おそろ イアスがそこにやってきたのは偶然とも必然とも言えた。
六分街にあるビデオショップ・Random Playにて、いつものメンテナンスを終えたボンプのイアスは、自身の主人である店主の兄妹を手伝うべく外に出ていた。プロキシというあまり大っぴらにできない顔を持つふたりのため、ホロウ内で彼らの手足となり目となるイアスは、やっぱり大っぴらに外に出ることはできない。けれどひと気も少ない深夜帯のゴミ捨てくらいならと小さな体で大きなゴミ袋を抱え、イアスは店の裏手にあるゴミ箱へと向かったのである。
裏口のドアを閉め、たまさか耳にした普段あまり聞かないエンジン音にふと顔を上げた。
その瞬間に視界がブラックアウト。声を上げる暇なぞ一秒だってなかったことは、イアスの視覚記録を解析すればわかるだろう。
◇◇◇
がたがたと揺れる地面に寝転んでいる。寝心地が悪すぎて意識を取り戻し、まず最初に機能の確認を素早く行ったのはイアスの経験からくるサバイバル能力だ。システム・オールグリーン、周囲に敵の気配なし。体を起こしてみる。そしてその電子の目を見張る。
意識不明、機能不全、半壊、全壊。様々なボンプが無造作に積み上げられていた。静かに動き回って、壊れてなさそうなボンプを突いてみるも、反応なしだ。イアスが如何に優秀なボンプであろうとこの数はどうしようもない、誰か助けを呼ばなければと外に飛び出そうとして、気付いた。
ここは車内だ。
つまり自分たちはトラックの積荷である。
そっと幌を捲れば、かなりの速度で移動しているのが分かった。しかもこの景色。少なくとも新エリー都内ではない。恐らく郊外だ。
さてどうしたものか。パニックになりそうな頭をどうにか冷静に保ち、イアスは必死に考えた。多分、自分がいないことにアキラとリンは気がつくはず。そしてFairyならイアスの位置を追跡できるだろうが、イアスの意識がなかった間はどうなのだろう。心配をかけているには違いないし、早急に無事を伝えたいが、現状どうやって助けを呼べばいいのものか。
まず前提として、イアスは目立てない。郊外は管轄外ではあるが、治安局に見つかるようなことは絶対に避けなければならない。しかしここでアキラたちの助けを待つにしても、敵――と呼称するが、それがこれほど見境なくボンプを集めているのだから、流石に嫌な予感というやつが非常に強く感じられるわけで、悠長にはしていられない。ならば、と考える。ここは郊外。郊外には、アキラとリンが、パエトーンが懇意にしている彼女らがいる。どうにか彼女ら、カリュドーンの子を見つけ出し、敵をやっつけて助けてもらう。これが一番都合がいい。
イアスは外を見る。ものすごい速度で流れていく景色。そろそろ日が出る、燃えるような朝焼けだ。これは幸先が良いのかも、なんてイアスは考えた。カリュドーンの子ってのは、燃え盛る炎だからだ。遠くで別のエンジン音がする。後続車が来ている。轢かれてしまったらもう助からない。やるなら今だ。
イアスは勇敢なボンプだった。
なので、「ンナ!」、気合い一閃荷台から飛び出した。
短い両手で頭を守る。アキラとリンが自分を見つけてくれるように。足を折りたたむ。カリュドーンの子を探しに行けるように。
初撃。耐えた。歪む視界に確とトラックのナンバーを焼き付ける。体が跳ねて、また宙に浮く。地面が近付く。
次は。次は耐えられるのかな。目を固く閉じて、祈るようにその時を待つ。
遠くで吠えるような音がした。次いで、勢いよく何かが擦り付けられるような、衝撃音。
「いい気概だが、無茶は困る……」
目を開ける。誰かに抱き止められていた。
顔を上げれば、困った顔でライトが息を吐いていた。
◇◇◇
「連絡したぞ。あっちも大慌てだったみたいだな」
イアスがいないと家をひっくり返す勢いで探し回っていたようだ。Fairyの手も借り、居るのが郊外の道路であると分かった瞬間にはシーザーに連絡を取っていたらしいが、時間も時間であり出なかったそうだ。ライトはライトで最近夜更けに郊外にやってくる不審なトラックを調べていたそうで、イアスが荷台から飛び出したところに居合わせたのは偶然だった。イアスが聞いたエンジン音はライトのバイクのものである。
「あんたが飛び出したのが見えて、慌てて俺も飛び込んだんだが」
イアスの姿を認識するなり、ライトはバイクを乗り捨てて腕に装着しているグローブを無理矢理吹かし、その推進力で無理矢理イアスと道路の間に入り込んだ。お陰で背中は滅茶苦茶痛いし腰も強かにぶつけたし腕の関節は外れかけたが、それでもイアスを守れたと思えば安いものだ。本当はイアスが飛び出す前に例のトラックに追いつけていればよかったのだが。
「ンナ、ンナナ?」
「今日はもう遅いし、明日は俺もやることがあるんだが、その用事自体はすぐ終わるからな。明日の朝にはここを出て、プロキシのところに送ろう」
「ンナ!」
「俺はもう寝るが、あんたは充電とかすべきなのか? うちにもモックス用の充電機器があるぞ」
「ンナ」
「そうか。なら悪いが、今夜は俺の部屋から出ないでくれ。一応、安全のためにな」
「ンナ!」
ライトは確かにそう言った。言ったが、イアスが迷いなくライトのベッドに飛び乗ったのには困惑した。
「あー……そこで寝るのか?」
「ンナ」
「いや、構わない。じゃあ俺はソファで」
「ンナナ!? ンナ!」
「……はあ、分かった分かった、そう暴れるな。ただでさえマットレスが薄いんだ、簡単に穴が開くぞ」
さぞ愛されて育ったのだろう。なんの迷いもなく一緒に寝ようと言い出すのはそうでなければありえまい。
狭くて薄い寝台では、相手がボンプだろうが身を寄せ合わなければ落ちてしまう。ライトは厳ついジャケットを脱ぎ捨て、マフラーを丁寧に畳んで置き、その上にサングラスを乗せる。明かりを落としてからベッドに潜り込めば、イアスは躊躇うことなくライトの腕の中に入ってきた。ひんやりしたボディは思いの外心地よく、ライトはそっとその背を撫でる。
「……ンナ?」
目が合った。こちらを写さない、電子の瞳に安堵を覚える。そして指の引っ掛かりに気付き、申し訳なさに眉を顰めた。
「体に傷がついちまったな」
勇敢なイアスはその意志でトラックから飛び降りた。結構な速度で道路に叩きつけられたのだから壊れなかっただけマシと言うべきなのかもしれないが、それでももう少し早く追いついていればと思わずにはいられない。そうすれば、この可愛らしい勇者のボディはきっと綺麗なまま、あの兄妹の下へ帰してやれただろう。
「ンー、ンナンナ。ンナ」
イアスの短い腕がライトの腕に触れる。ライトの体に刻まれた、無数の傷跡を撫でている。
「ンナ!」
「……ふ、は。そうか」
にこにこと笑うイアスに思わず釣られて、ライトも笑った。全く、イアスとは違ってこの体は勇敢さからボロボロになったわけじゃないってのに、それのどこがいいんだか。
鼓動もなければ体温もない、小さな命を腕の中に抱きしめて、ライトは穏やかな眠りのなかに落ちていく。
◇◇◇
翌朝。ライトよりも早く目を覚ましたイアスは、それを見つけた。
「ンナー!?」
「……朝から元気だな、イアス。おはよう」
仰天してひっくり返ったイアスを大して気に留めることもなし。ライトがあまりにも平然としているからイアスの方も言及する機会を失って、用事があるからと部屋を出て行ったライトをそのまま見送った。シーザーに会いに行くだけだと言い残したライトは言葉通りすぐに戻って来る。
「さて、帰りの時間だ」
軽く持ち上げられてライトのバイクに乗せられる。この腕では腰にしがみつくのも難しいので、位置はライトの前だ。
エンジンをかける直前、イアスはライトを振り返る。
「ンナナ……」
ライトは少し驚いた表情をして、ちょっと乱雑に、けれど優しくイアスの頭を撫でた。
「はは、大丈夫だ。心配するな。これしきで事故なんかしないさ」
バイクのエンジン音が鳴り響く。イアスは考えを巡らせながら、前を向いた。
バイクで走りはじめてどれくらいだろう。よく晴れて快適な気温の中、景色を眺めているうちにイアスたちはすぐに六分街に到着した。ライトが庇ってくれているお陰で人目には付きづらいが、一応念の為に目立たないようとスカーフを外してある。
「イアスー! 心配したよ!」
裏口から店内に入るなりリンが飛び込んできて、そのまま抱き上げられる。アキラはライトからスカーフを受け取り、何やら話し始めていた。
「本当に、なんでイアスを攫うようなことしたんだろ。うちのイアスに手を出すなんて、ただじゃ置かないんだから」
「ンナ、ンナナ」
「イアスの所為じゃないんだし、謝らないで? 本当に無事でよかったよ!」
「ンナー……」
「ライトさんに助けてもらったの? 保護したとしか聞いてないけど……」
「ンナ? ンナ!」
「え? それは……確認しよっか」
リンがイアスを抱き上げたまま、アキラと話し込むライトに近付く。そっと息を殺したつもりだが、歴戦のチャンピオンにはバレバレで、「ちょうどいい、そっちの店長も聞いてくれ」と平然と話しかけられた。
「イアスを攫った不届者についてだ」
「絶対に報復するよ?」
「パエトーンが全力で分からせるつもりだけれど」
「物騒だな。まあ構わんが。そいつは恐らく今頃……おっと」
ライトの携帯端末がノックノックの通知を告げる。見れば相手はシーザーだった。
「身柄を確保したそうだ」
ライトがイアスを助けた際、ナンバーを記憶していたのだそうだ。俺よりもイアスの方が記憶力がいいだろうし、あんたらも後できっちり確認してこいと、暗に報復のゴーサインが出される。ライトもちゃっかり怒っていた。
「でもわざわざシーザーが出向いてくれるなんて。そんなに大きな事件だったのかい」
「いや、単にボンプ好きを拗らせた変態の所業だ。カリュドーンの子に手を出そうって意図じゃない」
「ならルーシーが止めに入りそうだけど」
「ま、ブレイズウッドも被害を出してたんでね。最初は俺が調べてたのさ。うちのシマでそう簡単に窃盗されちゃ困るからな」
だからライトは不審なトラックを尾行していたのだ。昨晩イアスを見つけたのはそのお陰である。
だが、とライトが続けた。
「六分街で被害が出てるんだ。覇者がしっかり落とし前つけなきゃな」
「……治安局」
「そっか。それは、本当に助かったかも」
郊外は以前治安局の管轄外のままだ。それは郊外は郊外のルールがあり、治安局がそこに踏み込みにくい環境であることも一因である。そのルールを定め守るのが覇者の務めだ。覇者が動かなければその均衡が崩れかねない……とはいえ、覇者は後ろ暗いわけでもなし、別に治安局に捜査されようが構わないのだ。
それに構うのはイアス、基プロキシ兄妹の方である。
その辺はルーシーがよく分かっているだろうから、今回はカリュドーンの子は大将、郊外の覇者、シーザーが直々にぶっ飛ばしに行ったと言うわけである。
加えて、イアスの手前ライトは言わなかったが、シーザーと同時に連絡を入れてくれたルーシー曰くその変態はボンプ好きに加えてキュートアグレッションまで拗らせていたそうだ。各地からボンプを勝手に連れ帰り、解体を繰り返していた。その変態が客として来店していたなら、アキラにもリンにもその目的がボンプ探しだなんて予測できなかったに違いなく、その場合、目を付けられていたのはイアスではなく18号の方なのではないかとルーシーは予想していた。恐らくイアスは人違いならぬボンプ違いで、だがその行動派のイアスが動いたお陰でライトもそのトラックがクロだと確信したのだし、運が悪かったと言うべきか良かったと言うべきか迷うところである。
兎にも角にも、覇者たるカリュドーンの子がしっかり潰しておくべき案件であることに違いはない。
「ま、大将のガス抜きにもちょうどいいさ。覇者になってから好きに喧嘩もさせてもらえんとルーシーに愚痴っていたからな」
「でも助かるよ。イアスは治安局に知られているからね」
「ありがとう、ライトさん……えいっ」
「ンナ!」
リンがいきなりライトの背を押した。イアスもライトに飛びついた。ライトは何とかイアスを受け止めたが、「ウ、」短く悲鳴をあげそのまま固まる。
「リン? 何を」
「見てお兄ちゃん。すごいアザ」
顔を顰めて動かないのをいいことに、リンがライトのジャケットを捲った。その背中は青黒く変色していて酷く痛々しい。イアスが今朝目撃して仰天したものの正体である。
「イアスを受け止めるために道路に飛び出したんだって。時速100キロ超えてたんでしょ? イアスもそれなりの重さがあるのに」
「ンナナ! ンナン、ンナ!」
「腕もおかしいのかい、ライトさん」
薄らと汗をかきながら、ライトの目が泳ぐ。返答に困った時のライトの癖だ。
「……イアス、告げ口はよくないぞ」
「告げ口じゃないよ。別にこっちは怒りたいわけじゃないんだから。その逆だよ」
「イアスはライトさんに休んで欲しいだけなんだ。勿論、僕たちも。動くのも辛いだろう、医者をすぐに呼んでくるよ。治療費は勿論僕たちが持つから」
「いやそこまでしなくていい、医者には後でいく」
「本当に? 嘘だったらその傷のことシーザーに言うけど」
「……参ったな……」
適当に放置しておくつもりだったに違いない。イアスはライトの頬をぺちりと叩く。困ったように眉根を下げるライトと目が合う。
ほら、昨日も言ったでしょ?
「ンナ! ンナナ!」
イアスだってこの後メンテナンスを受けるのだ。きっとこの体は綺麗になるのだろう。なのにライトはまだ傷を残してるのはおかしな話じゃなかろうか。
ライトがサングラスの位置を直して、その手でイアスの頭を撫でた。ちょっと乱雑で、だけど悪くない感触だ。
「……あんたらがそこまで言うなら仕方ない。ちゃんと医者にかかるが、郊外に戻ってからにさせてくれ。あまり見せられた体じゃないんでね」
「じゃあ郊外まで送るよ。バイクはビリーとかにもって行って貰えばいいし、って、そういえばバイクは? 傷とかついてるんじゃ」
「俺もバイクもそんなにヤワじゃないし、治療費もいらん。依頼って訳でもないんだ、あんたらが気にすることじゃない」
「でも助けてもらったことに違いはないんだ。何かさせて欲しい」
「もう間に合ってる」
そっと、ライトがイアスを降ろす。暖かな手が離れていく。
「どうしてもってんなら、今度郊外に遊びにでも来てくれ。それなら大将たちも喜ぶ」
「じゃあ、何か持っていくね!」
「イアスも一緒に行こうか」
「そしたら泊まっていけよ。なあ、イアス?」
柔らかな視線はサングラスの奥に潜み、たった一瞬で元の涼しげな瞳に戻る。「じゃあな」、軽やかに手を振って、赤いマフラーは帰って行った。颯爽と、何一つ普段と変わりなく。
「イアス、何かあげたの? 間に合ってる、って言ってたけど」
「ンナ? ンンナ、ンナ」
「今度改めて聞いてみてもいいかもしれないね。さて、イアスも無事に帰ってきたことだし、営業を再開しないと。まずメンテナンスをしよう」
「そしたら夜は一緒に寝よっか! 18ちゃんたちも一緒に誘っちゃう?」
「ンナ!」
「はは。ベッドから落ちても知らないよ、リン」
◇◇◇
赤いマフラー。カリュドーンの子、無敗のチャンピオン。仲間を守るために拳を振るうその男は、いつも涼しげに、恰好つけるように、彼女らの後ろに佇んでいた。
時折、己が何処に立っているのか分からなくなる。
それは未だこの体に染み付いて、ふとした瞬間に鎌首をもたげる。
目を開ける。いつもの天井に安堵して、再び閉じた瞼の裏で、その夢の残滓を眺めた。
夢を見るのはいつものことだ。こうしてチャンピオンとしてカリュドーンの子に馴染んだ今でさえ、ライトはそれから抜け出せない。本当は抜け出す気もなかった。この業を、罪を、過去を背負って、この命を使い潰すまで、いるつもりなのだから。過去を忘れるなんてできない。もしかしたら前を向くことはできるかもしれないけれど、それでも失ったものを、自分がしでかしてしまった事実を、置いてはいけない。ライトはそう思っているし、それでも前を向こうと足掻けるようになっただけ進歩だった。
だけど、そう。
それでも、やっぱり、ちょっと、重くて、苦しい。
「……不思議なもんだな」
人間は、睡眠中、必ず夢を見るのだと言う。深く眠ると夢の内容を覚えていられなくなるから夢を見ないと認識するだけで、本当は毎日夢を見ている。
ライトは夢を見たくないのではない。それが夢であれど過去と向き合うのは自分の責務であると自認している。
けれど、温もりのない、傷だらけの小さな、命ですらない1匹は、ライトに静かな眠りを齎した。
それがどれほど得難いものであるか。
それは、ライトだけが知っていればいいことだ。