獅子に翼「見せてみぃ」
鶴野の声が室内に鋭く響く。
デスクの前にいた組員は頷き、ポケットからUSBを取り出してデスクにおいた。
「防犯カメラの映像です」
組員を一瞥すると、USBをノートPCに差し込んだ。
サングラスを外しデスクの上に乱雑に放ると、USBの中に一つだけ入った動画ファイルを参照する。
再生された動画には、常夜灯の下で5人の男たちに殴られ続ける仲間の姿が浮かび上がっていた。
倒れ込んだ仲間を囲んだ影が退き、一人の男が割って入ってきた。男はしゃがみ込むと、何かをひとしきり話しかけている。
その後、重い拳が振り上げられて何度も落とされた。
振りかざす拳には、手首から手の甲にかけて特徴的なギザギザとした形の痣があり、鶴野は眉をひそめながらその特徴を脳に刻み込んだ。
一室に詰めた男たちは一言も発さず鶴野を凝視する。
「……わかった。この件は報告させてもらう。ええな、勝手に動くなよ」
「へい」
姿勢を正した組員たちは、背を向けてそれぞれ立ち去っていく。
出入り口のすぐ横に背を壁に預け目を閉じる獅子堂の姿が現れた。
「……またあの痣の男、やな」
鶴野は、眉間をもみながらため息をつくとサングラスに手を伸ばし、掛け直す。
獅子堂は、開きっぱなしだったドアを足で乱雑に閉めて鶴野の元へ歩み寄ると画面を覗き込む。
そこには一時停止状態の動画が映し出されていた。
映像の人物は黒いパーカーに身を包み、フードを深々とかぶっており顔がはっきりと見えない。
動画の再生時間を動かしても、常夜灯の光が顔に強い影を落とし、人物の特定を困難にしていた。
「この男が指示しとったのは間違いないか?」
「へい。主犯格はそいつです。逃走先は別のカメラに映っとった奴らから追ってます」
「初めて喧嘩したんやろ。どうだった」
「けったいな男でっせ。なんでっしゃろ……殴られ慣れとるって感じでしょうか」
その言葉と同時に、ノートPCから無機質な音が鳴った。
目を移すと通知が一件画面上にポップアップしている。
鶴野は画面に映し出されたリンクをふんだ。
「おう。報告は読ませてもろたで」
「この件、こちらで動いても?」
「ああ、異論はない」
「ありがとうございます」
「ほな」
通信を終えると、鶴野はため息をつきながら獅子堂を見上げた。
「お留守番は嫌でっせ?」
獅子堂は、まるでこちらの思考を読むように口角をあげながら見下ろす。
その顔を見てどこか恐怖と安心感を同居させながら、鶴野は静かに微笑んだ。
「安心しぃ。やけど、今回のことでそれなりにお前のことは見させてもらうで」
「はは、熱烈やないですか」
「そらそうや。これから俺らにはデカい仕事が残っとる。お前には無事で居てもらわんと」
「ええ、……そうですね」
獅子堂は静かに目を伏せた。
後ろから扉をノックする音が響く。
「おう、入れ」
「車の準備ができました」
「ご苦労。行くで、獅子堂」
「さっそくやないですか……」
「ええから来い」
「はあ、わかりました」
獅子堂からの返事を受けると、鶴野はノートPCを閉じ、立ち上がる。
獅子堂の肩を軽く叩いた後、力を込めて部屋の外へと促すように押した。
「先に行っとけ」
鶴野は獅子堂を事務所から押し出すと、振り返って近くにいた組員を呼び寄せた。
「これからのことで、話がある。ちょっとええか」
走るワンボックスカーの車内で、揺れる二人は一言も交わさず流れる景色を見やっていた。
雨が窓を叩き、撫でながら景色の解像度を低くしていく。
視線を獅子堂にもやらず、鶴野は口を開く。
「次の交差点で俺は降りる。お前は乗っていけ」
「なんですか、急に。ここでいつも降りまへんでっしゃろ」
鶴野はこれ以上話すことはないと言うように、運転席を見やった。
獅子堂は意味を問おうと口を開いたが
「……おい、ここでええ、止まってくれ」
という鶴野の声で、その問いを飲み込んだ。
車は交差点の信号前で路肩に寄り、後部座席の扉がスライドして開く。
鶴野は車を降りてから、ようやく獅子堂を振り返った。
「明日な、獅子堂」
そう言葉にすると、運転席の組員に合図を送る。
獅子堂が何かを言う隙もなくドアがしまり、車は動き出した。
振り返りもせずに雨粒を受けながら人混みに紛れて歩き出す。
鶴野の足は、街の明かりから遠のき閑静な商店街を目指した。
人通りもない、深夜のシャッター街をなんとなしに眺めながらポケットからタバコの箱とジッポライターを取り出す。
一点の灯りが差し、煙と共に鈍く火が翳った。
吹かすと苦味とチョコレートのような甘さが鼻から抜ける。
重くのしかかる煙に感覚がクリアになっていく。
商店街のぽつぽつと白々しくともる街頭を背に、裏路地に入った。
最近あまり吸ってなかった、と思いながら鶴野は静かな闇の中を進んでいく。
ふぅ、と大きく息を吐くと後ろから突き刺さる視線を感じた。
微かな靴音が足早に響いて、確実に間合いを詰めようとしているとわかった。
タバコを吹かすために、静かに肺に空気を率いれながら鶴野は口角を上げる。
靴音が背後に迫る。
鶴野は名残惜しい気持ちとともに肺から煙を全て吐き出すと、迫る殺意に向かって振り向きざまにタバコを投げつけた。
それは相手の目の高さに鋭く弧を描いて差し迫ったが、男の頬を掠めて落ちていき濡れた地面に着地して火を失った。
鶴野は男と初めて視線を絡めた。
黒のパーカーとスウェットは雨をすっかり吸い上げて重そうに見える。
マスクをして顔ははっきりとしないが、その目は煌々と鶴野を捉えていた。
男はかすかに笑いながら、ため息をつく。
「……鶴野さん、でしょ」
「そうや。そんで、アンタが電話の男やろ。声は変えられへん」
「ご名答」
「お前が来るのは想定外やが……。今回のこと、きっちり説明してもらうで」
「うーん、まあ、あっちの要件で、アンタにも用ができたって訳」
男は静かに構える。
「はあ……なるほどな」
鶴野は目を細めながら笑う。
空気が少し冷えた。
「やってみぃ」
その言葉を待っていたかのように、男は素早く間合いをつめた。
まずの一手を叩き込むために拳を引く。
鶴野は、敢えて間合いに入り込み、振り翳された右腕を掴んで思いっきり押し込んだ。
思わぬ行動に男の目が見開く。
踏み込んだ勢いそのままに、鶴野は頭突きを喰らわせた。
「オラッ!」
「ッ!」
男は怯みもせず、つかまれた腕を振り払いながら回転の流れで蹴りを放つ。
鶴野は腕でその蹴りを受け、ダメージを軽減するために受け流す。
ふう、と息を大きく吐き腹に力を入れると構え、大きく踏み出して間合いを詰めると右の拳を短いストロークで相手の顔面を目掛けて放つ。
男は小さく上体を下へ傾けてそれを交わした。
ここだ。
すぐさま、鶴野は片膝を顎下へ叩き込もうとするが、男はそれを見越して両腕を顔の前に構えて防御した。
蹴りの力を利用して上体を起こした男は、その流れで姿勢を正し、拳を再度振りかざす。
鶴野は低い姿勢で迫る拳を交わしながら、胴を抱え込むように腕をまわしつつ相手の後ろに滑るように回り込んだ。
抱き込んで投げようとしたが、男は勢いをつけながら上体をひねった。
片腕を後ろにまわして鶴野の頭をヘッドロックし、対面に回るように体を翻す。
鶴野は、締まる腕から逃れる為に男の指先をつかむと、可動域とは逆側へ力をかける。
痛みで力が抜けたのを見計らって、ヘッドロックを引っぺがしつつ、その腕の下を潜り抜けて男のわきの下を肘で思いっきりついた。
男はうめき声をあげながら膝をつくが、鶴野はつかんだ腕を引き寄せ、片足で男の頭を思いっきり蹴り回した。
蹴り上げられた衝撃で身体が痙攣したかと思うと、脱力した体が地面へ叩きつけられる。
「おぉ、痛ぁ……」
鶴野は呟きながら男のそばへしゃがみ込むと、その手に走るギザギザとした痣を確認した。
男の体を蹴って仰向けにすると、フードをずらしマスクをはぎとってスマートフォンでその顔を撮影する。
30代前半の若い男、切れ長の目と薄い唇が爬虫類を想起させる独特な顔つきをしていた。
まじまじと見ると、顔のパーツの違和感に気が付く。
おそらくだが整形している。
裏で事業を引き受けているクリニックから探っても、この男の身元は割れるだろうと思い、部下に現状報告を交えつつ顔や身体の特徴を画像付きで送った。
さらに何か証拠がないかと身体を探ると後ろポケットからスマートフォンが出てきた。
ロックが外れないことを確認し、ポケットに仕舞い込む。
「おい」
鶴野が靴の先で顔を蹴ると、男がびくりと反応した。
まだ意識が朦朧としているようで、重い瞼を中途半端に持ち上げながら二回ほど瞬きを繰り返している。
「何が目的か言うたれや。まだ話は終わってへんぞ」
鶴野はしゃがみこんで、男の髪を引っ張りあげ顔をのぞき込む。
男は朦朧としながらも口を開いた。
「言ったぞ……用ができたって……」
男は、そういうと意識を手放した。
視線を上げると、街灯で長く伸びた二つの影がゆっくりと近寄って来ていることに気が付いた。
鶴野は男の髪を離すと立ち上がって、影の主へ振り返る。
「鶴野さん、ですよね」
「……せや」
「三道(さんどう)、といいます。こちらは、蜂須賀(はちすか)」
三道は、まるでどこかの喪主でも勤め上げた後のような出立ちの男だった。
黒い傘に阻まれて顔はわからないが、細身ですらっとした姿はヤクザらしくない。
対して、蜂須賀はオーバーサイズのジャケットをTシャツの上に羽織ったカジュアルな服装をしており、三道と真逆でガタイの良い男だった。
一つの組織にいるにはあまりに真反対の格好に鶴野は面食らう。
「……。ほんで、俺らに何の用があるかはお前が知っとんのやな?」
「ええ。もちろんです。ただ、一緒に来ていただけませんか。小雨といえど冷えますし」
「行く思うんか?」
「いえ……。ただご無礼になりますので、提案をさせていただいただけです」
「なら最初からそれでええ。身内をやられといて何もしぃひんカシラがおると思うか?」
鶴野と蜂須賀が構えると、慌てて三道が静止させた。
「すみません。始める前にちょっとお待ちを……居なくなられると厄介でして」
三道は、そう言いながら腰から妙に太った銃身のピストルを取り出した。
それを見た蜂須賀は、すぐに三道の持っている傘を支える。
ありがとう、と三道が呟くと流れるような手つきでセーフティを解除し、ハンマーをおろした。
そして、予兆もなく撃った。
後ろから肉をたたくような破裂音が響いた。
鶴野は銃口の指す方向へすぐさま振り向く。
先ほどまで戦っていた男の胸部が爆発したように弾けており、壁面に飛沫が舞って白いブロック塀を汚していた。
「水を差してしまいましたね。では」
三道が丁寧に頭を下げ、動作を巻き戻すようにセーフティをかけなおし、ピストルをしまった。
蜂須賀は、傘を三道へ返す。
そのまま蜂須賀の後ろへ回ると感情の感じ取れない声で諭すように言う。
「どうぞ、続けていただければと思います」
獅子堂は何故か焦っていた。
運転手の見えない後頭部をじっと見据えた。
「なあ」
「へい、なんでしょう」
「カシラになんて言われて運転しとんねや」
「……実は、なんも聞いてないです」
「やっぱ降りるわ、そこでええ」
「すみません」
獅子堂の言葉に被せるように、部下は声を荒げる。
「それは、できません……」
声が震えていた。
「お前……!カシラが何してるかもわからんくて、よう言えるな」
「や、ただ、ホンマに降ろすなと言われて」
「知らんわ!」
獅子堂は後ろから身を乗り出すと、ハンドルを握る。
隣の車など構わないと言うように左に切って車を歩道へ寄せようとする。
慌てた組員はなんとかバランスをとるためにハンドルを握りしめた。
ふらふらと怪しい動きをするワンボックスを警戒してか、左右の車が引いていくのを獅子堂は見逃さなかった。
ハンドルの12時方向に片手を添えなおす。
「ちょっ!?ホンマにな、なにするんです!!」
「大人しく!おろせや!」
獅子堂は思いっきり左へ切った。
突然加わった重加速度に、部下はサイドウィンドウに頭を打ちつけて気絶する。
ワンボックスは強引に軌道を変え、歩道のガードレールを傷つけたものの停車しない。
獅子堂はもう片方の手で思いっきりサイドブレーキを力の限り引き上げると、車体はようやく停車した。
「クソ!」
後部座席のスライドドアが開くと、獅子堂は何も構わず飛び出した。
喧騒響く繁華街を駆け抜け、その足は寂れた商店街へたどり着いた。
襲撃を受けた路地を、頭の中で照らし合わせながら走っていると路地の手前で誰かが倒れているのが見えた。
駆け寄ってしゃがみ込み、顔を確認しようと仰向けに転がすと鶴野の部下だった。
声を掛けながらゆすっても、何も反応がない。
ふと顔を上げた獅子堂の目が、闇の中の街灯を捉えた。
襲われた場所は、この裏路地だと獅子堂は確信する。
立ち上がり、自分の鼓動を煩く感じながら闇の中に歩を進めていく。
壁伝いに一人、また一人倒れている部下を確認しながら、十字路へ差し掛かった。
灯りの外であまりよく見えなかったが、外壁に血痕のようなものが付着していた。
雨で少し流れているが、尋常ではない血液量に背筋に冷たいものが走った。
血痕のそばに遺体はなく、十字路のさらに奥へ続いている。
鶴野はどうなったのだろうか、と嫌な想像が膨らんでいく。
「なんや……なにが、あったんや」
思わず言葉が口をついて出た瞬間、車のエンジン起動音が聞こえた。
本能的に、音のするほうへ走りだした。
路地を抜けた先に飛び出すと、その瞬間一台の黒いワンボックスカーが獅子堂に向かって急発進した。
獅子堂はギリギリで避けたが、サイドミラーと衝突してしまった。
とっさに受け身をとった腕に衝撃が走って、うずくまる。
上げた視線の先、車はカーブを曲がり見えなくなった。
痛みに耐え立ち上がると、周囲に何か証拠が残されていないかと見渡す。
すると、先程まで車が止まっていたであろう場所に何かが落ちている。
駆け寄ってみると、見覚えのあるスマートフォンが落ちていた。
「これは、カシラの……」
拾い上げると、水滴のついた画面を上着の袖で擦った。
いつも目にする飾り気のないスマートフォンの、画面左上のひび割れを撫ぜる。
今となっては怒りの原因すら忘れたが、お互いに殴り合った時に落として画面に走ったものだ。
電源ボタンを押すと、画面が立ち上がった。
それを見た獅子堂はすぐに事務所へ連絡をとる。
「カシラが連れ去られたかもしれへん!なにか聞いてる奴はおらへんのか!」
「お、おつかれさんです!ああ、えっと……こっちはGPSで監視するように言われていて……いま車に乗っとるようです。7丁目を西に向かって走行中!」
「わかった、場所を俺にも共有したれや。そっちは兵隊集めてすぐに集合や!」
通話を切りながらGPSで追う、と言う言葉に引っ掛かりを覚えた。
「は、流石やな……仕込みは済んどるんかい」
スマートフォンを上着のポケットに仕舞い込んで車が去った方向へ走り出す。
いつの間にか、雨は上がっている。
指定された住所に向かうと、高いフェンスに囲まれた廃ビルに到着した。
玄関前のフェンスが倒され、入り口も開け放たれている。
見上げると、窓ガラスがないフロアや、工事で撤去中なのか一部の壁がなく中身が見えてしまっているフロアもあった。
その10階くらいだろうか、強い灯りが漏れているのを確認すると、獅子堂は迷わず入っていく。
フロアは、思っているよりも広く、そして柱が数本立っている以外何も無い空間だった。
家具装飾などは一切なくコンクリートがむき出しになっている。
奥には階段があり、ハロゲンライトが足元にぽつりぽつりと置かれている。
まるで獅子堂を上へ誘っているようだった。
逸る気持ちを抑えつつ、階段へ向かって歩き出す。
夜風がビルの中を吹き抜け、奇妙な音が響く。
それ以外なにもないというのに、どこかこのビルの様子はおかしい。
まるでたくさんの人間に見られているような感覚に陥りながら、10階のフロアへ到着した。
それ以上の階には、灯りすらなくひたすら闇の空間が続いて居るように思えた。
目に入った鉄の扉を静かに開けると、長い廊下が同じようにハロゲンライトによって明るく保たれていた。
突き当りには光を失った非常灯とまた鉄の扉があり、四つの扉によって各部屋が仕切られているようだ。
だが、獅子堂を迷わせるようなものはない。
一番右手前の鉄の扉の左右に、ご丁寧にもライトがおかれている。
獅子堂は、大きく息を吸うとその扉を重々しく開けた。
だだっ広い空間に、建物を支える柱が4本ほど建ち、投光器が無造作に置かれて部屋を明るく照らしている。
その部屋の中央には、ブルーシートが敷かれており、パイプ椅子に縛り付けられた鶴野と蜂須賀が見えた。
「終わりや」
獅子堂の声に、蜂須賀が振り返る。
鶴野は首を垂れていたが、ゆっくりと顔を上げた。
「獅子堂……ッ」
そう呟いた瞬間に、蜂須賀は振り返って鶴野のこめかみを殴りつけた。
「お、よーうやく気絶したわ。お前、信頼されてんなぁ」
蜂須賀は、ニヤリと笑う。
獅子堂は表情を変えないまま、蜂須賀に向かって歩き出す。
「お待ちを」
柱の影から男が現れた。
獅子堂は歩みを止めて、声の主へ視線をやった。
投光器の光が陰影のコントラストを強め、あまり姿はよく見えなかった。
「アンタが取り仕切っとるんか」
「そんなことより、交渉しませんか」
「は、聞く価値もないわ。返してもらうで……」
そう言い捨てた瞬間、三道は片手を前に突き出しながらこちらに向かって歩き出す。
照らし出されたその手にはピストルが握られていた。
「近江連合を、我々と共に叩いてほしいのです」
「……なんで俺がそないな事せなあかんのや」
「あまりにも惜しいからですよ。あなたがこのまま終わってしまうことが」
「ほぉー、えらい強気やないか」
「我々が行動せずとも近い将来、極道の世界は終わると思っています。あなたもその流れを感じているかと。ですが、我々、白傘会(びゃくさんかい)は、その後の世界の頂点に立つため、箔がほしいのです。協力いただけますか」
三道が獅子堂に歩み寄ると、投光器に照らされてようやくその姿が見えた。
歳は30代前半程度。
黒髪を、軽く整髪料で整えただけのどこにでも居そうな飾り気のない男だった。
だが、その目はどこまでも深く光がない。
獅子堂を見ているようで焦点の合わない視線。
その仄暗さに、何故か自分の生い立ちがフラッシュバックし、息を呑んだ。
三道は、黙ってこちらを見ている獅子堂に微笑むと、蜂須賀に目配せをした。
蜂須賀は鶴野から離れ、後方に下がる。
「それで、もし良いお返事をいただけるなら、なのですが……」
三道は獅子堂にピストルを構えたまま近寄った。
額に向いた銃口は、あと1メートルというところで下ろされる。
セーフティを外し、そのまま獅子堂に差し出した。
手にした獅子堂は、その異様な形状を思わず観察する。
「サインの代わりに殺しでいいですよ」
「なんやと……」
「どちらに転んだって、貴方には得しかありません。保証します。まあ、変わっても我々が得られるものの意味が少し変わるくらいですから」
「どういう意味や」
「……よく考えてくださいね。貴方が今持ち得るカードで、その願いが叶うのかどうかを」
獅子堂の鋭い目が、三道を捉える。
三道はその目をじっと見つめた後、ふっと笑うと踵を返し近くの柱に寄りかかった。
「お任せします」
獅子堂は、ピストルを持ったまま鶴野を見つめて歩き出した。
鶴野の前で立ち止まると、銃口で頭部を小突く。
鶴野はピクリとも動かない。
右手が潰されて血にまみれ、骨が見えている。
足元に落ちたハンマーや、下にひかれたブルーシートに付着している血液量が、それまでの惨状を物語っているようだった。
獅子堂は静かに息を吐くと、力なく持っていたピストルのハンマーを下ろした。
静かな空間に、緊張感のある音が響く。
「もう、そん中身は知っとるんやわ」
「なんておっしゃいました?」
獅子堂は、誰に言うわけでもなく呟いた。
三道は、その言葉の意図をとらえられず静観する。
獅子堂のその目は、三道も蜂須賀もとらえず、目の前の鶴野の項垂れた後頭部に注がれている。
銃口を鶴野の後頭部へ向けると、トリガーに手を置く。
力を加えようと人差し指に力を込めてみるも、それ以上に指が動くことはなかった。
「はは…………アホらし」
獅子堂は力なく笑うと、構えたピストルをおろし蜂須賀を睨みつけた。
「俺は、箔も、名声も、両方取りに行くで!」
蜂須賀はスラックスに差し込まれたドスを引き抜いてこちらに迫る。
獅子堂は、ピストルを思いっきり投げつけるも、ドスで弾かれた。
パイプ椅子をつかむと鶴野ごと持ち上げて真横に投げ捨てる。
そして、迫りくるドスを両手で止めた。
「おもしろいッ……奴だな!」
「邪魔や!全員ッ!死ね!」
「はは!だろーな!」
獅子堂はドスを横へ受け流しながら、振り向きざまに拳を振り上げた。
振り返った蜂須賀と獅子堂の拳がお互いの頬を打つ。
蜂須賀は楽しそうに、頬を打った手をイッテェ、と言いながらぶらぶらと動かした。
すぐさま先手をうって、中段に蹴りを放つ。
獅子堂は腕で受けた。
休む間もなく、大きく身をひねりハイキックが繰り出される。
獅子堂は身を屈めて避けながら、そのまま飛び膝蹴りを繰り出す。
鳩尾に膝がめり込んだ。蜂須賀は思わず身をかがめて呻く。
「来いやッ!……そんなんで近江連合取れへんで!」
蜂須賀はドスを構えなおすと、走り出した。
獅子堂はその腕をとり相手の肩をつかんで刃を自分の後方へ逃がす。
あえて引き寄せた蜂須賀の顎を捉え、そのまま地面に後頭部を打ち付けさせた。
とどめと言わんばかりに、肘で顔面を強打する。
その衝撃で乾いた音とともに、ドスが地面に落ちる。
獅子堂はドスを蹴り飛ばした。
そのまま馬乗りになると、首を締め上げる。
蜂須賀はもがきながらも腕を伸ばし、獅子堂の喉ぼとけの下部に親指をねじ込んだ。
苦しさと強い痛みで手の力が緩む。
その隙をついて、蜂須賀の重い拳が獅子堂の鼻っ柱をひしゃげさせた。
獅子堂は衝撃のまま天井を向く。
視界が揺らぎながらも身を後方へ転がして立ち上がる。
その瞬間、大きな銃声が響いた。獅子堂は動きを止めてそちらを振り向く。
「すみません……、そろそろ時間です」
蜂須賀は舌打ちをしながら、三道を見やると獅子堂に視線を戻す。
「んじゃあ、本戦後までお預けだな」
声を掛け、三道のほうへ走り去っていく。
三道は銃口を獅子堂へ向けながら子供のような笑みをこぼした。
「我々は、これにて失礼させていただきます」
蜂須賀と三道は足早に、隣の部屋を仕切る鉄のドアへ向かった。
「もう遅い。自分らおしまいや!兵隊に囲まれとるからな!」
「獅子堂さん、この後、きっかけが訪れると思います。もう一度考えてみてください」
三道が礼をする。
ドアの錠を蜂須賀があけて中に入っていった。
しばらくすると、中からぞろぞろと人がこちらに雪崩れ込んできた。
ホームレスや、サラリーマン、学生と様々で、占めて40人程度だろうか。
なぜか目を輝かせてこの異様な現場を観察している。
「なんや……!?」
獅子堂が意図をのめずにいると、三道が叫ぶ。
「皆さんいいですよ!経路へ!よーい!」
再度、銃声が響くと一斉に嘘くさい悲鳴を上げながら、そこにいた人々が出口に繋がる階段を目掛けて走り出した。
獅子堂はようやくその意味がわかり、すぐに鶴野の元へ走り寄る。
「鶴野さんにもよろしくお伝えください。またお会いしましょう、と!」
三道と蜂須賀は獅子堂に手を振ると、その場に残っていた10名と部屋から出ていく。
先ほどとは別の方向へ去って行く姿を見て、獅子堂はその先にあった非常灯を思い出した。
その10名も、襲撃を受けた時の為の人質だろう。
「クソ!起きぃや!」
鶴野とパイプ椅子をつなぐ結束バンドを力づくで外し、上半身を抱き上げて揺する。
嫌な想像が脳裏によぎった瞬間、スマホの音が鳴り響く。
獅子堂は焦りを抑えつつ応答した。
「到着しました!ご無事ですか!?」
「こっちは無事や!そやけど的には逃げられた。奴ら、一般人を盾にして逃げとる……!!」
「特徴は!?こちらで追います!」
「真っ黒なスーツと、もう、一人は……」
獅子堂は言い淀む。
二人が何故どこにでもいそうな格好をしていたのか、ようやくわかったのだ。
「やれやれやなぁ……獅子堂」
弱く呟く声に、驚いて振り返ると鶴野と目が合う。
鶴野は、趣味の悪い笑顔を浮かべていた。
「俺の……スマホんなか、見ろや」
鶴野が片手で胸を指す。
獅子堂は急いでスーツの内側のポケットを探ると、鶴野のスマホが出てきた。
「ロックは、あえて……、外してある。中の……画像、送ったれ……」
「へ、へい!」
スマホを開くと、アプリケーションが立ち上がったままになっていた。
未送信状態で、2名が映った画像が映し出されている。
見る限り、鶴野が連れ去られる直前に撮られたもののように見えた。
獅子堂は表示されている送信ボタンを押す。
「オイ、絵送ったで!追え!」
「行きます!」
その言葉を受け、獅子堂は通話を切った。
大きくため息をつくと、全身の力が抜けたようだった。
抱きしめたまま亡霊でもみているのか、と言うように鶴野を見つめた。
痛々しく裂けた唇と、打撲痕が散っている。
「おう、獅子堂。はは、……このアホ」
「アホて……」
「なんちゅう、顔……ククク」
「はあ、手ぇ放してええでっか……」
「そらアカン。死んでまうやろ」
妙な間のあと、鶴野はしびれを切らして、獅子堂を見上げる。
「なあ、獅子堂」
「なんでっしゃろ?」
「いつまでこうしとくつもりや」
「……」
「まー……、あと、もう、組織優先でええからな?」
「……」
獅子堂は目を見開くと、そのまま固まった。
「せやな……今からお前が行かんでもアイツが回すやろうし……もうええわ。ほな、行こか……」
鶴野は負傷していない片手を上げると、ぐしゃぐしゃと獅子堂の頭を撫でまわした。
そして、立ち上がるために獅子堂の肩へ手をまわし、もう一度獅子堂を振り返る。
それでも固まり続ける獅子堂に、鶴野は怪訝そうな顔をしながら頬を叩き、叫んだ。
「はよ病院!」
受付で面会者名簿の記入箇所に全て記入し、面会カードを受け取った。
こういう場は、何度体験しても慣れないと獅子堂はソワソワする。
繁華街とはまた違った人の視線が集まるのだ。
視線から逃れるように、病院の廊下を急足で歩いて目的の病室にたどり着く。
獅子堂はTシャツの胸にひっかけていた鶴野のサングラスを頭にのせて、扉を開いた。
すでに先客が何人かおり、鶴野の周りを囲んでいる。
一人が獅子堂に気がつき、仲間に声をかける。
お疲れ様です。と声が病室内に響くと、ゾロゾロと先客たちは病室を後にした。
鶴野は獅子堂を見つけると、その様子を見るなり屈託のない笑顔で笑った。
「見つけたんか、それ」
「へい、ご入用でしょ」
獅子堂はニヤリ、と笑うと鶴野の元へ歩み寄る。
ちょうど鶴野と向かい合うように置かれた椅子に座ると、鶴野を見ながら大きく頷いた。
すると、頭に引っ掛けていたサングラスが滑り落ち、見事に鼻梁の上に乗った。
そのまま、足をわざと大きく動かして組む。
「おーおー、俺の真似か?」
「似てますでしょ」
鶴野は笑いながら見ると、なんかへんな感じやなぁと言いながらサングラスの位置を人差し指で押し上げてなおした。
「傷はもうよくなったんで?」
「まあな。いやー、人間しぶとくできとるわ」
そういいながら、鶴野はまじまじと自分の手をみた。
あつく包帯でまかれた手が、いまどうなっているかまでは見えないが確かに指先は動いている。
「カシラはしぶといから心配しません。きっともう病院からも解放されますわ」
「ほぉー、深刻な顔しよるくせに、調子ええわ」
あの時の話をされて居心地が悪くなりながら、獅子堂はサングラスを外して視線を隠すように鶴野に掛け直した。
「忘れてください」
「そらあ……無理やな」
「……」
獅子堂は舌打ちしながら後頭部をかいた。
「もう……帰って来んといてください」
「そらあ、まだや。お前には、まだ上にいくには足りへんモンがあるからな」
その言葉に、獅子堂は伏せていた顔を上げて鶴野を見る。
「お前には、もっと羽ばたいてもらわんとアカン」
「これからは……関係あらへんのに、でっか」
鶴野は真剣に獅子堂を見据えた。
「ちゃう。この話は近江連合関係あらへんのや、獅子堂」
「……へい」
「どこまでもお前を連れて行くで、俺は」
獅子堂は静かに頷きながら、言いたい言葉を飲み込んだ。
頭の中の絵図が、ぶれない様に拳を握りしめた。
予定通りに退院し、事所に戻った鶴野は歓迎の言葉を浴びながら部屋へ向かう。
たまった書類を手早く整理し終わると、ため息をつきながらスリープ状態のノートPCを再度立ち上げながら、席につく。
「白傘会、か……」
メールに添付された動画ファイルを開くと、廃ビルを映し出す映像が流れる。
隣のビルから望遠で撮られているようだった。
画像は少し荒めだが、人の顔はそれなりに認識できるような画質で録画されており廃ビルでのやりとりが全て収められている。
白傘会の例の二人組が同時にカメラに映りこんだところで動画を止めて画面を拡大する。
何枚かスクリーンショットを撮ると、下書き状態にしていたメールに添付した。
キーボードを打ち込みながら机の上のコーヒーを手に取る。
何回かメールを読み直すと、送信ボタンを押した。
椅子の背に体重を預けながら、コーヒーをすすりつつ、何度も動画の初めから最後まで確認したあとPCの電源を落とした。
そのタイミングで鶴野のスマートフォンから、着信音が鳴る。
画面には非通知の文字が並んでいた。
少し待った後、鶴野は電話に出た。
「……、ああ、ああ。……そう、か。……ああ、これから出る」
そう応答だけすると、通話を切って部屋を出る。
鶴野は、部下たちに3時間程度外出する旨を伝え事務所を後にした。
鶴野は、その足で路地にあるバーへ向かう。
夕刻だが、店は開けられていた。
カウンターでグラスを拭きながら、マスターが会釈した。
「お久しぶりですね。既にいらっしゃっていますよ」
マスターは顔を席に向ける。
窓際の2名がけのテーブルにMA-1を羽織って、深々と黒いキャップを被った男が掛けていた。
「いつもありがとうな」
鶴野はマスターに会釈を返すと、男の元へ歩み、椅子へ座る。
「鶴野さん、ご退院おめでとうございます」
「なんや……アンタの癖にかしこまって。ほんで、今日は敵なんか?味方なんか?」
「まあ中立、ってことで」
「は、都合がええわ」
鶴野は、そういいながらクラッチバッグから茶封筒を取り出し、机の上に放りなげた。
キャップを被った男は、鶴野から差し出された茶封筒をとると中身を覗き、背にかけておいたバックパックにしまう。
「ご利用ありがとうございます……」
男はわざとらしく頭を下げると、椅子に座りなおす。
「それで、付き合いを続けていくに一つ、確認したいことがありまして」
「なんや」
「あの時、俺が撃たれたのって計算に入ってました?」
「アンタが始末されるんは確実やけど、演出は入ると睨んでたくらいや」
「サイアクだな……」
「お前もええ子に従ぉて俺を殴ったんやろ?組への嫌がらせも楽しそうやったやんけ」
「ま、ハイ……それはね」
「今は無事に逃げたうえ、目的も遂行した。それで仕舞いや。今回もな」
「もちろん……あ、その話ですが」
男はMA-1のポケットから、USBを鶴野へ渡した。
「構成員のリスト。白傘会はメインの構成員以外は基本カタギですね。無色透明で未接続が彼らの武器なんでしょうが、だからこそ、その大半がただの捨て駒に過ぎない気がします」
「極道が昔より恐ろしい存在やない。そういった組織は増えるやろなぁ……」
「ってことは、……半グレ組織は、でき次第潰すつもりで?」
鶴野は、サングラスの位置を直しながら、さあなあ、未来の話はわからんで、と言いながらにやりと笑った。
男は肩をすくめると、既に冷め切ったコーヒーを手に取り、傾ける。
鶴野はマスターに声を掛け、同じものを頼んだ。
「はあ、その件はいいや……。ちょっと興味本位ながら聡明なアンタに聞きたいことができたんで」
「答える確証はないで」
「構いませんよ。獅子堂さんが白傘会に付くかどうかの、見解を聞いておきたくて」
「お前……、読んだんやな」
「読唇術くらいないとやってけないよ」
鶴野が質問の意図を考えながら椅子に深く腰掛けると、マスターが声を掛けてきた。
テーブルに静かに置かれたコーヒーの湯気が、揺らめいては消えていく。
鶴野の脳裏に、獅子堂のあの時の顔が浮かんだ。
「せやな……アイツが何を言ったにしろ、獅子堂を渡す気はないで」
「フン、なるほど……今はそれで充分です」
男は、会釈をすると席を立ち、足早にバーの扉を開けて出ていった。
鶴野はコーヒーを手に取って、口をつける。
深い香りが鼻腔をくすぐった。
窓辺から差し込む夕日の色が変わって、濃紺の夜がやってくる。