ライレグ番外編_____冬の訪れ
ナツキ・スバルが死んだ。
多分、僕のせいなんだと思う。
ヒトが1人死んだくせに多分、だなんて言ったのは、彼奴があんまりにも命を軽んじる様に死んだからだ。
ほんの少し、力を使っただけ、僕の両手を繋いだ鎖が千切れる訳でもなくひびが入った程度。久々に起こした癇癪で辺境伯の屋敷の壁に穴を開けた程度だ。
今まで僕がしてきた事に比べれば可愛いらしいものでしょう。だから謝ればすむと思っていた。けど、スバルはあの昏い瞳で僕を見つめて、にこりと力のない笑みを浮かべてこう言ったんだ。「ごめん。次は俺が気を付ける。」と。
止める暇も無かった、僕の頬に真っ赤な鮮血がついてからやっと理解した。
彼が、懐に隠していたナイフで自身の首を掻き切ったんだ。
魂が抜けたように膝をつき、その場に倒れる彼を眺める。
死んだ意味も、何も分からない、けど、驚きは然程感じられなかった。
誰一人の犠牲を伴わない英雄なんて最初から夢だったのよと言われた方が信憑性がある。
けれど夢をもみないと生きられない奴もいる。
夢にすがらないと生きられない奴が、ナツキ・スバルの周りには山の様にあふれていた。
しん、と白で満たされた部屋の中で息を吐く。時が止まったままの僕じゃ、息を吐く真似事に等しいけれど百年も前から身についていた生理的な反応を止めることは出来ない。
瞬きだってするし、食事だってする。
完璧で満たされた個である僕は、けれど人であることをやめたわけじゃない。
「……お前は何時までそうしているつもり?僕はお前の前の主人でもなければ子供でのないのだけれど。」
剣聖と呼ばれた騎士が護る者を持たず、宿敵である筈の僕を膝枕して、よしよしと髪を撫でている世界も、中々狂ってる。
けど、もうどうでもよかった。此奴に自由を奪われいい様にされて、夢見ることを願ったりもしたけれど、今は目が醒めた気分だ。
英雄ナツキ・スバルが作り上げた世界は、今彼の崩御を持って静かに崩れようとしていた。
「寒くはない?」「……寒いと感じないと言えば嘘になってしまうな、けど、耐えられない程度ではないよ。」「………化け物。」くつ、と喉奥で笑い目の前の英雄を見遣るとにこりと笑顔を返してきた。嫌味な奴。
「……止めなくていいの。」「本来ならば、止めなければいけないのだろうけど、僕は、彼にキミのことを頼まれてしまったからね。」「ふぅん、そう。彼奴はもういないのに、キミってば存外律儀だよね。」嫌味を返したつもりなのに、友人との約束を守ることは当たり前のことだよ。だなんて真面目そうな顔をしていた。友達の意味とか本当に分かってるのかな、僕は知らない。だって必要ないもの。
「…キミも止めない、僕も止めない。なら、この屋敷はもう終わりだと思うけれど。」
ナツキ・スバルが死んでから、最初に壊れてしまったのはエミリアだった。
多分僕のせいだと正直に話したにも拘わらず彼女は禁書庫に引きこもったままのベアトリスのせいだと捲くしたてた。前もそうだったから、あの時にきちんと私がはなしておけば、だなんて訳の分からない事を叫びながら、今もこの屋敷の中でナツキ・スバルを探し彷徨い歩いている。見つからない、何処なの、と今にも気味の悪い声が聞こえてきそうだ。おお、怖い怖い。妄執に取りつかれた女程怖いものはないね。
彼女が歩く度、怨嗟の声を上げるたびに氷が広がりそれは屋敷を覆いつくす程のものになった。僕と剣聖、それからベアトリス以外は屋敷から早々に避難していった。
いや、正確には剣聖の彼はいち早く避難誘導を始め、全員を逃がしてから、此処から逃げようとしない僕を案じて戻ってきたんだ。彼の約束だから、と。本当に律儀で、一周回って馬鹿な奴。引きこもりのベアトリスががどうなったは知らない、興味もない。
一応、僕が就いた座である、強欲を冠する魔女様の忘れ形見であるらしいけれど、どうでもいい。創設の頃から魔女教に携わっていたとはいえ僕はそれ程信心深い方でもない、あの司書気取りの大精霊とは、今思えば言葉を交わした事すらなかった。
というか、本来ならメイザース辺境伯自身がこの場をどうにか収めることが当然の筋ってものなのにさあ。………彼は、スバルの末路を聞き届けてから「それが今回の結末なのかな。」なんて訳の分からない言葉を残してから行方が知れないらしい。
彼の道化めいた言動に困惑したもの、または怯えるもの、理解が追い付かないけれど漠然とした不安を抱えるもの、村人たちの反応も様々らしい。
そして、村人だけじゃない、エミリアが、剣聖の彼が、世界すら、皆口を揃えてこういうのだ。ナツキ・スバルがいなくなれば、これからはどうすればいいのか。と。
誰の犠牲も出さずに世界を救おうとした彼は、けれど、傲慢にも些か自分本位が過ぎた、らしい。他者の協力を得ることもせず、誰しもを救おうとして、力のある仲間を必要としなかったから、世界はこんなにも無力でただ嘆くばかりだ。そしてその嘆きは加速し、広がっていく。今、この屋敷を覆いつくした冷たい氷が、領地全体に広がっていくのと、同じように。
死人の命を聞き続ける剣聖も、死人に縋り続ける夢見る少女も、滑稽にしか見えない。
僕は…僕としては、世界が此処までもおかしくなっても特に驚いたり取り乱したりすることは無かった。元より、この両手が鎖で繋がれた時から、この世界が狂っていることには気が付いていたから。嗚呼、ほら僕って完璧な個だからさ、そういう事への気付きっていうのも早いんだよね。…だからって何か特別に行動するわけではなかったけど。
きっと世界は今から壊れ始める。壊してしまうのはあの怨嗟を撒き散らす氷の魔女か、それとも形骸化して嘆き声を上げ続ける群衆か、だなんて僕が知ったことではないけれど。
幸せな終わりは訪れることはないのだろう、と思った。この世界は冬を迎え当分の間目覚めようとはしなくなる、そんな気がした。そしてそれは恐らく当たるのだろう。
無敵と呼ばれた僕には何をする気はない、最強と呼ばれた剣聖はナツキ・スバルの面影を僕に求め続けるお人形さんだ。過去ばかりを見つめる英雄には世界の未来は救えない。
「……お前はこれからどうするつもり?」「キミと共に…けれど、此処に居続けるのはあまり良いことだとは言えないね。」「……そうだね、奇しくも僕もキミと同じ考えだ。」
まさか男に膝枕をされるだなんて、そしてそれを受け入れるだなんて、思わなかった。
けどもういい、全部どうでも良い。この世界で何度か、抗おうとしたことがある。けれど、そのこと如くを、ナツキ・スバルに止められた。それから何をしようにも、誰かの瞳の奥に彼の面影を見て、怖くなる。この世界の至る所に、瞳の奥に彼がいる、それを感じているのは僕だけじゃない。目の前の赤髪の青年だって、僕の瞳の奥に彼をみているのだろう。狂ってる、こんな世界。けれど抗うことをやめてしまえばこんなにも心穏やかで、世界は僕に優しくなる。「………どこか遠くに行きたいな。僕の知らないところ、出来ればあたたかい所がいい。」
英雄であること、強くあること、立ち向かうこと、全部捨てて、僕らは逃げ出してしまえばいい。ナツキ・スバルは死んだ。そればかりを嘆く世界だからこそ、僕らふたりが世界の片隅に逃げ出したって、誰も気付かないだろう。気付いたってその頃には身を隠してきっと2人きりだ。
本当なら、僕1人で十分なのだけれど、きっと、ナツキ・スバルの命令を忘れたりなんかしない此奴は、僕を絶対に逃がさない。なら、最初から2人きりでいた方が手間が省けていい。お前も来るんでしょ、というと赤髪の剣聖は勿論だという様に頷いた。
氷漬けになろうとしている屋敷を抜ければ、辺りは猛吹雪で、目の前すら見えない。
お互いはぐれないようにと手をかさねて、握る。剣聖の手は暖かくて、きっと僕の手は、冷たくもなければ、あたたかくもない。他者を犠牲にすることでしか力を発揮することの出来ない僕は、これから先、長く過ごすであろう此奴に何ができるのだろうと考えた。
……驚くくらいなんにもなかった、いや、知ってたけどさ。言いようのない不安が胸を刺し、握った手を弱弱しく離そうとする、けれど、その手を彼は優しく掴み、僕の方を振り向くと安心させるようにやわらかい笑顔で、笑った。