夢から醒めた夢 変な夢を見たせいで、どうにも調子が出ない。
ソワソワして、落ち着かない。
どうしてあんな夢を見たのかサッパリわからない――なんてのは嘘だ。さすがに自分の心まで誤魔化せるわけがない。
アレは多分、間違いなく俺の欲望の具現化なのだ。
「……なるほど。この検証結果なら、新しいプラットフォームの実戦投入も難しくはなさそうだな」
甲板に吹く風が、手にした資料をめくるドクターの髪を揺らす。
普段は長めの前髪に隠されている瞳が、自分の作った報告書に向けられていると思うと、なんだか妙にくすぐったい気分になった。
――というか、なんで甲板に誘っちまったんだろ。
プラットフォームの改良が終わって、エンジニア部内での検証も片付いて、あとは戦術部門の責任者であるドクターのチェックが必要だった。それは確かに事実なんだけど。
別に、バッタリ鉢合わせたエンジニア部近くの廊下で話してもよかったはずなのに。
息抜きに風に当たりに行こうよ、なんていう言葉が、気づいたときにはもう口から出ていた。
ドクターはぱちぱちと何度か瞬きをしただけで、あっさり「いいよ」と応じてくれた。ってか、今日なんでマスクしてないんだろ。ロドス艦内にいるときは外してる場合も多いけど、よりにもよってこんな日に。
「前に言ってた強度が足りない問題は、これでクリアになったと考えてもいいのかな?」
隣に立つドクターの指が、報告書の上を滑って、検証データの一部を示す。
マスクに覆われていないから、ドクターの声はいつもよりはっきり聞こえて、思わずその口元を見つめてしまった。
夢の中で、何度もキスをした唇を。
(マジでなんなんだよ、あの夢)
あまりにも都合がよくて、ちょっと動揺するくらい生々しくて、起きてからしばらく呆然としていた。
勿論嫌なんかじゃない。むしろ、嫌じゃないから困るというか。
ずっと見ないフリをしてきた自分の気持ちに思いっきりスポットライトを当てられて、いよいよ逃げ場がなくなったっていうか……。
おかげで今日一日、仕事には全然集中できなくて、クロージャさんには小突かれるし、机の角に足をぶつけるし、散々だったってのに。トドメとばかりにドクターと鉢合わせて、内心ではめちゃくちゃ動揺してるくせに、どうしてわざわざ二人きりになるような選択をしたんだか。
「……ステインレス?」
「えっ、あっ……うん。力自慢の人たちに協力してもらって、散々強度テストしたからさ。滅多なことじゃぶっ壊れないよ。大丈夫」
返事がないのを訝しまれたので、後ろめたさを誤魔化すように早口で答えた。
ドクターはしばらく、目を隠すほどの長さの前髪の隙間から、じっと俺を見ていたけど、やがて「そう」と頷いて報告書に視線を戻す。
さすがに不自然すぎたから、怪しまれたかな。
俺もそれなりに、相手が何を考えてるのか推察するのは得意なほうだけど、ドクターってホント、人の心が読めるんじゃないかと思うくらい鋭いから、目の前に立つと緊張しちまってヤバい。
どうしたのって聞かれたって、正直に答えられるわけないじゃんか。
あんたとキスした夢を見て、それについて考えていた――なんてさ。
「……ふふ」
しばらく報告書を熟読していたドクターが、不意に小さな笑い声を上げた。
「どうかしたのか?」
「……いや、今度のプラットフォームにはハガネガニが二匹乗ってるんだな」
猫耳までついてる、とくすくす笑うドクターの横顔を見つめていたら、急に。
風の音も、足元に伝わるロドス本艦の息遣いも、周りの音が何ひとつ聞こえなくなって。
理性や感覚が全部遠のいて。気がつけば。
身をかがめて、笑みの形にほころぶドクターの唇に、キスを――していた。
夢の中で何度も繰り返した熱烈なヤツとは全然違う。ただ触れるだけのそれ。
なのに、押し当てた唇越しに感じる柔らかさは段違いで、ちょっと面食らって、その瞬間。
――我に返った。
「うわっ、悪い!」
後ろに飛び退くように距離を取ってから、これはこれで失礼な態度なんじゃないかと、頭の片隅でぼんやりと考えた。でも、今はそれどころじゃない。
今の今まで凪のように静かだった心臓が、急にバクバク騒ぎ出した。
ドクターはきょとんとしたまま、俺を見ている。その表情からは拒絶も嫌悪も感じ取れなかったけど、同時に動揺や照れも探せなくて、頭を抱えたくなった。
完全に無意識で、まるで吸い寄せられるようだった。自分の欲望に抗えなかった。
どんなふうに弁解しようか、これから先どうしようか。一瞬で目まぐるしく頭を動かしてはみたものの。
(いや、ここまで来て、どこに逃げるんだよ)
冗談でも、戯れでも、嘘でもないのに。
いつまで目を背け続けるつもりなんだ?
ひとつ、深呼吸をする。腹の底に力を込める。
いざというときの踏ん張りには自信がある。腹を括ったら振り返ったりしない。今までだって、土壇場からは逃げずに生きてきたんだから。
「ごめん。でも、したくてたまんなかったから。――嫌だった?」
まっすぐ見つめ返して、正直に白状する。
どんな答えが返ってきても、受け止める覚悟ならできてるけど。
どうせなら、良い報せが聞きたいんだ。
――なぁ、ドクター?