貴様いつまで我慢するつもりだ問題「おやすみナナミン」
悠仁はからだをぴったりと七海にくっつけて、満ち足りた声でそう言う。
七海はそれをやはり満ち足りた心地でうっとりと聞き、おなじようにおやすみなさい、と返してやった。
夜のなかでいちばんとろりと密度の高いのがこの時間だと思う。
遅くまで映画を観たりして、夜更かししてしまいましたね、後片付けはあしたにしましょう、とか言いながら使っていた皿やグラスをシンクに置きっぱなしにする。
ともすればリビングのソファでそのまんま眠ってしまいそうな体温の高くなってしまった悠仁をベッドまで引っ張っていき、そのままやさしく押し込めて、七海は自分もそのとなりにはいる。
ふたり分の重みを受け止めるベッドは一緒に暮らすことになったときにふたりで選んで買ったもので、男ふたりが眠れてしっかりゆっくり体をやすめることのできるサイズのものだ、とても大きい。
でもここに二人ではいってしまうと悠仁は七海にぴったりとくっついて寝てしまう。ふたりでからだを大の字にして寝たことなんてないので、ベッドはいつも余白が大きいのだった。それがしあわせで、七海はいつだってうっとりとする。
すでに隣からは健やかな寝息がきこえてきていて、七海はそれを福音だと感じながらそっと目を閉じた。
「そんなもので満足するな、ばかばかしい」
そっと閉じたまぶたを、七海はぴく、と震わせた。声はきかなかったことにして眠ろうとする。
「おい、無視するな、金髪眼鏡、おい、なあ、」
「………」
「おい、こら、呼ぶぞ、俺も小僧と同じように呼ぶからな、ナナミン、ナナミン!」
「ちょっと……!」
七海は我慢ならなくなって、むっくと起き上がる。ケヒ、という嘲りの笑い声は健やかに眠る悠仁の頬に、ぐぱっとあらわれた口から発せられたものだった。
「呼ぶな。やめろ、そうやって呼ぶの」
ケヒケヒ、とそいつはやはり不快に嗤い、七海は最悪だ、健全なよるが阻害された、と大変気分を害した。
声の主、呪いの王、宿儺は、たまにこうやって悠仁が眠ってしまったあとに出てきて、七海をからかうことがあった。話すことはないとばかりにたいてい七海は無視するが、宿儺のほうはそれでもう興味を失ったように話さなくなることもあるし、そうかと思うとべらべらと不快なことを話し続けることもある。
いちど起きているときの悠仁に、宿儺と話すことはよくあるのか、と聞いてみたが、悠仁は鼻に皺をよせ嫌な顔をし、「ない!」と声高に言ったきり機嫌が悪くなってしまったので、真実のほどは知らない。とにかく宿儺は気まぐれにこうやって出てきては、べらべらと余計なことをおしゃべりすることがある。
「ナナミン、貴様、いつまでそうやって我慢するつもりだ」
「ナナミンって呼ぶな、気持ち悪い」
「気色悪いのは貴様であろう。一回り歳下の小僧にナナミンなどと呼ばせて悦んでおるくせして」
こんなことを言われるとぐうの音もでない。七海は呻いて再び眠ろうとした。
「寝るな、ナナミン。俺の話を聞け」
「知るか。わたしは寝る」
「ナナミン、寝るな、面白い話があるから、聞け。小僧のことだぞ」
だからナナミンって呼ぶなよ、と七海はいらいらしながらなんなんだもう、ともう一度身を起こした。
「なんですか、いったい。悠仁くんのことって」
「ナナミン、貴様、いつまで我慢するつもりだ?」
七海は宿儺が『何を言わんとしているか』をそのことばだけで判って、ぐっと口を真一文字にするが、何を言っているのかわからない、という顔をすぐに取り繕って、あまつさえ、「なにが?」みたいな顔をして見せた。
しかし宿儺はそれを嘲ってくつくつと笑う。
「貴様、いつまで、我慢するつもりだ、小僧とのまぐわいを」
宿儺はわざと一言ずつ区切ってゆっくり言う。まぐわいって。まぐわいなんて、そんな。七海は頭を抱えた。そうだ、そのとおり。七海は我慢していた。とても我慢していたし、いまもずっと我慢している。まぐわい、その言葉を使うのは癪なので使わないこととするが、セックス、悠仁とのセックスを、もうながいあいだずっと我慢していた。
これは誰もかれもにびっくりされることだが、一緒に住むようになってなお、七海と悠仁は清い関係だった。一緒に暮らして、おなじ飯を食べ、おなじ風呂にはいって、おなじベッドでぴったりからだをくっ付けあって寝ても。それでも、まだふたりはそれだけの関係だった。それだけ、と言ってしまうのは齟齬がある。からだの関係がなくてもふたりのこころはがっちりと重なっているし、なんの問題もない。からだの関係なんてものは重要視していなかった。なんの問題もないのだ。ただ少し?おおいに?むらむらする夜もあるだけで。
それをきいて五条なんかは腹を抱えて笑い、『お前たち、それっていっそ変態くさいな』なんて蔑めるのだが、五条に笑われたところで七海にとってはうるさい虫が耳もとでぶんぶんいったあと去っていくようなものなので、問題にするほどのことではない。
とにかく七海は悠仁とのこの生活で満たされていたし、これでいい、と思っていた。
「いいわけなかろう、朴念仁どもが。貴様も小僧も、揃いも揃って阿呆か」
宿儺は呆れた顔(顔はないのだが雰囲気だ)でハッ、と馬鹿にした声を出す。
「阿呆って…」
「阿呆であろう。揃いも揃ってふたりとも魔羅を大きくして寝るくせに。俺にわからんと思うたか」
「ちょっと…!」
七海は慌てて取り乱す。なぜそれを知ってる!とびっくりするがまあ知ってるか、と思いなおす。宿儺は悠仁とからだをわけあっているのだ。まあ、そうか、知っているか…そうか…
少し落ち込む。第三者に恋人どうしの性事情を知られるのは大変に恥ずかしいものだ。七海はぐう、と唸ってなんなんだ、と声をあげた。
「なんなんだ、さっきから。なにが言いたい」
「さっきから言うておろう、我慢するな、と言うておる」
宿儺の呆れた目と七海の目があった。ぱちくりと七海はまばたきする。
「我慢するなとは…」
「そのまんまだ。我慢するな。阿呆か。ふたりして魔羅をカチカチにしておいて。その立派な逸物を小僧の尻に突っ込んでまぐわえばよかろう」
「馬鹿なことを…」
はあ、と七海は首をふる。
「そんな、そんなこと簡単に言うな。わたしのはその…デカいんだ、ふつうより少し…いやかなり」
「よくそのようなことを自分で言えるな…」
「うるさい、茶化すな、とにかくデカくて…こんな…こんなものを悠仁くんに挿れるなんて…わたしにはできない…」
「問題ない、小僧の尻は日に日に拡がっておる」
「ハ?!」
七海はギョッとして大きな声を出し、宿儺は五月蝿い、と顔を(しつこいが顔はないのだが)顰めた。
「ど、どういうことですか?!」
「どういうもこういうもない。小僧のやつ、拡げておるぞ。毎日、ちょっとずつ」
「エエッ?!」
「五月蝿い」
七海の心臓がどき!どき!と音をたてる。拡げてる?毎日?ほんとに?
「ひろ、拡げるってどうやって…」
「魔羅を模したもので…」
エエッ!?と七海はへんな声をあげてしまった。
「小僧の部屋の衣装箪笥のいちばん下の段だ。はいっておるぞ」
それをきいて七海は急いでベッドを出て、悠仁の部屋にすっ飛んでいく。クローゼットの引き出しの一番下段、そっと開けるとそこには冬物のセーターがはいっていて、それをそっとめくると、果たしてそこにはえげつない大きさのディルドや、バイブや、ローションが無造作にはいっていたのだった。
その光景をまのあたりにし、それから悠仁の無垢な笑顔を思い浮かべ、そうしたら異常に興奮して、七海はぎゅっと目をつむる、死んでしまう!と思う。
とにかくそれらを目に焼き付け、寝室まで戻って宿儺にあった、と報告した。
「な、我慢するなと言うたであろう」
「なぜこんなことをわたしに…?」
おずおずとそうたずねれば、宿儺は呆れたようにため息を吐いた。
「迷惑だからだ」
「迷惑?なにが」
「小僧のやつ、四六時中悶々としておる。お前に抱かれたくて抱かれたくてたまらんのであろう、いじらしいとは思わぬか、お前に抱かれるために尻をだんだん拡げておるのだぞ。さっきの玩具でおのれを慰める声が五月蝿うて難儀しておる。俺はもうあの声は聞き飽きた。ナナミン、お前、男をみせてやれ。俺を安眠させてくれ。後生だから」
ぶつぶつと言う宿儺をよく見れば、宿儺の目(目?)の下には隈が浮かんでいる。安眠させろ、というのはどうやら本当らしい。
「ぜ、善処する…」
七海がそう答えると、頼んだぞ、と宿儺はすう、と消えていった。悠仁はすうすうと寝息をたてている。先ほどのアダルトグッズを思い出す。その日七海は眠れなかった。
「ナナミン、今夜はなんの映画にするー?」
悠仁がサブスクリプションサービスで映画をあれやこれやと選んでいる姿を横目にみながら、七海はそれどころではなかった。
今夜こそ、今夜こそは、我慢しない。
我慢しないぞ、我慢しない。ケヒ、とあの嗤い声が聞こえる気がするが、そんなのはかまいやしない。
「満を持して?タコゲームみよっか。おれさ〜、おもしれえおもしれえってまわりが騒ぐ作品ほどなんかさめちゃって、なんかあとまわしにしちゃうんだよね〜」
そういうのナナミンある?ときかれて、あります!とはっきり大きな声で言った。悠仁がびく、と肩を揺らす。
悠仁をタコゲームと一緒にするのはどうかとおもうけれど、お楽しみはあとにとっておくタイプだ、こどもの頃からそうだ。ショートケーキのいちごはいちばんあとで食べるし、あんみつにはいっている白玉もさいごまで残してから食べるし、カキフライ定食のカキフライはさいごの一口をカキフライにしたいからかならずひとつさいごまで残すし、そういう人間だ。そうだった、と七海は思う。そうだった。
だからといって悠仁のこともいままで置いておいたわけではないけれど、いつでもできる、とおもってからだの関係になるのをあとまわしにしていた。悠仁のからだのことを考えていたのももちろん本当だ、でも、楽しみをあとに残しておいたのも本当だ。
じっくりねっとりあとでいただくのだと楽しみに楽しみにしていたら、手の出しどころがわからなくなった。それでずるずるそのまま、こんなことに。
大きな声を出した七海に不審げにしながら悠仁は、七海の淹れてくれたカフェオレを飲む。それからソファのうえでクッションを抱えて、ナナミン、と呼んだ。
「ねえ、ナナミンはどんなことをあとまわしにしてるの」
「えっ」
おもわず悠仁の顔を見る。悠仁のアーモンドアイはキラキラしていて、ちいさな宇宙にグリッターをこぼしたよう。瞳じゅうで七海のことを好きだ好きだと伝えているみたいにみえて、ドキドキしてしまう。
これがもし勘違いでも嘘でもいい、と思わせるようなそれに、七海は彼の嘘ならばいくらでもほしい、なんて思ってしまう。どうかわたしを上手にだまし続けて。わたしはいつまでもきみに上手にだまされつづけるから。
「ねえ、ナナミン」
首を三十度に傾けてきかれると、もう七海は骨抜きだった。ぼう、と頭にうみがたまったように、重たくぽったりとなる。
「あの…あの、えっと…」
それでも正直にどうしても言えない七海に、悠仁は痺れをきらしたようにずい、と身を乗り出した。
「ナナミン。こないだ、おれのクローゼットのなか、覗いたんでしょ」
「えっ」
グリッター が、星みたいにきらっと瞬いた。
「なぜそれを…」
「宿儺がさ、言ってたよ。あいつ、話しかけてくんだよね、いろいろさ」
ときどきね、と悠仁はやっぱり少し嫌な顔をする。
「まあ宿儺のはなしはいいよ。で、どうなの?みた?アレ」
アレ、と言われて、七海の脳裏には、はっきりと『アレ』のことがおもいだされる。
みた、みた、ばっちりみた。
でもやっぱりそれを見た!とは言えなくて、口籠もってしまった。
「みたんだよね、知ってるよ。どう思った?」
どうって。
どきどきと心臓が大きくポンプする。
「おれさ、いつになったら抱いてもらえるのかと思って」
ずっと待ってたんだ、と悠仁はにやりと笑って言う。
「でもさ、ナナミン、デッカいでしょ。寝るときくっついてたらさ、わかるよ、おしりにあたったりして。だからさ、おれ、ちゃんと準備してたんだよ。ちょっとずつ、ちょっとずつさ。細いのからはじめて、太いのまで、挿入るようになったんだ。だから大丈夫だよ、もう大丈夫なんだ」
知ってるでしょ?と笑う。
七海はやっぱり心臓をどき!どき!と高鳴らせて、眉をきゅっと寄せた。格好いい!カッコイイ!わたしの恋人はなんて格好いいんだろう。
格好良すぎてめちゃめちゃに犯したい!
悠仁がポケットからローションを出してきて、にっこりと笑った。それからはもうなし崩し的に、ソファで事に及んでしまい、場所をかえてベッドでもう一回、それからお風呂で後処理の途中で一回、ふたりの初の営みは三回と、はじめてにしてはなかなかな記録となった。
いまあたたかいお風呂のなかでふたりは、向かい合って足を絡めあっている。
「あがったら、タコゲーム観る?」
「冗談でしょう、タコゲームは逃げませんよ、それよりもういっかい、どうですか?」
えーしょうがないなあ、と言いながらふたりはタコみたいに吸いついて風呂場はますます湿気が高くなるのだった。
ケヒ、と笑い声がきこえたような気もするし、きこえなかった気もする。
fin.