【柴+座+チヒ】タイトル未定 雫天石を安定化・妖刀へ加工する技術は、この世に六平国重ただ一人しか取り扱えるものではなく、それは門外不出のものであった。それ故に、彼は封印指定を受けている。
柴登吾は封印指定を受けている六平国重と、その息子である千鉱を人里離れた邸宅に隔離し、厳重な結界を張っていた。並み居る妖術師では看破不可能であるし、万一破られたとしても、すぐさま柴が物理的に飛んでいくようになっている。柴は神奈備所属の妖術師であるが、神奈備側とはあまり反りが合わない。しかし、六平国重を監視しているのが柴であるならば六平親子に危害を加える気は無い、というのが現時点での神奈備側の見解であった。
それから十五年が経過した。六平邸の結界は何者かによって破られ、国重は暗殺された。邸宅に保管されていた妖刀は一本を残して全て持ち去られ、生き残った千鉱も消えない傷を負ってしまっている。一旦千鉱は神奈備へ保護され、治療を受けていた。千鉱の見舞いに向かう道中、耳を疑う言葉が柴に届いた。
「六平千鉱に封印指定を授ける」
封印指定は一代限りだ、と柴は認識している。どうしてチヒロ君に? と疑問符が浮かぶ。薊ならば何か事情を知っているかもしれないと、柴はくるりと反対方向へ身体を向けた。
「薊、お前知っとったか」
「チヒロ君の封印指定の話?」
「話が早いなぁ。あれ、一代だけって話やろ。なんでチヒロ君に付くんや」
「事情が事情だ。六平の技術をチヒロ君も継承していると上は思ってる。だから、チヒロ君を神奈備で保護する、って話だ」
「一生外に出さん気か」
「正直僕もあんまり賛同はできないけどね。チヒロ君がむこうに連れ去られたり、復讐に手を染める方がハイリスクだ。それに柴、お前も似たようなことしてただろ」
柴は痛いところを薊に突かれた。実際、その通りなのだ。手段は違えど、やっていることは同じで、それを柴の保護下に置くか、神奈備直々の保護下に置くか、それだけの違いなのだから。それに、千鉱はあの場で既に父親を殺した相手に復讐を誓い、柴に戦い方を教えてくれと頭を下げている。柴は、それにまだ返事をすることができていない。
「……チヒロ君を一生ここに置いておくのは可哀想やんな」
「それは僕も同感だよ。実際、指定を受けた後に逃げている人も沢山いる」
「それや」
「は?」
「チヒロ君にはここから逃げてもらう。俺が手引きする」
「どうやって? 無茶だろ。事が起きればいずれ執行者がチヒロ君の元へ向かう」
「俺が執行者になればええだけの話や」
「はあ?」
柴の言葉に薊は面食らった。いつも柴が浮かべているへらりとした表情は鳴りを潜め、覚悟が決まった目をしている。
「俺が執行者になって、逃げたチヒロ君を追いかけてれば神奈備だって手出ししてこんやろ。十五年前と同じや。ちょっと立場が変わるだけで」
「……お前がそう言うなら、僕も少しは協力するよ。立場があるから、全面的には無理だけど」
「助かるわ」
そうと決まれば協会側に話をつけるのは早いほうがいい。気乗りはしないが、柴は上層部がいる場所へ向かう。階段を登る足取りは、随分と重かった。
■■■
「封印指定」
「そ。六平についとったやろ。それが今度はチヒロ君に、っちゅーわけや」
「……あれがあったから、父さんはあまり外に出られなかったんですよね」
「ん、せやなあ」
本当は違う。封印指定を受けているとはいっても、全く外に出られないということはなない。国重が外に出ずにあの箱庭で暮らすことを選んだのは、紛れもなく千鉱のためなのである。封印指定を受けているのは国重だけで、命を狙われていたのも彼だけだった。父親を亡くしたばかりの千鉱はまだ十五歳である。今はまだ、国重があの箱庭で千鉱と二人で暮らしていた理由を柴は伝えることが出来なかった。酷であるだろうから。
「俺も、どこかに一生閉じ込められるんですか」
「させへんよ、そんなことは。ええか、チヒロ君。明日の夜、ここから出るで」
「明日の夜、ですか。どうやって? ここを出たあとはどこに行くんですか。俺にはもう帰る家もないんですよ」
「一旦俺の家においで。なんもないとこやけど、チヒロ君一人くらい余裕で置いておけるくらいの部屋やで」
「……いいんですか? 俺、何も返せませんよ」
「ええよ、チヒロ君はそういうこと考えんで。俺がそうしたいからしてるだけやし」
「ありがとうございます」
千鉱はぐるぐると包帯を巻かれた頭をぺこりと下げた。何も頭を下げることはないのに、と柴は苦笑する。
国重は千鉱を外に出さないという気が全くなかったというわけではなく、柴や薊が六平邸に訪れたときに、日用品の買い出しやたまには外で遊んでこい、と言って外出させてくれていた。それでも、千鉱の周りの人間は国重、柴、薊の三人で完結していたのだ。自分一人と、三人の大人。それが千鉱の世界そのものだった。国重もごくたまに外に出ることはあったが、千鉱より頻度は少ない。どうして父さんはあまり外に出られないのだろう、と千鉱は成長するにつれて疑問に思うようになる。その理由は「封印指定を受けている」というもので、幼い千鉱はそれをよく理解することは出来なかった。
「じゃあ、夜……十一時頃に迎えに来るから、準備しとってな」
「はい」
そう言うと柴は千鉱の病室の引き戸を閉めて出て行った。再び、千鉱は部屋に一人になる。封印指定を授ける、と急に言われてもどうしたらいいのかわからない。俺も父さんみたいに、あまり外に出られなくなるのだろうかとネガティブな考えがぐるぐると脳内を渦巻く。柴に聞きたいことはたくさんあった。しかし、まだ十五歳の千鉱はそれを上手く言語化できない。
「準備、しないと」
千鉱はベッドから降りて、身の回りのものを片付け始める。ほとんど身一つでここに連れてこられたので、持ち物は妖刀――淵天のみである。その淵天は、現在柴が神奈備のどこかに保管している。
あれは、国重が千鉱に遺してくれた唯一の形見なのだ。ここを出て行くなら、返して欲しい。千鉱の心中が、急に不安感で曇り始めた。淵天を傍らに置いておくことができないのであれば、柴とここを出て行く理由もない。
(さっき、聞けばよかったな)
柴を呼びたくとも、携帯電話はないし、そのような理由でナースコールも出来るわけがない。千鉱の心に焦燥感だけが募っていく。
(焦っても状況は変わらないのに)
準備しておいて、と言われても特にすることはない。千鉱はベッドに座り直して、柴との約束の時間までただ無為に過ごすことしか出来なかった。
■■■
二十三時。時間通りに柴はゆっくりと千鉱のいる病室の引き戸を引いた。
「行けそう?」
「はい。……それは?」
「淵天やで」
柴が持っていた細長い物体――淵天は、一見して刀であるとはわからないようにカモフラージュされていた。端から見ると、柴の体格も相まってバットを持ち歩いている野球選手のようにしか見えない。ほら、と柴は淵天が入っているケースのチャックを下ろす。まぎれもなく、それは父の形見であった。
ぼろ、と千鉱の赤い瞳から大粒の涙が零れる。柴はまさか千鉱が泣くとは思っていなかったようで、両手をオーバーに動かして狼狽えていた。
「チ、チヒロ君どしたん? どっか痛む?」
「ッ、いえ、」
ずる、と千鉱は鼻を啜る。淵天を持った柴を見た瞬間、昼間の焦燥感が一気に吹き飛んだ。
(おかえり、淵天)
「ほい、チヒロ君。それだと目立つから、これに着替えてや」
「ありがとうございます」
柴は千鉱に少しサイズが大きめのパーカーとチノパンを手渡した。いくら夜だと言ってもまだ二十三時で、外に人通りはまばらにある。病院着で外出などしたら、善意の第三者が気を遣って病院や警察に連絡する可能性も否めない。
「着替えました」
「ん。じゃあ、行こうかチヒロ君」
病室の窓から差し込んできた月の光に照らされた柴は、神奈備の制服を着ていなかった。千鉱が柴さん、いつもの服は? と聞く前に妖術で一瞬で柴の自宅に移動していた。