一目惚れ「アンタさぁ、なんで俺のパトロンとかやってんの?」
「……あ?暇つぶし」
「そうじゃなくて!他の奴じゃなくて俺にした理由!聞いてんの!」
この天才外科医サマが掃いて捨てるほど金を持て余してんのは知っているし、趣味という趣味に没頭して散財するところも想像はできない。だから、運命的なアレそれではなく暇つぶしだって答えられても噛みつくようなことでもない。やっぱちょっとだけムカつくけど。それでも、一目見てビビッと来たとかそんな理由で俺を選んでくれてたなら……なんて柄にもなく期待してしまう。
佐倉山零は顎に手を当てながらじっと晃牙の顔を見て、こう一言呟いた。
「顔」
――その日、大畑晃牙はパトロンでもあり家主である零の家から家出をした。零がその続きを口に出そうとしていたことには気付かずに。
「……でさ~、なんで俺のところに来るわけ?俺は野郎と話すためにホストしてるんじゃないんですけど~!」
「うるっせぇな……一番貢いでる客は大事にしろよ~?羽鳥さん」
見て分かる通り、高級クラブの一席で零は自棄酒をしている。
ただでさえ面倒くさい相手が不機嫌なまま常よりも多く酒を飲んでいるのだから、どんな女の子だってイチコロの一流ホストもお手上げである。早いところ身内に引き取ってもらって、女の子に癒されたい。ボーイに大畑くんを呼び出してもらうように頼んでおこう。まったく世話が焼ける。
「名前!というか佐倉山さんが居なくても人気No.1です~……あぁもうッ、この酔っ払い早く迎えに来てよわんちゃん~!」
「……チッ」
「うわぁ、怖っ!」
大畑の名を出した途端にこうだ。他人が見たら卒倒しそうな凄みのある顔で舌打ちをし、そのまま高い酒を一気に煽る。
これはだいぶキてるなぁ。見ていて恥ずかしいくらいにベタ惚れのくせにどんな痴話喧嘩をしたというのか。
そうこうしてるうちにボーイから大畑が店に到着したことを伝えられる。
面倒ごとの手間賃はしっかり貰わなければならないと、高い酒を二、三本オーダーしておく。あ、なにかしょっぱいスナックも欲しいかも……、なんとなく。
「……ッス。あの、アイツ、佐倉山さん……、は」
急いで走ってきたんだろうか。ぺこりと頭を下げた彼は息を切らしていた。あーあ、痴話喧嘩中しててもこっちもこっちでベタ惚れじゃん。
「あっち、べろんべろんだよ。も~、仲直りするなりなんなり、早く連れて帰ってよね!売れっ子ホストの指名料は高いんだから、ほーんと営業妨害!」
しっしっ!とジェスチャー付きで発破をかける薫の表情は、茶目っ気のある親しげで柔らかな笑顔だった。
晃牙の気配に気づいているのかいないのか、一人グラスを煽る零に声を掛ける。自分から飛び出したくせに、数日ぶりに見るその人の姿に目の奥がツンとなる。
「……酒クセェ、飲み過ぎだろ。おい、佐倉山さん、店に迷惑かけんなって。帰んぞ」
「あ”?黙って出て行きやがった奴にそんなこと言われる筋合いはね~よ」
ギロリと睨みつけられると尻尾を巻いてしまいそうになる。だが、ここで踏み込まねば仲直りどころか、この人との縁も一生切れてしまう気がする。
「ッそれは!……俺が変な意地張って帰らなかったのは、悪かったよ。あの日の質問の答え、あんたが俺を選んでくれた理由…それが俺の顔だけだったとしても!悔しいけど俺の力不足だったってだけでッ!」
ぇー、佐倉山さんサイテ~じゃん……、と部屋の隅でグラスを傾けていた羽鳥薫は思った。
「……そうじゃない」
ぽつり、けれどはっきりと、据わった目で晃牙から顔を逸らしたまま零は口にする。
「お前が……力不足なわけじゃない…、それに……」
「それに……?」
「大畑くんが、絵を描いてる時の顔が世界一かわいくて、どうしようもなく好き、だから……あ~ッ、くそ、なんでこんな告白みたいになってんだよ……」
誰がどう聞いても熱烈な愛の告白である。それにしても不器用というか、言葉が足らなさすぎる。顔って、伝え方が下手すぎやしないか。
「な、なな、なん、なに言ってんだよ……!」
動揺する他ない。なんだって、死ぬほど女にモテる、なんなら男からもモテそうなあの佐倉山零が?
「……今のは忘れろ。ただ、俺はお前のアーティストとしての生き方も、つくる作品も好きで、応援したかったってだけだよ」
恥ずかしさのせいか、アルコールのせいか、顔を真っ赤にした零を見ると、晃牙の心臓はバクバクとうるさいほどに音を立てる。
だって晃牙は、ちっさなキャンバスに収めることなんてできそうにないほどに、どんな芸術品より美しくそれでいて人間くさいこの人のことが大好きなのだ。
「い~やッ!忘れるかッ!佐倉山さん!あんたにいつか顔や絵だけじゃなくて、俺の全部が大好きで仕方ねぇって言わせるくらい、すげぇ人間になってやるから!いちばん近くでちゃんと見てろよ!」
オラ、一緒に帰るぞ!なんて弾んだ声の主に、零は優しく腕を引かれた。
酒のせいにしてしまえば、顔の赤みもものすごく甘えたい衝動も、誤魔化せるだろうか?あんなこと言われたって、もうこの子の全部が好きなのに。どうすればいいんだ。いっそのこと既成事実でももぎ取ってしまえばいいのか?
色恋沙汰には百戦錬磨のホストをちらりと見れば、ご自由に、なんてスナック片手に口パクで丸投げされてしまった。
実は一目惚れだったって言ったら、どんな顔を見せてくれるのだろう。あぁ、でも、変なこと言ったらまた怒られるかも。だからこれだけ。
「……うん、好きだよ、大畑くん…、の……」
晃牙にもたれてくるその体重に遠慮がなくなり、肩に酒臭い寝息がかかる。寝落ちする前の小さな呟きも、聞き逃すことはしなかった。
朝になったら、酔いが覚めた零に聞こう。そしてもう一度、晃牙の気持ちを伝えよう。
晃牙とこの人の『好き』が同じかもしれない。なんて考えると心臓はずっとうるさいままで、きっと朝まで寝れやしないから。どうせならこの感情が伝わるような絵を描いて、零にビビッと感じさせてやるんだ。