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    ミヤシロ

    ベイXの短編小説を気まぐれにアップしています。BL要素有なんでも許せる人向けです。

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    POIPOI 23

    ミヤシロ

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    pixivにアップした小説をこちらにも掲載します。頂上決戦の翌日のペンドラゴンのお話です。

    秒針は再び時を刻み1.
     目を覚ます直前、クロムは眩しすぎて胸が苦しいあの瞬間を垣間見た。
     頂上決戦のセカンドバトル、エクスはクロムとだから最高のバトルが出来た、と笑っていた。仮面で素顔を隠してもわかる、満面の笑顔。エクスはなんら作意なく笑い、呆然とする青年に手を差し出した。眩しい笑みは初めて会ったあの日を想起させ、エクスと言う少年があの日からまったく変わっていない事実を青年に突きつける。あの日から少年に負けまいと必死だった、青年は己の本心をこのとき初めて自覚する。憎しみと怒りの果てに自らの想いを理解する――自分は、黒須エクスに必要とされたかったのだ、と。
     命を代償にしてでも超えてみせる、その一念でひたすら自身を追い込んだ。その結果至った現実は目に痛いほど明るく純粋で、ある意味滑稽だった。
    (エクス…)
     彼は少年の手を握ろうと自身の手を伸ばす。しかし触れようとした手は何故か遠のいて、
    ――クロムさん!
     はっと目を覚ます。青年の目の前にシエルの顔が、今にも泣きだしそうな顔が飛び込んできた。

     部屋には照明がついていなかったが、よく晴れた空から注ぐ光が屋内を明るく照らしている。クロムには時間がわからなかったが日が昇ってそれなりに時間が経っていると理解でき、彼は仰向けの姿勢のままぼんやりとシエルの顔を眺めた。彼とシエル以外誰も居ない部屋、クロムはベッドに寝かされている。シエルの顔越しに見える天井は見覚えがなく、彼は自分がどこに居るのか訝しがった。
    「ここは…?」
    「Xタワーの医務室ッス」
     クロムは茫洋な表情を浮かべ、仰向けに寝たまま視線だけ動かして窓の外の景色を見る。高層ビルの立ち並ぶ景色は間違いなくXシティのそれで、彼はほう、と溜息をついた。ゆっくりと上体を起こし覚醒しきってない意識で辺りを見回す。見れば服は入院患者が着る衣服に変わり、グローブも外されていた。ガラスに薄っすらと己の姿が映り、彼は思わず息を止める。銀色の龍の髪飾りがいつの間にかなくなっていた。
     青年は知るまいが彼が卒倒したとき、アクセサリーは壊れてしまった。現在仮面Xこと黒須エクスが所持するが彼は知る由もなく、呆然としながらガラスの中の自身に見入った。
    「オレ、勝ちましたよ。ペンドラゴンは今も頂上のまま」
     シエルがほろ苦い顔で語るのを青年はほとんど聞いていない。少年は試合に勝って勝負に負け、プロデビュー戦を不本意な結果で終えた。少年が語るのを青年は心ここにあらずの表情で流し、そうか、とだけ呟く。
    「シグルさんは専務と打ち合わせに行って、そのあと仕事に行ったッス」
     シエルが青年の胸中を知らぬままもう一人のチームメイトに言及した。
    「シグルさんに付き添いを頼まれて。……何か飲みますか」
    「いや、いい」
     特に感慨もなく断り、クロムは自身の記憶を振り返る。散々執着した少年に敗れ彼に手を差し出した、その後の記憶がぶつりと断ち切られている。目を覚ませばそこは決戦の熱気とはかけ離れた場所で、目の前にシエルの顔があって。初めて見る医務室に青年はぽつりと呟いた。
    「オレは……倒れたのか」
    「過労だって話ッス」
     シエルが痛みを滲ませつつも安堵に胸を撫で下ろした顔で笑う。
    「休めば元気になるって……、本当に、よかったッス」
     シエルは涙を滲ませている。
    「本当に…」
     涙が頬に伝い流れていく。その顔を見、クロムは思わず息を止めた。
    「――シエル」
     少年の顔を見るのは久しぶりだった。
    “仮面Xになれ”
     自宅に呼びつけ、二人きりで対面し。彼は敬愛するがゆえ抵抗する力を持たぬ子供に尊厳を踏みにじる真似をした。シエルの思慕を利用し有無を言わせず他人であれと強要する。神成シエルは要らない、と、あの日青年ははっきりと口にした。妄執に囚われ、感情をこじらせて。シエルの顔は仮面に覆われ、あの日以来青年の目に映らなかった。
     何日ぶりに目にするだろう少年の表情は、クロムの無事を心から喜ぶ感情に溢れていた。“あなたのためなら何でも出来る”、少年は過去に涙ながらにそう言い、実際にクロムに忠実に従った。しかし当の青年は彼を居ないも同然と見なし、記者会見終了後話し掛けられても無視を貫いた。利用し用済みになったら斬り捨てた――恐ろしい話だ。自身の行いを振り返りクロムは暗然とする。少年の微笑みが純真な分、彼の翠の目が翳った。
     柔らかな微笑みが、シエルの心からの献身が、クロムの胸を絞めつける。エクスへの執着が心を鬼に変えたのか……青年は何故あのような真似が出来たのか自分自身が信じられなかった。昔は少なくとも人としてはまともであったと思うし、プロになりたての頃はファンとも向き合っていた。それが今は――クロムは内心愕然としながらシエルを眺める。酷い仕打ちを受けた少年は青年の胸中を知らず、目に涙を浮かべ心の底から青年の無事を喜んでいた。
    「シエル」
     一度は仮面Zと名乗らせ、用が済んだら雑に呼ぶようになった名前を噛みしめる。目を涙で潤ませるシエルに、彼は痛みにかすれた声で言った。
    「顔を、よく見せてくれ」
     瞳を向ける少年は、青年の願いにしまった、と言わんばかりに目を見開く。青年の前で己は仮面Zなのだ、と、シエルは思い至った。言いつけを破った失態に少年はさっと血の気の引いた顔となる。青ざめた少年に、クロムは構わずそっと手を伸ばした。
    「あの、…その」
     青年の浅黒い手が少年のキザギザの髪に触れ、感触を確かめた後に頬に触れる。まだ成長途中にある少年の頬は掌を当てればふっくらとして、紅潮した顔は少しばかり体温が高かった。びくり、と体を強張らせる少年にクロムはなおも触れる。目尻を濡らす涙を拭う、少年が息を震わせた。
    「そ、そうだ、仮面…、」
    「いい」
     今なお仮面であろうとする少年を、クロムは端的な言葉で退ける。いじらしい少年の姿にクロムの目許が痛みにきつい皺を作った。
     酷いことをした。
    「すまなかった」
    「クロムさん…」
    「君を否定し、あいつになれと強いた」
     敬愛する心を利用し、己のために弄んだ。尊敬する人の本性を見せつけられシエルは愕然としただろう。あの日のシエルは凍りついた表情をしていて、今ならば非道の行いとクロムにもわかった。しかしシエルに対する良心の呵責は当時一片のカケラもなかった。エクスに執着するあまり青年は相手を便利な駒としか思っていなかった。
    「君にしたことは、決して許されるものではない。
     酷いことをした。本当に。謝って済む話ではないが」
     腕を下ろしシーツの上で手をつくようにして、彼は深々と頭を下げる。殴られてもいい、罵られてもいい。謝りたいという純粋な気持ちのみでクロムは動いた。卒倒と共に憑き物が落ちたのか、クロムは自分でも驚くほど妄執を失った。あれほどまで黒須エクスに執念を抱いていたものを――彼は押し黙り首を垂れ、己を断罪するであろうシエルの答を待った。
    「クロムさん」
     うつむいたまま聞けば少年の声には怒りも侮蔑も憎しみもなく、ただ温かな感情に溢れている。クロムは容易に顔を上げられず、下を向いたまま視線を遣って恐る恐るシエルをうかがった。瞳の端に映る少年は朗らかに微笑んでいて、陽光を受けて一層明るく感じられる。傷つけられた少年は加害者を前にして笑っていた。優しく、心から。シエルは慙愧の念に項垂れる青年に恨んでいない旨を伝えた。
    「顔を上げてください。いいんです。……もう、気にしなくて、…いいッス」
     クロムは声もなかった。押し黙る彼に少年は胸を熱くする想いと共に語る。
    「オレ、クロムさんのチームに入りたいって、その一心で戦ってきた。
     いろいろ……あったけど。オレの願いは叶って。
     あなたがここに居る……一緒に居られる、それだけで、十分ッス」
    「シエル……」
     シーツを握る手に力がこもり、白い布に容易に消えぬ皺が出来る。握り拳が小刻みに震える、その手を、シエルの手が緩く包み込んだ。クロムは未だ顔を伏せたまま黙って少年の許しを受け止めるのみだ。ありがたく、申し訳なく。いっそ罵ってくれた方が気が楽だった、と頭の片隅で思いもする。
    「ずっとあなたのそばに居ます。あなたが嫌でなければ、」
    「嫌じゃない」
     身勝手だ、と己がいちばんよくわかっていて、それでもクロムはシエルの言葉に被せるように口にする。自分勝手を好き放題の上に重ねる。己の惰弱とエゴの凄まじさに打ちのめされながらも、クロムはそばに居てくれる少年に感謝を抱かずにはいられなかった。
    (オレは、許されていいのだろうか)
     仮に少年が許そうとも、己の所業は許されるものではなく、何らかの罰が下されるべきだ。クロムはそう思っていて、己という野放しにされた加害者に総毛立つ思いでいる。シエルが過去として流そうとも決して忘れてはならないだろう、クロムは心の中で断言する。ありがとう、と口にしたくともこのとき彼は出来なかった。ただただ申し訳なく、心苦しく。シエルの手のぬくもりに胸を疼かせながら、
    「本当に、すまなかった……シエル」
     そう口にするのがやっとだった。

    2.
     退院の手続きはシエルが済ませた。
     過労は休息によってすぐさま回復し、クロムはその日の午前中に身支度を整える。スポンサーとの話はシグルがつけていて、クロムは特段トラブルもなく帰宅の許可が下りた。不器用なシグルがどのように戯画谷専務と会話したのかクロムには想像もつかない。もっともペンドラゴンは無事防衛を果たし未だ頂上に在るため、スポンサーもクロムに直接不満をぶつけてはこなかった。常勝無敗がスローガンのペンドラゴンに土をつけ、専務は内心穏やかではないかもしれないが……クロムは上着に袖を通しグローブをはめ、医務室を後にする。
    「クロムさん!」
     部屋の外にはシエルが居て、
    「裏口にタクシーが到着したッス」
     クロムを促す。シエルは胸元に紙袋を抱えていた。袋に小麦のイラストとBAKERYの文字が見える。
    「近くのパン屋で買ってきたッス。クロムさん、お腹空いてるんじゃないかって。もうすぐお昼ですし。で……出来れば一緒に食べたい、かなって」
    「あ、ああ…」
     クロムが帰る準備をしているうちに、退院手続きの後に購入したらしい。気の利く彼に喜びよりは驚きが勝り、クロムは翠の目をまるくして少年に見入った。青年に見つめられるうちにただでさえ緊張気味の少年は狼狽し、
    「もしかして、パン好きじゃなかったッスか? ご飯の方がよかった…?」
     しどろもどろになって呟く。“いや、大丈夫だ”とクロムが答えればシエルはほっと胸を撫で下ろし、
    「よかったッス。とっても美味しいって評判なんスよ」
     太陽が輝くような笑顔を広げた。

     銅田産業のブレーダーハウスに到着し、クロムはシエルと共にタクシーを降りる。高層マンションのとある一室がクロムの住居だった。マンションにはシエルとシグルの部屋もあって、三人は同じマンションで暮らしている。もっとも三人は――特にシグルはモデル業が忙しいため――あまり顔を合わさない。クロムもまた多忙を極め、ブレーダーハウスをただ寝るだけの場所として扱ってきた。
     エクスが脱退してからは尚更。エクスが居るうちは生活力皆無の彼をまめに気遣ったが、少年が居なくなった現在クロムの住まいに対する興味は激減した。だからだろう……彼の部屋は荒れ果て、正視出来ぬ状態となり果てている。シエルと共に住まいへと至る通路を歩くうち、クロムは胸に苦味が広がるのを自覚した。
    「シエル、ここでいい」
     住居に着く前の道でクロムは制止する。
    「とても居られる状態じゃない。片付けないと……。ありがとう、あとはオレ一人でやれる。パンだけ幾つか寄越してくれないか」
     リビングの床に散らばった膨大な量の写真。叩きつけられた写真やトロフィー。クロムの部屋は恐ろしいことになっていて、とても誰かを家に上げる気になれなかった。ペンドラゴンのメンバーは万が一に備え合鍵が渡されシエルも何度かクロムの家を訪れているが、クロムは今更ながら嫌な気持ちになった。シエルの訪問が、ではない。寒気のする部屋を放置し、平然とシエルの出入りを許していた己自身に対して、である。
    「クロムさん、病み上がりッス」
     シエルが心配そうに言い、
    「掃除ならオレがやるッス。クロムさんは休んでいてください」
    「いや」
     首を振り、青年が断固たる決意をもって答える。
    「オレが、自分でやらないと」
     破滅的な部屋と向き合い、清掃を通して自分を顧みる。クロムはそのつもりでシエルを退けようとした。何なら食事も不要だ、答を聞かぬまま身を翻し早足で歩き出す。おぞましい、背筋が凍る部屋に対峙する――そのつもりが、
    「待ってください!」
     シエルがあっという間に追いつき振り返ったクロムのすぐ後ろに立つ。真剣な眼差しはクロムが息を止めるほどで、彼は少年の真摯な目にしばし立ち尽くした。
    「オレも、一緒に居させてください」
    「シエル、」
    「自分を痛めつける必要なんてないです」
     クロムに傷つけられた少年が、自分は酷い目に遭いながら青年を気遣う。クロムの精神をそのまま表したが如き部屋を、少年もまた何度か目にしていた。黒須エクスを写した写真は床を埋め尽くすように散乱し、破損した優勝カップと写真立ては破片を痛々しく飛散させていた。
    「そりゃ、自分と向き合わなきゃいけないときもあります。けど、……あなたは、すごく苦しんでる。
     あの部屋見ればわかりますし、それに」
     彼は青年が目覚める直前を回想する。青年はあのときかすれた声で、シエルが憎しみと嫉妬を抱くブレーダーの名を口にしていた。
    “エクス…”
     聞きたくない名前をそれ以上言わせたくなくて、遮るように青年の名を呼んだ。目を覚ました彼に安堵したのは単に覚醒したがゆえではなかった。慕わしい人の心を自分に向けさせたかったから。
    (クロムさんは今でも、あいつのこと、…)
     想っているのだろう。シエルは密かに胸を沈ませる。大量の写真と仮面Xになれという命令、と、嫌な記憶が次々胸をよぎった。青年は夢に黒須エクスを見、今なお想いを寄せているのだろう。シエルはそう考え、何度目かの胸の痛みを覚えた。
    「もしかしたら甘ったれたこと、言ってるかもしれないけど。オレはあなたを独りにしたくない。
     掃除、手伝いますし、そうじゃなくても……あなたのそばで、見守ることは出来る」
    「……」
     クロムはシエル、と唇だけ動かして名前を呼び、ひたむきな双眸を自身の翠眼に映す。雷を宿したような瞳を見つめ、彼はしばらくの時間逡巡した。痛みを独りで抱え込むか共有するか、どちらかを選ぶ。己の本性を、高潔と謳われながら誰よりも醜い己を。自分独りで清算するかシエルに晒すか――考えた末、彼は後者を選ぶ。
    「わかった。……そばに、居てくれ」
     無言で首を縦に振るシエルに自身も微かに頷いてみせ、クロムは通路を歩いていく。鍵を取り出し、数瞬の躊躇いを経て扉を開く。青年の家は屋外の明るさに反し暗く、しん、と静まり返っていた。
    採光が悪いわけではない、だがひどく不気味な印象がある。未だ本調子でない精神がそう見せるだけだろうか……クロムは目許に深い皺を刻み、まずは写真を始末しようとリビングへ足を踏み入れた。

     そこには見るに堪えない光景が広がっていた。
    「「……」」
     二人そろって絶句し、とりあえず明かりをつける。クロムが、パチン、とスイッチを鳴らして部屋を明るくすると、数多の黒須エクスおよび仮面Xが二人の目に飛び込んできた。写真の何割かが真正面を向きクロムとシエルを見つめ返す。黒須エクスの歯車を思わせる瞳は印象が強く、シエルは心底を見透かされる錯覚がして思わずぞくりとした。
    「――パンを」
     愕然とするシエルにクロムがかすれた声で言う。うつむいて表情はうかがえなかったが、シエルにはクロムが打ちのめされているように感じられた。
    「ダイニングに置いてきてくれ」
    「は、はいッス」
    「あとシンクの下の引き出しにビニール袋があるから持ってきてくれ」
     足早に部屋を出ていくシエルを背中で見送り、青年は屈んで写真と向かい合う。黒須エクス、あるいは仮面X。写真はB4に命じて用意させたもので、クロムはぼんやりとしながら写真を拾っていった。いつ、如何なる命令によって写真を手配したのか、彼はもはや憶えていない。盗撮写真に等しいそれらを手に収めながら、クロム当時の己の荒廃ぶりを嫌と言うほど思い知った。拾い集める一葉の中に、黒須エクスが蒼い目を輝かせるものがある。ベイをするために生まれてきたような男は爛々とした双眸をクロムに向け、まるで現在の彼を嘲るかのように笑っていた。
    「――…」
     すべてはクロムの精神がそう思わせる幻だ。だがエクスに敗れ力の差を突きつけられた彼は、エクスの笑みに心穏やかではいられない。しかし己を直視するため、彼は一葉ずつ、時間をかけて拾っていく。写真を手にするたびに心は悲鳴を上げたが、それでも行為を止めはしなかった。吐きそうになる気分を抑圧して続ける、そのときシエルが戻ってきた。
    「大丈夫ッスか…?」
    「なんとかな」
     呻くような答にシエルは無理をしていると即座に気づく。自らも体勢を低くしたが直後、“自分で出来る”とクロムが止めに入った。困惑するシエルをよそにクロムは行動のペースを一段速める。自分のやらかしは自分でカタをつける、と、クロムは自らを律し気が沈む作業を無理にでも進めた。
    「馬鹿な真似をした」
     彼は言う。
    「何故ここまでこじらせたのか。あいつを超えるために必死だった、それでも」
     やっていいことと悪いことがあると彼は思う。シエルをエクスの代用品とし、不要となれば切り捨てた。一個人を無視し、利用して。あまりに外道な行為に自分が嫌になる。何故ここまでエクスに執着したのか――。
    「黒須エクスのこと……好きだったんでしょう」
     他者に指摘され改めて思い知る。“そうだな”と首肯し、彼はぽつりと、もはやどう足掻いても取り戻せない過去に言及した。
    「あいつに必要とされたかった」
     と。
     数多の写真を回収し、額縁に収められていた写真も撤去する。第三者が目撃すれば悪い方にクロムを見る目が変わる写真は、ポスターのように丸められ写された対象を完全に隠した。引き延ばされた黒須エクスの写真をしまい、直視しがたき部屋は幾分マシになる。写真を棚に収め、クロムは“はあっ”と息をついた。肝心の処分はどうしようか、例えば封筒に入れてガムテープを巻きつけゴミの日に出すか……。大切だった人の写真をゴミとして出すのは気が引けたが、他に方法が思いつかなかった。ひとまず保留し、気づかわしげにシエルに視線を遣る。少年は名状しがたい表情で佇み青年の行動を記憶に刻み、まるで我が事のように受け止めている。クロム以上にしんどそうな子供に、
    「少し休むか?」
     漠然と首を振ると読みつつ問い掛ける。はたしてシエルは、
    「大丈夫ッス」
     青年の思い通り気丈に振舞い、二人は次いで痛ましい残骸に向き合った。
     部屋の奥にぶちまけられたメダルに表彰盾、そして、悲惨な有様となった賞杯に。
     クロムの過去の栄光は、見るも無残だった。
    「もう、直せそうにないッス」
     トロフィーは専門の業者が製造していて、破損した場合の修復業務を請け負っている。しかし多くは軽微な修復のみ可能であり、カップが本体から吹き飛んだ挙句割れた場合元に戻すのは不可能に思われた。幸い派手に壊れたのは賞杯一つのみであり、あとは棚に戻せば問題ない。のろのろと緩慢な動作でクロムは一つずつ所定の位置に戻していく。メダル、盾、大破した一つを除くそれらを。ゆっくりとだが着実に作業を進める青年を少年はじっと見守る。やがて最後の一つ――もうどうにもならない“それ”のそばに、シエルは痛ましい表情で屈み込む。クロムが自らも体勢を低くして凝視すれば、
    「……ああ、…」
     嘆きとも諦めとも取れる声が、青年の口から洩れた。
     壊れた優勝カップは、まだ彼がアマチュアだった頃に獲得したものだった。
     どのくらい前だろうか、まだクロムが幼少の面影を残していた頃。彼は大会で優勝し、実況AIに問われた。己にとってベイブレードは何か、と。昔の出来事であれどよく憶えている。彼はベイを道、と。最強への道と言った。
     最も強いブレーダーになるために彼は戦っていた。だがいつの間にか道はエクスの真似にすり替わっていた。
    「オレのやってきたことは、何だったんだ」
     エクスと初めて対面したあの頃に思ったことを、彼はこのとき再び口にする。遠い目で残骸を見、ふと視線をよそに移せば、床にはあの日の三人の写真と忌まわしいYの仮面が在った。過去の幸せを留め今の無常を突きつける一葉と、己の壊れぶりがよくわかる仮面と。エクスに離別を告げられベイバトルをし、胸を抉られて。あの日の傷ははじめこそ耐えられたが胸を侵し彼から正気を失わせた。
    「クロムさん…」
     ぽっかりと穴が空いたような面持ちの男に、シエルは何も答えられない。当人が見出さねばならないそれを、所詮は他人でしかない少年に教えられるわけがなかった。哀しい自問にシエルはふと青年との出会いを思い返す。爽やかな笑みをたたえブラックシェルを託してくれた人を。シエルは更に思う。
    (オレはあのとき、クロムさんのこと……何も知らなかった)
     黒須エクスは頂上に立ってすぐさま脱退を告げ、クロムを傷つけ去っていった。相手を置き去りに走っていく少年の姿を、シエルは精神世界にて目の当たりにしている。ブラックシェルを手渡されたあの日、青年はとっくに深い傷を負っていたが誰にも心中を明かさなかった。圧倒的な実力と品行方正な振る舞いで他者を魅了する青年に、他人は無論シエルもまた心の傷を知らずにいた。
    (あの日のあなたは、誰よりも眩しくて。でも、本当はずっと前から苦しんでいた。
     オレはあなたの表面しか見てなかったんスね…)
     仮面を被らせられた頃は苦しく、怒りに体を震わせる夜もあった。己を仮面Zと言い聞かせ、丸湖カルロに戦いを挑み。しかし青年の痛みを改めて思い、シエルは“ぐっ”と息をつめた。
    「……シエル?」
    「オレがやるッス!」
     先程まで見ていただけだったシエルは、此度は問答無用で片付けに取り掛かる。床に伏せた残骸をビニール袋に突っ込み、彼は面食らう少年の前で言った。青年はシエルの珍しい押しの強さに呑まれ数秒ぽかんとする。しかし、
    「仮面も一緒に入れとくッス。あとで持ち帰って分別するんで、」
    「そんなことまでしなくていい」
     オレがやる、と、たとえ手伝ってもらおうがその一点のみは譲らない。助力を最低限にとどめクロムは微かに笑った。
    「ありがとう、シエル。……よし」
     シエルの気合に押され、クロムは部屋の隅に転がる仮面を掴んで勢いよく袋に押し込む。空色と桃色の二色の、仮面Yのときに着用したパーカーもまた同様に。分別は後でやればいい、とにかく過去の己と決別するため、クロムはゴミ袋に服をぶち込んだ。持ち込んだ掃除機で床をひと思いに掛け、残骸をカケラ残さず吸い取り、そして。
     部屋は随分と綺麗になった。
     数日にわたる放置があっという間に解消されいっそ呆気ないほどだ。クロムは遠い表情でぼんやりとそう思い、頂上決戦直前の己を思い返した。写真と残骸が散乱する部屋で、モニターの電源をつけっ放しにして呆けたように眺めていた。病的な己に医者に行くべきと今ならば思う。もっとも医者に彼の執着を解決出来ただろうか……怪しいものだとも思った。
    「あとは……」
     部屋をぐるりと見回す彼に、シエルが少しだけ言いにくそうに口を利く。
    「写真だけッス」
     壊れたフォトフレームはビニール袋に入れられ、写真は薄い紙きれとしてシエルの手に収まっている。エクスが去ったのち孤独でたまらなかった日、青年はよく引き伸ばされた写真と共にその一葉を見つめていた。この部屋に今や写真はそれしか残されていない。ペンドラゴンを振り返る最後の一葉のみが、膨大な写真の中唯一残された。
    「どう……します」
     物量にすればほんのわずかなそれを、シエルは困惑の表情で持て余す。捨てるのは簡単だ、だが処分すればもう二度と取り戻せない。写真など物体としては所詮紙切れだが、幸せを留めるそれはただの紙切れではあり得なかった。青年にとり最も幸せだった時間を記録し、つい数日前まで心の支えとしてきた。一度雑に扱ったそれを前にクロムは躊躇する。
    「捨てるッスか?」
     捨てる、と言語化され突きつけられる。それはまるで胸にナイフを突きつけられるようであった。
    「……オレ、は」
     もし手放せば永久に失われる。決別し憎悪した少年が写る一葉に、初めて会った日から心奪われた少年が笑う一葉に。クロムは首を絞められたような声を出す。息が出来ない。体が動かない。たった一枚の薄っぺらに、己を左右される錯覚がした。捨てる、とただ一言答えればすべて終わる。だが、しかし。彼は容易に言葉を紡げなかった。
     長い時間考え、答が出せず、絶句したまま写真を凝視して。クロムはシエルの前に立ち尽くす。イエスかノーか。たった一言が表明できなかった。
    (オレは)
     エクスとスパーリングした日を、共に過ごした日を。走馬灯か何かの如く思い出し、彼は呼吸を止める。自分でもわからぬ答を何とか出そうと吐息を震わせたとき。
     クロムのスマホが着信音を鳴らした。

    3.
     電話の主はシグルであり、彼女は仕事を終えこれから帰宅するのだと言う。テイクアウトで何か買ってこようかと提案する彼女に、クロムは間に合っていると答えた。
    「シエルがパンを買ってくれた」
    “そう。……じゃあ、私の分だけ買ってくる。一緒に食べたい”
    「……。わかった」
     黒須エクスへの妄執に囚われていたため、彼は頂上決戦までの間シグルとはまともに会話していない。いつだったか唐突に訪ねた彼女に怒声を浴びせたが、彼女は冷ややかな視線をクロムに投じるのみであった。今更思い出すが、彼は彼女の家族対決をまともに見ていなかった。同じチームでありながら彼はメンバーをまったく顧みずに過ごしてきた。酷いリーダーも居たものだ、と、彼は時既に遅いながらも悔いた。
     コーヒーを淹れ、彼女を迎える準備をする。シエルが購入したパンはどれも美味しそうで、クロムは久方ぶりに食欲というものを意識した。決戦の日まで自分は何を食しただろうか。彼はまともに思い出せなかった。エクスと一つになったあの日から昨日までの記憶は曖昧で、自分が自分でなかったかのよう。龍の髪飾りがなくなって妄執もまた綺麗さっぱり消え、彼はようやく空腹を、己の体が、精神が、元に戻りつつあるのを感じた。
     シグルはさして時間を置かずやって来て、コンビニで買ったらしい昼食をテーブルに乗せる。一目見てわかる、駒刃寿司謹製のスイーツ寿司だ。奇天烈な見た目は相変わらず凄まじく、如何なる頭をもってその色彩と味が生み出されるのか不明である。一時期あんこクリーム寿司を食して悶絶したクロムは、嫌な汗を頬に伝わせながら押し黙る。シエルも然りであり、二人はパンを手に固まったまま、シグルの食するさまを見守った。
     好物であるスイーツ寿司を手にうっとりとする姿は、普段の怜悧な彼女とは大分違う。美味しそうに食べる彼女は、二人の視線に気づき“食べたい?”と訊いてきた。
    「要らない」「遠慮するッス」
     二人の拒否する声が食い気味に被さるのを聞き、シグルは“そう”と淡々と返す。男二人がぎこちない顔をする前で彼女は寿司を完食した。
    「社長と専務、とりあえず大丈夫そうだった」
     ペンドラゴンが一敗した事実を報告した彼女は、スポンサー二人の反応を二人に伝える。戯画谷専務は渋い顔をしていたが、頂上の防衛にとりあえず納得していた。銅田社長はいつものように笑い、毒にも薬にもならぬ反応を見せるのみだ。彼女の業務連絡は平坦で最低限の言葉だけで終わった。
    「そう、か」
     食事を終えコーヒーを飲み下したクロムは幾分気落ちした声で相槌を打つ。スポンサーの反応に凹んだのではない。彼の中には黒須エクスに敗れた無念があった。妄執はない、ただ、敗北は少なからずショックだった。アマチュア時代の優勝カップが修復不可能となった今、彼はずっと目を背けてきた自身を振り返らんとする。
    “自分のベイと向き合いな”
     生ける伝説こと万獣クインの言葉を、彼はようやく素直に受け入れる。
    “あんたの目はスタジアムを見ていない”
     伊達に25年間ベイをやっていない。女王の洞察力は大したものであった。
    「――……」
     どう足掻いても取り戻せない賞杯に、クロムは在りし日の己を思う。あの頃の自分はなんと純粋だったか、と。今よりずっとベイに情熱を注ぎ、ひたすら鍛錬して。その自分が大きく変わったのは言うまでもない、黒須エクスとの出会いがきっかけだった。
     恐ろしくベイが強く、ベイと寿司しか興味を持たぬ少年。誰よりも強く誰よりもベイを楽しむ彼との邂逅により、クロムは道を見失った。最強を求めただ強さを欲した彼は、見方によってはエクスにうつつを抜かし前後不覚になったと言えた。アマチュア時代の己から見たら惰弱なものだ、と眉をひそめたかもしれない。だが黒須エクスという存在は、クロムの中でとても重要な位置を占めた。エクスと袂を分かち、憎悪し執念をもって滅さんとした。しかしエクスはこのときも遥か先を行った。とても敵わないと現実を突きつけられた今、どうすれば――答は未だ見えない。
    「ごちそうさまッス」
     沈思する青年の隣でシエルが食事を済ませ、礼儀正しく手を合わせる。好感の持てる振舞いをする少年の傍らで、クロムは我に返った。と同時に彼は答を保留にしていた事実を思い返す。エクスが居た頃の写真を処分するか否か。しばし考えるも、答はこのときもまた出せなかった。
    「シエル」
    「はいッス」
     快活な少年に“写真を持ってきてくれないか”と頼む。写真と言えばすぐ伝わり、シエルはすぐさま写真を置いているリビングへと向かった。唐突な流れに首を傾げるシグルにクロムは真剣な表情を向ける。
    「預かってほしいものがある。
     勝手な真似をと思うかもしれないが……頼む」
    「…。いいよ」
     彼女はあっさりと引き受ける。それなりに思いつめていた彼は、呆気ない承諾に内心驚いた。目口を開き彼女の容貌をまじまじと見つめる。彼女は昔から変わらぬ無表情で、
    「あの写真でしょ。昔、三人で撮った」
     それなりに重い品を預かる決心をした。
    「……ありがとう」
     本心から感謝の意を伝え、彼は押し黙る。思い出を受け入れることも出来ずさりとて捨てられず。保留にする辺りが己の弱さと思った。あの写真を撮った頃は充実した日々を送り、エクスとも上手くやって最も幸せな時期だった。まだ彼が仕事に忙殺されず、シグルが新たにチームに加わって日が浅い頃。写真の中央に居る彼は柔らかな笑みを浮かべていた。
    「オレは、弱いな」
    「そんなことは、ないと思う」
     試合結果を見れば彼はエクスに完敗した。
     1ポイントも取れないまま、死に物狂いで会得した技をあっさり真似されて負けた。ドラゴニックブレイクを一度見ただけでものにする少年は、まさにベイをするために生まれてきたような男だった。もっとも彼が言及する弱さは単純にベイの腕前ではない。彼は精神的な意味で弱いと思った。あの日の写真に狼狽え持て余す。己の脆さを思い知った。
     うなだれる彼の許にシエルが戻ってくる。少年は大人二人の間に流れる重さをすぐに悟り、神妙な顔でクロムに写真を渡す。“ありがとう”と礼を言い受け取った青年はしばし感慨深そうに写真を眺め、やがてふっと目を伏せてシグルに差し出した。
    「答は、必ず出す。必ず」
     彼はシグルに言うよりは自分に言い聞かせる調子で手渡しふんわりと笑う。
    「ベイの強さは心の強さ……。オレは、弱い。
     けど、自分の弱さを知ったなら、まだ、強くなれる。……そう、思いたい」
    「クロムは強い」
     無表情で写真を受け取り、シグルは妙に強い口調で言う。彼女は写真を手に、何を考えているのか見出しにくい双眸を注いだ。
    「懐かしい」
     声は小さく、男二人には聞き取れない。
    「何か言ったか」「何スか?」
     二人の問いに、彼女は何でもない、と、平坦な声で答えた。

     クロムは後片付けをし、テーブルを布巾で拭く。時を止めていた家は綺麗になり、クロムの時間もようやく動き出した。病み上がりのリーダーの様子を密かに気にしていたシグルは、彼女の目から見て問題なさそうな彼を前に一息つく。“私、帰るね”と、彼女は椅子から立ち上がりテーブルに置いた写真にそっと触れようとした。
    「ああ、少し、待ってくれ」
     そんな彼女をクロムが制止する。そのときちょうどシエルも席を立ったところで、クロムは二人を同時に止めた。
    「……シエルも。少し時間をくれ。
     三人一緒に居られる機会は、あまりなくてな」
     シグルは頂上決戦の翌朝から仕事が入り、クロムもまた多忙である。スケジュールの見直しが必要だな、と、彼はこのとき胸の中で拳を固めた。出来るだけ三人で居られるように、昔と違って互いを思い遣れるように。クロムはリーダーとしての自分を意識した。
     シエルは戸惑った顔、シグルはいつもの無表情でリーダーに視線を向ける。クロムはシグルに己の隣に立つよう促し、シグルは無言のまま承諾した。大人二人と少年一人で向かい合う。胸に緊張の念を抱く年に対し、青年は、
    「シエル」
     と、真剣な眼差しを注ぎ名を呼んだ。
    「はい……クロムさん」
     少年は純粋で誰かのために真剣で、青年が罪悪感を覚えるほどに眩しい。少年は青年に何をされようとも従い、今まで尽くしてきた。思慕の情を利用し好き勝手振る舞ったクロムは胸に痛みを覚えずにはいられなかった。どれだけ酷い真似をしただろう、罪深さに詫びたい気持ちが胸をつく。しかし少年の望みは違うと知っていて、彼は謝罪を踏みとどまった。
    「神成、シエル」
     少年の名をフルネームで呼び、一歩前に歩み寄る。その姿にシエルは顔を引き締め、おのずと背筋をまっすぐにした。青年は何か重要なことを言わんとしている。漠然と読み取った彼はクロムの真剣な眼差しを受けて覚悟を決める。名前の通り双眸に雷を宿す彼は青年が口を開くのをじっと待つ。何を言われるだろうか、わからないが彼はクロムを信じた。
     青年の翠の目にかつての妄執と狂気はなく、あるのは少年に対する真摯な気持ちだ。彼は少年の前に手を差し出す。
    「ペンドラゴンのリーダー・龍宮クロムだ。彼女は七色シグル。
     改めてよろしく……シエル」
     握手の求めにシエルは瞳を輝かせ、幸せそうに目を細める。彼の胸に喜びの熱がこみ上げ、目尻に嬉し涙が滲んだ。
    「……よろしくッス! クロムさん!」
     差し出された手を握りしめる。
     今度こそ願いが叶い真にペンドラゴンの一員になった少年は、自身が報われた瞬間に太陽の如き笑みを見せた。
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    ミヤシロ

    DONE82話『七色の決意』後のシエルのお話。
    引きこもっていた頃のシエルはやつれていて、ご飯食べてるのかなと心配になって思いついたお話です。
    決意を新たに シグルと別れ帰宅したシエルは、まずは荒れ果てた部屋を元に戻すことから着手した。
     メダルとトロフィーが床に散乱していた。
     ゾディアックとの戦いで大敗しどん底を味わったあの日、シエルはアマチュア時代の栄光を衝動のまま床に叩きつけた。500勝無敗、アマチュアの王、これらの賞賛は無意味でしかなく、彼はあの日自分が塵芥(ちりあくた)と思えるほどに打ちのめされた。クロム不在の間ペンドラゴンを守ろうという誓いは無残に打ち砕かれた――あの日の自分と決別するため、シエルは夕闇が窓に垂れ込める時間、惨憺(さんたん)たる部屋を凝視し硬い握り拳を作った。
     ひどいザマだ。だが時間さえ掛ければ原状回復は可能だ。幸いトロフィーもメダルも破損は見られず、ただ元の位置に戻せばいいだけだった。ひたひたと忍び寄る闇が苦しく、シエルはしんどい気持ちの中それでも自身のやらかしに向き合う。一つ一つ、昔の誓いを改めて胸に刻むように。彼は自分の歩みの証を、クロムの言葉を思い出しながら手に取った。
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    ミヤシロ

    DONE80話『最遅の者』~81話『オールイン』の石山メインのお話。石山の部屋の描写は私的設定です。あとマルチが新ベイを完成させた日時がはっきり特定できない為、80話の翌日に完成したという設定にしています。
    石山は登場するたびに魅力的なキャラになっていますね…! 今回のお話を書いてみて、彼の歩みがアニメ本編でとても丁寧に描写されていると感じました。
    不変の道 石山は母親に頼んで手に入れたスイーツを、翌日ファランクスの二人と共に味わった。
    「すっげー!」
    「うまそうだな」
     昨日バーンの部屋で拒んだ甘味を、この日石山は仏頂面ながら親しき者にはわかる上機嫌で堪能する。母親に電話したあのとき“一人で三つ食べてしまおうか”と頭をよぎったものの、彼はすぐさま思い直し三人で食することにした。予定の空いていた二人は報せを聞き、喜んで石山の家を訪れた。石山の住まいはとある賃貸物件の一室であり、そこはさっぱりと片付いて私物がさしてない場所だった。
     十年間、無骨な男は簡素だが清潔な部屋で暮らしている。勝手知ったるファランクスの二人は用意されたスイーツに目を輝かせ、石山の淹れた紅茶と共に舌鼓を打った。その後は今後の予定やトレーニング内容を確認し、世間の話題にも触れる。彼等の話にはトーク番組の撮影やスタジオに乱入したカルラ、そして黒服への言及があった。
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