いい夫婦の日@長七「……そう言えば」
と、七緒がおもむろに声を上げたのは、冬の気配が近づき始めた晩秋の昼下がりのことだった。
筑前は名島の城。七緒が長政の元に輿入れをしてきて、しばらくの頃だ。
漢書を読んでいた長政は、七緒の方に顔を向けて首を傾げた。
「何だ」
「……今日、十一月二十二日ですよね」
七緒の言葉に、長政は「ああ」と頷く。令和の世では、日付と同じように月も数字で数えるのだという。霜月は十一月と呼んだそうだから、令和風に言えば確かに今日は十一月二十二日だ。
「それがどうした?」
聞き返した長政に、七緒が笑みを浮かべる。
「思い出したんですけど、十一月二十二日は、令和の世では『いい夫婦の日』だったんです」
「いい夫婦……。なるほど、語呂合わせか」
十一でいい、そして二十二でふうふ。
何となく分からないではないし、語呂合わせはこちらでも何につけよく使われている。いつの時代も変わらぬものだと、いっそ関心してしまう。
一人納得をする長政をよそに、七緒が楽しげに続けた。
「はい。せっかくなので、何か夫婦らしいことをしたいと思いまして」
何となく、そんなことを言い出す気はしていた。
「……夫婦らしいこと、か。別に構わんが?」
「いいんですか?」
やけに話が早いと目を瞬かせた七緒に、長政は心得たとでも言うかのように笑みを返し、漢書をかたわらに置いた。そして、七緒との距離を詰め、その両肩を掴み、それから――。
「きゃ……!」
勢いよく畳の上に押し倒した。
「……急に何をなさるんですか」
七緒は一瞬驚いた顔してから、すぐに眉を寄せて唇を尖らせてこちらを睨んできた。乱れて頬にかかった髪を払ってやりながら、長政は喉を鳴らして笑う。
「夫婦らしいこと、と言ったのはお前だろう。何だ、誘い文句ではなかったのか?」
揶揄うような口調に、七緒はむっと頬を膨らませる。その仕草が童女じみていて可愛らしくて、ついつい更に揶揄いたくなってしまう。つんつんと頬を突けば、七緒は「違います」と言って長政の手を掴んで押し返した。
「こういうのじゃなくて、もっと穏やかな方向でお願いします」
「穏やか、ね」
その言い回しに思わず失笑してしまう。既に名実とも夫婦になっておきながら何を言っているのか、と思わなくもないが、たまにはこういうままごとめいたやりとりに付き合ってやるのも悪くはない。
長政は体を起こすと、手を引いて七緒も起こしてやった。
「……そうだな」
そして少しの間考える素振りをしてから、手で横を向くように示した。
「では、あちらを向いて座っていろ」
「こう、ですか?」
急いで乱れた髪や衣の裾を正し、七緒は言われた通りに座り直し姿勢を正した。その座り姿に一瞬見惚れてから、長政はごろりと横になり、頭を七緒の膝の上に預けた。
「……膝枕ですか」
「ああ。これならお前の言う穏やかな方向とやらで相違あるまい。……なるほど、悪くはないな」
薙刀を振るい、程よく鍛えられている七緒の膝は柔らかすぎず、硬すぎずちょうど良い具合だ。そして、ほのかに伽羅の甘い匂いがした。思いつきではあったが、予想外に心地が良い。満足気に息を吐くと、七緒がくすりと笑みをこぼした。
「――なんだ、不服か?」
流石にもう少し色気のある振る舞いの方が良かったのかと一瞬考えたが、七緒は「いいえ」と首を振った。
「お殿様らしいなと思ったんです」
言いながら、七緒は長政の頭をそっと撫でる。
その感触がくすぐったくて、長政は目を細めた。
「何を今更。お前と出会った時から既に俺は黒田の当主だっただろうに」
殿様らしいと言われても、まごうことなく殿様なのだから仕方あるまい。長政の指摘に、七緒は「それはそうですけど」と頷いてから続けた。
「――父上と母上を思い出したんです。父上もよく母上の膝を借りて、横になっておられたので」
「右府殿か……」
織田信長。それが七緒の父親の名だ。
「はい」
「そして母上――、帰蝶殿……か」
濃姫。斎藤道三の娘。信長の正室だ。
「ええ。……母上もきっと、こんな気持ちだったんでしょうね」
懐かしい声でそう言って、七緒はまた長政の頭を撫でた。
こんな気持ちというのがどんな気持ちなのか、敢えて聞かずとも分かる気がした。
柔らかく頭を撫でる七緒の手は、ひどく優しくて愛しかった。
若い頃はうつけと呼ばれ、天下人に名乗りを上げる頃には、冷酷で非道な一面が目立った信長。ひたすらに天下統一を目指し、覇道を突き進んだかの男が妻の膝を枕に何を思ったのかは分からない。
だが、夫婦でこうしている時間だけは、穏やかなものだったのだろう。
――今となっては、分からぬことだが。
それを確かめる術はない。彼らはどちらも命運が尽きて命を落とし、この世にはいないのだから。――それもまた、戦国の世のならいだ。
長政は今は亡き信長夫妻を思い僅かな間目を伏せ、そして空いている七緒の手を取った。桜の花びらのような爪を撫でれば、七緒が応じるように指を絡めてくる。
くすぐったそうに肩を揺らし、七緒は癖のある長政の髪を撫でて、静かな声で囁いた。
「……長生き、なさってくださいね、長政さん」
「お前もな」
長政がそう返し、二人揃ってくすりと笑みを零す。
そんないかにも夫婦らしいやりとりに、長政は改めて七緒が自分の妻であることを得難く思ったのだった。
終
七緒ちゃんのお母さんが誰なのかはゲーム中では出てこなかったけど、生きてたら会いに行く…?と思ったので、死亡説のある帰蝶様にしました。(検索したら一応他にも早世した側室はいましたが)
でもゲーム中で七緒ちゃん「斎藤道三」の名前にあんまり反応示してなかったから違うんだろうか…?帰蝶様は信長とあんまり年齢変わらないし…産んだ歳とか…うーん、メモブください😭