【飯P】廃墟の灯/試し読み03.廃墟の街
砂の散ったアスファルトに、錆びた鉄骨とひしゃげた鉄パイプが転がっている。
山々のように聳える工場群は今やその役割を終え、徐々に朽ち果てつつあるのが、この距離から振り仰いでも明らかだった。
ひび割れた舗道には雑草が繁り、道の両端に並ぶ建物の外壁にも蔦が這いまわっている。ガラスはどれも汚れており、庇はことごとく破れて垂れ下がっていた。看板やシャッターの文字はほとんど消え失せ、赤茶けた錆だけが無闇と存在を主張している。
ピッコロが姿を眩ませたのは、両刃の剣を二人で見た直後だった。
はじめ数日は、悟飯もデンデたちも、どこかで修業に打ち込んでいるのだろう、と考えた。しかし一週間経ち、十日経ち……それでも戻る様子がない。流石に、こんなに長い期間を留守にするのに一言も告げていないのはおかしい。気が全く感じられず、意図的に身を隠していることは明らかだった。
あれから、二ヶ月ほど経つ。今ようやく、悟飯はこの廃墟の街でピッコロを見つけ、駆け寄って手首を掴んでいた。
「……悟飯、どうしてここへ」
「どうしては、こっちの台詞ですよ。なんで急に……」
「なんででも良い、帰るんだ」
強引に悟飯の手を振り払って、ピッコロは毅然と言い捨てる。まなざしの鋭さは変わらないが、全体的な印象は、二ヶ月前より窶れているように見えた。悟飯が答えるより先に歩き出そうとするので、慌てて追い縋る。
「一緒でないと帰りません」
「おれは帰らない……」
「ピッコロさんが帰らないなら、僕だって帰りません。頼まれてもいますから」
頼まれている、という言葉に、はじめてピッコロは聞く姿勢を見せた。
「……デンデか、あいつには悪かったな。何も言わずに出てしまって……」
「どうしても僕を追い返すなら、今すぐ気を目一杯に高めちゃいますよ。そしたらみんなここが分かって、何事かって駆けつけて来るでしょうね。僕一人の方がマシでしょう?」
ピッコロは戸惑うように押し黙って、思案する様子を見せる。ずいぶんと長いこと、無言で見つめあっていたが、やがて小さく、わかった、と呟いた。
背を向けて歩き出すピッコロに、悟飯もついて行く。ひとまず側に留まることは許されたようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「誰もいないんですね」
「ああ。損壊の程度の軽い建物を、雨風をしのぐのに使っている」
鳥の鳴き声は、ずいぶん空高くから降ってくる。煙突の影が通りを横断し、多くの二輪車ごと打ち捨てられた駐輪場に辿り着いて、複雑に曲がりくねっていた。
ピッコロが足を踏み入れたのは、どうやら民家らしい建物だった。確かに、同じ通りの他の建物よりは朽ちた部分も少なく、屋根も壁もほとんど完全に形を保っている。
室内も綺麗なものだった。動物が入り込んだ様子もなく、調度は全て原型を留めている。壁紙も、ところどころ浮いて剥がれかけてはいるものの、大部分はまだしっかりと貼りついていた。
「どんな人が住んでたのかな……」
本棚には、技術書や設計図の束が残され、開いたノートには何らかの数字が走り書きされていた。児童書の類いも残されており、家族の住まいだったことが分かる。
壁にある日めくりのカレンダーは、二十年ほど前の日付を示していた。少なくともこの日までは、ここに人の生活があったのだ。
「電気や水道は機能していない。裏の井戸は生きているが、食べるものはないぞ」
「少しは持ってきてます。ただ、何日かの内には買い出しに行かないと」
古びたダイニングチェアを引き、悟飯は静かに腰掛けた。テーブルには、すっかり色褪せたコースターと、グラスが三つ埃を被っている。ピッコロが使っているらしき陶器のカップにだけ結露が煌めいており、この部屋で唯一、生命の営みを感じることができた。
「悟飯、お前が何のつもりで来たのかは分からないが……」
「そんなの、ピッコロさんが心配だからに決まってます」
「……では、放っておいても大丈夫だと納得できたら帰れ。ずっといると言うのなら、おれも別の方法を考える」
言い含めるように話して、ピッコロは食器棚を開けて、同じ陶器のカップをもうひとつ取り出す。水差しに満ちていた水を注いで、悟飯へ向けて差し出した。
汚れた窓からは、並び立つ工場の無機質なシルエットが見える。鉄骨を組んだ構造物、錆びて継ぎ目の外れた配管、巨大な恐竜の化石のように、俯いて沈黙したクレーン。工業都市の名残が街並みに溶け込んで、非現実的な雰囲気を作り出していた。
沈まんとする陽が窓から向かいの壁まで光の道を作り、その中に舞う埃を浮かび上がらせている。
「寝る部屋はどこ?」
「寝る部屋? そのへんで適当に」
「適当って……あ、ここが寝室だ、寝台もあるじゃないですか。マットレスだけ調達すれば……」
悟飯が言い終えるか終えないかの内に、ピッコロが手を向け新しいものを作り出す。布地の破けていた寝台は、枠組みこそ古びているが、二人横になれそうな清潔な寝台へと変わった。
「わぁ、これで一緒に寝られますね」
ピッコロは答えず、寝室の窓を開ける。夕まぐれのあたたまった空気が流れ込み、埃っぽい空間を洗い流した。神殿で感じる夕暮れの空気と、同じだった。
日が暮れると、まともな灯りのない部屋は早々と真っ暗になった。無理やりピッコロを寝台へ押し込んで、悟飯もその隣に横たわる。
「町の中、探索とかしました?」
「いや……」
「じゃあ明日、一緒に散歩しましょう。気候も良いですしね。それから、どこかにランタンか……せめて蝋燭でも残ってないかな……なければ、買って来ないと」
なぜ身を隠したのかだとか、いずれ戻る気はあるのかだとか、尋ねたいことはいくらでもある。けれど今それを尋ねては、せっかく見つけ出したピッコロにまた距離をおかれてしまう気がして、悟飯は努めて普段通りに振る舞った。まずは、側に置いても良いと確信されることが最優先だ。
頭側の窓にカーテンはなく、寝そべった角度からだと夜空だけが見える。少し水気を帯びて滲んだ、夏のはじまりの星空だ。
悟飯はそっと手を伸ばして、シーツの下でピッコロの手に触れた。振り払われるかと思ったが、手は逃げることも、こちらを振り払うこともなく、触れられるがままになっていた。やはり来てよかったのだと、少し低い体温を感じながら、悟飯は安堵した。
目が覚めると、眠る前には見当たらなかった月が上がっており、窓から月光がさしていた。眠っていたのは、一時間程度だろうか。
ふと気配を感じて見遣ると、寝台の脇にピッコロを見下ろす人影がある……月明かりに輪郭を滲ませ、姿の向こうに、壁紙の色が透けて見えた。――――