あとがき「淫霊退散」のあと、二度目があるとしたら──?
一度きりなら「間違い」で済ませられるかもしれない。
でも、二度目となれば、それはもう“選択”になる。
とはいえ、その選択をできるほど2人は素直なのか?と考えた結果この本ができました。
*
銀時も桂も、「一人で抱え込むな」なんて言葉すら
まともに口にできないまま、不器用なやり方で
長い時間を過ごしてきたように思います。
描きたかったのは、
「向き合う」でもなく、「分かり合う」でもなく、
ただ同じ夜を、同じ孤独と痛みを抱えて過ごした二人の姿です。
どうしようもなく倒れそうになったとき、背中で支え合うように寄り添った――
そんな静かな夜を、形にしたいと思いました。
銀時は喪失に苦しむ桂を「全部俺のせいだ」と、自ら進んで背負うことで「贖罪の手段」とします。
自分の無力さや後悔を、「自分さえ抱えればいい」と処理しようとする。
桂はそれに「お前が全部背負うな」とは言わない。
ただ、同じ重さの痛みを知っている者として
「俺だけでもないし、お前だけじゃない」と銀時に伝える「痛みの伴侶」として描きたかったのです が
物語の中だけで伝えきれたかはわかりません。
なので、こうしてあとがきに込めさせていただきます。
背を向け違う方向を見つめながらも、
互いの存在を頼りにしている。
言葉にしないまま、長く、切れずに続いている。
私の思う「背中合わせの腐れ縁」を
描かせていただきました。
癒されたわけでも、救われたわけでもない。
でも、それでも隣にいる2人の姿。
*
少しでも「分かるかも」と思っていただけたなら、とても嬉しいです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
余談
本当は、村塾本として「桂視点の苦悩」(100ページ超え)をじっくり描いてライトな銀桂本を出す予定でした。
ですが、締切との兼ね合いもあり、今回は銀桂サイドに寄せた簡易的な構成に仕立てています。2冊出したかった…。
村塾本は冬のインテ、遅くとも来年の5月の発行を目指して制作中です。
よろしければ、またお付き合いいただけたら嬉しいです。
その前に、9月の高桂オンリーにも参加予定で、銀時と再会する前の桂と高杉の話を描くつもりです。
オンリーたのし〜い!( ˆoˆ )/
(2025/08/17 ONYX 十六)