英霊パーシヴァル・ド・ゲールとして顕現した日にはもう初めてした口付けの記憶が宿っていた。
私を形作った楽劇パルジファルでは、私は魔女と口付けをした。そうして、アンフォルタスの苦悩を知った、——らしい。
らしい、と言うのは実感がまるで沸かないものであるからだ。魔女クンドリの記憶は確かにある。けれどそれはあくまで薄らとした記憶の中で霞がかっていた。
私であって、私でないもの。
それがパルジファルであった。だから私の初めての口付けはクンドリ相手であったと言えるし、そうでないとも言える。
私としては、そうでなければ良いと願ってやまない。やはり、初めての記憶は惚れた相手でありたい。
——ちょうど、今みたいに。
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数刻前に遡る。
カルデア内には数箇所、喫煙所が存在していた。
カルデア職員を初めとした喫煙者が集う場所であった。私は吸わないから足を運ぶ事はなかったが、夏以降度々足を向けている。
「バーソロミュー?居るかな」
「いるよ」
バーソロミューは私が喫煙所に来たと知るや否やいつもすぐに灰皿に火を押し付ける。どれだけ煙草の残りが長くとも、すぐに、だ。
そうしてパタパタと己が吐いた煙を手で打ち払う。その行動がすべて私の為であると認識する度に嬉しくなった。バーソロミューからの愛を感じた。
愛、と言っても私とバーソロミューが行った恋人らしい行動と言えば手を繋ぐ事くらいだった。
私は喫煙所まで彼を迎えに行き、彼の部屋で一時間ほど雑談した後、強く手を握って、それから寂しい思いを胸に秘め自室へ帰る。ただ、それだけの触れ合いしかした事がなかった。
「お迎えありがとう。さ、行こうか」
「ええ。……私の事は気にせず一本吸い切っても良かったのに」
「君といる時間の方が有意義だからね」
彼は私の手を取った。その手を握り返す度にこの上ない幸福を感じた。視界の後ろでは私達の様子を見てキャスターのクーフーリンが笑っていた。
——愛されている、と思う。大切にされている、と思う。だからこそ私もバーソロミューに同じものを返したかった。
恋仲になった者同士がどういった行動をとるのか、理解はしているつもりだった。手を繋いで、キスをして、褥を共にする。それが定例のはずだ。
だが、バーソロミューはそれを求めなかった。求められていない以上、手を繋ぐ以上の事をするのは憚られた。
本当はしてみたい。
バーソロミューともっと触れ合ってみたい。
口にする事も出来ず、はや数ヶ月が経っていた。
▪️
バーソロミューと居るのは楽しい。
彼の航海の話を聞き、彼の海に想いを馳せる。もちろん彼が口にしない残虐な掠奪行為も裏では行われていた事も知ってはいるが、それでも楽しそうに己が生きた海の話をするバーソロミューが愛しかった。
軽やかに動く唇に私は釘付けだった。
「君、私の唇ばっかり見過ぎだよ」
そう言って彼はカラカラと笑う。
ここ数日、バーソロミューとの口付けの事ばかり考えていたからだろう。海色をした瞳はそんな私の心を見透かしている気がした。
何と答えるべきか考えあぐねていると、彼の顔が近付いてきた。そうして鼻先が触れ合う。
「私とキスでもしたいのかな?」
彼が言葉を発すると吐息が私の唇にかかる。
煙草の匂いがした。
「……したい」
「いいよ。君からして欲しいな?」
彼の頬に触れ、口付けた。
柔らかな感触だった。実質二度目ではあるもののこの身体で誰かと口付けるのは初めての事だった。
手を繋いだ時とは違う喜びに私の身体は満ち溢れた。心を通わせた相手との口付けがこんなにも心地よいものだなんて。
円卓の面々が皆恋多き男達である事も頷けた。
——途端、口腔にぬるりと何かが入り込んできた。
バーソロミューの舌だという事に一拍間を置いてから気がついた。
唇同士を触れ合わせるのとは違う、もっと下腹部が直接刺激されるかの様な心地に私の身体は震えた。
こうやって粘膜接触する方のキスの事も知ってはいた。だが、こんなにもクラクラとして思考を持っていかれる様な快感を伴うものとは知らなかった!
二度目のキスは苦かった。檸檬の味ではなかった。
だが、それが苦だとは思わなかった。
ただ、いつかこの魂が消える日が来るまではこの苦さを忘れる事が出来ないだろうな、と酸素の回らない頭でぼんやりと思った。
「呼吸は鼻でするんだよ。ふふ、純潔の騎士様の唇を奪ってしまったね」
息を荒げる私を見てバーソロミューは笑った。それを不快には思わなかった。むしろ、バーソロミューの微笑みを見るだけで私は打ち震えた。
もっとしたい。
もっとバーソロミューを堪能したい。
私が感じているのと同じくらい、彼にも気持ちよくなって欲しい。
「もう一度、」
「駄目だよ。……また、明日、ね。明日は君から欲して欲しい。そうじゃないと私ばかりが君を求めているみたいじゃないか」
「求めても、いいのかな」
「うん?」
「私が貴方を求めても、貴方は私を嫌わない?」
求めて、求めて、拒絶されるのが怖い。
純潔、清き愚か者、清廉潔白。私は巷ではその様に嘯かれている。バーソロミューがそんな私を求めているのだとしたら、彼のいう所の《解釈違い》というものなのではないかと思う。
バーソロミューから見て私はいつだって格好良くありたいし、好意を持たれる為に努力したい。
だけども、私にはやり方もよく分かっていないけれど、バーソロミューともっと口付けたいと思う。彼の内部を暴きたいと思う。
二律背反するこの思いの落とし所を私はまだ見つけられずにいる。
「もちろん。嫌ったりしない。私はちゃんと君が好きだよ。本当はキス以上の事もしたい。安心してくれ、君の事が好きだよ、……私の最後の恋の相手は君だよ、私は君の後に恋人を作る気はないんだ」
「私も、私も貴方が好きです、でも、分からなくて、この口付けが初めてなのか二度目なのかも、……貴方の内蔵に触れたいと思うこの心が恋かどうかなのかさえ、」
「そう難しく考えなくてもいいよ、パーシィ。君のしたい様にすればいい。きっと私は君の行動すべてを許してしまう。愛してしまう。……だから、いいんだ」
そうしてバーソロミューは立ち上がり、また明日ね、と私に鼻先を押し当てた。キスはしてくれないのかと少し残念に思った。
今すぐにでもまたあの苦い口腔を味わいたい。
また明日、会えるのを楽しみにしておこうと思う。私ばかりが彼を求めている様で気恥ずかしくはあるものの、事実なのだから仕方がない。
▪️▪️
「禁煙しようかなぁ」
「なんだ、海賊が急に健康志向か?」
「……キスした時、煙草の味がするのは嫌かなと思って」
「なんだ、遂に騎士様と口吸いでもしたのか」
「うん。我慢出来ずに奪ってしまったよ」
——翌日、喫煙所に向かうと昨日と同じ様にキャスター・クーフーリンとバーソロミューが楽しげに話していた。
いけない事だとは理解しながらも彼らの会話に耳を欹ててしまう。
「別に煙草の味がしててもいいんじゃねぇか?」
「んー、でも私は欲しがりだからね。沢山欲しいんだよ、彼からの口付けも、彼からの愛も。拒絶される言い訳は少ない方が長続きしそうだろう?」
「かァー、お熱いこって!要するに彼ピが嫌いそうな事はしたくない♡って事か?」
「そうだよ。私らしくもない。だが、私が私を捻じ曲げてもいいと思える位には彼の事を好きになってしまってね、困ったものだよ」
困ったのは私の方だ。
これからどんな顔をして会えばいいのか。
私が一人で彼を愛している訳ではないと知って、きっと今私の顔は酷くニヤついているのだと思う。
魔女クンドリの記憶はすべて海賊バーソロミュー・ロバーツに掻き消されてしまった。
この先、私がまだ体験した事がない触れ合いはすべてバーソロミューと行うのだろう。そうであればいいと思う。
私は深呼吸を一つして、バーソロミューを連れ出し愛を紡ぐ為に喫煙所の扉を開けた。