それでも隣にいる災厄が去り、世界が静けさを取り戻し始めた頃。
ソダテナーから身を引いたコトゼットは、とあるカケラ島に家を建てた。
これからは指導者として人々を導きたいーーそう考えた彼女は教師として生きることに決めた。
少し人里から離れた場所に家を建て、自分のためのいくつかの部屋と教室を作り、近所の子どもたちを招いて授業をする。それが今の彼女の静かで平和な日常だった。
そしてその建物の小さな一室に、かつて孤独の化身と呼ばれた彼ーーボッチアーニがひっそりと住んでいた。
孤独と絆の壮大な戦いの果て、異世界から招かれたヒーロー達に倒されたボッチアーニは、力を失い、弱りながらもその体を保ち残っていた。
項垂れながら他人を拒絶し、そのまま姿を消そうとした彼だったが、それを静止して無理やり自らの家に招き入れたのがコトゼットだった。
居場所を与える代わりに、日々の手伝いをしてほしいーーそれが、コトゼットがボッチアーニに出した条件。
行くあてもない彼は、何も言わずにコトゼットについていくしかなかった。
あブねーだろ!と焦るタップーと心配そうに見つめるコネッタをよそに、絆と孤独の不思議な共同生活が始まった。
◇◆◇
コトゼットの『手伝い』は家事から授業の準備など様々で、それにブツブツ文句を言いながら仕事をするのがボッチアーニの日課だ。
「授業で使う道具の準備をしてください」と言われて折り紙を折らされた時は最悪だった。
コトゼットを怒らせる訳にもいかず、大きな金属の指で、小さな折り紙を破らないように丁寧に折る。
ぐしゃぐしゃになった折り目に文句を言いながらもなんとか完成させた。
かつては孤独の支配者としてあらゆる世界を蹂躙していた自分が、今は子守の手伝いをしているーーその落差があまりにも情けなく、腹の煮えたぎる思いだった。
その日の授業の後、コトゼットが金色の折り紙で作ったメダルを渡してくれたが、いらないので部屋の隅に放置した。
絆についての授業をするのでボッチアーニも参加してほしい、とコトゼットが頼んだこともあったが、彼は間髪入れずに断った。
絆について説こうとするコトゼットに対して、「繋がりなんていらないよ!ボクチン孤独がいいも〜ん!」とボッチアーニが嫌味を言う。
それが2人のいつものやりとりだった。
自分が力を取り戻したらまずはコトゼットを孤独にして、復讐してやるーーそんな叶いそうもない願いを胸に秘めつつ、ボッチアーニは生温い平和を享受していた。
今の生活を受け入れ始めてしまっている自分に苛立ちを感じ、壁を切り裂いたこともあったが、虚しくなったのでやめた。
爪痕でボロボロになった壁を見てもコトゼットは怒らず、「怪我はありませんか」と彼に聞いただけだったので、ボッチアーニはそれを少し不気味に思った。
◇◆◇
ある日コトゼットは学校を閉じ、ボッチアーニに何も伝えずにどこかへ出かけた。
彼は興味がなかったので、行き先は特に聞かなかった。
普段は日の出とともに起き、日の入りとともに眠るコトゼットだったが、その日は珍しく夜が更けた後に帰ってきた。
ボッチアーニは少し不思議に思いながらも、コトゼットの上着を預かる。
手が触れないように服の部分だけを掴みながら。
「ボクチンに感謝してよね〜?ちゃんと手伝ってやってるんだからさ!」
ブツブツと文句を言いながら、上着をいつもの場所に置く。
彼女の目の上がほのかに腫れていることに、ボッチアーニは気付かない。
彼はなおも続ける。
「…でさぁ〜、今日もどっかで『良い人ごっこ』してきたわけ?ボクチンには関係ないけどさ〜♪」
普段のように無邪気にコトゼットに話しかける。
そうやって意地の悪いことを言わないでーーいつも通りの返答が返ってくるだろうと、ボッチアーニは思っていた。
その時だった。
彼の赤く冷たい金属の腕を、誰かの手がガッと掴んだ。
一瞬たじろいだボッチアーニが、ほんの少し動揺しながら掴まれた手を見る。
その先に視線を滑らせると、そこにいたのは紛れもなく、彼女ーーコトゼットだった。
彼女はボッチアーニの腕を掴みながら、彼のモニタの顔をじろっと見つめていた。
その瞳から諦めと敵意の色が滲んでいるのを、孤独の化身は見逃さなかった。
一拍の後、ハッと正気に返ったコトゼットは、「すみません」とすぐに手を離し平静を装おうとしたが、もう遅かった。
ボッチアーニは掴まれた場所に僅かな違和感を覚えた。
その感覚はじんじんと周囲に広がっていく。
彼はその腕を見て、腹の底から湧き上がるような嬉しさに包まれた。
同時にほんのわずかなざらつきを感じたが、こみあげる興奮の波に飲まれて消えていった。
ボッチアーニの表情が、ニタニタとした笑いへ変わっていく。
「…やっぱりそうだ!それがキミの本音なんだよね!?
ボクチンのことが嫌いで嫌いで仕方ないんだろ〜!?」
コトゼットと暮らすようになってから初めて、彼は心の底から思いっきり、
狂ったような笑い声を響かせながら叫んだ。
自らの本分を思い出したと言わんばかりに頭のケーブルがうねうねと蠢き出す。
彼が悪意を喰らう怪物だったことを、コトゼットはようやく思い出した。
「でも捨てる勇気もなかったんだ〜!!
だってさぁ、ボクチンがキミの言うこと聞いたら……
『絆ってすごい』って、み〜んなに証明できるもんねぇ〜〜!!?」
甲高い電子の声が高らかに響く。その声色はまるで、楽しい玩具を壁に打ち付け壊す子供のようだった。
コトゼットは矢継ぎ早に続く演説を止めようとしたが、自らが無意識に心の奥底にしまっていた本心を引きずり出されたように感じ、血の気のない顔で立っていることしかできなかった。
「ボクチン知ってるよ!こういうのさ…
偽善者、って言うんだよ〜〜〜!!!!」
ボッチアーニはゲラゲラと、体を大きく震わせて笑い続ける。
コトゼットは笑い声の奥に掠れた何かが紛れているように感じたが、その正体はもう誰にも分からなかった。
そしてボッチアーニは部屋の隅に転がっていた折り紙のメダルを見つけ、ガッと荒々しく拾い、そのままぐしゃっと潰し、彼女に向かって投げつけた。
「お前の絆ごっこに付き合うのはもううんざりなんだよ!!」
それから何を話したか、彼女は覚えていなかった。
コトゼットの瞳が腫れていたのは、その日の朝、謝罪のためにとある島を訪れていたからだった。
ソダテナーである自分が世界を乱してしまった、申し訳ないーーコトゼットはそう言いながら、
たった一人で、人々に向かって頭を下げた。
慰める者、困惑する者、様々だった。しかしある一人の男が叫んだ。
ソダテナーとあろう者がなんたる様だ、責任を取れーーその男の声を皮切りに、周囲にざわざわとした苦悶の声が広がって行った。
彼女はその全てを黙って受け入れ、帰ってきた。
しかしその事実など、ボッチアーニには知る由もなかった。
◇◆◇
その日の夜、彼女は夢を見た。
バラバラになっていく世界と、逃げ惑う人々と、その上で楽しそうに体を揺らしているボッチアーニ。
彼は壊れる世界を眺めた後、コトゼットにふわっと近づき、よくやったぞ、と言うかのように彼女の頭を撫でる。
彼女に僅かな心地のよさが訪れたのも束の間、その直後、彼は彼女の顎まで手を滑らせ、笑いながらギリギリとその白い首を絞め始める。
彼女は抵抗するが叶わず、徐々に意識が朦朧としていく。
薄れゆく意識の中で、頬が何かで濡れるような感触を覚えーー夢はそこで終わった。
目が覚めると、コトゼットは汗まみれだった。体を起こすと喉に違和感がある。
笑いながら首を絞めるボッチアーニの顔が、脳裏にこびりついて離れなかった。
同時に、あの時の頬の感覚はなんだったのだろうと思いながら。
◇◆◇
それから、ボッチアーニは部屋から出てこなくなった。
コトゼットは毎朝彼の部屋の前まで行き、ノックをしようとするが、腕が震え、どうしても扉を叩くことができない。
一度彼女が部屋の前に立った時、中からガサガサと僅かに音がしたが、周囲を拒絶するかのような気配を放つその扉が開くことはなかった。
コトゼットは身の回りの世話を自分1人でするようになった。
洗濯をして、掃除をして、食事を作り、授業の準備をする。
大した負担ではなかった。
その事実が、自身がボッチアーニを飼い殺しにしていたことの証明だと悟ってしまい、あの時の彼の言葉が深く心に突き刺さる。
どこか上の空のコトゼットを心配する生徒もいたが、彼女はいつもの穏やかな表情のまま取り繕った。
◇◆◇
1週間ほど経ったある日、授業中に生徒が喧嘩をした。
きっかけは些細なことだった。折り紙を折っている時に、生徒の一人が他の生徒の作品に落書きをしたのだ。
落書きをされた生徒は作品を壊されたことにショックを受け、泣き出した。
落書きをした方の生徒は良かれと思ってそれをしたようで、なぜ泣くのか、と逆に憤った。
コトゼットは優しく諭し、お互いに謝りましょう、と2人に言った。
落書きをした生徒はそれで冷静になったようで、ごめんなさい、ともう1人に謝罪した。
しかし、泣いていた方の生徒は一向に気がおさまらない。
泣き腫らした顔でコトゼットに、なぜ謝らないといけないの?と問いかけた。
コトゼットはそれをなんとか宥めながら考えた。
その子の言うとおりなのだ。
酷いことをされたのに、なぜ許さなければいけないんだろうーーと。
その日の夕方、窓から外を眺めていたコトゼットは、喧嘩をした生徒達が2人で並んで歩いて帰っているのを見つけた。
なんとも不思議な光景に思えた。しかし、彼女はふと気づいた。
許し合わなくても共に在っていいのかもしれないと。
2人の生徒の胸元には、金色の折り紙が飾られていた。
1人はぴかぴかのメダル。
もう1人は落書きでぐちゃぐちゃになった、しかし丁寧に折られたメダルだった。
◇◆◇
夜になった。コトゼットはボッチアーニの部屋の前に立つ。
わずかにためらった後、その扉をノックした。返事は無かった。
鍵はかかっていないようで、ドアノブを回すと、カチャ…と小さな音と共に扉が開いた。
共に住みはじめた時、自分は何もいらないと弱々しい声で断ったボッチアーニ。
その宣言の通り、部屋には家具のひとつもなく、コトゼットが送った花瓶だけが窓際に置かれていた。
数日前に彼女が飾った花瓶の中の花は、すっかり萎れて枯れていた。
ボッチアーニは何もない部屋の奥にうずくまり、彼女の方を見ようともしなかった。
コトゼットは彼にゆっくりと、しかし一歩一歩確実に近づいていく。
「ボッチアーニ」
コトゼットが声をかける。すると彼はようやく、彼女の方をちらりと振り向いた。
顔のモニタには何も映していなかった。
コトゼットは目と目の間に少し力を入れ、彼を見つめる。
ボッチアーニはゆらりと浮き上がり、コトゼットの方に振り向き、彼女を見下ろした。
周りを拒絶するかのようにゆらめく彼は、力を失った子供ではなく、孤独の支配者と呼ぶにふさわしい気配を放っていた。
頭の大きなケーブルから生えた指が緩やかに動き、コトゼットに少しずつ近づいていく。
そして、その指が彼女の喉元に触れそうになった、その瞬間。
ーーコトゼットは、ボッチアーニの胸元に抱きついた。
「………なんのつもり?
…偽善者のくせに」
彼にしては珍しく、抑揚のない淡々とした声だった。
つめたく硬い金属の体からは、一切のぬくもりが感じられなかった。
その体に顔をうずめたまま、コトゼットはか細い声を絞り出す。
「…怖いです。憎いです。貴方のこと」
相手の耳になんとか届くような声量。
ボッチアーニはそれを聞きながら、何も言わずにただ立っていた。
コトゼットが震える声で呟く。
「…なのに、どうして……」
抱きしめる彼女の腕の力が強くなり、じんわりと、やわらかい熱が彼の体に伝わっていく。
部屋の隅に転がっていた、潰れてぐしゃぐしゃの折り紙のメダルが、窓から入ってきた朝日の欠片を浴びて僅かに光る。
誰も何も言わなかった。
殺風景で静かな部屋に、ただ陽の光だけが差し込んでいた。
かつて孤独の化身と呼ばれていた男は、自分の胸元に収まった相手の背中にそっと、わずかに、ほんの少しだけーー指先で触れた。