人生という名の 揺らめく行灯の火が石畳の影を揺らす。木ノ葉隠れの里の地下に張り巡らされた通路のひとつに、一人分の足音が響いていた。
父に巻いてもらった緑色のマフラーを口元に寄せる。カカシは半袖の腕を擦りながら、先ほど通った道を振り返り、眉をしかめた。
「ここ…さっきも通ったな」
何度も歩いた道だからわかる。曲がり角はいくつかあったが、分かれ道はなかった。戻ることなく進んできたはずなのに、同じ道が続いている。
(引き返すべきか……?)
立ち止まり、思案する。戻るのは抵抗があった。たしか大切な用事があったはずなのに、どうしても思い出せない。
ただ『待たせてはいけない』という思いに急かされて、カカシはまた歩き出した。
(……やっぱり同じ通路だ)
漆喰の壁に手を添える。水気を吸ってできたくすんだ染み跡は、見覚えのあるものだった。
「おい、カカシ」
不意に声をかけられて振り向く。
小さい影。いつのまにか、通路の中央にオビトが立っていた。
「何してんだ?」
首を傾げる動作に合わせ、オビトの額にあるゴーグルが行灯の光を反射した。オレンジ色の輝きが壁を彩り、カカシの指先を照らす。
「まさか道に迷ったのか? ダッセー」
ケラケラと笑うオビトに、カカシは肩をすくめた。
「そんなわけないでしょ。オビトじゃあるまいし」
「ンだとコノヤロー!」
「お前こそ。ここで何してんの?」
歯を剥き出しにしたオビトへ歩み寄る。カカシの問いに、オビトは唇を尖らせて沈黙した。
「………ああ。道に迷ったのね」
「ちげーよ」
呆れたカカシに、オビトは両手を頭の後ろへ置いて拗ねた声を出す。
「お前がトロトロしてっからだ……このままじゃ遅れちまうぞ」
ゴーグルを下げて目元を覆う。隠されていた額当てが一瞬きらめく。白銀の光に目を瞬かせたカカシが、次に両目を開いた時──オビトの背丈は少し伸び、カカシの身長を追い越していた。
「リンが待ってる。こんなところ早く出ようぜ!」
「あ……オビト!」
方向を変えて歩き出す背を追う。カカシは思わず上着を掴んでいた。うちはの家紋に皺が寄り、オビトが振り返る。
「何だよ?」
「……いや」
手を離すと、オビトはにやりと笑った。
「やっぱり不安なんだろ? いくら隊長でも年下だからな、カカシちゃんは。手でもつないでやろうか?」
差し出された手を見て、カカシは「誰が…」と咄嗟に出した言葉を飲み込む。代わりに口から出てきたのは、「そうだね」と肯定するものだった。
「オレがここを出られるまで、繋いでてよ」
出した声は低く、穏やかな色をしていた。晒している右目を細める。十三歳の少年の手が、カカシの手の中に収まっていた。
「ね……いーい?」
腰を下ろし、同じ目線になったカカシに、オビトは一瞬意表を突かれた顔をした。しかし、すぐにその表情を切り替える。
「……仕方ねーな」
空いている方の手でボリボリと頭を掻く。振り払われない手に、カカシは安堵して目尻を下げた。
「ほら!とっとと行くぞ!」
「っと…」
乱暴に手を引かれ、足を乱すカカシを右目で見る。オビトは「フン」と鼻を鳴らして、長く伸びた黒髪を揺らすと、繋いだ手をそのままに歩みを進めた。
───二人分の足音が響く。
どのくらい歩いただろう。カカシは他愛のない会話をしながら、オビトと共に繰り返される通路を歩いていた。
「ナルトがさ、酒を飲める歳になったんだ」
同じ背丈──よりほんの少し高い彼を横目にして、カカシは笑う。オビトは前を向いたまま、「そうか」と短く頷いた。
「サスケもサクラも……皆色々あったけど。今じゃ立派な里の忍として、平和な世界を築く為に頑張ってる」
視線は合わなかったが、カカシには隣の男がどんな表情をしているかよくわかった。返って来る言葉は少ない。けれど、カカシの独り言のようなそれをオビトは静かに聞いていた。
「もういい」
途中で数えることをやめた壁の染み跡を通り過ぎた時。オビトは立ち止まり、カカシへと向き直った。
「お前はいつでもここを出られる」
短い白髪が行灯の光を受け、柔らかく照らされる。そこでようやく、二人の視線は交差した。
「皆、お前を待ってんだ」
無言で見つめるカカシを前にして、オビトは溜め息を吐いた。繋いでいた手を緩めるが、カカシの縋る手に掴まれてしまう。
「待って」
「……………」
「まだ…いかないで」
震えた掠れ声が耳に届いた。オビトは小さくなった銀髪を見下ろす。白い狐を象った面の下で、カカシは声も出さずに泣いているようだった。
「カカシ」
少し若くなった声にカカシが顔を上げる。オビトの赤い右目が、カカシの左目と交わった。傷痕のある右頬が緩む。
「ント…しょうがねェな」
「わっ」
オビトに手を引かれ、カカシは腰を下ろした。通路の壁に背を預けて二人は座り込む。
「おめーが満足するまで付き合ってやる」
「………うん」
そして歩むことをやめた二人は、時間を気にすることなく話し始めた。
「リンは……元気?」
「…おう。元気っつーのも、変な話だけどな」
「そうか…」
「お前こそ。リンが心配してたぞ……業務に根詰め過ぎだって」
「でも、手を抜くわけにはいかないからね」
「そりゃそうだが。飯も抜いて寝る間も惜しんで結局病院に運ばれるんじゃあ、イミねーだろ」
呆れるオビトに、カカシは「そこまで見てたのか…」と赤く染まった頬を隠した。
「油断できないな」
「たりめーだ………早く来られても困るからな。お前は、遅刻するくらいが丁度いい」
「だからもっと寄り道しろ!」と胸を指差される。カカシは眉を困らせて、「お前ほどはできないよ」と皮肉った。
オビトの眉間に皺が寄る。その瞳の奥に暗い影を見つけたカカシは、「そういえば…」と言葉を続けた。
「この前、木ノ葉病院で会ったおばあさんと話したんだ……オビトに助けられた時のことを覚えてたよ」
「…………」
「お前の寄り道は、間違えてばかりじゃない。お前に助けられた人は……確かにいるんだ」
だから、と開いた口は、立ち上がったオビトによって止められた。再び歩き始めたオビトを、カカシが慌てて追いかける。いつの間にか離されていた手は、駆け寄るカカシを振り払う為に伸ばされた。
「オビト…!」
「お喋りは終わりだ。オレのフォローに回るようじゃ、もう必要ない」
「だが、オビト……オレは……」
「カカシ」
オビトが笑う。かつてのオビトと同じ。少年のような笑顔を向けられて、カカシは言葉を忘れ、魅入ってしまった。
「ゆっくりでいい……ずっと待ってる。話の続きは、また今度にしよう」
そして背を向けたオビトは、片手を上げて「次はもっと明るい土産話持ってこい」と言って去っていった。
通路に残されたカカシは一人、後を追いたい衝動に駆られたが、何とか自分を律して踏み留まった。
オビトがいなくなった通路を見つめる。このまま進めば、同じ道を繰り返すことはわかっていた。
(……"また今度"か……)
オビトが行った先とは反対に体を向け、足を進める。そうして見えてきた光の先で、カカシの両眼に、鮮やかな三人の部下達の姿が飛び込んできた。
「あーっ!カカシ先生!どこ行ってたんだってばよ!」
「もう、待ちくたびれたわ!」
「やっと来たか…」
指を差すナルトを筆頭に、サクラとサスケから呆れた視線を向けられる。
カカシは片手を上げ、弓なりに目を細めた。
「いやぁ、すまんすまん。今日はちょっと人生という道に迷ってな…」
了