深紅に揺れる真実に人の外見などは骨に肉と皮が貼り付いているだけだというのが、俺の知り得る中で最も美しい顔をした皇紀という男の常套句だった。
それは彼自身が今までに、他人から受けた視線や言葉の積み重ねなのだろう。
そして、外見に囚われない皇紀が見るのはその皮と肉の奥にある骨格。それは身体の本質であり、真実だ。
皇紀の目には常にその人間の真実が見えるのだと気付いた時、自らの胸の奥にある欲求がジリジリと燃え始めるのを感じてしまった。
だがウィズダムシンクスはお互いに干渉しないルールだ。もし一度でも知ってしまうと、とことん知りたくなってしまうから。
……身体の隅々を。
……心の全てを。
いつか、ラウンジを訪れたうら若いエージェントに告げた言葉を脳内で反芻しながら、開けたばかりのワインをグラスに注いだ。年代物のそれは、だれも居なくなったラウンジのやや薄暗い照明の下で煌めきながら、深く紅い色を主張していた。
ワインに空気を含ませるようにグラスを揺らして、口に含もうとした瞬間、背後から声が掛かる。
「…………まだ居たのか」
ワインと同じ色をした一対の眼が、こちらを見据えていた。
「……皇紀か。……これを飲んだら帰るつもりだ。お前は?」
「…………忘れモンだ」
抑揚のない静かな声だった。
「そうか。気を付けて帰れよ」
お疲れ様、と続けるが返事はない。そのまま俺の手元に視線を滑らせた皇紀は後頭部に手を当てたまま首を傾げる。
「……ツマミはないのか」
「ああ……そういえば」
思い付きで開けたワインだ。ツマミの事など考えもしなかった。
「軽いモンで良けりゃ作ってやる」
こちらの答えも待たずに皇紀はそれだけ言うと踵を返して厨房へ向かう。グラスをテーブルに置いてその背中を追いかけた。
「皇紀」
声を掛けるが、冷蔵庫の扉に隠れたその表情は分からない。
返事のないまま最小限の照明だけが点いた厨房で、皇紀は愛用しているナイフを取り出す。銀色の刀身が妙にギラついて眩しく感じた。
やがて出てきた小皿に盛られていたのは極薄にスライスされた生ハムとつい先日仕入れたばかりのゴーダチーズ。チーズには数種類のスパイスが振り掛けられている。なるほど赤ワインによく合いそうだと皿から視線を上げれば、美しい相貌が思っていたよりも近い距離に存在していて一瞬眼を奪われた。
思わず彼の方へ手を伸ばしそうになったのを抑えて、グラスハンガーから新しいワイングラスを手に取り、半ば強制的に皇紀をラウンジへと連れ戻した。
空のグラスを皇紀の手に握らせてワインを注ぐ。カツンとグラスを合わせて乾杯してから、ワインを口に含むと、軽やかな口当たりで酸味は控えめだ。フルーティーな香りが鼻に抜けて芳しい味わいだった。皇紀がスライスした生ハムを口にすると、ハムとは思えないホロリと蕩けるような舌触りに強すぎない塩気がなんとも心地良かった。
「美味いな。ツマミとの相性も抜群だ。……この生ハムは皇紀が?」
「……イノシシで作った奴がやっと熟成した」
「なるほど……近日中に店のメニューに加えられるな」
「ペアリングはこのワインで良さそうだ」
ストックは数本あっただろうか。追加で発注しておかなければと思いながら、軽い口当たりのそれはスルスルと互いの口に入り、あっというまに瓶は空になった。
「付き合わせてしまってすまなかったな……だが、今夜の酒は美味かった」
こうして時々、ウィズダムのメンバーと酒を酌み交わす事があるが、今夜は特に良い時間が過ごせたと皇紀に告げれば、頬杖を付きながらこちらを見上げるのは深紅の一対。
ジッとこちらを見据えるその視線は、今まさに俺の真実を映しているのだろうか。
そんなお前の真実を、もっと、知りたい。
胸の奥で燃えている欲求が、外へ出たがっている。
ポツリと皇紀が呟いたのはその時だった。
「……欲しいモンがあるなら口にしてみれば良い」
小さな音を発した薄い唇に手が届いたのは、その僅か数秒後だった。