「なあ、フェリクス」
「なんだ」
大きな戦の後は、決まってどちらかの寮部屋で時間を過ごすことになっていた。それは互いに生きていたことを願う、小さな祝賀会のようなもの。もちろん他の皆との祝賀会もあるのだが、それを終えて一段落したあとの二人きりの時間。俺たちは五年前から付き合っていた。
俺がフェリクスに声をかける。鎧も脱いで楽な格好だったからか、フェリクスの髪は緩んでいた。手を伸ばして、そっと触れる。髪を痛めないように髪留めを外して、重力に沿わせた。ぱさり。鬱陶しがっているもののあまり抵抗はしてないのが、なんとなくかわいく思える。
「髪、なんで切ったんだよ」
彼の髪は長いが、元々は頭の上で団子にできるくらいだった。それが今は、精々きゅっと結えるほどの長さだ。降ろした時が顕著で、肩までしかない黒の窓掛けが新鮮だったのをよく覚えている。前の方が好き、といった未練がましいことではないが、彼の綺麗な髪を気に入っていたのは事実だ。疑問を持っても良いところだろう。
「まさか、誰かに切られたとか? 戦中に……」
「そんなヘマするか。自分で切ったに決まってるだろう」
「じゃあ余計なんでだよ……もったいないじゃねえか」
「何を……理由など、別に」
伏せ目でそう言うからには、何かしらあるんだろう。気になる。フェリクスは嘘や隠し事が苦手だと言うのは、幼少のころから知っているのだから、観念すれば良いのに。どうにか聞き出せないかとじっと琥珀を見つめた。幾度となく聞く舌打ちと、長めの溜めた息に、案外折れるのが早いなと驚いた。少しずつ、俺に甘くなってくるフェリクスを感じて顔も綻ぶ。まあ、返ってきた言葉にそれも長くは続かなかったんだけど。
「……おまえの真似だ」
「へ? 俺?」
予想外すぎる答えに思わず思考が停止する。あまりにも身に覚えがないため、口を開こうと思うも何も言えない。今はだって、むしろ以前よりも長くなったくらいで。長髪を切ったことなんて、そう無かったはず。真似されるほどのことさえした記憶もない。うんうんと唸っていると、また溜め息が聞こえた。いやでも俺は悪くないだろ。
「分からんか」
「なーんにも。髪が長かった頃なんて、昔くらい…………あ?」
「そこだ、そこ。大きな決意の時、おまえは鬱陶しいほど伸びた髪をばっさりいってただろう。それだ」
「あ〜……いや、はは……」
あまり思い出したくは無い記憶ではある。が、思い出さないようにするのは、意識しているわけで。ふつ、ふつとわいてくる思い出につい苦笑が出た。そんな美談でもない。真似る要素だって別に……とさえ思うが、言ったところで聞かないのだろう。
経緯なんて簡単だった。お嬢さんだと揶揄していた兄上が家からいなくなったから、もう齢も17であったしと切ったのが続いていただけだ。決意も何も、ない。
「あ、もしかしてイングリットも……?」
「そこまでは知らん。が、あの頃のおまえを見ていたのは奴もそうだな」
「はぁ、なるほど……」
決意、と言われればそうなのかもしれない。大きな変化が目の前で起こったのだから、俺自身も変わらなければと自棄だったのかも分からない。それでも周りから見ればゴーティエを背負っていくのだと、男になるのだといった決意にも見えたのだろうか。じゃあ。
「じゃあ、おまえの決意ってなんだよ」
「生きる」
「……はい?」
「生きることだ。何よりも必要だろうが」
「いやそうだけど、もっとこう、ファーガスを取り戻すだの殿下を見つけるだのそういうのじゃねえの……?」
「フン、そんなものは決意を固めるまでもない目的だ阿呆」
生きることはもはや前提なのではないかとさえ思うんだけど。まあ口に出さないでおく。
生きる決意をした、だから俺に倣って髪を切った。そう聞くとかっこいいのだろうか。考えてみても腑には落ちない。けど、そんなものなのだろう。それに、そんなに頓着する性格でもない。
「でも、そっか……俺の真似かあ」
「なんだ、何か言いたいことがあるならはっきり言え」
「いんや? 嬉しいだろ、普通に。そんな昔のことずっと覚えててくれてるのもさ」
サラリと手を伸ばして、彼の髪に触れる。本当に、真っ直ぐでどこまでも綺麗な黒髪。俺が関わっているらしいこの長さは、そう聞くと途端に愛しく感じてくる。髪だけではないにしろ、やっぱり好きなんだ。こいつのことが。そう思うとむず痒くて、照れくさい。
ふら、っとこちらにフェリクスが寄ってくるから、何だと声を出す前に塞がれる。ちゅ、と唇の吸う音が部屋に鳴り響いた。そんな雰囲気だったかな、といった思考もだんだんと消え失せる。最初は触れて音を出すだけだったのが、ゆっくりと深いものになっていく。舌の触れ合いが心地よい。気持ち良くて声が漏れる。何の話をしていたかも、何を考えていたのかもあやふやになっていった。
「ん、ッ……ぁ、ふ」
「……は、なぁ、シルヴァン……」
いつの間にか寝具に倒されていて、垂れてくるフェリクスの髪で俺たちふたりの顔が閉じ込められる。互いしか見えないこの空間が何より好きだった。ああそうか、髪。思い出したはいいけど、もはや話したいことは終えている。なら、後はもう。
「おいで、フェリクス」
俺の言葉を啖呵に、二人だけの甘い夜が始まる――。