【歩幅が違う】 貴方が作ってくれた長袖の白いワンピースの肌触りも、顔を隠す為のヴェールを留める紫水晶と銀の髪飾りの美しさも、静かな夜に響く波の音も、踏みしめたさらやかな砂の感触を、まだはっきりと憶えている。
月光を反射して煌めく海面に、遠く浮かぶび手招く無数の黒い影。まるであたしを呼んでいるようだったことも、まるでつい最近の出来事かのように、憶えている。
「おい、足元に気を付けろ」
貴方は不安そうな声音で「波に攫われたらどうするんだ」と言葉を続けた。語尾に微かな濁りのある、夜の漣のように落ち着いた声音は心地良く、少しだけ意地悪をしたくなる。
「大丈夫よ。だって、あたしは――」
立ち止まり海を見た。昼間と違い、深い深い暗闇が遠く遠く、どこまでも果てしなく続いている。その水面はさながら満天の星空だ。
「貴方より泳げるもの」
深い深い水底で、一人寂しく歌っていた日々を思い出す。もしもあたしが人魚だと知れば、彼はどんな反応をするかしら?
「肉を削ぎ落とした骨のような両手足で、俺よりも泳げるだと?」
ふと彼の大きな手が片手首を掴む。ほんの少し力を入れられただけで、手首の関節が軋むのを感じた。
「食事は十分に与えている筈だ。3日もあれば、それなりに肉が付くと思ったのだが……」
手首を包む掌は袖を捲くりあげながら上へと滑り、指先は肉付きを確かめるように腕を揉み撫でる。
触れたカ所から伝わる貴方の体温は、少しだけ、いつもより冷たかった。
「帰りましょう」
「……気は済んだのか?」
「えぇ。少し冷えるわね。あたたかい飲み物が欲しいわ」
「同感だ。とっとと帰ろう」
そう言って彼は手を離して踵を返すと其の場に片膝を着いた。
「お前が歩くより速い」
「当然よ。歩幅が違うもの」
あたしは小さく笑いながら彼におぶさる。
「あぁ、俺はお前より脚が長いからな」
誇らしそうに返すのが面白くて、少しだけ、羨ましかった。軽々とあたしを背負い歩く貴方の背中はあたたかくて、広くて、安心するの。
顔を埋めた首筋から香る匂いは、あたしの心を癒し、落ち着かせてくれる。
終