「珍しいね、聖人が人混みに行きたいなんて」
普段は静かな暗闇にたゆたう海も、今日は浮かれた喧騒の光に煌々と照らし出されていた。どこからともなく聞こえてくる祭り囃子を不思議に懐かしく感じながら、シアターベルの三人で肩を並べて歩く。
「人混みに来たいんじゃなくて花火が見たかったんだ」
まあゆっくりする方が好きだけどさ、苦笑混じりにぼやきながらぼんに早く早くと手を引かれる聖人は随分と楽しそうだ。
列をなす出店をはしゃいだ様子で覗いていくぼんに、お腹空いてるの?と問えばこういうのは別腹じゃん!と元気の良い返事が返ってくる。
放課後三人でずっと踊っていて、その後食堂で空腹に飽かして十分腹くちくなるまで食べてきた筈なのだが、いやはや高校生の食欲とは恐ろしい。
かく言う俺も、香ばしい香りがそこここから漂ってくれば、不思議と食べたい気持ちが沸いてくるから不思議なものだ。
結局三人ともそれぞれ一品抱え、公園の端の柵に並んで身を預ける。
出店の出ている公園が近く明るいために花火は若干見づらそうだが、誰からともなく、しかし強いて言えば聖人からだったか、そこに腰を落ち着ける。
海を見下ろしながらそれぞれ手にした食べ物の封を開けて頬張ると、たこ焼きのソースの鼻につく濃い味付けがべったりと残暑の疲労感を拭い去っていった。美味しい。
まだ花火は始まっておらず、皆思い思いのおしゃべりに夢中になっている。
人々は浮わつきざわついていたが、夜風は凪いでおり、こんなことでもなければ静かな夜だろうと思った。
「創真やぼんはダンスを始めたきっかけを覚えてるかい?」
焼きそばを手持ち無沙汰にかき混ぜながら、なんてことのない風を装ってのんびりと聖人が喋り出す。
「踊ると両親が喜んでくれたのが最初だったかな……」
突然の問いかけに、少し食い気味に答えてしまった気がする。今まで何度も聞かれてきたことなのに、突然、しかも気の置けない友人から聞かれるとボロが出るなと臍を噛む。
ちゃんとなんでもない風に聞こえただろうか。
「創真らしいね。ぼんは?」
「僕はネー、お姉ちゃんたちのためかナー」
「へえ、じゃあ俺と一緒だね?」
「ソウちゃんみたいにいい話じゃないんだヨー!姉さんたちはネ、自分は踊れないけどダンサーと知り合いたいからって僕を出しにしてさー!」
不平を漏らしながらぶんぶんと半分になったチョコバナナを振るぼんに、落ちちゃうよと忠告すると慌てて咥える。
食べ出した途端、急に静かになったものだからつい笑ってしまった。
「俺はね、踊っている自分が好きだから踊ってるんだけど」
ふと横目で見遣ると、聖人がなんだかとても懐かしいものを見る目で何かを見つめていた。お祭り騒ぎの公園の端に設置されたステージで、誰かが踊っている。
「……でも、やっぱりきっかけはあって、テレビで見たのかな、とても楽しそうに踊る人がいてね」
どことなく見覚えがあって、微かな記憶を手繰り寄せる。ダンキラではなく個人のプロダンサーとして活動している人だ。
でも、俺の記憶が確かなら、彼は。
「引退していたんだ、彼」
「ん~、どれどれ?今踊ってる人?」
「3年くらい見てなかったような気がする」
「そうそう、今日が復帰ステージなんだ」
いつもと同じく穏やかな口調ではあるが、滲み出る喜色に、ああ、聖人は人混みでもなく花火でもなく、彼を見にきたのだなとやっと腑に落ちる。
「どうして引退してたの?」
問いかけた瞬間、好き勝手に騒いでいた人々がざわりとひとつさざめく。
ひゅるひゅると細い音がしたかと思うと光が弾けて、続いて響いたその振動に耳がばかになって。色とりどりの火が開く度に続く爆音と真空のような無音にかき消されている筈なのに、聖人の告白は何故だかよく聞こえた。
「家族の都合でね、踊ってる場合じゃなくなっちゃったらしくて」
きつかったなあ、あの時は。
咲き乱れる花火に白く照らされながら呟く聖人の横顔は、なんだか懺悔をしているようですらあった。
花火の雫に照らされた頬が泣いているように見えたのなんて、初めてだった。
「あんなに自分のダンスが好きなだけで踊ってる人が、あんなにダンスを踊ってないと生きられないって顔をしてる人が、家族のためならダンスを捨てられるんだって」
「……人それぞれでしょ」
「あの人は、ダンスを捨てられるのに、俺は、捨てられないのかって、きつかった」
「……人それぞれだよ、そんなの」
聖人の言葉はこんなにうるさい中でもよく聞こえるのに、俺の陳腐な慰めなんてかき消されてしまう。
彼が避け続けている弟との間に何があったのかは知らないが、彼のスランプの原因が何だったのかなんて、弟の学年を知れば想像に難くないことだった。
聖人がダンスを捨てられないことなんて、ちょっと彼と踊ったことのある人なら誰でも分かることだ。
シアターベルにいる今でこそ、誰かに向けて踊っているけれど、誰のためにでもない、自分のために踊るのが聖人のダンスだ。
捨てなくて良かったとか、そんな慰めは何の足しにもならない。そんな言葉は俺の都合で、聖人が望むままダンスを諦められていたら、こんなに苦しむことなどなかったのだから。
一際大きく響き渡った爆発音に、はっと目を見張ると、尺玉だろうか、大輪の花火が夜空を彩っている。
「たーまやー!」
興奮にざわつく人々に混じったはしゃいだ聖人の声に、なんだか泣きそうになった。自分たちと踊るのも、みんなと一緒に寮長として楽しそうに過ごしているのも、きっと本音ではあるだろうけど。
どこか逃避めいたものがあるのを薄々感じてはいた。
考えないように、わざと忙しくして、笑顔を浮かべて。
今日彼は、憧れのダンサーの何を見に来たのだろう。元気そうな笑顔だろうか。それとも、やっぱり彼もダンスを捨てられなかったのだという自身へのほの暗い慰めなのだろうか。
「かーぎやー!」
やけくそみたいに、俺とぼんも夜空に向かって叫び返す。
大玉が一段落したのか、スターマインが楽しげに夜空をはしゃいで駆け回るのを呆然と眺めていると、ふいに聖人が笑う。
「ねえ、踊りたいな。駄目?」
くるりと踵を返すと、盛況になってきた花火に背を向けて。誰も彼もが夜空の花火に釘付けの中、素っ頓狂なことを言い出すチームメイトに俺とぼんは顔を見合せ、一拍おいて二人揃って気が抜けたように笑った。
結局俺らはこうなんだ。色気より食い気、食い気よりダンス、花より団子よりダンキラときた始末だ。
「憧れの人にサイン貰っとかなくていいのー?」
「それはいつでももらえるけど、二人と踊れる今は、今しかないから」
「すごい殺し文句だ」
踊るために綺麗なお題目を掲げて、その実清純な気持ちだけではない。
ダンスこそが人生で、ダンスが俺たちの全てではないけれど、全てがダンスにあることは確かだ。
だから俺たちは踊る。清濁全てを分かってほしくて、楽しんでほしくて、自身すら知らない気持ちを知りたくて。
「ダンキラじゃなくてダンスがいいよね」
「さすが創真、分かってるね」
「あっ、じゃあネ、ワークスじゃなくて最近僕がハマってる曲があってさー」
ステージで未だ踊る、その人を聖人はもう振り返らなかった。
後ろで散りゆく花火の残滓に彩られた二人の横顔を見ながら。
抑えきれない高揚感に、俺たちは、逃げるように笑いながら走り出す。