「凄いですね、呪文というものは」
ぱちぱちとはぜる焚き火を眺めていると、不意に言葉が漏れてしまった。
カインと初めて迎えた野営は、まだ何処か緊張の解けないものだった。そんな静かな空間で、火を見ながら昼間のことを思い出す。
道中に何度も助けられた回復呪文も、焚き火をつけるために使った熱線呪文も、俺には扱うことの叶わないものだ。
「どうしたんですか急に。ギラなんか大層な呪文じゃないですよ」
私にとって、呪文そのものが大層なものなのですが、という言葉は飲み込んだ。これから長い旅になるのだ、関係を悪化させる嫌味なんか吐く理由がない。
「あ、すみません。呪文が使えない人に失礼なことを……」
「……別に構いません。才能がないんだから気にしたって仕方ないことです」
そう笑顔を作って言い終えると、気まずいほどの無言が続く。夕食を終えたものの、まだ眠気が訪れる気配がない。火の番を買って、カインには寝てもらおうかと口を開けようとしたところで、先に向こうが口を開いた。
「アレン王子は、子供の頃に会ったのを覚えてますか?」
「……すみません、全く覚えてないです」
そう答えると、わかりやすくカインは落胆した。覚えてないのだから仕方ないだろう。4歳頃の話だとは聞いているが。
「まあ、僕もあんまり覚えてないんですけどね。君がカッコよかったのは覚えてます」
「私が?」
「はい。堅苦しい式典で、僕なんかぜんっぜん集中できてなかったのに、アレン王子はまっすぐ前を向いて、背筋がピンと伸びてて、周りの大人に臆することもなくって」
「……まあ、躾が厳しかったんでしょう。本家ですから」
「やっぱりそうだったんですね。……勇者っていうのは、こういう人のことを言うんだろうって、憧れてたんです。サマルトリアに帰ってからも見習ってたんですよ」
あはは、と照れ臭そうに笑うカインに合わせて、俺も笑顔を浮かべた。
人懐っこい笑顔だ。俺の、表層にしかない作り笑いとはまるで違う。
勇者、なんていうのは、こういう男のことを言うのだ。俺じゃない。
「ところでアレン王子。そろそろ堅苦しいのやめません? 同い年なんだし」
カインの誘いに喉が引き攣って、ゆっくり首を横に振った。
「これでも、普段より喋っている方ですよ。城での私は、もっと無口ですから。カイン王子が敬語を抜くのは構いませんけれど。喋りやすい方でしゃべってください」
「……じゃあ遠慮なくいかせてもらうけれど、キミのそれって演技だろ」
カインは静かに、睨むように俺を見た。
「まあ、完璧な王子様すぎるからみんな騙せるんだろうけどさ。リリザで最初に会った時、キミ凄い顔してたよ」
「凄い顔……?」
「僕をどう殴り飛ばしてやろうかみたいな顔。あっちの仏頂面が素なんだろ」
なるほど、呑気者だと思っていたが……考えを改める必要がありそうだ。呑気者、ではあるのだろうが、人の感情の機微に聡い男だな。
大きく息を吐くと同時に、顔から表情が消えていくのがわかる。
「……当たりだよ。誰にも言われたことなかったのに、よく見抜いたな」
「わあ、全然違う。多分、僕が初対面だからじゃないかなあ? 本当の君が話してくれるの、素直に嬉しいよ」
「別に、王子を演じるのが苦なわけじゃない。普段はほとんどそっちだからな」
「うへぇ、それ自覚ないだけでストレスになってると思うな……表情死んでるもん」
「……それは……」
言おうとして、口を閉ざす。そんな踏み込んだ話をするべきだろうか。気を遣わせるだけじゃないか? 長い旅とはいえ、旅が終われば終わる関係だろうに。
けれど、カインは俺の言葉を待つようにじっと見ている。催促されるのも居心地が悪くて、俺は閉ざした口をもう一度開けた。
「表情は、意図的に動かしてないんだ」
「意図的に? なんで」
「必要な時だけ笑って、それ以外は真顔でいれば、周囲の奴らは勝手に自分の理想に当て嵌めて褒めてくれるからな」
「型に嵌まらなくてもいいじゃないか。キミはキミだろ」
「アレン王子はロトの血を引いていない」
少し低い声で言うと、カインは押し黙った。
「幼い頃に散々言われた言葉だ。俺には呪文の才が全くないどころか、顔も誰にも似てないし、髪色だって血縁者にいない茶色だ。母上が、俺を産んですぐに亡くなっているのをいいことに、一時期は不倫相手の子供だと決めつけられていたよ」
「そんな……」
実際、そうなのかもしれないが。真相は母上にしかわからないことだ。
「だが俺には剣の才があった。それが判明した途端、大人たちは手のひらを返して俺を祝福した。勇者の剣だ、茶色の髪はルビスの祝福だ、顔はきっとロトに似ているに違いない。ハーゴンに魔力を封じられた、左手のアザはその証拠だ。散々自分達が貶したものを、自分達の都合の良い方向に解釈して、俺を誉めそやしやがった。……それから、俺は周囲に期待することをやめた。表情を押し殺して、望まれる王子を演じたんだ」
「……そう、だったんだ」
「辛気臭い顔をするな。国を継ぐ以上、人望は必要だろう。反乱を起こされちゃ、たまったもんじゃないからな」
カインは何も返さない。またしても続く静寂。気まずいが、言葉も浮かばない。
「僕はね」
しばらくの沈黙の後、カインはおもむろに口を開いた。
「誰よりも勇者の素質があるって褒められてきたんだ。誰も僕を貶したりしなかった。僕は、かえってそれが嫌だったけれどね」
「……素養だけで見れば、俺よりは勇者だ」
「まあ、キミから見たらそうだろうね。でも僕はさ、わかるんだ。勇者なんかじゃない、ってね」
返す言葉が浮かばない。彼にも、彼にしかわからない悩みはあるだろう。自分のように。
「僕さあ、めちゃくちゃ父上に似てるんだよ。見てきたならわかると思うけど」
「ああ、似てたな」
「だろ? で、知ってるかもしれないけど、ロトの血が流れてるのは母上の方なんだ。父上の方が王室入りしたの。そんな父上に似てるんだからさ、僕が勇者なんてあり得ないわけ」
「顔だけだろ。素質は別だ」
カインは首を横に振った。
「恥ずかしい話だけれど、残念ながら僕には勇気がない。この旅だって、本当はすごく嫌だった。そもそもキミより随分早く旅立ってるのに、キミがローレシアを旅立つのに間に合わなかった。ビクビク震えて、魔物から逃げ回ってたからだ」
「昼の戦い、そうは見えなかったが」
「そうは見えないように必死に取り繕ってたからね。ほら、まだ手が震えてるだろ」
そう言ったカインの手は、確かに震えている。……まるで気が付かなかった。もう少し、他人に興味を持つべきだとじいやにも言われたな。
「……足手まといにはならないように頑張るけど、多分、キミの足を引っ張ることになる。今のうちに謝るのも情けない話だけど、ごめんね」
「怖いなら後ろで呪文を打っていてくれればいい。俺が守る」
そう言い切ると、カインはポカンとした顔で俺を見た。随分綺麗な青い目をしているな、とどうでもいいことに気がつく。俺の燻んだ青色とは違う。
「……はは、やっぱりキミは勇者だね」