モンゴルでの聖杯戦争が始まるXXX年から、少し遡ること、数年前。ジャック・ブライアン・ダニエルはバーテンダーとしてハワイのバーに勤めていた。バーテンダーとなってから気づけば30年ほどが経過していた。ブライアンのバーは今日も観光客で賑わっている。
「なぁ、マスター。マスターは魔術師って知ってる?」
友達のような感覚で日系人がブライアンに話しかける。ハワイ在住でこの近辺に住んでいる日本人。あくまでバーの店主と客の関係だが数年の仲だ。
「HAHAHA、急に何を言い出すかと思えば。知り合いに魔術師とやらがいるのか?」
「いや〜、この前たまたま古典文学に詳しい人がいてさ。その人が研究する中で魔術の儀式について調べてるらしいんだけど…」
「へぇ」
「興味ある?嬉しいな」
いまお前が話している目の前の人物が魔術師そのものなんだけどな、と心で思いながらも興味がある事は否定できない。一杯奢ってやるよ、俺たちの仲だ。なんて言いながら、情報を得る。
「魔術師同士の戦い…──聖杯戦争っていうものがあるそうだ。それも5年後のアジアで。」
奢りのウイスキーを煽りながら、目を輝かせてその男は言う。
「いやーかっこいいよな。魔術で戦う、なんて、映画みたいだよな。俺は魔術師でもないし話を聞くだけで十分だけど」
「魔術の腕を競う戦いなのか?」
「そう。7人の魔術師が1騎ずつ英霊を召喚・使役して、そして、戦いで勝ち残った一組には、なんでも願いを叶えてくれる聖杯が賜るって話!」
「それはまた、」
本当に映画のような、おとぎ話のような噂だな。とつい心の言葉が露呈しそうになる。
なんでも、願いを叶えてくれる、聖杯。
俺は何を願おう。
「まあ魔術師でなければ俺たち凡人には一切関係ない話だけどさ!ロマンを感じるよな」
酔いが回ってきてヘラヘラと笑う男。対して俺は、腹の底が冷たく燃えるのを感じていた。
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それから数日が経った、まだ日が照りつける午後3時。
バーの目の前に一台の車が停まる。営業時間前にもう客が来たのかと思い『申し訳ないが2時間後に出直してくれ』という言葉を口に籠めながらドアを開けると見慣れた日系人の男がいた。
「よ!マスター。俺さ、引っ越すことになったんだよ。またバーには来るんだけど…ちょっと遠くなるからしばらくは顔を出せないかな。それで家を掃除してたんだけど色々出てきて…」
と言いながら車から大きめのダンボールを取り出す。路上に置いたかと思えば、無造作に箱へ手を突っ込みガサゴソと漁ると「これはどうかな?」「バーに合うんじゃないか」とぶつぶつ呟きながら次々に不必要なものを手に取り見せてくる。
「Wow!色々溜め込んでたんだな?どれも魅力的だけど……バーに置くには場所がないな」
なんてにこやかに言い放って受け取りを拒否する。
「たしかに。あんまり大きい物じゃ幅を取っちまうよな。お、そうだそうだ、これをマスターに渡したくて。バーには合わないかもしれないけれど、よかったら家のインテリアにでも」
と彼は半ば強引におススメの物を押し付けてくる。
「これは?」
「弓矢さ。と言っても、日本のものらしい。俺もいつだったか誰かに貰ったものでずっと仕舞い込んでいたんだけれど…。ほら、羽根の部分の蝶模様なんか珍しいだろ?変な物じゃないからさ」
貰ってくれよ。と笑いながら彼は矢から手を離し、持たせてくる。ここで受け取りを拒否したらかえって彼は気を利かせて「じゃあこっちが気に入るんじゃないか!?」といいながら色々なものを渡してくるだろう。これ以上不要なものを渡される前に引き下がってもらおうと、比較的コンパクトな矢を気に入った素振りで見つめることにした。
「So Goog… いいな、すごく気に入った。Japanese cultureなデザインに最近ハマっていたところなんだ。知ってたのか?」
「そうなのか?知らなかったが、それなら丁度良かった!大切にしてくれると嬉しいな。…おっと、もうこんな時間か」
「もう出発なのか?」
「まだ家の片付けが残ってて、嫁に怒られる前に帰るよ。最後に一杯飲みたかったけれど、また来るさ」
そう言って彼は拳を向けてくる。自分も手を握りこつんと拳を当てた。
「元気で」
お互いに手を振り、彼は車にダンボールを積み直し去っていった。
俺の手の中には、古い弓矢が残されたまま。この弓矢が、その後の人生を大きく変える切っ掛けになるものだとは、まだ知らずに。
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それから数年間は、アジアで行われるらしい聖杯戦争について詳しく調べ、また魔術についても自分の持っている技術を疑い、イチから独学で学び直すことにした。
さぁ、準備は万端だ。俺は独自でまとめ上げたノートを左手にし、令呪のある右手を魔法陣へとかざす。一度深く息を吸い、大きく吐く。緊張をほぐして、
さあ、これから俺の、復讐劇が始まる────。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する」
「―――――Anfang」
「――――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
次の瞬間、魔法陣が青白く輝き部屋の中が昼間の如く明るくなる。あまりの光量にサングラス越しでも思わず目を細めた。無意識に足がすくみ一歩後退してしまうと同時によろけてドンと尻もちをついてしまった。そして一瞬、火傷をしたかのように熱を持った令呪に気を取られた間に、魔法陣の中央には人影が現れていた。
そのまま見上げる形で、自分の召喚した英霊を凝視する。自分より少し年上の印象を受ける相貌に群青の眼帯、東洋人らしい少し小柄な背格好でありながらその威圧感はさながら…いや、さすがは英霊といったところなのだろうか。魔法陣の中にいる彼は、眼帯に隠されていない左眼をゆっくり開けて俺を捉えた。心臓を掴まれたかのような気分になる。そうして、ウイスキーにも似た夕焼け色の瞳を持つ彼は、ゆっくりとこう告げた。
「────問おう、そちが儂の マスターか。」
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暖かな色味であるはずの隻眼に温度は無く、ただ目の前に転がっている人間が自分の主であるか否かを鋭く見つめ、見定めようとしている。あまりの威圧感に息が詰まり、喉がうまく動かないなんて感じたのは人生で初めてであった。それでも、投げかけられた問いに応えるべく、その場で立ち上がり、英霊を見下ろしてやった。
「俺の名は、ジャック・ブライアン・ダニエル。お前のマスターだ。」
「そうか。儂はアーチャーのクラスで現界したサーヴァントじゃ。召喚されたからには御屋形様であるそちに尽くそう。この身、この剛矢を捧げ、他の陣営を払い除けて、必ずやそちに勝利を齎すことを誓おう」
そう言い、アーチャーを名乗る英霊は片膝を床につけて頭を垂れた。
気付けば熱を孕んだ令呪は元通りになっており、改めて自分が聖杯戦争の参加者になったことを自覚した。…目の前で頭を下げる英霊を使役して、必ずや聖杯を掴んでみせる。握っていた拳を開き、アーチャーへ差し伸べる。
「これからよろしく、アーチャー」
アーチャーは立ち上がったと思えば、遠慮なく手を掴んでグッと力強く握り返す。
「よろしく頼む、マスターよ」
棚の上にあった古い弓矢に、月の光が当たっていた。