初デート「演劇…ですか」
「ああ。以前読んだ本が原作となったものをやるようでな。行ってみようかと思ってるんだ」
レッスンの合間、ちょっとした休憩時間に交わす雑談が嬉しくてたまらない。
ベルナルド先生は読書が好きだ。そして私も読書は趣味の一つである。自然と雑談の話題として本に関することが挙がることが多くなっていて、彼からお勧めを聞いて読むことも多かった。
その真意としては――もちろん、本が好きというのもあるが――彼と同じものを見てみたい、もっと近づきたい、という下心もある。
そう、私はベルナルド先生が好きなのだ。
「前勧めてもらった本ですよね。いいですね、演劇。面白そうです」
「俺も観劇は初めてなんだが…」
だが?その続きを待つが、沈黙。
少しの沈黙の後、彼は続けた。
「…良かったら一緒に行かないか。チケットを2枚もらったんだ」
「えっ」
思わぬ展開に思わず声を上げる。
一緒に行く?私が?ベルナルド先生と?
「無理にとは…」
「行きます!行きたいです!!」
食い気味に返事をしてしまい、変だったかなとベルナルド先生の顔をちらりと見ると、彼は白い歯を見せて笑った。
「…君ならそう言ってくれると思ってたんだ。日にちが決まってるんだが、いけそうか?」
「大丈夫です!」
つい即答してしまうと、ちゃんと確認しろと呆れた様子で笑いながら突っ込まれてしまった。改めて日程を確認すると、土曜日の夕方。仕事はないはずだ。
「本当に大丈夫です!」
「そうか。では…」
話はトントン拍子に進み、あっという間に待ち合わせ場所から時間まで決まっていった。
どうしよう、顔がにやけている気がする。
自分に喝を入れるつもりで頬をぺちぺちと打つと、それを見ていたベルナルド先生がふっと優しく微笑んだ。
「そんなに喜ばれると誘い甲斐があるな。…さあ、休憩を多くとってしまった。ここからハードにいくぞ!」
そういえば今はレッスン中だった。自分でもう一度ぱちんと頬を叩き、はい!と威勢よく返事はしたものの顔の緩みは収まらなかった。
約束当日。
厚くならないように気をつけながらしっかり化粧をする。
浮かれて今日のために買ったワンピースを身に着け、姿見の前で一回転。
…気合が入りすぎているだろうか?
最寄り駅で集合、16時。何度目かわからない確認をする。
約束の時間には大幅に早く着きそうだが、じっとしていられない私は早く家を出た。
「ずいぶん早く来たな」
「あっ…お疲れ様です。私も今来たところです」
約束の10分前にベルナルド先生は現れた。いつものスポーツウェアとは違う、シャツにジャケットの落ち着いた装い。思わずじっと見つめてしまう。
「穴が空くぞ」
困ったように笑う彼に、すみません!と謝ると、まあ減るもんじゃないしなとぽんと頭を撫でられる。
普段レッスンではほとんどボディタッチをしてくることはない彼のスキンシップに思わず胸が高鳴る。
「普段と雰囲気が違うな」
今度は逆に私がまじまじと見つめられる。
「いつもは、ジムでお会いするので…あの、変ですか?」
「いや、そんなことないぞ。似合っている」
社交辞令かもしれない。でも、嬉しい。
「ありがとうございます!ベルナルド先生も…とても素敵です」
「ははは、ありがとうな」
さらっと返されてしまうが本当にかっこいい。許されるなら撮影したい…そんなことを思っていると、
「少し早いが劇場に向かうか。良い席に座れるといいな」
と言われ、
「はい!」
といつもよりも数倍、私は元気に返事をしたのだった。
たどり着いた劇場はこぢんまりとしていて、大きな部屋に舞台と、丸椅子を並べただけの簡素な客席が用意されていた。
まだ人はまばらで、二人して椅子に座る。小さな丸椅子はあまり間隔を広く並べられてはおらず、椅子に腰掛けると肩と肩――と言いたいところだが、あまりの身長差のためにベルナルド先生のお腹辺りに私の肩が触れた。
どちらにせよ、距離の近さにどぎまぎしてしまう。
「距離が近いな、大丈夫か?」
優しく聞かれ、ご褒美です…と言いたいのを飲み込んで
「大丈夫です、私の方こそすみません」
と絞り出したのであった。
大きな体から伝わる体温、感じる息遣い…。一つ一つに胸がときめいてしまい、こんな調子で演劇に集中できるのだろうか、と途方に暮れているうちに人が次々に入ってきて、舞台はスタートしたのであった。
「楽しみだな」とベルナルド先生が呟いたが、何と返事をしたのかは覚えてなんかいられなかった。
劇に集中できるか、という心配は懸念に終わった。
やはり普段から稽古を重ねている役者さんなだけあり、最初こそ隣のベルナルド先生を気にしてしまっていたもののどんどんと舞台にのめり込んでいった。
劇はあっという間に終わり、役者さん達の揃った綺麗なお辞儀を眺めながら拍手をしていると、「圧巻だったな」とベルナルド先生が呟いた。そうですね、と私も呟くように返事をした。
人がはけるのを待って会場を後にする。
このままお別れかな、食事に誘ってもいいだろうか、などと考えていると、
「良かったらこのあと食事にでも行かないか。せっかくだから君の感想を聞きたい」
と、ベルナルド先生からお誘いを受けてしまった。
「も、もちろんです!」
「相変わらず返事が早いな。…実は君ならそう言ってくれると思ってすでに店を予約してしまっているんだ。行こう」
彼は少し照れ臭そうに笑う。
「はい!」
「いい返事だ」
二人で夜の街に出て、ベルナルド先生が予約した店へと向かう。
まるでデートみたいだ、と思いながらふと横を見ると、ショーウインドウに映る自分とベルナルド先生がそこにいた。
先ほども感じたが大きな身長差。体格差。まるで自分が小さな子供のように見えてしまう。周りからはどう見えているのだろうか…恋人同士に見えたりするのだろうか、とぼんやりと考えていると、
「どうした。余所見してると転ぶぞ」
とベルナルド先生。
「あ…いや、ベルナルド先生、大きいなって」
「ん?」
彼もまたショーウインドウを見て、ほう、と顎を撫でる。
「なるほど。確かにこう見てみると差がよりはっきり分かるな」
「でしょう?まるで私子供みたいですよね」
笑いながら言うと、
「可愛らしくていいんじゃないか」
と返されてしまい、可愛らしいというその言葉に頬が熱くなる。
彼はおそらく大した意味など込めてない(むしろ子供っぽいという意味かもしれない)とは分かっているけれども、それでも私には充分な褒め言葉だった。今が夜でよかった、きっと私は茹でダコのようになっているに違いない。
「さあ、行くぞ。ちゃんと前を見ろ」
「はい」
そうこうしているうちに、何だかおしゃれな雰囲気の店に辿り着いた。
店員さんに案内され席に着く。
「ドリンクのメニューだ。アルコールは飲めるか?」
「少しなら大丈夫です」
「無理はするな」
お互いに飲み物と、少しずつつまめるような料理を数品頼む。
飲み物がくると、
「では、乾杯だな」
「はい、乾杯」
かちん、とグラスがぶつかり合う音。
それを皮切りに、お互いに今日の演劇の感想を言い合う。
自分では気づかなかったところや同じ感情を持ったところなどを話していると、ついついお酒も進んでしまう。
「私もあんなロマンチックな恋愛をしてみたいです…」
酔いも回ってきて、ついそんなことまで零してしまう。
「なかなか劇のような恋愛ってのもな」
微笑みながら返してくれるベルナルド先生についつい口を滑らせ、
「劇的でなくても…仕事が忙しくて、そんな余裕なくて…デートすらしてないです」
なんてことまで言ってしまった。
それを聞き、
「そうか。…」
ふと考え込む素振りを見せる彼に、すっと酔いが覚める。
「ベルナルド先生?」
やばい、口を滑らせすぎてしまったかと内心ヒヤヒヤとしていると、
「…今日のこれは、俺としてはデートにカウントしてもらっても構わないのだが」
と、まっすぐに目を見ながらベルナルド先生が言う。
「え…」
「というか、デートだろう?男女で出かけて、食事をして…それともなんだ、俺にはそんなに男の魅力はないか?」
わざとらしく拗ねたように言う彼に、
「そ、そんなことないです!!先生はとっても魅力的でかっこよくて…私は大好きです!」
と畳み掛けるように言ってしまってから、しまった言い過ぎたと気が付き、お酒で火照っていた頬が更に燃えるように熱くなるのを感じた。
「…そこまで褒められると照れるぞ」
「…あ、あの…最後のは忘れてください…」
「はは、顔が真っ赤だ」
優しく笑いながらベルナルド先生がそっと頬に触れる。
「忘れてやるのは勿体ないな」
「う… 」
「酒のせいということにしてやらなくもないが…」
「そういうことにしてください…」
穴があったら入りたい、と縮こまっていると、
「…残念だな」
と、ベルナルド先生が小さく呟いた。
残念?何が…と思っていると、
「ほら、〇〇。こっちも美味いぞ、食べてみろ」
と新しく来た料理を勧められる。
「は、はい。いただきます…」
と料理を口にしたが、もはや味なんか分からなかった。
店を出ると夜風が涼しく、火照った頬を撫でていく。
今日が終わってしまうんだな…としみじみとしていると、ベルナルド先生が
「そんな寂しそうな顔をするな」
と肩をぽんと叩く。
「そんな顔してます?」
「ああ」
暫し沈黙が続き、どうしよう、今日のお礼を言って、早々に帰ったほうがいいかと考えていると、
「駅まで送ろう」
と言われ、そのままごく自然に手が握られた。
「ベルナルド先生…?」
「嫌か?」
「そんなこと…」
「酒のせいってことにしておいてくれ。これでおあいこだ」
ニヤッと笑う彼に、ただただはい、と返すことしかできず、そのまま夜道を歩き出す。
すぐに駅に着いてしまい、折角の繋いだ手を離すのがもどかしくて握ったままでいると、
「…また誘ってもいいか」
とベルナルド先生が呟いた。
「誘ってくれるんですか」
「君が誘ってくれてもいいぞ」
だから今日はここまでだ、とそっと手を離される。
「すごく楽しかったです。また…今度」
「ああ、またな。…ほら、電車が来るぞ」
「はい。ありがとうございました」
ぺこ、とお辞儀をして改札をくぐる。エスカレーターに乗りふと後ろを見ると、まだベルナルド先生は見送ってくれていて、手を振ると笑顔で振り返してくれる。
彼が見えなくなるまで手を振り、その後電車で一人、まるで恋人みたいだな、と一人で悶絶したのであった。
ああ、次どんな顔でジムで会えばいいのだろう!!