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    キギ kigi

    @akariyotouya

    主に文仙の小話置き場です。

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    文仙(現パロ)。同じ会社で働く二人の話。

    #文仙
    wenXian

    「潮江先輩、すみませんでした……」
    「気にするな、間に合ってよかった。次からはちゃんと確認するようにな」
    「はい!」

     ありがとうございました! と直角のお辞儀をして、後輩は足早に自席へ戻って行った。文次郎は机上のマグカップに口をつけると中身を一息に飲み干す。朝淹れたっきり放置されていたコーヒーはすっかり冷め切って、心なしか味も変わってしまったようだった。パソコンの隅に視線を投げれば既に15時を回っている。今日は出勤してからというもの、イレギュラーに次ぐイレギュラーに巻き込まれっぱなしだった。大物は諦めて明日に回すとして、今日中に片付けておかないといけない書類仕事が幾つか残っている。これ以上何も起きてくれるなよ、と祈りつつ、空のカップを掴んで文次郎は席を立った。

     ウォーターサーバーの設置してある給湯コーナーは食堂の隅に設えられている。昼時以外は電気も落とされて、いつもほんのりと薄暗い場所だった。静かな廊下に響く己の足音を聞きながら近付くと、コーヒーサーバーの前に佇む人影が一人。足音に振り返ったのは見知った顔──クリエイティブ課の立花仙蔵だった。こちらに気付いた仙蔵は、当たり障りのない会釈をしてから文次郎の背後にちら、と視線を走らせる。

    「一人か?」
    「ああ」

     肯んじると、それまで涼しい顔をしていた仙蔵が突然はあああああ、と魂を吐き出さん勢いで溜め息を吐いた。肩を落として丸まった背中にどんよりとした影が落ちている。余程のことがあったと見える、しかもこの様子だと自身の責ではない何かなのだろう。

    「どうした」
    「かくかくしかじかで」
    「通じん。全部言え」
    「笹山と黒門がな、」

     出てきたのは仙蔵の後輩にあたる新人二人の名前だった。確か奇っ怪なコードを書く方が笹山で、優秀だがプライドの高さで諸々躓いているのが黒門だったか。

    「何かやらかしたのか」
    「いや、あの二人は頑張ってるんだが、クライアントとの相性が壊滅的に悪くて」
    「ああ……」
    「目を離した隙に派手にやらかしかけたのを、間に入った浦風がとばっちりを食って」
    「想像はつく」
    「フォローに入ろうとした綾部がなんだかんだで別の案件を飛ばした」
    「あいつは何をやってるんだ?」
    「仔細は省くが不可抗力だ。あれはやればできる子なんだ、ちょっとやる気スイッチの入れ方が複雑なのとちょっと趣味が高じすぎてるだけで今回もちゃんと──」
    「わかったわかった」

     ぽんぽん、と背中を撫でると仙蔵はうぅ、とひとつ唸って静かになった。まあ確かに魂も吐きたくなるような状況ではある。どう慰めたものか、と思案しかけた矢先、そのあと、と仙蔵が続けたので文次郎は面食らった。

    「おい、まだ何かあるのか」
    「総務の新人二人が掃除をしているのに出くわして」
    「ああ、留のところの」
    「バケツの水を頭から引っ被った」
    「……なんでそうなった?」
    「私が聞きたい。あの二人と関わると毎回こうだ」

     そういえば、その二人の名前は仙蔵の口から何度か聞いたように思う。ただその名を口にするときの仙蔵はといえば毎回謎に疲弊し切っていて、説明もらしくなく取り乱していることが多かったので、文次郎も詳しくは把握していないのだ。

    「幸い着替えは予備があったから助かったが」
    「なんで予備……まあいい、それでそんな格好なのか」

     うむ、と頷く仙蔵はカーディガンの上に厚手のブランケットとストールを巻きつけていた。身体が冷えたのだろう、ただでさえ常から体温が低いというのに難儀なことだ。

    「とりあえず飲め」
    「ん」

     コーヒーの落ち切っていた仙蔵のカップを指差すと、仙蔵は湯気の立つそれに口をつけてからふ、と息を吐いた。

    「……とりあえず、外交は一旦課長に丸投げしてある」
    「そうか」
    「例の二人組は留三郎が回収に来たし」
    「あとはお前の後輩だけと」
    「うん、」

     カップを置いてぐるり、首を回す仙蔵を見て、それなら気を落ち着かせに来ただけなのだろうな、と認識を改める。仙蔵は大抵のトラブルには対応できる能力を持っているし、何やかやあれど後輩たちのことは大切にしているし、苦手意識のあるらしい二人組に対してさえ悪感情を抱いているわけではない。おそらく少しばかりキャパオーバーして、驚いた動物が身繕いするが如く薄暗がりに身を隠したものだろう。──それなら。
     目を伏せながら耳を澄ます。ここへ通じるのは奥の階段と手前のエレベーターだが、どちらも静まり返っていて人けはない。文次郎は腕を伸ばすと、仙蔵の肩を抱いて胸元へ引き寄せた。
     驚いたように目を見開いた仙蔵が、咄嗟にその目を細めて聞き耳を立てたのがわかった。真っ先に用心が来るのだから至って冷静なものだ、やはりそう心配はいらないらしい。文次郎と同じく静寂を聞き取ったのだろう、仙蔵の強張っていた肩から少しずつ力が抜けていく。控えめに預けられた頭を撫でると、仙蔵は目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
     人間はストレスを浴びると身体が強張る生き物だ。無意識のそれは、意識して解かなければいつまでも心身を支配していることがある。文次郎が努めてゆったりと呼吸をすれば、それに呼応するように腕の中の仙蔵の呼吸も深くなっていく。一分にも満たない時間だっただろうが、仙蔵がふと瞼を開くころには、すっかりその身体の強張りは解けていた。
     身を起こそうとするのを察して腕の力を緩めると、仙蔵は指を組んでぐう、と伸びをする。手を下ろしたときにはもう、瞳にはいつもの強気な光が宿り、口元には不適な笑みが浮かんでいた。美しく伸びた背筋からは余計な力が抜けて、その肩に淀んでいた影もすっかり霧散してしまったようだ。
     ストールを巻き直している仙蔵の指先を握り込む。低めの体温はいつも通りで、過度に凍えた様子はない。手を離すと、文次郎の意図を察したのか仙蔵が過保護め、と笑った。

    「さて、そろそろ戻らなければ」
    「無理はするなよ」
    「お前こそ。今日はずっと走り回っていただろう」
    「見てたのか」
    「自分の声の大きさをもう少し自覚した方がいい」

     大きさどころか声を出していた記憶すらなかったが、確かに思い返せば移動しながら各所に指示を飛ばしていたような気もする。慌ただしかった一日を思い出して眉根を寄せてから、ふと、先ほどいっときの触れ合いで自分の肩からもずいぶん力が抜けていることに気付いた。情けは人の為ならずと言うが、と表情を緩ませた文次郎の眉間を、仙蔵の指がぐいぐいと突く。

    「痛え」
    「頑張り屋の文次郎くん、労いに夕飯のリクエストを聞いてやろう」
    「肉じゃが。……この状況で俺より早く帰る気か、お前」
    「あまり私を舐めるなよ」

     それじゃあ私の家で、と笑った仙蔵がくるりと身を翻す。毅然とした靴音の去った先で、エレベーターの扉から光が漏れるのが見えた。携えてきたカップをようやくコーヒーサーバーへ突っ込んで、文次郎はさて、と大きく息を吐く。献立を指定した以上は相応の時間に帰らねばなるまい。今日中に終わらせるべきタスクを頭に思い浮かべながら、文次郎は漂ってきたコーヒーの香りに目を細めた。
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