野点にGO!「伝蔵、半助。二人に臨時休暇を与える。ちょっといいお抹茶を分けてあげるから、野点にでも出かけてきなさい」
二人は顔を見合わせた。
親の顔より見た、学園長先生の思い付きである。対象が教師二人に限定される分、被害は少なく済むだろう。休暇、とはいえ、その間の一年は組のよい子たちの担任を誰かが変わってくれるわけではない。授業以外にも準備や片付けや事務と、やる事はたくさんある。一日の休暇とはいえ、仕事は溜まる。ついでに言うと、これは休暇ではない。忍務、というほどのことではないが、お使いのようなものである。
「来週、学園長先生のガールフレンド達が遊びに来るらしい。要は、彼女たちとのデートの野点の場所の下見、選定役というわけだ」
「なんだかいいように使われてしまっている気がしますが」
「まあ、学園長先生にも何かしら思うことがあるんだろう。と思うしかないんだ、我々は。まさか小松田くんには任せられんしなぁ」
「それはまあ、そうですね」
「とはいえ、学園長先生のお持ちの茶は美味いからな。お福分けは正直嬉しいよ」
山田先生が野点用の茶器を用意する。学園長先生がお持ちの茶器は高価なものが多く、我々がお借りするのは憚られるので、普段使いの素朴なものを持って行くことにした。時々使っている抹茶用の茶碗に茶筅、それに茶を入れる棗。懐紙に柄杓、湯を沸かすための薪と釜。それと地面に座ることになるならござも要る。茶器類は山田先生にお任せし、他の荷物は私が持つことにする。
「まあ、なんだ。気楽に行こうじゃないか。場所選びだからな、作法も気にせんでいいだろう。あんた、気になるか」
「いいえ、全く」
あれはあれで精神が整い、背筋が伸びる思いがして良いものなのだが、山田先生が気にならないのならば今回は不要だろう。茶の楽しみ方はそれぞれたくさんあるにしろ、私が思うに大切なのは同伴者である。要は、山田先生と出かけられるならなんでも嬉しいというわけだ。
「さぁて、どこに行こうかね」
「お元気とはいえ、ご……、女人の足で楽しく歩けるところがいいですもんね」
あの方はご友人も含め、元忍者やくノ一だったりすることもあり、なんだかんだと足腰もお元気なのだが、洒落込んだ女性に悪路を歩かせるのは粋ではない。ということは山の中などは候補から外れるだろう。かといって、あまり賑やかな町の中では風情がない。
「ふむ、伝子さんと半子さんで女人の目線になってみるというのも」
「やめてくださいよぉ、それじゃ仕事じゃないですか。一応休暇なんですよ、休暇」
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか」
「伝蔵さんがいいです、伝蔵さんでお願いします!」
油断するとすぐ女装する山田先生をなんとか押し留め、とりあえず二人して私服で外に出る。梅雨が来る前の初夏の青空は過ごしやすく、気分も爽快だ。
「花を見るなら、今の季節だと何ですかね」
「ううん、アヤメかカキツバタかなぁ」
「いずれアヤメかカキツバタってやつですか。ちょうどお二人に合っている気がしますが、そうなるとどちらかを選ぶわけにはいかないですね」
「となると、アヤメは陸地、カキツバタは水辺、都合のいい場所があるかなぁ」
「ひとまず、池とか川とかを見てみましょうか。カキツバタがあって、近くにアヤメが咲いてるところがあるかもしれません」
学園からそこまで遠くなく、悪路はなく、アヤメとカキツバタが咲いていて、しかも本番は一週間後であるから今日が満開ではいけないという。当てもなく歩くのも厳しいが、目的が具体的になると、見つかるのか少し不安になる。
「まあ、歩いてみましょうか。別に花にこだわらず、他に良さげな場所があればそこだっていいんですから」
山田先生が歩き出す。ひとまず学園の周りをうろついてみる。忍者学園自体も結構な敷地の広さなので、そこからさらに歩くとなれば、長くても20分程度だろうか。記憶の中の水辺をいくつか訪ねて歩く。いつもは人の気配などの方を意識するので、景色を見ながら歩くというのはなかなか新鮮だ。普段なら風景として見逃しているような草花が目に入る。
「山田先生は子どもの頃、草遊びなどはしましたか」
「うん?そりゃまあ、しただろう。あれは手先の器用さを鍛えるのにいいからな。利吉も得意だぞ。本人は田舎くさいと言って隠しているが」
「あはは、遊びじゃなくて忍者の修行ですか、厳しいなぁ」
雑談を交えながら歩き回ると、思いの外時間の経たないうちに条件に合う場所が見つかった。陸地に育ち、花弁に網目模様があるのがアヤメ。池の近くに生え、網目模様がないのがカキツバタ。開花状況もまだこれからといった具合で、実にちょうどいい。
「ここ、結構いいんじゃないでしょうか。この辺りに炉を掘って、お湯を沸かしましょう」
勝手にここがいいだろうと判断して、荷物を下ろす。せっかくだからいくらか便利なように整地をしようと思っていると、山田先生から魅力的な提案が飛び出してきた。
「半助。せっかくだから町まで遠出をしないか。団子を包んでもらって、ここで食べよう」
「それ、すごくいいですね」
お使いが済んでしまえば、あとはただの休みの日である。帰ってのんびりするのも悪くはないが、せっかく出てきたのだから外でのんびりした方がお得だというものだ。それに、これはお使いを兼ねた私と山田先生とのデートなのである。好きな人とより長く一緒にいたいと思うのは普通のことだろう。まあ、学園に帰ったところで部屋まで同じで一緒なのだけど。
町を歩く。学園内とは違う活気があって面白い。あちこちの店を覗いて回り、ついでと言っていくつか消耗品を買い足す。食器の店を覗き、ふと手に取った茶碗がしっくりきたので、それも買う。自分の手に馴染むゆったりした大きさと形で、ごはんを盛ってもいいしおかずを盛っても良さそうだ。朝と昼は食堂でごはんをいただくが、夜は自炊をすることもあるのだから、たまには食器を買うのもいいだろう。
「え、今お茶碗買うの」
「なんだか気に入ってしまって」
「まあいいけども」
「ちょっと大きめで、私の手にちょうどいいんですよ。あとここのところの釉薬のかかり方がなんだか良くて」
「ふぅん」
団子屋で自分達の分と、一応学園長先生への土産を包んでもらい、元の場所へ戻る。花見のお茶も楽しみだ。日常生活の中でのお茶はその時々で手の空いた方が淹れる習いになっているが、たまに学園長先生が良い茶葉を分けてくれた時や、少し豪華なお菓子が手に入った時は、山田先生出ずから茶を振舞ってくれることがある。気軽な日常のお茶も好きだが、いつもより丁寧に給される茶の時間は、特別感があって好きだ。
「ほら、さっきの茶碗を出しなさい」
「えっ」
「そのつもりで買ったんだろう、どうせ」
「えへへ……」
茶碗がざばりと川の水に通される。新しい食器は使う前に水に漬けておくとシミが付きにくくなるんだと聞いた気がする。そのつもりだったかと言われると、せっかくだから使ってもらえたらいいなとは思っていたのだった。あいまいに笑って誤魔化す。興を削がない程度に地面をならし、ござを敷く。その上にどさどさと荷物を下ろし、道具を出していく。お湯を沸かすのに、本番では風炉を使うのだろうが、今日は石を並べて風除けを作り、そこに薪を入れる。釜を吊るして湯を沸かす用意をすると、ここで私の仕事はおしまいですという顔で、手を洗ってござの上に座った。見ると、山田先生は苦笑している。
「いやまあ、そのつもりではいたんだが」
「他の先生方もいらしたら、ちゃんと下っ端として、働いてますよ」
「はいはい」
山田先生が茶道具を並べていく。今日は作法は気にしないということだが、道具を扱う山田先生の指先は繊細で、どこか背筋が伸びる思いがする。
「まあ、先にお菓子をどうぞ」
勧められて、喜んでお団子を手に取る。山田先生が私の買った器を川から引き上げ、丁寧に水を拭き取っていく。決して高価でもなんでもない食器が宝物になっていく。万が一割ってしまったら落ち込むだろうから、大切に扱わなくては。お団子を頬張る。もちもちとした団子に甘く炊かれた小豆の皮の食感が楽しくて美味しい。ボコボコとお湯の沸く音がする。山田先生が茶碗を温めるために湯を注ぎ入れる。川の水の流れる音。山田先生が扱うお湯の音。遠くで鳥が騒ぐ声。ゆったりと風が木々を揺らす音。山田先生が茶筅に湯を通す。湯を捨て、また茶碗の内側の水気を拭き取る。
「なんだか贅沢ですよね」
「そうだなぁ。学園長先生も、案外本気で休暇をくれたつもりなのかもしれんな」
どうでしょうね、と答えると、山田先生は不敬だなぁと言って笑った。茶入れの棗の蓋を外す音。抹茶をすくった茶杓が器に触れる音。ほんの小さな音が耳に楽しく、なめらかな動作が、伸びた背筋がうつくしいな、と思う。きれいな人だ。そう言うといつも笑われるが、私は山田先生をきれいだなと思っている。柄杓ですくわれた湯が器に注ぎ入れられて、トポトポと音を立てる。茶筅が振られ、シャワシャワと音が鳴る。その動きを見つめていると、茶筅が抜かれ、器がこちらに差し出された。
「なんだ、まだ団子を食べ終わっていないのか」
「すみません、山田先生に見惚れていました」
「なんだそれは。まあ、好きにしたらいいですよ」
中途半端にいただいていたお団子を慌てて飲み込む。茶碗を手に取って、どこが表だかよくわからないなりに一応回し、軽く押しいただく。
「お点前頂戴いたします」
「はいはい、今日は回し飲みですからね」
山田先生も姿勢を崩し、団子を手に取った。薄茶に点てられた抹茶をすするように口に含むと、香りが鼻に抜ける。ほのかに甘く、優しい苦味が先ほど食べた餡子の甘さにちょうどいい。これは確かに良いお茶だ。
「おいしいです」
「それは良かった」
山田先生が笑う。山田先生がお団子を食べ進めるのを見ながら、二口、三口と茶をいただいて、頃合いを見て茶碗を戻す。山田先生が茶碗を取って茶を啜る。
「うん、おいしい」
満足そうに笑う。私はこれって間接ナンタラなのではないだろうかと思いながら、平静を装った。
「ここ、結構いい場所ですよね。人に教えるのがもったいなくなっちゃいました」
「これから咲く花というのも風情があるといえばそんな気がしてくるな。まあ、一週間もすれば別の場所みたいなもんだ、悋気を起こすな」
「子供の成長みたいなものですね」
「変わってくれないこともあるけどな」
テストの点数とか。言われて、笑った後に苦笑する。笑い事じゃないですよと訴えると、まあ元気が一番ですよと宥められる。まあ、それはそうですが。
「抹茶の飲み過ぎは胃に良くないが……おかわりはいかがかな、土井先生」
「いただきます……あと一服だけ」
今日は臨時休暇の日なのだ。次のテストの内容についてはいっとき棚に上げ、青空と新緑の中でのお茶の時間を楽しむことにした。
一週間後。学園長先生のデートはきちんと成功したらしい。らしいというのは、こちらはこちらで、というか学園総出で、いつものドタバタ劇があったからである。学園長不在の噂に泳がされて現れた敵忍者達の相手をし、結局どうでもいいような情報を掴まされてすごすご帰った彼らの顛末を後に聞くと、未然に防がれた企みがあっただのなかっただの。まあ、いつもの事ではある。
いつもの事といえば、一年は組のよい子たちの小テストの点数も相変わらずのようだった。おやつに炒り豆をぽりぽりとつまみながら、なんとか点数をやれるところに小さい丸やら三角やらを付けてやる。豆を入れている器に目をやって、一人で笑う。抹茶碗として華々しく活躍したこの茶碗は、今のところ私のおやつ係を請け負ってくれている。そのうち食卓に下ろすつもりはあるが、しばらくは机の上で思い出に浸らせていただこう。あっ、乱太郎の答案が目の検査を脱している。偶然か、成長か。どちらにしても褒めてやろうと思いながら、よい子たちの答案を揃える。山田先生がお戻りになったら、今度は私が茶を淹れようと思いながら、ぐっと背を伸ばした。