おとしもの ころん。
桐生に投げ飛ばされたまま寝そべっていた真島の元に、スーパーボールくらいの大きさをしたハートが転がってきた。球体に近い形をしているので、どこからか流れ着いてきたのだろう。
ひんやりしたコンクリートが気持ちよかったのでもう少し寝ていたかったが、見慣れないおもちゃが気になり手に取った。ほとんど白色で、中央が淡く桃色になっている色彩。まるで和菓子のようだ。とはいえ、いい大人なのでさすがに口に入れることはしなかった。
あれから例のハートを街中でよく見かけるようになった。色は様々で、黄色とか紫とか、果ては黒などハートからイメージされる色とは遠いものもあった。
てっきり中高生の間で流行っているおまけか何かだろうと思っていたので、組長室にも転がっていたときは驚いた。
西田を問いただすがまったく心当たりがないと言われてしまった。組長室に出入りする人間は限られているし、ここだけは真島が片付けているので掃除のし忘れとも考えにくかった。
ついでに聞くと、西田は転がっているハートを街中で見かけること自体ないらしい。シノギに関わることもあるので流行には疎くないはずだが、そういったアイテムの話は耳にしていないそうだ。
ぽつんと転がっている緑色のハートを手に取る。盗聴器とかカメラとか、機械類は組み込まれていない。本当にただのおもちゃだ。光に透かすと、思いの外透明だったようで淡く緑色が反射する。おもちゃといえど、きらきらとした様に柄にもなく癒されてしまった。
桐生の背中を見つけた。驚かせようとしたが手持ちがなかったので、古典的だが無言で後ろから抱きついてみた。「うおっ!?」と予想通りの反応。喜んだのも束の間、すぐさま肘打ちが飛んでくる。すかさず「桐生ちゃん」と耳元で名前を呼ぶと、すんでのところで攻撃を止めてくれた。
「真島の兄さんだったか」
「ヒヒッ、たまにはこーゆーのもええやろ? ええ声やったで」
「忘れてくれ。そして離してくれ」
後ろから首に両腕を絡めて抱きしめている。首を締めているわけではないので桐生の四肢は自由だ。先程みたいに力づくで離そうとすればいいのに、律儀に真島に伺ってくる。
「桐生ちゃん甘いなあ。無理矢理逃げればええやんか。俺がドス握ってたらこのまま首掻っ切っとるで」
「う…」
こんな感じのバックハグが昔話題になってたなと思い出す。こいつはそういう流行りもんは知らんやろな。桐生がされるがままになっているのをいいことに、真島は次の手に出た。
「桐生ちゃん。…俺じゃあかんか?」
「え…?」
「好きや」
ころん。
「なんてなあ! 桐生ちゃん知っとる? 昔ドラマで、ゔっ!!?」
鳩尾に重い一撃。かなり深く入ったらしい。桐生から腕を離し、腹部を押さえる。喧嘩するなら真島にとって好都合だ。呼吸を整えながら顔を上げると、桐生は真っ赤な顔でこちらを睨んでいた。
真島と目が合うと、いつもより深く眉間に皺を寄せ「ばかやろう」と小さく吐き捨ててそのまま踵を返してしまった。
真島の足元には例のハートがあった。二つもある。一つはこれまでに見たことがないほどぴかぴか光っている赤色で、もう一つは青みがかった黒っぽいくすんだ色だった。
「なんやこれ」
もしや桐生が落としたのか?
そういえば初めてハートに気づいた時は桐生と喧嘩した後だった。それに桐生であれば真島の組長室にも出入りできるので納得がいく。桐生と暮らしている少女にせがまれたか、街の面倒事を押し付けられているのだろう。それにしてもこぼしすぎではないかとは思うが。
桐生に返そうと二つのハートを拾い上げる。ちょうど携帯が着信を知らせたので出てみると西田だった。マメなことにハートのことを調べたようだった。
噂レベルの話だが、服用すると感情が具現化され、それがハートのブローチのような形でこぼれ落ちるという薬があるらしい。
どんな仕組みだと到底信じられない話だが、妙に今の状況と噛み合ってしまっている。それに変な薬のせいだとしたら、人を信じやすい桐生なら御礼にもらったそれを飲んでしまうかもしれない。
西田の調べでは体に害はなさそうだが、本人の感情が満たされない限りずっとハートが出てしまうと言われているらしい。
「なんやそれ…曖昧すぎるやろ」
感情が満たされるってなんだ。願いが叶うということか? 恋愛成就とか、受験合格とか? 俗っぽいものなら、ブランド品が欲しいとか金持ちになりたいとか? ぱっと思いついたそれらは、どれも桐生とは縁遠いものだ。思い返すと桐生は物欲がなさそうだ。自ら希望を口にするところを聞いた覚えがない。
「…喧嘩したくないとかはちゃうよな?」
それは真島の生きがいに関わるので阻止したい。桐生には悪いが、その願いは諦めてもらおう。申し訳ないのでハートは拾ってやるつもりだ。
*
「桐生ちゃん、これ落としてたで」
西公園で煙草をふかす桐生がいた。この前拾い上げた二つのハートを渡そうとする。桐生は怪訝な顔をしていたが、真島の手にあるのがハートだと分かると少し狼狽える様子を見せた。
「なんでこれが俺のものだと?」
「この前抱きついたときに足元にあってん。前も色違いのやつがあったし、桐生ちゃんかなって」
「むう…」
「桐生ちゃん、このハートって桐生ちゃんから出てんの? なんかそういう怪しい薬が出回ってるって聞いたで」
苦々しい顔でハートを受け取った桐生だったが、表情に似合わず存外丁寧な手つきでそれを胸元にしまった。
噂の薬のせいか聞くと、やはり飲んでしまったらしい。手助けした相手からお礼としてもらったと言うので、真島の予想通りだった。
「お前なんべんも言うてるやろ。知らん奴から見慣れないもん貰って口にするなや」
「いや、だってジュースみたいだったんだ。てっきり市販の新商品かと」
「今回は健康被害がなさそうやからええけど、ほんまやめろや」
あまりに予想通り過ぎて呆れる。真島にしては珍しく桐生に厳しい口調で注意する。反省しているのか桐生は叱責を受け入れ、小さく謝罪した。
ころん。
「お?」
「あっ」
気づけば桐生の足元にハートが転がっていた。桃色と青色がマーブル模様になっているみたいだ。そういえば感情が具現化されていると言っていたな。色も関係しているのだろうか。
「また変わった模様やな。これ桐生ちゃんの感情なんやろ? いまどう思ってんの?」
「え、ん、んん…そうだな、悪いなと…」
ほんまか?
変な間があったし、桐生の態度も煮え切らない。仮に本当に反省する気持ちだとして、あんな模様になるのは腑に落ちない。桐生の言う通りならそう複雑な感情とは思えないし、単色で現れそうだと思った。
「なんで隠すんや。桐生ちゃんも知っとんのやろ、本人が満足せんとずっとこのままなんやで」
「兄さんに全部言う必要ないだろ」
「あほ。永遠に叶わん望みだったらどないすんねん。桐生ちゃんが四六時中ハートまみれで喧嘩できんのは嫌やし、そもそも桐生ちゃんの望みが喧嘩したくないやったら困るわ」
「………」
またハートが転がってきた。先程のものと似ているが、心なしか青みが強くなっている気がする。
「ちょ、おま…ハート出過ぎちゃう? こんな頻繁に出るもんなん? 大丈夫か」
「に、兄さんのせいだ」
「はあ???」
「普段は全然出ないんだ。兄さんと会うと出てくるんだ。俺にも分からないんだ」
困った。どうも真島が原因らしいことは分かったが、本人も無自覚とは骨が折れそうだ。しかし自分が関与していることが判明したおかげで、この件について堂々と桐生に接触できる。
とりあえずこれまでのハートの色について分析してみることにした。
「俺結構いろんなの見たで。ピンクとか赤もやけど、黄色とか紫とかもあったで」
「俺も同じようなものだな」
「ほんならさっき落としたピンクと青色のときは何考えてたんや。反省だけとちゃうやろ」
「ぐっ…」
詰め寄ると白状した。
兄さんに心配されて嬉しかった。自分の不注意が原因なので反省した。心配の理由が喧嘩のことばかりで落ち込んだ。
真島は開いた口が塞がらなかった。意外だったのだ。桐生がこんなに可愛らしいことを考えていたとは。
「…どうやら青色はネガティブな感じやな。桃色は嬉しかったことやろか」
「…………」
「桐生ちゃん、恥ずかしがっとる場合ちゃうぞ。あ、そういえば俺の組長室にも落ちてたわ。緑色やったけど覚えてるか?」
「組長室……? ああ、真面目に仕事してる兄さんが格好よかったな。珍しいものを見た」
「……!!?」
先程と違い明確に真島を称賛しているというのに、むしろ桐生はあっけらかんとしている。ここまでの話から考えると桐生は真島に好意を持っているように思えてくる。
「桐生ちゃん…今日渡したハートは覚えてるか? 赤色と黒っぽいやつや」
「…………」
「単刀直入に聞くで。桐生ちゃん、俺のこと好きなんちゃうか」
「は…」
分析しているうちに桐生も答えに辿り着いたのだろう。真島に図星を突かれたようで分かりやすく目が泳いでいる。何か言おうとしてはつぐむ。声にならない声が聞こえてきそうだ。
こいつ、思ったより初心やな。
好んでキャバクラ遊びしているし、キャバ嬢との接し方はまさに慣れている男だったので意外だ。
「わ…わからねえ」
「なんでや。その反応で否定されても誰も信じへんで」
「いや、俺もまさかと思ったが…突然のことで」
「赤いハートのときのこと教えてや。あんときのハートはぴかぴかしてほんまに綺麗やった。俺が思うに、たぶん相当嬉しかったはずや。聞かせてくれ」
「あれは………」
語る桐生の顔は真っ赤だ。まるであのときのハートのよう。口下手で言葉よりも態度に出る分かりやすい男だが、わりとポーカーフェイスだったのに。そんな男が恥ずかしそうに一生懸命自分に向けて愛を語っている。
「兄さんに抱きしめられて、す、好きだと言われて、……ドキドキしたんだ」
もういいだろ、気持ち悪いだろうと帰りたそうにしている桐生の腕を掴む。
「行かんといて。もっと聞かせてや」
「はあ!? これ以上何もねえよっ」
「いーや、恋心を自覚した今ならもっと言うことあるはずや。兄さんのどこが好きなん? なあなあなあ」
「叶わないのに何で言わなきゃならねえんだ!」
「嬉しいんやもん」
「へあ…っ、?」
目をぱちくりさせて呆然としている。おめめキラキラや。桐生の腰を抱き寄せ、その瞳を覗き込む。
「桐生ちゃんに好きやーって言われるのめっちゃ嬉しい。もっと言うて」
「からかってんのか。あんたそんな気ないだろう…」
「おう、今急になったわ。桐生ちゃんの告白にときめいた。立派な理由やろ?」
「え…」
なんという素直な男だ。あんなに眉間に皺を寄せていたのに、今や険がとれて幾分か柔らかい顔になっている。
「ヒヒ…キスしてええか?」
「!? 何言ってんだ」
「嬉しそうに俺のこと見つめる桐生ちゃん見てたらしたくなってん」
「そんなこと」
「桐生ちゃん気づいてるか? 今めーっちゃドキドキしてるくせにハート落ちてへんよ」
「!」
決定打だな。
もはや桐生は首まで真っ赤だ。真島も自覚させられたのはたった今だというのに、桐生のすべてが愛おしくてたまらない。少し強く桐生を抱き寄せ、そのまま顎に手を添える。もう抵抗する気はないようだ。
「桐生ちゃん、好きや」
今度はほんまやで。
そう伝わるように、やさしく口づけた。
後日談
「ピンクとか赤色は嬉しいっちゅーかときめいたときだったんやな」
「蒸し返さないでくれ」
「最初に見たやつはほぼ白に近いピンクやったで。今思うと会う度に色が濃くなってたかもしれんな。そうかあ、桐生ちゃんはどんどん俺のことが好きになっていったんやな…」
「だらしねえ顔だな…」
「イヒヒ! でも黄色と紫はなんなんやろ? 黒もタイミングは分かったけど結局どういう感情なんや」
「俺もすべてを把握しているわけではないが…たぶん単純に嬉しかった時は黄色かもしれない。兄さんに会えたと浮かれた時があった」
「え、めっちゃかわええやん」
「黒いのは…当時のことを思うと、冗談と言われてショックだったのかもな…」
「すまんかった。あれは良くないジョークやな」
「いや、いいんだ。俺も兄さんも俺の感情を分かっていなかったんだから。残る紫は…喧嘩したくないときかな。消去法だが…」
「なんで濁りのない紫色なんや。せめて兄さんと会えて嬉しい〜って感情と混ざった模様にしてや」
「コントロールできるもんじゃねえんだ、無茶言うな」
「ぐぬぬ」
おわり