠の愛の約束だった。
「おはようございます、陛下」
「おはようございます、ルヴァ」
公式の場で交わされる挨拶の中に、二人だけが分かる特別な愛情が込められていた。
そして、互いの指の小さな花を見つめ合いながら、二人はそっと微笑み合うのだった。
聖地の古い図書館には、今日も静かに二人の愛の記憶が刻まれている。
宇宙を統べる女王と地の守護聖の、誰にも明かせない純粋な愛の物語として。