ワンドロお題 怪談ワンドロ 怪談
それは蒸し暑い夏の夜のことだった。
遠くで波の音が耳をくすぐる。民宿の布団にごろんと寝転ぶと、日中剥き出しだった首後ろと腕が浴衣の布地に擦れてヒリついた。
「じゃあ、私とリンは隣の部屋で寝るってばね!」
すっかり乾いた赤い長髪を靡かせる。笑顔のクシナが廊下を挟んだ襖からひょっこりと顔を覗かせた。続いて現れたリンがひらひらと手のひらを振る。
「ミナト先生、カカシ、オビト。おやすみなさい」
「お、おう、リン、おやすみ!」
ニコッと微笑むリンが可愛かった。いつもより小麦色に近付いた彼女の肌に思わず見惚れる。隣の布団に居座るカカシはすんとした顔で、憎たらしくも短く「オヤスミ」と返していた。
「ウン。お、オヤスミ!」
心なしかリンの頬が僅かに染まった気がする。切ないながらも、オビトはそれにすら見惚れてしまった。
去っていく彼女の髪を最後まで目で追う。閉まりかけた襖から、クシナの人差し指が差し向けられた。
「オビト!あなたは寝坊しないように早めに寝るのよ!」
「ンだよそれ…カカシにも言えよ!」
「カカシはしっかりしてるからいいのよ」
「ハァ!?なんでオレだけ!?子供扱いすんな!」
「オビトは子供デショ」
「何だとカカシィ!おめーだって…つーか、オレより年下のくせに!生意気だぞ!」
「オレは精神的な意味で言ってんの。それに年下って言っても、たった数ヶ月の差だし。カンケーないね」
「コノヤロ〜〜〜!」
「二人とも、そこまでだ」
穏やかな声が聞こえて、ぐんっと頭に圧がかかる。
「程々にしなさい、カカシ。今晩はクシナの言う通りにしようね?オビト」
そのまま大きな手にわしわしと撫でられて、むず痒さを感じたオビトは、唇をむっと尖らせた。
「ミナト先生がそういうなら…」
「ん。オビトはいい子だね!」
「だから…そーゆーのいいってぇ!」
頬を赤らめ目をつり上げたオビトをミナトが笑う。クシナは「フフッ」と声を漏らした後、「おやすみなさい」と襖を閉じた。
カカシは天井に吊り下げられた照明の紐に手をかけ、ミナトへと顔を向けた。
「もう電気消しますか?」
「そうだね。オビトもいいかい?」
「別にいいけど…」
カチ、と一段階暗くなった部屋は、仄かなオレンジ色の常夜灯に照らされる。もう一回紐を引こうとしたカカシに、オビトは慌てて「待てよ!」と制止した。
「何よ」
「何も真っ暗にするこたねーだろ。ちっちゃい灯りくらいつけとけ」
「………もしかして怖いの?」
「は?そんなんじゃねーし!この部屋は三人もいるんだから、夜中誰かが小便に行きたくなった時に踏まれねーように、オレはだな!」
「はいはい。わかったって。寝てるオレを踏んで小便漏らすなよ」
むぅ、と鼻に皺を刻んだオビトを横目に、紐から手を離したカカシは「オヤスミ」と背を向けて横になり、掛け布団を体に掛けた。オビトはそんなカカシにムカムカしながら「おやすみ!」と自分の布団へと潜り込む。薄暗い室内で目を閉じると、波の音がより強く感じられた気がした。
昼間の記憶が蘇ってくる。今日はミナトとクシナに誘われて、リンとカカシの五人で海に来ていた。
海を見るのは初めてだった。波のある水場で泳ぐのは普段と勝手が違うから、とミナトからシャチだがイルカだかわからないバルーンを渡された。何度か海に来たことがあるらしいリンには、クシナがウォーターガンを渡してて。暑そうにしていたカカシは一人、パラソルの下で珍しくアイスキャンディを舐めていた。それが何だか可笑しくて、リンと二人でカカシに海水をぶっかけて、海の中へと誘い込んだ。
(楽しかったなぁ…)
瞼を閉じながら、オビトは顔を綻ばせる。
日が傾けばリンの貝殻集めに付き合い、岩場でカニを捕まえてはカカシに自慢した。夕日に照らされた海が綺麗だった。その海が黒くなる頃には持ち寄った花火で再び海を照らした。皆で一緒に灯した線香花火は、オビトのものだけ最後まで輝いていた。
ありありとした情景が、まだ瞼の裏に焼き付いている。
オビトがぱちりと瞼を持ち上げると、年季の入った木目調の天井が視界に入ってきた。体は疲れているのに眠れない。今日という日が終わってしまうのが、何だかとても惜しかった。
「……なぁ、カカシ。起きてるか?」
横を向いて小さく声をこぼす。返事がなければそれは終わっていたのに、こちらに顔を向けたカカシは律儀にも「起きてるよ」と返してきた。
「ミナト先生は?」
「………寝てるみたい。この休日の為に根詰めて仕事してたし、さすがに疲れたんでしょ」
「そっかぁ…」
横になったままカカシと見つめ合う。何となく(こいつも眠れないんだろうな)という確信があった。オレンジ色の灯りに照らされたカカシがボソボソと口を開く。
「もう寝ろよ。クシナさんに寝ろって言われただろ」
「そうだけど……このまま寝たらマジで子供じゃん」
「だからオレらは子供だろ」
「……そうだけどさぁ…」
また同じ問答をする気にはなれなかった。
カカシのことは──リンに想いを寄せられているという一点においてかなり気に食わなかったが──オビトの中では、生意気な親友という枠に収まっていた。
「お前だってこのまま寝たくないだろ?」
黙り込んだカカシに、オビトは(ああやっぱり)としたり顔をした。
「……でももう夜中だ。ここから出るのはまずいだろ」
「うーん…」
「何もできないじゃない」
「イヤ、待てよ…そうだな…」
思考を巡らして、オビトは一つ頷いた。そして腹這いでカカシの布団に潜り込む。カカシはぎょっと仰け反って、「な、何?」と声を上げた。
「しーっ!ミナト先生を起こしたら悪ィから、声のボリューム下げろって!」
もしかしたら隣の部屋では今頃、リンとクシナが話に花を咲かせいる頃かもしれない。こういう場面で出る話題といえば恋愛に関することだが、オビトはカカシと恋バナする気は毛頭なかった。
「せっかくだし、何か涼しくなる話でもしようぜ」
カカシの話がつまらなかったらその内眠くなるだろうと踏まえて出した提案だった。
そんなオビトの提案に、カカシはポカンとした表情をして「はぁ?」と口を歪ませた。近い距離感。暗闇に目が慣れて、唇の左横に添えられたほくろまでよく見えた。
「何言ってんの。お前、怖い話苦手じゃない」
「別に苦手じゃねーし。オレは信心深いから、人より慎重になっちゃうだけ!」
「慎重ってゆーか、ビビリでしょ」
「言ってろ」
肘で小突いてクククと笑う。カカシも少し笑っている気がした。普段なら怒るところなのに、状況が状況だからだろうか。暑いくらいの布団の中の温もりが、妙に居心地良かった。
「いいよ。でもオレの話にチビるなよ、オビト」
「お前こそ」
そうしてポツポツと語り出す。変声期前のボーイソプラノが子守唄に変わるまで、時間はさほどかからなかった。
翌朝。
「いい加減起きるってばねー!!」
クシナの怒号で目覚めた二人は、うねる赤髪を何と勘違いしたのか、悲鳴を上げて飛び起きた。思わず抱き合ってしまったカカシとオビトを見たリンは、「やっぱり仲良しだねぇ」と頬を緩ませた。
おしまい