⛰️🌸 レンタル彼氏やまと×さくら 午前中に焚石から頼まれていた用事を済ませ、さてお昼がてら午後の仕事へ向かおうとしたら、相手からキャンセルの連絡が来た。リスケするのは構わないとして、そのために午後を丸々空けていたので、予定が空いてしまった。
ふむ、と少し考えてから、スマートフォンをささっと操作してポケットにしまい、目に入ったカフェへと足を踏み入れる。コーヒーとサンドイッチを注文してカウンター席で軽く食事を済ませ、そろそろ店を出るかという頃になって仕事用のスマートフォンが鳴った。
お、きたきた。チャットを確認すると、予想通り仕事の連絡であった。
夕方五時から二時間、一緒に食事がしたいという依頼。場所は偶然にも棪堂がいる駅の隣の駅。電車で五分もかからない。出勤する旨を返信し、それまで時間潰しに買い物でもするか、とカップに残ったコーヒーを飲み干し、席を立った。
レンタル彼氏のバイトは、不定期に、それこそ時間が空いて気分が向いたら引き受けるようにしている。
いつでもできるよう登録だけは済ませており、客側が誰も指名しなかった場合で、予定が合えばこうして気まぐれに出勤する。まあ、つまりは暇つぶし兼小遣い稼ぎ。
幸いにして棪堂は、対人関係を築くのが抜群に上手い。相手の考えていることや望んでいるものが手に取るように分かるし、どんなことでもやれる自信があった。実際、一度デートの相手をした客はみな棪堂に夢中になったし、当然の如く相場よりも多く報酬を受け取っていた。
買い物をしている間に、送られてきたデート内容の詳細を確認する。もし食事をするのがドレスコードのある店だった場合は着替えなければならないし、相手の年齢によって服装を選んだ方が浮かない。
年齢は二つ下、今着ている服のままで問題なさそうだ、食事場所も希望なし、これも適当に美味くて雰囲気の良い店を選べばいいだけなので問題ない。ひとつだけ問題があるとしたら──相手の性別が男という点だけだ。
あまり男の利用者がいないのでうっかりしていた。棪堂は女が好きだし、レンタル彼氏を利用するのはほぼ女なので、女と食事をして金もらえるなら楽でいいな、くらいの遊び感覚で仕事を受けているというのに、よりにもよって今日の相手は滅多にいない男。というか一度も受けたことがない。男の利用者なんていたのかよ、という驚きすらある。
まあ、約束の時間まであと三十分もない、どうせ暇だし、どんなやつがレンタル彼氏なんて利用してんのか、からかいがてら見に行ってみるか、と考える。最低な自覚はあるが直す気はない。結局少し早めに駅へと向かい、電車に乗って一駅だけ移動した。
客の連絡先を確認し、こっちの服装を写真に撮って簡単な自己紹介とともにチャットを入れる。チャット相手の名前は「桜 遥」となっており、男にしては名前が可愛いなと思う。もしかして、性別の欄を打ち間違えただけで、実際は女なのだろうか。それならそれでラッキーだが。
相手が待ち合わせ場所に来ればすぐに分かることだ、考えてもしょうがないのでとりあえず分かりやすい駅前の待ち合わせスポットになっているオブジェの前で待つ。
約束の五分前。棪堂が乗ってきたのと同じ下り電車が到着し、改札からどっと人が溢れてくる。チャットの返信がないが、あの中にいたりするだろうか、と眺めていたら、見たこともない白と黒の半分の髪が目についた。派手な髪だな、まぁ焚石も大概派手だが……と思っていたら、その白黒頭がこっちに向かって来ているのに気づき、マジか、と壁に寄りかかっていた身体を起こす。
近づいてくる白黒頭は、迷いない足取りでずんずんと棪堂の目の前まで来た。そこで初めて気づく。目の色もグレーとゴールドで半分違う、と。
「お、お前が……ヤマト?」
自分よりも背の低い白黒頭が、なんとも居心地が悪そうな顔で聞いてくる。棪堂がレンタル彼氏として登録している源氏名は、本名そのまま「ヤマト」なので、もうこの白黒頭が本日のお相手で確定だ。
「おー、そういうお前はオレのデート相手の桜遥で合ってるな?」
「デッ……」
「デ?」
「デッ、デートって言うな!」
デート、という単語に反応したらしい、耳まで真っ赤にした桜に怒鳴られた。レンタル彼氏を利用するなんて大胆なことをするくせに、案外初心だなと思う。
「でもデートだろ」
「ちがっ……オ、オレは、メシだけでもOKって書いてあったから、それで……」
「だからよ、メシ食うデートだろうが」
デートじゃないと言い張るのがなんかムカついたのでそう言ってやると、桜は赤い顔のままわたわたとスマートフォンを取り出し、不慣れな手つきで端末を操作する。のろのろと動いている人差し指を見ていると、端末を奪って代わりに操作してやりたくなった。
そうする前になんとか操作を終えた桜が、棪堂の眼前にスマートフォンをつきつける。それはレンタル彼氏の予約画面で、備考欄に「ともだちとして めしがたべたい」と書いてあるのが読めた。
なるほど伝達ミスということか。これを見ろ、と言わんばかりに桜に睨まれ、棪堂は納得した。
「わりーわりー、オレにはそれ送られてきてなかったわ。普通にデートの予約で入ってた」
「そうなのか?」
棪堂に非がないと分かると、桜はきょとんとした顔であっさりとそれを許した。そういうことならしょうがねぇな、と言う。伝達ミスについてはさておき、彼氏ではなく友達として食事がしたいとはどういうことか。
「なぁ。お前友達いねぇの?」
友達と飯なんていくらでも食えるだろう、わざわざ金を払ってまでやることか? と思い、桜に友達がいない可能性に思い当たった。
無遠慮に尋ねれば、桜が言葉に詰まる。図星だったのだろう、一瞬だったが明らかに傷ついた表情をした桜に、棪堂は自分の胸が高鳴るのを感じた。もっと見たい。そう思って、俯いてしまった桜の耳元で囁く。
「友達いねぇから金で買おうって? 虚しくね?」
びく、と俯いた肩が跳ねるのを見てゾクゾクする。自分で傷つけておいて、可哀想になぁ、と思う。
俯いたまま、小さい声で「帰る」と言って立ち去ろうと背中を向けた桜の首に腕を回し、無理やり引き止める。
「まぁ待てって。イタズラ防止に時間過ぎてからのキャンセルは全額負担だ、どうせならメシ食おうぜ」
「……払えばいいんだろ」
「あと二時間あんのにもったいねぇだろ?」
桜の手が乱暴に棪堂の腕を振り解く。思っていたよりも力強く、喧嘩に慣れていそうな動作にやや驚く。ああなるほど、もしかしてこの派手な見た目のせいで周りから嫌われてる一匹狼で、喧嘩慣れしてる感じか。
思っていたよりも強い瞳に鋭く睨まれ、棪堂はにやぁと笑みを浮かべた。
「なに食いてぇ? 好きなもんは?」
「行かねぇ」
「わかったわかった、からかったオレが悪かったよ。お前の反応が可愛くてつい、な? 許して?」
美味い店いくらでも知ってっから、なんでも希望言えよ。やっぱ肉系? 意外と魚派? イタリアンでもフレンチでも、和食でもどこでも案内してやるよ。
ぺらぺらと喋る棪堂を鬱陶しそうに見遣った桜だったが、その態度とは裏腹に、お腹の虫がぐうと鳴いた。どうやらお腹が空いているらしい。その音がはっきりと聞こえたので、棪堂は桜の肩を無理やり抱くと、さりげなく駅から離れて店のある方へと誘導する。
「お腹空いてんだろ? とりあえず適当にフラフラして食いたいもん考えようぜ、な?」
幸いにして飲食店には困らない場所なので、不機嫌そうに歩いて棪堂の腕を振り払おうとしている桜の肩を抱きながら、ハンバーガー好きか? あそこのバーガーは結構うめえぞ、寿司は? あの店はちと並ぶが今は空いてっから狙い目、と頼まれてもいないのに次々と店を紹介していく。ふと、桜がとある店の前で足を止めた。
「おっ、ここにするか? お目が高いな、この店は外装はイマイチだが料理はなかなか……」
桜が選んだ和食の店は行ったことがあったので、なかなか良いチョイスだと褒めてやったが、そんな棪堂の話を聞きもせず、桜はその店──ではなく、その店の隣にあるファミリーレストランへと向かっていく。
「は? おい桜ぁ、入り口そっちじゃねぇぞ」
「ここにする」
嫌がらせか? 早く帰りたいっていうアピールか? と思ったものの、桜の頬がほんのり赤くなっているのに気づき、棪堂は即座に理解した。もしかして友達とファミレスに行ってみたかったとか、そういうアレなのか。
心なしかそわそわしながら入り口で棪堂を待っている桜のもとへ向かえば、自動ドアが開いて店員が「いらっしゃいませ~、二名様ですか?」と声をかけてきた。
棪堂が答えてもよかったが、せっかく桜が誰かと初めて来たのならばと思い、とん、と桜の背中を押す。ばっと振り返った桜が顔を赤くしながら「なっなんだよ」と聞いてくるので、顎で店員の方を指して、答えてやれ、と示す。
そのやりとりを不思議そうに見ながら待っている店員に、桜がおそるおそる、指を二本立てて「ふ、ふたり……」と答えた。
「二名様ですね、お席ご案内いたします。こちらへどうぞ~」
どぎまぎしている桜をよそに、店員がさっさと席へと案内する。その後ろをついていく桜の耳が真っ赤になっていて、棪堂はにやにやしてしまう。こんなくだらないことで喜んでいる桜がかわいくてしょうがない。
席に着き、テーブルの上にあるメニューを開いて桜の方へと向けてやる。水も手拭きもセルフのようなので、取ってくるかと腰を上げたら、メニューを食い入るように見ていた桜が勢いよく顔を上げた。
「どっ、どこ行くんだよ」
「なんだよ桜ぁ、ひとりじゃ不安なのか? 水と手拭き取ってくるだけだ、すぐ戻る」
「ちっ、ちげぇし! ちげぇけど……は、早く戻れよ」
ぽんぽんと白黒頭を撫でてやって席を離れる。撫でたら吠えられたが無視だ。
ドリンクバーに向かい、手拭きとグラスをふたつずつ手に取って水を注ぎながら、棪堂は考えていた。
──なんだあの天然たらし……どうにかしてお持ち帰りしてぇな……最初の印象最悪だが、今から巻き返せるか……?
テーブルに戻ると、桜はまだ熱心にメニューを眺めていた。
「なににするか決まったか?」
「決まんねぇ……メニュー多くねぇか?」
「ファミレスはそれが売りだからな。なにで迷ってんだ? 気になったやつ頼んで、余った分はオレが食ってやる」
「気になったっつうか……どれも食べたことねぇから、なに頼んだらいいか分かんねー」
どんな環境で育ったのか知らないが、ファミレスに来たことがない上に、大衆的な料理のほとんどを食べたことがないという。好きな料理もないらしく、さすがにどれが桜の口に合うかまではわからなかった。とりあえずこの辺頼んでおくか、と提案すれば、桜がほっとしたように頷いたので、棪堂はささっとタッチパネルを操作して注文を済ませた。
そんな棪堂を見ていた桜が、ぽつりと零す。
「お前は慣れてんだな……」
「ん、ファミレスか? あんま来ねぇよ」
「べつに、気遣わなくていい」
「気なんか遣ってねぇって。行こうと思わないっつうか、どこにでもあるからわざわざ行かねーってだけ」
「そういうもん、なのか」
別にみんな来てるわけじゃないんだな、とつぶやいた桜がほっとしたような顔をする。普通の人間ならファミレスには友人とよく行くものだと、そう誰かに教えられたのかもしれない。
桜のために嘘をついたわけではなかった。行く行かないは人によるだろう。少なくとも棪堂はあまり来ないというだけだ。焚石とはいつも同じ行きつけの店に行くし、女とのデートでわざわざファミレスを選ばない。もっと美味しい店を知っているし、デートでは大切な非日常感がないからだ。
運ばれてきた料理を見て、桜の目がきらきらと輝く。オムライス、ハンバーグ、スパゲッティにピザ。桜がどれを美味しいと思うかは分からなかったので、好き嫌いがそんなに分かれなさそうなものを頼んだ。
野菜が好きな可能性も見越してサラダも一応頼んだが、テーブルにサラダが置かれた途端に桜があからさまに顔を顰めたので笑ってしまった。
「野菜嫌いなんだろ」
「それはお前が食えよ」
「いいけど、野菜も食わねぇとでっかくなれねぇぞ」
うるせぇよ、と言いながら、桜はテーブルの中央に置かれたサラダを棪堂の方へと押しやる。シャキシャキとしたレタスにフォークを刺して口に運びつつ、ちらりと桜を見遣る。
オムライスを食べることにしたらしい、子供みたいにスプーンを鷲掴みにして大きく一口分を掬い、ぱくりと食べる。未知の味に警戒しているのか、なんとも言えない顔で咀嚼していたが、やがてぱぁっと表情が明るくなった。何も言わず、再びスプーンで掬って口に運ぶ。
ものすごい早さで減っていくオムライス──を食べる桜を見ていると、気づいた桜が手を止めた。
「……食いたいのか?」
「いや、別に……あ、ウソウソ、やっぱ食いてえわ」
お前の顔見てただけ、と素直に答えようとしたが、ふと、もしかして〝あ~ん〟してもらえるチャンスじゃね?と気づいて、慌てて口を開けて身を乗り出す。
「一口でいーわ」
口に入れてくれ、とアピールすれば、桜が顔を真っ赤にして「っざけんな!」と怒った。さすがに恥ずかしくてできないらしい。しかしそれで諦める棪堂ではないので、そのまま口を開けて待った。
「桜ぁ早く。オレら友達なんだろ? 友達ならあーんするだろ、お前がデートじゃねぇつったんだから友達設定守れよ」
「デ、デートって言うなつってんだろ」
「デートじゃねぇなら早くしろよ」
顎が疲れるだろうが、とまるで桜が悪いかのように言う棪堂に、桜は残り少なくなったオムライスを見下ろし、棪堂の方を見て、赤い顔のまま「ほんとか」と聞いてきた。
「ほんとに、と、友達なら、あーん? する? のか」
「するに決まってんだろ」
したことねぇけど、と心の中で付け足す。
「……わかった」
決意したように、桜がオムライスをスプーンで掬う。自分で食べていたよりもずっと少ない、スプーンの先端にちょっとだけチキンライスを載せたくらいの量だ。いや別にいいけどお前食い意地張り過ぎだろ。
真っ赤な顔で、スプーンが差し出される。それをぱくりと食べた棪堂は、ご満悦だった。
「桜にあーんしてもらうとオムライスも格別だな」
「かくべつってなんだ」
「めちゃくちゃ美味く感じるってこと」
「ふーん……よかったな」
口説かれているのに気づいていないらしい。桜は残りのオムライスをぺろっと平らげると、ピザへと手を伸ばした。スパゲッティもハンバーグもそれなりに美味しかったようだが、桜の一番のお気に入りはオムライスのようだった。
食べ終わったあと、オムライスうまかった、と言っていたので、次にデートに行くときはオムライス専門店にでも連れて行ってやろう、と棪堂は思った。
時刻は六時。桜をどこへ連れて行こうか考えながらファミレスを出た棪堂だったが、店を出た途端、桜が財布から一万円札を抜き取り、差し出してきた。
「メシ食ったし、もういい。二時間からしか予約できなかっただけで、もともと一時間のつもりだったし」
二時間で予約しているが、桜は一時間早く切り上げて終わりでいいという。だがもちろん、棪堂の方はそれではまったく良くなかった。
というか、桜から金を差し出されるまで、これが仕事だということをすっかり忘れていた。普通にデートとして楽しんでしまっていた。
受け取ろうとしない棪堂に、桜がはっとした顔をする。
「足りねぇか? ファミレス代、後日請求って言ってたけど、もしかして今払った方がいいのか」
せっかく初めての桜とのデートで一円も出させたくなかったので、さっきはファミレスで棪堂が全額支払い、デートにかかった費用は交通費も含めて全額後から請求すっから、などとでたらめな嘘を吐いたのだが、桜はそれをすっかり信じていたらしい。
財布から追加でお金を出そうとする桜の手を掴み、道を外れて路地裏へと連れ込む。おい、と戸惑った声には聞こえないふりをして、人目につかない奥まった場所で立ち止まって振り返った。
「金はいいわ」
「は? でも……」
桜の瞳は間近で見ると吸い込まれそうなほど美しかった。睫毛の色が左右で異なる。白黒の髪は地毛なのだとそのときに気づいた。
顔を傾けて、薄く開かれた唇に自分のそれを重ねた。反射的に身を引こうとする身体を押さえつけ、後頭部に手を回して強引に舌を捩じ込む。
歯列をなぞって少し尖った犬歯を舐め、奥に引っ込んでいた舌を絡めとって口づけを深めた。思っていたよりも抵抗されないのは、おそらく何をされているのか理解が追い付いていないからだろう。
桜の太腿の間に無理やり膝を入れる。ぐり、と膝で明確にそこを刺激してやったら、桜の身体が硬直した。口づけを解いて、腰を抱きながら耳の形をなぞるようにして舌先で舐め、直接息を吹き込むように囁く。
「惚れちまったわ。金いらねぇからさ、朝まで延長してくんね?」
「なっ……はぁ……?」
「なぁいいだろ桜ぁ。男はヤったことねぇけど、気持ちよくさせる自信あっからさぁ」
そもそもレンタル彼氏に朝までコースなどないに決まっている。裏で客と身体の関係を持っている場合はあるだろうが、少なくともそういったコースはない。
なんならオレが金払ってもいいぜ、と言って形の良い尻を撫で上げたら、拳が飛んできた。顔面を殴ろうとした拳を受け止め、にやにやと笑いながら桜を見下ろす。自分を見上げる桜の顔は真っ赤で、それでいて明らかに怒ってはいたが、その意志の強い瞳はまっすぐに棪堂へと向けられていた。ぞく、と言いようのない歓喜が体中を駆け巡る。
ああ、いいなぁ、欲しい。コイツが欲しい。ここでいま服をひん剝いて犯してやってもいいが、そんなことをしたら嫌われてしまうので、それなりに高いホテルの部屋をとって連れ込みたい。そうして朝までおかしくなるほど気持ちよくさせてやって、棪堂から一生離れられなくしてやりたい。友達の一人もいないのだから、どうせろくな生活をしていない、棪堂がそのまま連れて帰ったって何の問題もないはずだ。
「ヤるとかヤらねぇとか、意味わかんねー」
桜がそう言って棪堂の手を振り払おうとするが、棪堂は強く掴んで離さない。過ごした短い時間で桜の初心さを理解していたつもりだったが、思っていたよりもずっと、桜は初心なようだった。
ここまでされて意味が分からないと言われるとは思わなかったが、これは上手く丸め込めばいけるのではないかと思って喉がごくりと鳴る。焦るな、落ち着けと言い聞かせた。やりようはいくらでもある。
ぱっと桜の手を離し、肩を掴んでくるりと身体を反転させるとそのまま押して来た道を戻って行く。頭の中でこのあとどうホテルに連れ込むか算段を立てながら、棪堂はなるべく警戒されないよう明るい声で「とりあえずオレのおすすめの店行こうな」と桜を連れ出した。
「お、おい。待て、オレはもう帰るって……」
「え? 帰んの? なんで?」
「なんでって」
「友達と遊びてえんだろ。オレお前の友達なのに、もう帰んの? 次の店は付き合ってくんねぇの?」
友達という単語に、桜が顔を赤くする。仕事用の方ではないスマートフォンを取り出して、完全にプライベート用の連絡先を画面に表示させた。
「オレはこの通り棪堂哉真斗っていうんだが、本当に友達になんねぇ? お前と結構合うと思うんだよな。これオレの連絡先、プライベート用のやつな」
「おい、そんなの客に教えていいのかよ」
「だから言ってんだろ? 客じゃなくて本物になろうって」
ほらスマホ出せよ、と連絡先を差し出せば、桜は赤い顔のまま、おずおずとスマートフォンを取り出し、慣れない手つきで端末を操作したあと、ン……とそれを棪堂に渡してきた。操作の仕方が分からないので、勝手に登録しろということらしい。お前よくそれでレンタル彼氏予約できたな、と半ば感心すらしつつ、棪堂は天気しか登録されていなかった連絡先に自分のを登録し、自分の端末にも桜の連絡先を登録した。
初めて天気以外のもの、それも下心ありとはいえ初めて友達の名前が登録されたのを、桜はどこか惚けた顔で眺めていた。純粋に友達ができたのが嬉しいのだろう、画面を見て頬を緩ませる桜を見ながら、棪堂は明日の朝食はどこで桜と一緒に食べようか、と考えていたのだった。
fin.