口は災いの元(後編)私が少しだけ意識をして足を踏み鳴らすと、足元の鉄骨はカツンカツンと小気味良い音を奏でる。
建設途中のビルの一番上。数ある私の散歩コースのひとつにさせて貰っている場所だった。
冷たく吹く風が心地よく、意外と目立たない。人間達は高いところから話しかけられる機会が無いからか、あまり空を見上げない。何より今は日が落ちている。見上げられたとしても、もう少し低いところを眺めるだろう。静かでとても良い場所だ。
話し相手が欲しいところだけれど、残念ながらあまり贅沢は言っていられない。
(今夜辺りに、また皆のところに戻ろうかな。)
折角だから何か手土産を持ち帰りたいのだが、何がいいだろうか。そう心の中で独り言ちる私の元へ、誰かが大きく翼をはためかせる音が近付く。
そのまま私と同じ鉄骨へ着地して、カツカツと無遠慮に歩み寄る音も。
「やあ、バロール。」
気さくにそう挨拶してみたけれど、バロールは何も返してくれず、ただただ私を見下ろした。……なるほど。この様子だと、何か大事な用があって私の元へ来たみたいだ。私は、ゆっくりと手をポケットへやる。
「要件は何かな。」
「いや?なーんか変わったことあったんじゃねぇかなーってな」
「変わったことか……彼らの新しい動きはまだ見ていないけれど。」
「あーあー違う、今はそっちじゃねぇよ、シャムハザ。」
バロールの声色はいつも通りだ。いつも通り、“飢え”を凌ぐ何かを求めて飛び回っている。彼が今言う何かは、どうやら私の知らぬ間に、私の手の中に存在しているらしい。
「おや……天使の動向以外に、私に訊ねることがあるのかい?珍しい。普段はてんで私の話を聞いてくれないのに。」
「てめぇの家族ごっこの話なんざなんも興味わかねぇんだよ。ンなことよりだ。お前、オレのことを誰かに話したか?」
バロールは上半身を前のめりにしてそう言った。それはそれは楽しそうに、無邪気な子供のように。私の手の内にあると確信しているそれを、踏みにじって叩き壊すチャンスを欲しがっている。
(相変わらずだな……)
私がどうしたものかと考えている間に、バロールは構うものかと言葉を続けた。
「話してないよな?そういう約束のハズだ。互いに欲しいもんを欲しい時に寄越し合う、その代わりに何があっても互いのことを漏らさない。何があっても互いに危害を加えない。オレらはそういう関係のハズ、だったよなァ?」
「……みなまで言わなくても、ちゃんと分かっているよ。」
急かす様に捲し立てられ、つい眉間に力が入ってしまう。私を押しつぶさんとする程の圧だ。せめて私と同じくらいの背丈だったらばもう少し可愛げがあっただろうに……。
彼という堕天使の、何とも御し難い部分だ。盾がわりに出来る時は手放しで喜ぶところだが、こうしてこちらに矛先が向いている時なんかは正直厄介事でしかない。頼ることがある分申し訳なく思うけれど。
(本当に────申し訳ないね、バロール。)
「分かっている上で言わせてもらおう。……話しちゃった。ゴメンね。」
私は、バロールが望む答えを口にしなかった。ふざけて片頬に人差し指をやりながら言った私に、バロールは素直に驚いていた。
「キミの脅威にはなり得ない子だと思ってね。お互いの身を保証し合う、という意味では謀反にならないと判断したんだ。せめて事後報告をしたかったのだけど、丁度キミは遠くへお出かけしていたみたいで……いいや、何を言ってもキミには言い訳かな。独断で勝手をした事は誠心誠意詫びよう。」
「……、マジで言ってんのか?」
「心からマジだよ。」
「オレ今冗談の気分じゃねぇぞ。」
「冗談なんて言えないさ。本当のことなんだから。」
私がここまで言っても、バロールは納得した顔をしなかった。彼は“私が誰かにバロールのことを話した”という情報が真っ赤な嘘である確信を持ってここに訪れたらしい。やれやれ……確かに、“彼女”は嘘を吐ける様な子には見えなかったな。
バロールに向かってあまり出すぎた事をしたくはない。が──────
(バロールにも、“分かって”もらう必要があるね。)
私は、今尚別の可能性を頭の中で探しているバロールに声をかけ、それを妨げた。
「私は現場を見ていないから分からないのだけれど……よく考えてご覧?私や私の家族達を見て、あぁ堕天使とはこんな風な種族なんだ、で終わらせずに、前持って他の堕天使の情報を自ら訊く人間。そんな、良く言えば熟慮、悪く言えば怖がりな子を……例えば部屋の隅に追い詰めて問いただした……なんて目に合わせたら、まるで嘘を吐いているみたいに真実を語る、と。そう思わないかい?」
言い終わるよりほんの少し前に、強く風が吹き始めた。私達を居ないものとして扱っているかのような容赦無く冷えた風。バロールの白い前髪が彼の瞳を遮った。
風は意外にもすぐに、穏やかに止む。
バロールは、黒と赤の目を呆然と見開いて私を見ていた。
その目をしたまま、ゆっくりと口元を歪める。
そして、堪らないとでも言いたげな様子で笑い声を漏らす。
うん、どうやらちゃんと“分かって”もらえたらしい。良かった、何よりだ。
私はバロールを見て微笑んだ。
「クッ……はははッ!さぁ!実際どうだったんだろうなぁ?オレはもうどうやったって知れねぇらしい。いや……そうだな、真実だったってことにしてやってもいい。つうかもーどっちでもいい。よォく分かったぜシャムハザ。少なくとも、お前があの人間の、あの人間共の肩を持ってやってることが。」
「あは、キミにはそう見えるかも知れないね。」
「理由は何だよ?お前の見込みじゃあオレよりずっと弱いのは間違いねぇんだろ?利用価値が無い上に同族ですらない!そんな人間にまで愛想振りまいて、お前らにどんな釣りが来る?」
「ああ、また質問攻めかい?私もそろそろ恐ろしく感じてしまうよ。────ねぇ、バロール。私はね。あの子達を、我々グリゴリが安住している場所へ招待したよ。」
「!」
バロールはまた驚いた顔をした。笑いながら。
「悲しいことに、キミを招待した事は無いなぁ。出来ることならしたい……したかった、のだけれどね。……それで、他に訊きたいことは?」
「ッハハハ、はあー、ああ、いいわ。もういい。確かに、弱い正直者の方がオレよりも信用出来るよな。だからって、まさかお前が人間に絆されるとは微塵も思ってなかったが」
彼がそう言いながら笑い終わるのを、肩をすくめながら待った。堕天使でない者に絆された覚えは無いし、バロールを無下に扱いたかった訳でもなかったから。
私は、出来ることなら堕天使となった全ての者に手を伸ばしたいと思っている。堕天使は皆、私の大切な同胞だ。天使達は“堕ちた” “堕落した”なんて指を刺すが、決してそんなことはない。見当違いも甚だしい。
堕天使とは、解放された者のことだ。生まれた瞬間に植え付けられた根拠の無い善意、使命、正義感から。彼らはただ純粋に、自分自身を解き放っただけなのだ。
バロールも例に漏れずその1人であると。私は心からそう思っている。だがしかし、それ以上に……。
「どうか卑下しないでおくれ、堕天使バロール。私にも、優先順位というものがある。それだけの話なんだ。」
それ以上に、堕天使バロールという存在が、あまりにも強大すぎて恐ろしいのだ。
目立たぬように、鉄骨の檻の内側へ飛び降り、地面へ足をつけた。どこが正しい出口か分からないので、そのままとりあえず適当な場所から外へ出る。
もう間もなく、太陽は姿を消すだろう。人間の子供達が家へ帰るはずの時間だ。そんな薄暗い空を眺めていると、足音と息切れが聞こえてくる。どちらも、私にはとても弱々しく感じるものだった。
「あのっ……どう、なった?」
「ふふ……お望みの通りになったと思うよ。」
私の言葉を聞いた少女、日向みるくはあっという間にその場にへたり込む。今の今まで、よほどの緊張が続いていたようだ。私は彼女の隣にしゃがみ込んだ。
「大丈夫かい?」
「う、うん……大丈夫……ってか、お陰様で大丈夫になりました……ありがとうございますぅ……」
「あらま、キミも中々大袈裟だね。」
みるくはへたり込んだまま、地に手を付いてお辞儀をして見せた。土下座なんて出会って間もない相手にするものではないはずだけれど。
私はスラックスのポケットに隠していた自分のスマートフォンを取り出して画面を点灯させる。そうすれば、バロールが来る直前に起動させたメッセージアプリがそのまま映し出された。
「こちらこそ助かったよ。彼ったらいつも突然に来るんだから……。」
「いや……多分だけど最初のメッセしか見れてなかったよね?それ以降既読付いてなかったし……よ、よくあれだけで対処出来たね……」
「ん?おや、ほんとだ。」
みるくからスマートフォンを指さされ、よく見てみると言われた通りだった。彼女が最初に送った『今からバロールそっち行く!、!』という、走り書きならぬ走り打ちのメッセージの後に、いくつか追記が送られていた。
『今どこ居る?』
『あありがと』
『急でごめんそいつに話合わせて欲しい』
『あとで説明する!!』
文字列から、みるくがずっと必死になっていた事が伺える。痛い程に気持ちが分かってしまうなぁ。念の為に必要かと思って、咄嗟に私の現在位置だけを返信したのも功を奏したらしい。
「まぁ、経緯や状況はバロール本人から聞き出せると思ったからねぇ。分からない部分はそれっぽいハッタリでいったけど。」
「いやスゴイな」
みるくは口をあんぐりと開けて言い放ち、そのまま深くため息をした。
そして、小さく「よかった」「本当に」と繰り返す。声も体も、震えていた。
「…………」
私は彼女の背をさすってから、鼓舞の意を込めてぽんと叩いた。
「安心してばかりではいけないと思うよ。特に、今日のところはすぐ帰った方が良い。万が一この場にバロールが戻ってきたら、全てが水の泡になる。」
「っ……そうだよね……」
みるくはハッとしてすぐに立ち上がり、脚に付いた砂を手ではらう。私も一緒に立ち、上着の裾の砂をはらい落とした。
「本当にありがとう。超命拾いした。その……私に出来る範囲になると思うけど、お返し……みたいな事、どこかでさせて欲しい。」
少ししどろもどろになりながら言われる。ちょっとだけ頼りない様子だが、素直で律儀な人間だ。私の元へバロールを寄越してしまった事が、全くの不本意であったと納得出来る。
私は、その素直さに切り込んでみることにした。
「なら、今返してもらってもいいかな?」
「え?」
「真実を知りたい。……本来私達と交わるはずでなかったキミが、どうしてバロールを知ったのか。」
「あ……」
バロールによって運ばれた、どのように考えても答えにたどり着かない謎。単にみるくが一方的にバロールを見かけただけだとは、懸命に秘密を隠そうとしたみるくの言動を見ても考えられない。この人間の少女は間違いなく、どこかでバロールと出会って話をしている。
少女はやはり、分かりやすく狼狽える。
狼狽えて俯き、拳に何かを込めていた。
私は何も言わず、彼女が答えるのを待つ。何でも良かった。バロールと同じように嘘を吐かれたって良い。「この一件は嘘に塗り固めてでも守らねばならない事である」という事実だけでも知ることが出来るのだから。
「……前に、会ったことがあるの。バロールは知……覚えてない、けど。」
「……?前、と言うのは?」
「…………言えない。」
少女は一瞬だけ悩むも、ハッキリそう言って首を横に振った。
目は合わせてくれない。けれど嘘を吐いているという訳では無さそうだ。きっと、私の願いを聞き入れられない、という部分をやましく思っているのだろう。私は構わず「どうして?」と続けて訊ねた。
「詳しくは、言えない……。」
「言いたくないということかい?」
「ううん。言ったら、多分私は楽になれる。私は。でも……同じ分だけ、困って、戸惑う人が出る。私の友達も、知り合いも、それ以外の人達にも。それこそバロールみたいな、絶対にやっちゃいけない方向に走るやつだって出てくる。だから言えない……言えないってことしか言えない。」
みるくは、全てを吐き出してからようやく私の顔を見てくれた。力を感じない目付きに見えるのに、揺るがぬ芯が確かにあることだけは伝わってくる。
言えないということしか、か。
その割に、節々で色んなことを教えてくれた。素直故に気付いていないのか、素直故にこういう形で言ってくれたのか。なんだがみるくの事が読めなくなってきた。
(多くの存在を巻き込むような事らしい。だからこそ掻き乱すような真似はされたくない。しかも、一連の事情を知っているのは現状この子だけ。────と言ったところかな。)
「……なるほど……」
「ごめんなさい」
「どうして謝るんだい?意地悪で言ってくれない訳じゃないんだろう?」
「うん……」
「なら構わないさ。」
みるくに意図的に優しい笑みを見せながら、私はもう少し考えた。
問題なのは、“多くの存在”の中に、あの子達が────私の家族達が入ってしまうのか否か。
私は「では、最後にひとつだけ。」と切り出す。こんなに正直な彼女のことだ。こちらも正直に訊ねれば、同じように応えてくれる。
「それは、キミ達人間だけの話なのかな?」
彼女はすぐに目を丸くして、小さく「ああ」と零した。私の言わんとしていることに気が付いて納得した顔だ。そしてまた視線を地へ落として考え込む。時折手を口元にやったり、表情をコロコロと変え百面相したりしながら。
少しの沈黙の後、彼女はやはり視線をそのままに、小さく、けれど確かに、先程と同じ動きをして“No”を示した。
「そうか…………」
察するに、本当ならこれも言えない……言ってはいけない事。しかしこれ以上の不義理を働きたくない。そんな返答だったように思える。
(……そう、か……)
覚悟をしていたからこそ訊ねたつもりだが、叶うことなら今からでも縦に振り直してほしいものだ。私はそんな邪念を孕ませながら、現実を少しずつ飲み込む。
この場合、私がすべき行動は何か。
私が望むのは世界の征服でも、天界の崩壊でもない。場所は何処でも良い。ただ皆と穏やかな時を過ごしたいだけ。
それが壊されてしまう可能性があるのなら、
(なら、私に出来る事は────……)
「分かった。では────今ここで私が訊ね答えてくれたこと……私は全て忘れよう。」
「……えっ?」
キョトンとしながらみるくは漸く顔を上げる。
そして、一体どういうことかと口を開こうとした彼女に向け、私は人差し指を立てて制止する。
「その上で、協力させておくれ。私はキミ達の持つ力の矛先が我々に向かないようにと友好な関係を作らせて貰った。互いに不可侵であれば後は何とでも……と思っていたんだ、失礼ながらね。けれど今日この時からは違う。キミ達の欲するものを教えてくれれば、可能な限り我々グリゴリが手繰り寄せよう。」
「い、や……いやいや!ありがたいし心強いんだけど!わ、私達からあげられるものって多分、そんな多くないから……」
「そんな、貸し借りなんて気にすることは無いよ。あぁいや、そうだなぁ……こうしようか。今後も今日してくれたことを続けてくれれば構わない。」
「今日……って、バロールの……?そ、それでいいの……?」
私がメッセージアプリの画面を見せながら言うと、みるくは声を上ずらせながら首を傾げる。
私は殺生が嫌いだ。些細な火種にも近づかぬように努めてきた。
我々の日常は未だ薄氷の上にある。これを脅かされたくない一心で、出来ることは何でもしてきた。情報屋の真似事をして別の種族や組織とのパイプを築いた。同胞であるバロールに踏み込まれぬよう距離を保っているのもそう。散歩と称して皆と離れ、ただやる事もないまま遊び歩いて時間を潰しているのも、そう。
では、もしこの世界がひっくり返ってしまう大事が起きるかも知れないなら、どうするかって?
(同じことさ。何だってする。)
戸惑った表情のみるくを見守りながら、私は続けた。
「もちろん良いよ。グリゴリの中でバロールを苦手に思ってる子は正直少なくない。そういう子と一緒に居る時に彼に突撃されると、その子をとっても驚かせてしまうだろう?ほら、バロールって……過剰に予測不可能というか……あんな感じだから、ね?」
「それは本当に本当に本当にそう。」
「だから、彼がこちらへ向かってくるって情報はかなり重宝するんだよ。何ならキミにとってもそうじゃないかな?良ければ私からも、その手の発言を耳にした暁にはキミ達にお知らせしようか。」
「その場合はそれだけでプラマイゼロになるんじゃ……」
「言ったろう?貸しも借りも気にしないで。私はキミ達とそういう関係になりたいんだから。」
「…………」
私はみるくへ左手を差し出した。
この手を彼女が握れば、私からの歩み寄りを受け入れた事になる。……彼女はどう出るだろうか。
彼女からしたら、私は先程怖い目に合わされた人物と同じ種族だ。警戒する方が正常だと言っても良い。しかし同時に、バロールが特異である事も知っている。時間をかけて警戒を解いてもらうのもやぶさかでないが、バロールや彼女のお友達に阻まれる可能性はある。
安全に事を進める為には、今ここで飲んでもらうのが最適だ。
「……土壇場で無かったことにする……とか、ないんだよね……?」
みるくは絞り出したような、小さな小さな声で言った。私は直ぐに伸べていた手を収める。
やはり、こういう子は真っ当な判断をするか。
「ああ……そうだね、これは出会って間もない他種族との口約束だ。信用したくても難しい。失念してしまったよ。何か、形あるもので残そうか。」
「────ううん、大丈夫。もう大丈夫。」
「おや……?いいのかい?」
「うん。今ので大丈夫かもって思った。」
予想外の手の平返しに、私は驚きを隠せなかった。
手の平返しだけでなく……今の言葉を、微笑みながら言ったことにも。
「いちご辺りには、まだ早いだろって怒られそうなもんだけど……なんにも無しに“そんなことするワケない”って言われるよりは、あなたは断然信用出来る。だから、良いよ。」
それは、ただの優しげな微笑みではなかった。
眉間に皺を寄せたくしゃりとした笑顔。
だけれど、どこか……今にも涙を流してしまいそうにも見える。そう、見えてしまうような。
「……!キミは……っ」
つい、浮かんだ言葉をそのまま投げかけそうになる。
私は「いや、何でもない。」と、上辺だけの誤魔化しを吐いた。みるくからはもうあの笑顔は消えていて、丸い目をぱちくりと瞬きさせていた。
(やはり、キミも、失ったことがあるんじゃないのか)
ついさっき、危機が過ぎ去ったと知らされて膝から砕け落ちた彼女。
彼女が体感していた感覚を、私はよく知っている。大切なあの子達は無事だ、良かったなと、安堵に打ち震えるあの感情。
────それを知る者は、決まって一度は失った経験がある。
失った瞬間の後悔と、無力感と、
気持ちが落ち着いた後の、今度こそは、という気持ち。
これら全てを経験してしまったからこそ芽生える、何でもしてやるという決意。
人間に絆されたつもりは、無い。
それでも……痛く苦しい程、理解出来てしまうんだ。
(この子と私は同族ではないが……“同類”ではあるらしい。)
いいね。尽くし甲斐がありそうだ。
何より、人間として生まれ短い時間を生きるこの子達に、とてつもなく大きな運命を託さなければいけない事が、
私としてはとっても────面白い!
「受け入れてくれてありがとう。キミの信用に全霊をもって応えると誓おう。」
「うん。こちらこそ。」
もう一度みるくへ手を差し出してみせれば、みるくは迷いなく手を取ってくれた。
これで私は彼女からは何も訊いていないし、彼女達に協力するのはただの知的好奇心ということになった。たった今より、そういうことにする。
「そういう訳だから、キミも今後は誰にも何も話していないんだと、堂々とすれば良い。それが真実になるのだからね。」
「わ、分かった。頑張ります……。」
「うん、どうか頑張ってね。どうしてもな時はまた今日の様にするってだけだよ。」
「う……うん!」
私は笑いかけながら言い、みるくは笑顔を苦笑いに変えながら言った。けれど私の激励に、すぐ元の純朴なそれに戻る。
「そうだ、それと……キミのお友達には私から話をするよ。キミの言う通り、何もなしに協力するから信用して、なんて納得出来ない。きっとあの子達も同じ考えだろう?だったら、又聞きさせるのは避けた方が良い。」
「あぁ……多分だけど、そうだと思う。私も上手く伝えられる自信無いし、よろしくお願いします。」
言いながらみるくは深々と頭を下げた。……背負っているものの割に、頭を下げる頻度が高いな。一体どうしてこの人間が背負うことになったのか。本当にこの子で大丈夫なのだろうか。
なんて思いながら、私はクスクスと心の奥底の部分を零してしまう。
別れの挨拶もそこそこに、私達は互いに背を向けた。
私の愛しい同胞達にも、今日の一部始終は伝えてあげないと。まずは表立って動いてくれる子達から……どこから説明しようか。
考えながら数歩だけ進んだその時、ふと────思い出した。
「ねぇ、みるく!」
「え!?は、はい!?」
「手頃なお土産と言えば何かなぁ?」
「えぇーー脈絡無い無茶ぶり!?えーっと、う〜ん……?」
みるくは頭を抱えながら唸り始めた。
かと思ったら、彼女もまた何かを思い出したかのように、「あ!!」と短く咆哮する。
「そう言えばドーナツ……机に出しっぱなしだった……!」
「おやおや、バロールは随分と不躾なタイミングにやって来たんだね。可哀想に……。」
「ほんとだよ……。えっと、そういう訳で、ドーナツとかどうかな……お土産」
「ふふっ、良いなと思ってたんだ。どうもありがとう。またね。」
改めてみるくへ手を振る。
次に彼女達と会う時には、彼女達への手土産を用意して行こう。物によっては楽しい反応をしてくれそうだ。
みるくが小さく手を振り返してくれたのを見届け、私は顕現させた黒い翼で夜空へ飛び込んだ。遠くから聞こえていた人間の喧騒からも、その場所を示す小さな灯りの群れからも遠ざかる。
「もしもし、レミエル?少し頼みたいことが……あはは、うん、3日ぶりだね。ほら落ち着いて、息を整えて。」
私の家族達の中でも特にしっかり者の子に電話をかけた。メッセージでは毎日やり取りをしている子だけれど、急な電話に驚いたのか、随分と興奮していて過呼吸気味になってしまっていた。
「それでね、頼みたいことが2つあるんだ。1つは、これから帰るから、いつもみたいに手が空いてる子達を呼んで欲しい。もう1つは、例の5人の事なんだけど────」
上空から街並みを見下ろし、先程まで共に居た日向みるくを目で追う。
彼女もまた、移動しながら誰かと通話をしていた。出してたドーナツは食べないで、なんて可愛らしい連絡でもしているのだろうか。
人となりを理解する為には、やはり本人と対話をするのが1番手っ取り早い。おかげで良く分かった。あの子の強いところも、弱いところも。
弱い人間らしく、弱いところばかりが目についたはずなのに、私の胸にはあの人間達への期待で満ち満ちている。
あの人間達なら世界を救ってくれるはず────なんて手放しの信用では決してない。ただただ、「もしかしたら」がひとつひとつ積み重なっていくような。どちらかと言えば不確定要素が苦手な方だと自負しているはずなのに。
バロールが言った通り、弱い正直者の方が信用出来るからだろうか。
……一理あるとは思う。しかし、今私自身が身を投じている感覚がそうだとは思えない。
だって私は、日向みるくを弱い人間であると断定出来ない。出来なかった。今日この日までは、きっと5人の中で彼女が1番か弱い人間だろうと感じていたのにだ。
他の4人はどれ程強く、どれ程弱いのか。早く知りたいものだ。次会う時が楽しみでならない。
(…………“あともう1人”は……うん、望み薄だろうね。まぁいいや。)
久しぶりの興味が尽きない存在に浮かれてしまう。私もバロールの事を強く言えたものでは無いなと、少しだけ自戒の気持ちを念頭に置いておく。
彼女らは人間だ。ただの人間。特別な地位も無く生まれ育ち、後から特別な力を手に入れただけの。そんな、小さな人間達が────
(もしも本当に、この世界を救うなんて偉業を成し遂げてくれたなら……)
嗚呼、彼女達の寿命が来るまでに、恩返しし切れるといいなぁ。
柄じゃない希望的観測を1人で飲み込んで、私は人間達のものである夜空を掛けた。